【予言の子が殺されたIF】此は最果ての地 作:琳音(@rinne_1218)
ナーサはベッドの上でぱっちりと目を開いた。頭の重みは消え失せ、すっきりとしている。壁時計が時を刻む音が室内に満ちている。
午前八時。サイドテーブルに手を伸ばし、手繰り寄せた杖を窓に向けて振った。カーテンレールの軽やかな音が走ると、薄暗がりに包まれた世界が広がった。
(静か……誰もいないみたい)
そう思った途端、胸の奥がざわつく。置いていかれたわけでもないのに、そう思ってしまう自分が少し嫌だった。
時間をかけて身支度を済ませると、室内に金色の朝日が差し込んできた。まだ八時半を回っていない。
ブラック家の朝はゆっくりだ。けれど、もしかしたらレグルスとリリーも早く起きたかもしれない。ナーサは二人への贈り物を抱えて、朝食に指定された応接間へと向かった。
ドアを開くと、すぐ横に金銀のモールで飾られたクリスマスツリーが目に飛び込んできて、息を呑んだ。
室内なのに枝には雪が積もり、白く覆われていた。そっと指先を伸ばすと、ひんやりと冷たい。けれど、融けない。魔法の雪だ。
ツリーの裾には大小たくさんの箱や袋が並べられている。飾りなのかと思ったが、包装は統一されておらず、カードが挟まれている物もあった。
胸がトクトクと打ち始めた。自分宛ての物はあるだろうか。誰からの贈り物だろう。
すぐにでも屈んで手を伸ばしたい気持ちを抑えて、ナーサは端にそっと自分からの贈り物を置いた。
部屋の外はまだ静まり返っている。まだ何も並んでいないテーブルの周りを、そわそわと歩いた。
やがて、ドアの向こうから話し声が聞こえてきた気がした。はしたないかと思いつつも、足音を忍ばせてドアを押し開けた。隙間から顔を覗かせると、レグルスは目を見開き、リリーの肩が跳ねた。
「……すみません、驚かせてしまって。おはようございます」
ナーサは消え入るような声で言うと、顔を引っ込めた。頬を押さえて立っていると、すぐにリリーがドアを開けて、にこりと笑った。
「メリークリスマス、ナーサ。今日は随分と早起きね」
「早く目が覚めてしまって」
「分かるわ。クリスマスだもの」
その言葉に、ナーサはようやく頬を緩めた。マグル式の丈の短いスーツを着たレグルスが、ドアの陰から静かに姿を見せた。
「君宛てにたくさん贈り物が届いていた」
「……あたしにですか?」
ナーサはもう一度床に並べられた贈り物を見つめた。レグルスとリリーは視線を交わし、吐息のような笑いを漏らす。
「楽しみは食事の後にしようか」
席に着くと、すぐにクリーチャーが現れ、次々に皿を並べていった。
薄切りのローストビーフに、ふんわりとバターが香る半熟のスクランブルエッグ、小さめのスコーンやブリオッシュ──マルフォイ家の豪華さとは違う。けれど、湯気の立った料理には迎えられる温かさがあった。
食事がひと段落すると、ナーサは姿勢を正してレグルスとリリーを見る。二人のグラスが空になり、ナフキンで口元を拭うのを見届けてから口を開いた。
「お二人に贈り物をしたくて……」
思っていたより声が小さくなってしまったが、しっかりと届いたらしい。レグルスは視線をナーサに向け、リリーはふんわりと唇を緩めた。
「あちらのツリーの下に置かせていただきました」
「……君が、私達に?」
「はい。受け取っていただけますか?」
母に手作りの香水を贈った去年を思い出す。喜んでもらえた──そう思った翌日、瓶の中の液体はほとんど残っていなかった。泣き腫らした母の目を思い出すと、胸が疼いた。
喜んでもらえないかもしれない。それでも贈りたい気持ちが抑えられなかった。
「じゃあ、ツリーの下に行きましょうか」
リリーが静かに席を立ち、三人でツリーへと向かう。ナーサは小走りになり、レグルスへの贈り物を手に取った。
「いつもありがとうございます、レグルスおじさま」
レグルスは包みを受け取り、まばたきもせずに見下ろしていた。やがて、ひと言ポツリと漏らす。
「……開けてみても?」
「勿論です。お気に召したらいいんですが……」
レグルスは包装を破らないように、時間をかけて解いていく。
