勇音との和やかな稽古を終えた、翌日のこと。
四番隊舎のさらに奥、外界から完全に隔離された
地下特等訓練場に、二つの影があった。
「──勇音との手合わせ、見させていただきましたよ、
八神四席。」
長く編んだ髪を前に垂らし、
いつも通りの聖母のような微笑みを浮かべる卯ノ花烈。
だが、その手にある斬魄刀──『肉雫唼(みなづき)』の柄に
手がかけられた瞬間、訓練場の空気が、
凍りつくのを通り越して「ねっとりとした血の匂い」へと
変貌した。
「相変わらず、優しい風ですね。
……ですが、私相手にその優しい風は
、ただの『自殺志願』ですよ?」
スゥ、と卯ノ花が目を細める。
その瞬間、彼女の背後に広がる影が、おどろおどろしい
「初代剣八」の漆黒の殺意となって膨れ上がった。
「……はぁ。やっぱり、隊長相手だとこうなりますか。」
星はいつもの気怠げな態度を完全に捨て、
冷徹な『嵐の凪』の瞳で二本の神座を抜いた。
──『吹き荒べ、迅雷烈風(じんらいれっぷう)』。
ゴォォォォォォッ!!!
訓練場の壁が風圧だけでバリバリとひび割れる。
星から放たれるのは、勇音に見せたものとは次元の違う、
大気そのものを鋭利な刃に変える狂暴な翡翠の暴風。
「──行きますよ、星」
──ザシュッッッッ!!!!
次の瞬間、世界の質量が爆発した。
瞬歩すら置き去りにする速度。
卯ノ花の一振りが、星の喉元をコンマ数ミリの精度で
切り裂きに走る。星はそれを二本の刀で受け止めるが、
凄まじい「剣圧」だけで地下の頑強な岩盤が
真っ二つに叩き割れた。
「くっ……! 相変わらず、四番隊の隊長が振るっていい重さじゃないですね、それ……!」
「あら、私は四番隊ですよ? ──傷を癒やせば、何度でも、いつまででも戦える(殺し合える)でしょう?」
卯ノ花の瞳から完全に光が消え、
至近距離で狂気的なまでの美しい笑みを浮かべる。
ガガガガガガガガガガッッッ!!!!
火花が闇を照らす。一秒間に数百回という神速の剣戟。
卯ノ花の剣は、一切の無駄がない「ただ相手を殺すためだけ」の絶技。星が少しでも気を抜けば、首が飛び、心臓を貫かれる本物の死線。
「だったら、僕もちょっとだけ、
本気を出さないと失礼ですね……っ!」
星の『迅雷烈風』が、さらにその密度を増す。
星が刀を振るうたび、漆黒の雷撃が跳ね、
翡翠の暴風が卯ノ花の全方位の死角から牙を剥く。
しかし、卯ノ花はその天災の如き嵐を、
ただの「剣術(歩法と受け流し)」だけで完全にいなし、
逆に星の肉体に微かな血の線を刻んでいく。
「見事です、星! あなたの風は、
藍染を討った時よりもさらに鋭くなっている! ですが──」
卯ノ花の刃が、星の防御をすり抜け、
その胸元へと一直線に突き刺さる──!
だが、その刃が届く直前、星は『迅雷』の柄を逆手に持ち替え、卯ノ花の刀の腹を強烈に弾き上げ、同時に『烈風』の刃を卯ノ花の白い首筋の一歩手前でピタリと止めた。
同時に、卯ノ花の再度の刺突もまた、
星の眉間の前でピタリと止まっていた。
「「…………」」
二人の霊圧が、爆発の余韻を残したままピタッと静止する。
周囲の頑強な訓練場は、二人の剣圧だけで
クレーターのように丸ごと消し飛んでいた。
「……ふぅ。ここまでですね。
これ以上やると総隊長にまた怒られます。」
星が先に刀を収め、肩の力を抜いて苦笑した。
「ふふ……本当に、末恐ろしい子。
私の剣をここまで完璧に捌ききり、刃を突き返してきたのは
……歴史上、更木剣八と、あなただけですよ」
卯ノ花もまた、静かに刀を鞘へと戻す。その顔には、最高に満たされたような、聖母としての、そして『初代剣八』としての極上の笑みが浮かんでいた。
「現世で妙な動きがあるのでしょう?
