大広間に向かう新入生の間では、すでに小さなグループが出来上がっていた。ホグワーツ特急での長い時間で、すっかり打ち解けたのだろう。
「どの寮がいい?」
「一緒の寮だといいね」
楽しげな声が漏れ聞こえてくる。ナーサはそんな彼らに少し遅れてついていった。
話しかけようとしても、目が合った途端そそくさと離れていく子が多い。自意識過剰なのかもしれないけれど、ヒソヒソ声で話されると悪口を言われているようで、胃をギュウギュウと締めつけられているように感じた。
あの失礼なリラルド・ヤックスリーでさえ、男子数人で固まって気軽に話している。一人ぼっちなのは、ナーサだけだ――心細さにローブの上から懐中時計のネックレスを握りしめた。
(あたし、そんなに嫌われるようなこと、してるのかな……)
それでも、ナーサは沈んだ胸の内を見せないように胸を張った。マルフォイ家の娘が侮られるようなことがあってはならない。
先導の先生の案内で、新入生全員が大広間に通された。すると、盛大な拍手が広がった。四つの寮ごとに並べられた長テーブルには二、三百人の生徒がひしめいていた。
宙を漂う数千本ものろうそくが、好奇心いっぱいの顔一つ一つを照らしだしている。
大広間の最奥には横にされた長テーブル。そして、その中央には全身けばけばしいピンクの魔女が座っている。
一目見た途端、ナーサは唇が震えるのを止められず、握りしめた拳に爪を突き立てた。ごてごてのレースやリボン、十一歳のナーサにとっても馬鹿馬鹿しく思えるほどの少女趣味だ。少しでも気を抜いたら、声を上げてしまいそうだった。
女子は皆、同じように感じたらしい。中にはクスクス笑いながら指を差す失礼な生徒もいた。
ガラス製のベルを鳴らし、マダム・ピンクが立ち上がった。
「新入生の皆さん、こんばんは。ここはあなた方の家でもあり、学び舎ともなります……わたくしは校長のドローレス・アンブリッジ。皆さんを歓迎しますわ」
胸焼けしそうな甘ったるい声で、アンブリッジ校長は話しだした。その話しぶりが、また笑いの呼び水となった。
校長は「ェヘン」と嫌な咳払いをすると、先を続けた。
「長く過ごす場ですから、皆さんにとっても楽しい場であることを望んでおります……そして、楽しいということはマナーを守ること」
言葉を切った校長が、高々と杖を掲げた。
次の瞬間、赤い閃光が走り、ガンッ――鈍い音が大広間に響き渡り、大広間の扉にもたれかかるように女子生徒が一人倒れていた。
――キャーッ!
一呼吸遅れて、あちこちから悲鳴が上がる。すかさず教職員テーブルの端にいた白衣の先生が立ち上がりかけた。しかし、すぐ横にいる先生に腕を引かれ、止められている。
飛ばされた女子はガクリとうなだれたまま、髪の一房すらも動かない。
おそらくは失神呪文だ。まさか生徒相手に即死魔法を使うはずがない――心臓が胸を突き破るように激しく脈打っている。ナーサは震える手でネックレスを握りしめた。
在校生の中には心配そうに身を乗りだす者もいるにはいたが、大半が顔を伏せたり、無関心な顔をしている。こんなことは日常茶飯事なのかもしれない。
アンブリッジ校長はガマガエルそっくりな顔を歪めながら、お上品に続けた。
「不心得な方がいたら、今のように【やむを得ず】罰を与えることもありますわ。でも、それはひとえに皆さんの成長を願ってのこと……分かってくださいね」
新入生達はこわごわと顔を見合わせ、慌てて姿勢を正す。
恐怖と緊張に耐えきれずに泣きだす子。その口を慌てて塞ぐ子。皆が動揺を見せる中、リラルド・ヤックスリーやその近くにいる生徒達は楽しい見世物を見たかのようにうすら笑いを浮かべていた。
ナーサは嫌悪感に目を背けた。同じ新入生なのに心配どころか、あんな態度を取るだなんて――この人達とは絶対に分かり合えない。
シンッと静まり返った空間に満足したらしく、アンブリッジ校長は口を開いた。
「それでは、組分けの儀式を始めましょう」
ナーサは噛みしめた歯の奥から荒い息を吐いた。身体を渦巻く怒りが、別種の生き物のようにナーサを支配していた。
不快だからといって、子どもの一言であんな体罰を与えるなんて。それに、ついさっきまで一緒になってはしゃいでいたのに、周りの子達が誰も助け起こそうとしない。
(校長先生が怖いから? だからって、傷ついた人を見捨てていいの?)
