回道の会得。
「──いいですか、新入隊員の皆さん。
四番隊の基本は『回道』です。」
四番隊の広大な救護演習場。
ずらりと並んだ新入隊員たちを前に、
上級席官が厳しくも温かい声を響かせていた。
「我々四番隊は戦闘班ではありません。
傷ついた仲間を救い、家へ送り返す。
そのためには、己の霊圧を極限まで『平穏』にコントロールし、他者の肉体に馴染ませる繊細な技術が求められます。
さあ、まずはこの模擬体(ダミー)の傷を、
回道で塞いでみなさい。」
はーい、とやる気のない返事が列の端から上がった。
黒髪ロングのポニーテールを揺らし、
だるそうに手を挙げた少女──八神夜である。
(……よし。狙い通り。
回道さえ完璧にマスターしちゃえば、
私は一生、救護室のベッド近くで
治療をしながらサボっていられるはず。)
夜の瞳が、翡翠色の光を宿して不敵に細まる。
彼女は霊術院を首席で卒業した規格外の霊圧の持ち主だが、
その本質は、かつて世界を救った八神星に勝るとも劣らない
「超一流のサボり魔」だった。
目立たず、騒がれず、のんびりと平和な日常を送る。
それが彼女の死神としてのグランドデザインである。
(……うん。やっぱり私の霊圧、
周りの子たちに比べてなんかバカみたいにデカいなぁ。
でも、これだけ容量が異様に大きくても、
全然身体が痛くなったりしないし……。
まぁ、使えるんだからいいか!
霊圧のコントロールならお茶の子さいさいだよ!)
夜は腰の斬魄刀をそっと揺らし、
目の前の模擬体へと両手をかざした。
彼女の頭脳の中では、自身の膨大な霊圧メーターから、
極限まで出力を絞った「ほんの数パーセント」の
霊圧を切り出す計算が、一瞬で完了していた。
「──ハッ」
夜の両手から、翡翠色の柔らかな光がぽうっと灯る。
それは、周囲の他の隊士たちが放つ、
不安定で荒削りな回道の光とは一線を画していた。
あまりにも純度が高く、淀みのない、
水面のような平穏を極めた霊圧。
(完璧。これなら、隣の席の優秀な子と同じくらいのスピードでゆっくり傷が塞がって──)
──フッ。
そう思った瞬間。
夜の手のひらから放たれた翡翠の光が、
まるで模擬体の傷そのものを
『最初から存在しなかったこと』にするかのように、
一瞬で掻き消した。
傷口が塞がるプロセスすら省略されたかのような、
次元の違う超高速の超回復。
「……え?」
隣で必死に霊圧を込めていた同期の隊士が、
あ然として夜の模擬体を見た。
夜自身も、両手を見つめたまま固まっている。
(あれ? おかしいな。私、出力は全体の
3%くらいに抑えたはずなんだけど……)
そう。夜は計算を誤っていた。
自分の器は、彼女が思うよりも遥かに、
霊圧の伝導率(効率)が良すぎたのだ。
普通の死神が10の努力で10の回道を放つところを、
夜は「1の意識で100の回道」に変換してしまっていた。
「な、何だ今の回道は……!?
傷が一瞬で……いや、細胞の壊死すらも
完全に逆行したのか!?」
講義をしていた上級席官が、
弾かれたように夜の元へ駆け寄ってくる。
「君、名前は!? いや、八神夜くんか!
霊術院首席とは聞いていたが、
まさか回道の素質までこれほどとは……!!」
「あ、いや……ええと、これはたまたま模擬体の素材と
相性が良かったというか……あはは、まぐれです。まぐれ。」
夜は冷や汗を流しながら、慌てて両手を後ろに隠した。
だが、時すでに遅し。
演習場に集まった同期たちの羨望と驚愕の眼差しが、
一斉に彼女へと突き刺さる。
(終わった……。
これじゃ『回道の超天才』として、
速攻で最前線の重症患者救護班にスカウトされて、
サボるどころか過労死ラインまで働かされるじゃん……!)
夜が心の中で頭を抱えて泣きそうになっていた、
まさにその時。
「──ふふ、やっぱりね。私の見立て通りだわ。」
演習場の入り口から、凛とした、
けれどどこか優しく包み込むような声が響いた。
新入隊員たちが一斉に直立不動の姿勢を取る。
そこに立っていたのは、四番隊隊長──虎徹勇音だった。
勇音は、夜のその「あまりにも滑らかで、
無限の奥行きを感じさせる霊圧の残響」を感じ取り、
愛おしそうに微笑んでいた。
「八神夜ちゃん。
……ちょっと、私と一緒に来てもらえるかしら?」
「え。あ、はい……」
夜はポニーテールを揺らし、
同期たちの「やっぱりな」という視線を受けながら、
トコトコと勇音の後ろをついて歩き出した。
(うう……。入隊初日から隊長室に呼び出しなんて、
私の『のんびり死神ライフ』の計画が……!)
しかし、その背中に吹く風は、どこか優しく、
彼女の新しい一歩を歓迎するように小さく波打っていた。
回道会得しました。
とても滑らかな霊圧の持ち主。
所謂天才(天災)かもしれませんね。