この優しい後見人に何を贈れば喜んでもらえるか、ナーサには見当もつかなかった。指先を擦り合わせながら、次の言葉を待つ。
濃紺を基調にしたハンカチを手に、レグルスはしばし何も言わなかった。手のひらの上で開き、食い入るように眺めている。
「……いい色合いだ」
「本当ですか?」
「ああ。本当に……嬉しい」
レグルスはハンカチを丁寧に折り直し、スーツの胸ポケットの物と差し替えた。
使ってもらえる──静かな安堵に、ナーサは吐息を漏らしてリリーへの贈り物を手に取る。
「リリーも受け取ってもらえますか?」
リリーの目尻に柔らかな影が落ちた。ラッピングを丁寧に外していき、出てきた小箱のフタを開けた途端、「まあ」と小さな声を漏らす。
「薬草の栽培は手が荒れるでしょう? だから……ハンドクリームとナイト手袋がいいんじゃないかって思ったんです。ハンドクリームはあたしも友達からプレゼントしてもらって、とてもよかったから」
「ナーサったら」
リリーの顔が泣き笑いのように歪んだ。
次の瞬間、ナーサは柔らかな腕の中に包まれていた。背中に回された手が、あやすように撫でていく。その感触がくすぐったくも懐かしい。母の手つきを思い出してしまう。
「ありがとう。大切に使わせてもらうわ」
低い声でそう言い、リリーはそっと身体を離した。
「さあ。今度はあなたの番ね」
そうリリーに促されて我に返った。まるでホグワーツの図書館を初めて訪れた時のようだった。興味を惹かれるタイトルがずらりと並んでいるのに、どれから手に取っていいか迷ってしまった時と同じ。
アデリナからは図書館でも大人気の『クィディッチ今昔 2008年改訂版』だった。それも書店でただ買っただけではないらしい。試合の戦略やら知っておいた方がいい技など、あちこちに付箋が貼られていて本の厚みが変わっている。カードには『ダイアゴン横丁に来てたんだって? 次、来る時は教えてよ』と、およそクリスマスらしからぬことが書かれていて笑ってしまった。
イアンやルームメイト達からも、お菓子や小物がたくさん届いていた。包みを開けるたび、胸が弾んだ。
中でも嬉しかったのは、リンジーから贈られた『新しい自分に出会える魔法』というヘアセット用の雑誌だ。
『自分らしさ』を大事に、いいところを伸ばしていくようにと彼女は教えてくれた。リンジーそのものにはなれなくても、彼女の素敵なところを少しずつ真似してみたい。
一番驚いたのは、ビーターのブラッドリーからのゴールデン・スニジェットのマスコットだ。あまり話したことのない彼からプレゼントをもらえるのが信じられなくて、つい宛名を見直してしまった。ブラッドリーには最初嫌われているのかと思っていたが、そうではない。寡黙なのだ。その彼が、女の子向けのプレゼントを真剣に選んでいた。
小さな金色の鳥かごを開けてみると、本物さながらの機敏な動きで室内を飛び回り、やがてクリスマスツリーのてっぺんにとまって可愛らしいさえずりを聴かせてくれた。
頬を染めながらラッピング用紙を片づけていくナーサに、レグルスは軽く咳払いをした。
「まだプレゼントが残っているよ」
ナーサは目をぱちくりさせた。何か見落としていただろうかと、ぐるりとツリーを一周してみたが、キャンディ一本落ちていない。
「もしかして、このクリスマスツリーですか?」
思いつきでそう言ってみると、レグルスはツリーに杖を向けた。この後見人も、昔は少年だった──初めてそう信じられる顔だった。
「ご名答だ。レベリオ」
枝葉がドミノ倒しのように下に向かってなぎ倒され、みるみるうちになめらかになっていく。何度かまばたきをするうちに、クリスマスツリーだったものは、トルソーに着せかけられた光沢のあるドレスに早変わりしていた。
「わぁ……!」
感嘆の声をあげたナーサは、しばらくの間まともに口が利けなくなった。その目も覚めるようなサファイアブルーのドレスに一目で虜になってしまったのだ。
形はプリンセスラインだが、全体のシルエットは甘すぎず、凜とした気品があった。光沢のある生地には繊細な刺繍が施され、立ち襟気味の首元から胸元にかけての仕立ては明らかに上等なものだった。ふんわりと広がるスカートの裾には小粒のパールが散りばめられ、夜空の星々のよう。何より肩も腕もきちんと覆われているのが好ましかった。華やかなのに、少しも無理を強いられる感じがしない。
