【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
約束通り、三時に店の前にやってきたレグルスと合流すると、今度は高級クィディッチ用具店を訪れた。ダイアゴン横丁の午後はどの店も賑わっていたが、中でもこの店が一番騒がしい。店に入る前から女性の歌声が響き渡り、ドアをくぐると鼓膜を突き刺す。音量を抑えたら、きっと聴き惚れるような歌声なのに──ナーサは目を細め、両耳にそっと手を当てた。
「……ド……応援……だ」
「え、何ですかっ?」
「パドルミア・ユナイテッドの、応援歌──」
レグルスが珍しく声を張る。
壁一面にブリテンとアイルランドのクィディッチ・リーグに所属する、十三チームのユニフォームや箒が並んでいた。ビーターのバットや、飾り文字のサインがされた練習用の三種類のボールが飾られている。一角の本棚には、ルールブックやクィディッチの歴史書、選手達の写真集がぎっしりと詰め込まれていた。
店内で目につくのは中高年の男性だ。視界に入るのは着古したユニフォームや、タトゥーを入れた太い腕ばかりで、女性客はほとんどいない。煙草のヤニや酸っぱい臭いの中、怒鳴り合うような話し声が響く。
「私、外に出てるわ! 何だか、クラクラしてきて」
リリーが吐き気をこらえるように出口へと向かう。
ナーサも一瞬ついて行こうかと思った。店内をゆっくりと見て回れる雰囲気ではない。けれど、レグルスが迷いなく通路の奥へと向かうのを見て、結局は後を追った。
(レグルスおじさまが勧めてくれたんだもの。見ないのは、気持ちを裏切るみたいで嫌だ)
すれ違いざま、ナーサに目を留めた人達が、自分の外套を引き寄せたり、壁に張り付くようにして道を空ける。まるで自分がショーケースの中に飾られた壊れ物として扱われているように思えた。
カウンターの前にはラジオが置かれており、歌声の出処は疑いようもなかった。店員はいない。レグルスは呼び鈴に手をかけたが、当然のごとく大音量にかき消され、反応はない。レグルスは杖を取り出し、ラジオに向けた。
「クワイエタス」
音が杖先に吸い込まれるように、控えめになった。そろりと両手を外しても、耳に痛みは感じない。話し声が急に止み、一拍遅れて荒々しい足音が響いた。
「おい! 何勝手なことしてるんだ」
すぐ側にいた赤ら顔の男が声を上げた。パドルミア・ユナイテッドのユニフォームが厚い胸板で引き伸ばされ、魔法よりも腕っぷしに自信があるように見えた。
ざわめきが一瞬高まり、すぐにかき消える。
「いい気持ちで聴いてるのによ。澄ました顔しやがって! おい、聞いてるのかっ?」
胸ぐらを掴みそうな勢いで、男が迫る。
ナーサは反射的にレグルスの側に駆け寄り、男の前に両手を広げて立ち塞がった。
「……やめてください!」
震える声は、自分で思った以上に小さかった。
レグルスは大きく目を見開き、ナーサの背に伸ばしかけた手をすんでのところで止めた。その指先は躊躇うように何度か動いたが、やがて諦めたように下げられる。
男の方は横から現れたナーサに勢いよく背を反らし、二、三歩後ずさりした。
「危ねぇ……! 何やってんだ、嬢ちゃん!」
「お願いです、やめて……!」
男はナーサから、背後のレグルスへと視線を上げた。舌打ちしかけた顔が、次の瞬間、目に見えてこわばる。
連れの一人が、血の気を失った顔で男の腕を引いた。
「おい、やめろ。誰だか、よく見ろ……」
男の肩がピクリと動いた。続いて、もう一度レグルスの顔を見た途端、喉がごくりと鳴った。高く掲げていた杖を静かに下ろし、じりじりと後ずさっていく。
ナーサは振り返った。レグルスの顔に怒りはない。硝子玉のように冷たい光を宿した瞳が、ナーサを捉えると揺れるように動いた。
「……レグルスおじさま」
そっとコートの袖口を引くと、レグルスがナーサの肩に手を乗せる。手袋越しにもその手は温かい。
けれど、店内を取り巻いていた熱は、水を浴びせられたように消え去っている。そこかしこから視線を感じ、コートの襟を整えようとした──ボタンに触れた指先が、思いがけず震えている。
レグルスの視線が吸い寄せられるようにそこに止まった。
「君に庇われるとは思わなかった」
「余計な真似をしてしまって……」
「そんなことはない。ただ──驚いただけだ」