……今のあなたなら、どんな闇が来ようと、
我が四番隊の誇りとして、すべてを蹴散らせますね。
……いってらっしゃい、八神四席。」
「へいへい。隊長にそう言われちゃ、
サボるわけにはいかないですね。」
星は首を軽く回しながら、
再びだらしなく白衣を羽織り、現世への穿界門へと歩き出す。
護廷十三隊最強の女傑に認められた最強の四席が、いよいよ現世の「完現術者」たちの前に、その絶対的な格の違いを見せつけに降臨するのだった。
「──ふふ。待ちなさい、星。」
背後からかけられた、鈴を転がすような優しい声。
振り返るよりも早く、星の視界に四番隊隊長の白い羽織がふわりと舞い込んだ。気づけば、卯ノ花が星の目と鼻の先の距離まで、静かに歩み寄ってきていたのだ。
「え、隊長……?」
「勇音には、ずいぶんと優しい手合わせをされていたようですね。……おまけに、ずいぶんと『甘いご褒美』まで、後ろから抱きしめるようにして与えていたとか?」
卯ノ花の美しい顔に浮かぶのは、
いつも通りの穏やかな微笑み。
だが、その底知れない瞳の奥には、ほんの少しだけ、いたずらっぽく、そして明確な「嫉妬」に似た静かな熱が揺らめいていた。
「え、あー……あれは、その、事故というか、
足元が留守だったからであって……。」
藍染をも恐怖させたあの星くんが、
初めて明確に冷や汗を流して視線を泳がせる。
そんな彼の動揺を見逃すほど、この大局の女は甘くない。
「私には、あのような優しい風も、手加減も、抱擁もしてくださらないのですね。……少し、寂しいです。」
そう言って、卯ノ花はスッと細く白い指先を伸ばすと、
先ほどの激しい稽古で少しだけ乱れていた星の死覇装の襟元を、
優しく整え始めた。
あまりにも自然に、けれど確実に、二人の距離がゼロになる。
ふわり、と訓練場の血の匂いを完全に掻き消すような、
卯ノ花特有の、落ち着いた白百合のような香りが
星の鼻腔をくすぐった。
「隊長、距離が近いですって。
それに、僕の手加減なんて隊長には通用しないでしょう。」
「通用するかどうかは、
あなたが決めることではありませんよ?」
襟を整え終えた卯ノ花の手が、
そのまま滑るようにして、星の頬へと優しく添えられた。
ひんやりとした、けれど不思議と温かい手のひらの感触。
卯ノ花は少しだけ背伸びをするようにして、
星の耳元へとその艶やかな唇を寄せ、吐息が触れるほどの
至近距離で囁いた。
「勇音はまだ子供です。
……あの子には見せられないような『大人の風』を、
今度は私に、たっぷりとお聞かせくださいね? ──八神四席。」
チュ、と微かな音が響いた。
それは星の頬を、彼女の柔らかい唇が、ほんの一瞬だけ、けれど確かに深く奪った音だった。
「……っ」
星の喉が、緊張とは違う意味でゴクリと鳴る。
卯ノ花は満足そうに顔を離すと、まるで何もなかったかのように、いつもの聖母の微笑みを湛えて一歩後ろへと下がった。
「さあ、お気をつけて。現世のお掃除、期待していますよ。」
「……。……本当に、隊長には一生敵いそうにないや。」
星は降参と言わばっかりに両手を上げ、
赤くなった耳を隠すように頭を掻きながら、
足早に現世への穿界門へと飛び込んでいった。
その後ろ姿を見送りながら、卯ノ花は自身の唇にそっと指先を当て、クスクスと、勇音には絶対に見せられない妖艶な笑みを漏らすのだった。
と、言う事で。
卯ノ花隊長との思い出作りの稽古&・・・でした。
舞台は、現世に移っていきます!