その時、スリザリンのテーブルの奥から、誰かがやって来るのが見えた。夜の闇よりも深い漆黒の髪、何処か近寄りがたい面差しの男子生徒――ホグワーツ特急で見た、あの人だ。皆、同じ制服のローブのはずなのに、足早にやってくる姿が光を帯びているようだ。
ナーサが息を呑んで見つめていると、彼は倒れている女子の前にしゃがんで杖を向けた。身体全体を光が包みこんだ次の瞬間、彼女の身体がビクンと跳ねた。彼が後頭部に手を添えて何事かをささやくと、女子はふらりと立ち上がった。
彼女が戻るのを見届けてから、黒髪の男子は動いた。
視線に気づいたのか、彼はほんの一瞬ナーサの方を見た。視線が交わった途端、ナーサは心臓が軽く跳ね上がるのを感じた。
けれど、彼は何事もなかったかのように元いたスリザリンのテーブルへと戻っていった。
(あの人、助けてあげたんだ……先生方も、友達も見捨てたあの子を)
なんて勇敢な人なんだろう。黒髪の上級生への賞賛で、ナーサは胸がいっぱいになった。
そして、その時ようやく気づいた――自分自身も倒れている子に駆け寄らなかったことに。
(人を責める資格なんて、あたしにはなかったんだ……倒れている人にすぐに駆け寄れない自分なんて、嫌だ。恥ずかしい)
「マルフォイ、ナルシッサ・アークトゥルサ!」
大広間に自分の名前が響き渡ると、ざわついていた空気が一瞬で凍りついた。
ナーサは唾を呑み込み、ぎこちない足取りで組分け帽子の前に進み出た。好奇心の目が全身に食い込むように感じられる。じわりと汗がこめかみを伝った。
けれど、在校生に向かい合うように座り、古びた大きな帽子をかぶると、目元までが深い闇に包まれる――大広間のざわめきから切り離されたようで、周りの目が何も気にならなくなった。
「ふーむ。君はマルフォイ家の子か」
頭の内側に声が響く。ナーサはビクンと身体を震わせた。
「温かい子だ。自分が傷ついても人を助けようとする優しさ。物事を深く考えられる賢さ。周りへの誠実さ。それに自分を高めたいという野心も持ち合わせている。
さて……マルフォイ家は皆、スリザリン。これまで、迷わずにそう決めてきたが」
(おじいさまや、パパと同じ寮がいいと……あたしも、そう思ってた。スリザリンが嫌なんじゃない。ただ……いいと思っていたのは、本当にあたし?)
――誰かに言われたからじゃなくて、自分で選んでいくの。母に言われた言葉を思いだした。
頭の内側の声が、穏やかに笑う気配を感じた。
「だが、今の君の一番の望みは勇敢であること。そうなのだね? この道を選べば、君には大いなる苦難が待ち構えているかもしれん。だが、それでも進むのだね?
ならば、君の行く道はただ一つ――」
「グリフィンドール!」
高らかに宣言された瞬間、大広間が一気にどよめいた。マルフォイ家の娘が、スリザリン以外の――よりにもよって、グリフィンドールに選ばれてしまった。
帽子を脱いだ途端、重いしがらみから解き放たれた解放感が駆け抜けた。ナーサの顔にはいつも口元に浮かべた微笑ではなく、本物の笑顔が咲いた。
まばらな拍手の中、ナーサは軽やかな足取りでグリフィンドール席に向かった。同じ寮生でさえ、歓迎の言葉はない。けれど、そんなことは気にならなかった。
ふと頭上を見上げると、晴れ渡る夜空を投影した天井には無数の星が輝いている。それは、これからの自分を応援しているかのようにナーサには思えた。