ナーサは目を伏せ、手近な陳列棚に近づいていった。立てかけられた箒に向かってしゃがみ込むと、荒い柄に手を添える。『一九四〇年 エラビー・アンド・スパドモア社 ティンダーブラスト』──何度か読み返したが、頭に入らない。
レグルスは静かにナーサの後ろに立ち、身を屈める。
「……懐かしい箒だ」
静けさに消え入るような声に、ナーサは目をまたたいた。
無骨な箒だった。太く直線に近い柄は磨きが足りず、ゴツゴツしている。ニスも塗っておらず、ところどころに細かな傷がついていた。
「この箒、乗ったことがあるんですか?」
レグルスはすぐには答えなかった。柄の先端をひと撫でし、深い吐息を一つ漏らす。
「……兄の乗っていた箒だ」
「お兄さまの……?」
ごく自然と出てきた言葉に、レグルスは目を細めた。
「子どもの頃、兄とよくこの店に来ていた。二人ともクィディッチが好きでね。兄は二歳年上だったから、先に大人用の……この箒が与えられた」
「お兄さまがチームメイトだったなら、心強かったでしょうね」
「いや。兄は、グリフィンドールだった。ブラック家は皆、スリザリンだったが、あの人はそんなことには囚われなかった」
マルフォイ家は皆、スリザリン──そう言われてきた。自分と同じだ。血筋で定められた大枠を乗り越えた人。
レグルスの表情は柔らかかった。ナーサは小さく喉を鳴らした。
「それじゃ、試合では敵同士だったんですか?」
「そうだな。シリウスはビーターだったから……ブラッジャーをぶつけられて、医務室送りになったことがある」
「そんなに本気で……?」
肩がこわばった。ふっと頭をよぎったのは、一年生の学年末に見たケイレブとリラルドの諍いだった。血を流して、いがみ合っていた兄弟。
ナーサの青ざめた顔に気づいているのか、いないのか。レグルスは頬を緩めた。
「痛みでうなされていた夜、こっそり会いに来た。言いづらそうに『まだ起き上がれないのか』ってね……普段は近づきもしないくせに。そんな人だった」
ぽつりぽつりと漏らすレグルスの言葉は温かい。
兄殺しという不吉な言葉が、ずっと胸に引っかかっていた。けれど、レグルスが口にした兄の記憶は、想像したものとは違う。ナーサは両手を何度も組み直しながら、紫がかった青い瞳を見上げた。
「あたし……レグルスおじさまのお兄さまのことを、もっと知りたいです。今度伺ってもいいでしょうか?」
レグルスは背すじを伸ばし、『ティンダーブラスト』から身を離した。けれど、目だけはまだ兄の跨った箒を見ている。
「ああ。構わない」
その声には未練の響きがあり、そのまま見ていることは許されない気がした。
レグルスを置いて、ナーサは店内をゆっくりと見て回った。赤ら顔の男や連れはすでに退散し、先ほどよりも客が少ない。
入り口側の壁際には、ブルガリアのユニフォームを着た選手の等身大パネルが飾られていた。黒髪の目つきの鋭い選手だ。足早にその前を通り過ぎかけた時、その真横にクィディッチ用のグローブが置かれているのを見た。
『2002年ワールドカップを沸かせた、ビクトール・クラム愛用のグローブ』──黒々と光る、なめし革。肘まで覆うほど長く、表側には盾のようにドラゴンの鱗が張り巡らされ、三箇所に取りつけられた太めのバックルにはドラゴンの横顔が紋章のように象られている。
ナーサは巾着を床に置くと、そっと片腕を通してみた。見た目の硬さとは逆に、内側は思いのほか軟らかい。ナーサはグローブ越しに自分の手を見下ろす。ルークの身長は自分とそう変わりない。ホグズミードへの馬車の中で見た彼の手を思い出し、そっと手を握りしめた。
「それは自分用に?」
隣に並んだレグルスが、ナーサの頭に視線を移した。ナーサは七変化リボンをそっと手で覆いながら、小さく首を振る。
「友達へのクリスマスプレゼントにしようかと。……でも、こんなことにおばあさまのお金を使うのは許されないでしょうか」
「こんなこと、ではない。君が誰かのために贈り物をするのなら、それは大切なことだと私は思う」
ナーサはグローブを外し、丁寧に畳んだ。棚に戻しかけた品を、もう一度手元に引き寄せる。
「……おじさま。あたし、このグローブを買おうと思います。それに──他の友達への贈り物も選びたいです。まだ、お時間はありますか?」
「もちろんだ」
レグルスの答えには僅かにも躊躇いはなかった。