いらしゃいまし。なんにしましょう?
瓶ビールに、ちくわ天と玉ねぎ天。お客さん、なかなか面白いですね。うちの練り物は呉のモンでしてね、玉ねぎは淡路の物です。系列の弁当もそうなんですよ。
あ、ご存知で。この名刺は…海田さんの紹介でしたか。いえ、知っていますよ。倉元や、野崎もブン屋さんが来たと言っていました。大友親分のところにも?
どうやら伊達や酔狂で回ってる訳じゃない様ですね。この店は私がやっている趣味のような酒場でしてね、水上フードサービスと言えば天ぷらバーガーですよ。最近はハワイやタイなんかにも店を構えてます。
よく取材なんかでは、一代で築いた日本のバーガーショップなんて言われますけど、そうじゃない。元はお客さんの聞いて歩いてる小沢夏樹が始めた屋台なんですよ。
面白い人でした。ヤクザらしいと思えば今時分の若者みたいな考え方をする、そんな人でしたよ。ある日、倉元が私のところに来たんです。そのお話をしましょう。
倉元は、小沢が亡くなってしばらくして私のところに来ました。松永組は「二代目松永組」を名乗って会社となり、広能組もカタギになってからでした。倉元も野崎も海田を県議まで押し上げた、いわば大きな票田でした。
「アニキと昵懇だった海田が国政選挙に出る言うんですけ。水上の兄さんにもお力頂けんですかのう。」
「なら野崎とまた担げばええ。ワシの力添えなんぞおまんらと比べたら何程よ。」
「今回、海田は保守党の公認ですけん。そこでヤクザの法律を作る言う公約で出馬するんですけ。」
「条例も作っとったの。次は法律にする言うんか。」
「そうですけ。これはアニキの遺書にも書いとったがです。」
「遺書?」
「ワシと海田、松永組の三通の遺書があったんですがの。ワシが二人に届けようたんです。海田の遺書にあったんがヤクザの法律だったんですわ。」
「腐っても初代広能組の若頭ぞ。法律でヤクザ律してこい言うんか?」
「助けてつかあさい。アニキの思い遂げたい思うんです。」
正直な話、私は気が進みませんでした。私も広島ヤクザの端くれです。後ろから刺す真似はしたくないと思ってしまったのです。恥ずかしい話です。娘のために小沢に泣きついて辞めたのに、後ろめたさがあったのです。当時の広島は、暴力団取締先進国と言われていました。言わんとしていることはわかります。
「ほうですか…すんまへんでした。」
そう言って帰る倉元の背中を私は黙って見送りました。見苦しい話です。私が面倒を見た氏家が広能組の人間を拾い、氏家組を揚げ、天政会顧問の大友親分は松永組を残すと言って組を割ったと聞いていました。私がこれに乗るのは不義理であると考えたのです。しばらくして、選挙が近いと言うニュースが世間を賑わせた頃、予想外の来客が広島本社にありました。条例施行のおかげで名乗っただけで脅迫となるのにもかかわらず、大友親分が
「博徒大友組の大友勝利じゃ。水上登に繋いでもらえるかの。」
と言って受付に来たのです。大いに焦りました。暴力団を名乗っただけで警察沙汰の広島で、暴力団を隠さず来訪したのです。受付から広報部から秘書課まで口止めに走りました。条例違反とは言えども、大友親分は地元の名士でもあり、ちょっとした有名人だったものですから。なにせ条例には嫌われているのに、住民には支持されている暴力団。これが小沢の入れ知恵なら悪鬼のような人間です。条例は取り締まるが、市民に支持されるように入れ知恵したのでしょう。大友親分は今も現役でいるたった一人の兄弟です。言うなればダークヒーローです。
これれが意外な事に、大友親分が来た事で受付はちょっとした騒ぎでした。女子社員が大友親分とインスタント写真を撮っていたのです。
「あの…これは…一体。」
「おう水上。待ってる間にこれじゃ。はようどっか部屋用意せぇや。」
「大友親分が困っちゅう。みんな仕事に戻らい。」
「そんなぁ…」
「私も写真撮りたい‼︎」
「社長、少しくらいいいじゃないですか‼︎」
そんな社員の声に負けて五分ほどでしょうか。大友親分にお付き合いいただきました。まるで今時のアイドルのような扱いでした。映画の影響もあるでしょうね。映画では話題の俳優が大友親分を演じていましたね。上田さんが両腕あったのはどうかと思いました。
「水上、おどれの会社はどうなっとるんかのう。」
「すんまへん。この前の映画のせいもあるんかと思うんですけ。」
「夏…小沢はちょい役だったの。」
「知られてる事で言うんなら屋台のニーチャン、二代目松永組組長くらいしか話題はありませんけの。」
「ありゃ海田の配慮じゃ。」
「海田?元二課の?」
「そうじゃ。海田はあの映画について色々釘を刺した言う話を松村が言うとった。」
「それで…。」
ご存知でしょう?