口元を押さえたまま、ナーサは立ち尽くした。
「……とても、素敵──でも、こんな高価なもの……」
ナーサは胸の上で両手を重ねた。嬉しい。けど、申し訳ない。
「君には、これまでずっとクリスマスのプレゼントを贈れなかった。十二回分をまとめて贈ったと思ってほしい」
「どうしよう……もう、何と言ったらいいか……」
身体の奥底から込み上げてくる感情が何なのか。喜びと言うにはあまりにも軽すぎた。目を伏せるナーサに、リリーは目を細めた。
「ねえ、一度着てみたら?」
「……え? でも、お待たせしてしまいますし」
「大丈夫。任せて」
リリーはドレスに人差し指を向け、ナーサに向かって動かした。光の泡に全身を包まれたと思った途端、ほんの少しだけひんやりとした感触があった。まばたきをした時には自分の身体はドレスに包まれ、トルソーには今まで着ていたワンピースがかけられていた。
ドレスはきついもの、動きづらいものと思っていた。けれど、これはどうだろう。息苦しさがまるでない。
「とても、よく似合う」
レグルスが頷きながら言った。
「あたし……このドレス、とても好きです。ありがとうございます……!」
「こないだ、採寸をしたでしょう? あの後、レグルスが『トウィルフィット・アンド・タッティング』で注文したのよ」
「……すごい。あたしだけのドレスなんだって実感しました」
「ねぇ、ナーサ。ドレスの裾を少し上げてみて。何か気づかない?」
そう言ったリリーの声は弾んでいた。緑の目がよく晴れた日の水面のように輝いている。
ナーサは小首を傾げて、ドレスの裾を少しだけ揺らした。目線を落とすと、銀色に輝く華奢な靴が目に入った。リボンと小さなパールをつらねた花に飾られて可愛らしい。またしても緩んだ口から吐息が漏れた。
「これは私からのプレゼント。レグルスのドレスと合わせてみたんだけど、どうかしら?」
ステップを踏むように足が弾んでいた。ヒールがあるのに、不安定な感じがない。
「素敵……軽いし、全然痛くない。ありがとうございます、リリー。おじさまも……あたし、こんなに幸せでいいんでしょうか……」
目の奥がじわりと熱くなった途端、レグルスが銀色のハンカチを差し出した。ナーサが贈ったものではない。元々胸ポケットに入れていたものだ。頬を撫でる布地が柔らかい。
「できれば、君には笑っていてほしい」
ナーサはその言葉を噛み締めるように頷き、笑った。
その時、玄関ホールの柱時計から十時を告げる鐘の音が流れてきた。
「今日はこの後、聖マンゴに行こうと思う」
聖マンゴ魔法疾患傷害病院。ナーサは思わずレグルスの袖を掴んでしまった。
「……もしかして、体調が悪いんですか?」
おそるおそる訊くと、レグルスの眉が微かに上がった。リリーの唇の端がピクピクと動き、彼女は小さく咳払いした。
「そこだけ言ったら驚くでしょう」
その言葉にレグルスは目をまたたき、ナーサに向かって目を細めた。
「すまない。唐突だったね。あそこには私の従姉、アンドロメダが入院している……長く顔を出せていなかったんだが、そろそろ行くべきだと思ってね」
最後の言葉はほんの僅かに低かった。
「アッシュのお母さま……ですね」
クィディッチの事故で医務室に泊まった日、リリーから聞かされていた。望まない再婚と出産で精神を病み、聖マンゴに入院していると聞いていた。
「……分かりました。リリーも一緒に行かれますよね? お気をつけて行ってらっしゃい」
胸が微かに痛んだが、ナーサは微笑みを作った。
「もし、嫌でなければ、君にも来てほしい」
「ご一緒しても、いいんですか?」
ナーサは知らず両手を重ね合わせて、少しだけ身を乗り出していた。一拍遅れて喜ぶなんて不謹慎だ、と頬を赤くする。
「勿論だ。リリーから、君がアシュタロスと友人になったと聞いたよ。もしかしたら、あの子も来ているかもしれない。君と会えれば、喜ぶだろう」
「是非、ご一緒させてください」
ほんの少しだけ頬を緩めるアッシュの笑みを思い出して、胸の奥に温みを感じた。