最高顧問から伺いようたです。どうぞお掛けください。先に言うときますがの、ワシはアニキとは皆さんほどの接点はありゃせんのです。
ワシのアニキとの出会いは呉の飲み屋でしたの。飲んでは暴れを繰り返しとったんです。そこでアニキに酒で負けましての、広能組の門を叩いた言うわけですけん。
ですがの、もうアニキは倉元言う若い衆を面倒見とったんです。そうです。広能組社長の倉元猛ですけ。盃受けたんも、序列でも倉元の方が先でしたけの。オヤジは自分を若頭に付けて、広能組の行儀見習いになりようたんです。本音で言うたら倉元が羨ましく思うたのは事実ですの…そりゃあ広能組なら小沢夏樹に着いて行儀見習い始めたい思うんが、普通ですやろうな。今になって思うんは、あれはあれでオヤジの見る目言うもんでしょうの。アニキも倉元も極道として大成する手合いではのうて、二番手三番手、あるいはカタギとして…だったんやないですかの。ほうなると、自分がカシラにつけられたんは正道と言えば正道でしょうの。
多分ですが…アニキは人誑しの才能があったんでしょうな。
昨今の映画や小説、ドラマに描かれる様な影の薄い、ヤクザ廃業するまでの中継ぎの様な人ではありゃせんのです。こう言ってはなんですが、釣り合いの問題です。陽の当たる道を歩き始めた倉元や野崎、同じ時代を端から仕舞いまで極道として生きた上田さんに先代の武田会長、大友親分と比べると、事実はどうであれ見劣りすると言うか。物語性には欠くでしょう。
大友親分にどう言ったお話を伺ったのでしょうか?
いえ、結構です。大方、生きてる間は口止め…くらいの条件は出ているでしょうの。
察しはつきますけ。ワシも聞いてみたかったですの…大友親分はアニキのことはほとんど話してくれませんけん。そうですの…ワシが話せることは多くないですけ、組割った経緯についてお話しますけん。
天政会入りして三年目の盆明けを、送り火も始末し終わってのこと。遂にきたかと思うたのを覚えてますの。オヤジが引退して、組を継承してから自分は倉元をカシラにしましてね。やっぱりアニキが仕込んだだけあって稼ぐんですわ。そして、何を考えゆうか結末みるまでよう分からんのです。
「ちーっとええですかの?」
って言った次の瞬間に
「旧軍の燃料タンクとか残ってませんかねぇ…」
とか
「タイに支店出せませんか?」
なんちゅう突飛なことばかり言うもんでしての。それがよう儲かるんです。
いつも通りに自分のとこに来て言うわけですけ。
「ちーっとええですかの?自分、カタギになろう思うんですがのぅ。」
って。
「天政会に入って三年…やや三年。先代のオヤジさんに拾われ、当代にはカシラにまで引き上げてもろうたんですがの。自分はアニキの望みを叶えたいといいますか、アニキの夢を現実にしたい思うてますけん。」
「ほうか…何人くらいこんなに着いて行くかの。」
「うちの社員だけでええですけ。」
問題はここで言う「うちの社員」と「倉元の会社」についてですの。業態というか形態というか…生きる世界が違うただけで、両方とも「広能組」だったんですわ。正直、これん関してはアニキのツメの甘さと言わざるを得ません。今更ですが、確かに「サラリーマンが代紋背負って…」と言われていました。
「倉元、早い話が組割るって事でよかったかの?」
「心苦しいですがのう。」
「すまんがの。これは即答できんのじゃ。会長と先代に相談するけ、何日か待てるかの。」
「もちろんです。無理言うてるのはこっちですけ。」
はっきり言ってしまえばもうここで組は割ってしまうつもりではおったんですけ。ですがの、こればっかりは一人で決めるに大きすぎたんですわ。言い訳のように聞こえてあれなんですがの、ワシ一人で組を割る決断ができんかっただけですけん。笑ってつかい。ただ根性が足りんかっただけですけんの。
まず、オヤジに面会の約束を取り付けるに、オヤジの会社に連絡を入れた。この頃、先代のオヤジは事業を運営しとりましての。おいそれと会えんのですよ。それに一端の社長にヤクザが正面から会うのは…気が引けまして、先に本家の会長と会うてきたんですわ。松村保、三代目天政会会長ですね。
「氏家さん、どういたがです?」
「いい加減、その‘さん’付けるんどうにかなりませんかの。どうにもケツの座りがようないですわ。」