小沢はバレてないだけで複数の殺人容疑がありました。自分でも言ってたのですが、時が来たら自首すると。海田は知っていたのでしょう。
「おかげで小沢は墓を暴かれる事のう今も浄土じゃ。」
「そんな事が…。」
「倉元が来たろう。海田が衆院選に出るんじゃ。」
「この前、来ようたがです。」
「あれは小沢の亡霊じゃ。ワシも実弾を出しよんじゃ。倉元と野崎に出しての。もちろん海田は知らん。」
「それは…‼︎」
「海田はワシの兄弟の思いを…小沢夏樹の思いを背負ってる…そう倉元は言いよった。ワシはヤクザじゃけんの。直に助けられん。」
「そう言う事でしたか。」
「なんとか頼めんかの。」
「そんな…‼︎」
「もちろん払うもんは払うわの。何かしらの形にはなろうがよ。」
「そこまでしてどうしてです?」
「小沢の遺言じゃ。なんとかならんかの。」
親分はどこまでもヤクザでした。ことある事に弁当を注文し、お店にも子分や親分たちを連れてきてくれました。数日後、訪ねてきたのは野崎と海田でした。
野崎は会うに唐突に切り出しました。
「大友親分に伺いました。どうですか。お願いできませんですかの。」
「私からもお願いします。小沢の思いを実現したいのです。」
二代目松永組の番頭と県議に頭を下げられました。これはもう参りました。それに、倉元と野崎、私には公言できない繋がりがあるのです。一蓮托生の秘密が。
「海田さんを応援しましょう。故人の意志をむげにするのも気が引けますけ。」
「水上のオジキ、ありがとうございます。」
「やめてくれ。もうカタギじゃ。海田さん、小沢の遺書、持っとるんろ?」
「持ってます。」
「これはその遺書にあることかの。」
「私と倉元、野崎が持ってると聞いてます。二人には市議、県議の選挙で頼りました。国政に出るにあたり、水上さんを頼ろうと考えたのは、御三方の名前があったからです。」
「ほうですか。」
選挙の告示が出て、選挙戦が始まりました。私は初日、仕出弁当を担いで行きました。選挙事務所に行くと二人一組で整然と準備をしていました。それぞれの受け持ち地域のポスター掲示場の住所を書き込んだ地図を片手に、ポスターを担いで出ていくのです。組織的に動く姿はどこか小沢の空気を感じました。あるいは海田の警察上がりの風習でしょうか。
「水上のオジキ、わざわざありがとうございます。海田さんは遊説出てもうたがです。」
「お、おう。すごいの…選挙は。」
「あれらはうちでクリーニングの配達やっとる連中ですけ、小道裏道に詳しいんですわ。」
「なるほどの。それでポスター貼りか。考えたもんじゃの。」
「そう言うことも含めて自分のことを推薦したんですかのう。何百箇所の掲示場を探すのは、道を知らんと難しいですけん。あれらは朝までに受け持ちの地域を回り続けます。あとで数は伝えますけ、三食と夜食を用意してやってつかあさい。」
「ありそうな話じゃの。弁当はきっちり届けたる。ワシにもなんぞ、手伝わせてもらおうか。」
「では、こちらのハガキに住所の貼り方をお願いしますけ。」
面白いものです。数年前まで広島の覇権を争ったヤクザたちが、カタギになった瞬間、選挙で戦おうと言うのです。最後は暴力と言っていた小沢が育てた舎弟たちは、法に従って戦っていました。改めて彼の遺していた物に驚きました。私は貰った屋台を店に、その店を増やしていくことしか考えていなかった間に、彼らはもっと大きなことを考えていました。
開票の結果は選挙区一位の得票でした。不覚にも、当選発表の時には泣いてしまいました。それから海田さんは当選を重ねて、今では保守党の重鎮ですね。今回は暴力団特別規制法が成立したそうですね。不思議ですね、大友親分は大層、喜んだと聞いています。
いい時間ですね。そろそろ暖簾を下げようと思います。
お付き合いいただき、ありがとうございました。私は来週からタイの方に行く予定なので、この店は何日かお休みします。なんでも出店しないかと現地の企業に誘われましてね。またお越しください。
三人の秘密?
それは墓まで抱えさせていただきます。
またのお越しを。