「仕方ないですの。ほうで、相談、言うんはなんでしょうの。」
「それがですのう。倉元が手前配下連れてカタギになる言うちゅうんですわ。」
「そらぁまた…とは思いませんの。大方、小沢の兄さんの遺志ってとこでしょうかの。」
「わかりますか…」
「何か問題でもあるんですかの?」
「え?」
「問題があって来たんと違うんか?」
「いえこれは組を割る言う話で、会長の裁可やら何やらと…」
「小沢の兄さんが蒔いた種じゃ。悪い話ありませんろ?」
「で、もう一つはですの、屋号ですけん。」
「屋号?」
「へぇ。今まで倉元は広能組としてやってますけ、いきなり切り替えるっちゅうのも難しい話でしての、かと言って、渡世を生きて来たワシらも広能の名跡は惜しい。そう言う話ですけん。」
「難しいですなぁ…氏家さんよ。氏家組揚げる言うんはどうですかの?松永組もいつかは同じ様になるんですやろ?ほうでしたら、広能組は当代で渡世引退、新たに氏家組に看板を掛け替える言うんはどうですかの?」
「いや自分はそこまでのことはしとらんじゃないですの。」
「あまり進めたくはないんですがの。そうしたらヤクザであることを悩んどる連中の未来にも繋がる思うとるんですわ。」
「ええんですか?」
「それしかありゃせんのじゃないですかの。倉元随分、働いたでしょうに。」
「あとは先代に伺いますけ。もう少し時間くれてつかあさい。」
「よう話してつかいや。」
こうもあっさり会長の許しを貰えるとは思うとらんかったんです。ましてや子分が組割りたいなんて正面から来たなんて。叱られるくらいの腹では行ってんですが、驚きようたです。
先代にも同じ様な事を言われましての。
「ワシの名前で続けるのか…」
なんて言われたくらいでしたわ。小沢のアニキはどうも人を誑し込む才能があった。
こう言う経緯で広能組は名実ともに一度解散、希望者を氏家組で拾い直しました。カシラには懲役明けの清元を登用したがです。ここで話は終わらんのがアニキの芽ですの。と言うか、そう言う流れですのう。
次は松永組の問題ですけ。これは組内の問題だったと思うてたんですがの、アニキのお陰で松永組は名門とも言える扱いになってましての。全員、足を洗って出直す言う話したら揉めたんですけ。
「夏樹の名跡、途絶えさすんか!!」
「最高顧問の言う事は分かりますがの、松永組は松永組ですけ、流石に介入したらアカン思いますがの。」
「松村よう、おどれもそがなこと言うんか。」
「言うたらあれですがの、広能組の件しかり、松永組の件しかり、倉元と野崎の意見なはもう見えちゅう訳ですわ。もう、どうにもならんですわ。」
「おう氏家。こんなの所から一人、若いモン出さんかい。うちから若いモン何人か出すけ、松永組残せや。」
これは驚きましたけんの。大友親分がここまで食い下がるとは思うとらんかったんです。
「ええんですか親分?」
「どっちこっちないわい。ワシは夏樹のスジ潰しとうない。」
こうして言わば第二次松永組が結成されました。組長にはうちから佐伯を出しようてですね、あとは大友組から転向した人間で構成されました。しかしながら、事務所には小沢のアニキの写真が飾られゆうんですわ。多分、アニキも苦笑いしとりますわ。
御存知のとおり、広能組は中堅商社として今は輸出入業を中心に事業を続けていますけん。三代目松永組は渡世引退後、会社名もそのままに“二代目松永組”として代紋を社章にして、倉元から引き継いだ不動産、ホテル、飲食店、クリーニング屋、投資顧問などの複数事業を傘下に収める総合サービス業の会社になっていますけん。あぁ倉元の不動産業とテキーラの独占権を交換したっちゅう話ですけ。
まぁ組織は変われど…っちゅうことかはわかりませんがの、広能組と二代目松永組は仕事を回しあっとるみたいですの。
そう言えば、野崎は海田の後援会もやっとる言うみたいですの。ちくと複雑ですがの…多分、アニキの遺言でしょうな。暴力団特別規制法、上手いですわ。締め上げている様で、生きることも許しとる法ですけ。合法である限り許すと言わんばかりの法ですけの。
一般企業よりも税務監査がキツいあたりは、アニキの入れ知恵でしょうの。アニキは長者番付に載るほど真面目でしたけん。
お客人、申し訳ありません。次の会合がありますけ、今日は失礼させて頂きます。
また機会がありましたら、集めた話聞かせてつかあさい。