それから、数日。
僕は一ヶ月と少しぶりに、交渉という戦い方を実践していた。
つまり、アロの権利の主張である。
アロの現状は、かつての僕と同じだ。
白い部屋に閉じ込められ、その中で生かされるだけ。
それを見ているだけなんて、できなかった。
加えて現にレオには自由があるのに、アロだけが隔離室送りはおかしいだろ、普通に考えたら。
だから毎日時間を作っては、対面でも書面でも所長に掛け合い続けた。
正直、正しい行動だという確信はない。
ただでさえ疲弊しているこの世白対策庁七野県支部を、余計に混乱させているだけなのではないか。
そう疑うことも何度かあった。
それでも、アロの姿を思い返すと居ても立ってもいられなくて。
勝手だと自嘲しながらも、行動することを止められなかった。
そんな中で、青天の霹靂だった。
***
「貴方に、外出許可を与えます」
突然の所長からの呼び出し。
期待していたのはアロの隔離室からの解放だったが、所長は僕を目の前にしてただ一言言いつけた。
要らねえ。
それより、どういう意味だ?
欲しかったモノあげるから許してね、これで満足でしょ、もう口出して来ないでねってか?
ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
ふざけるなよ。
「……ありがとうございます。しかし、わたくしの処遇よりも、優先すべき事柄があるように思います」
絞り出した声は、思いのほか落ち着いていた。
その反応も想定内とばかりに、所長は一つ息を吐いて返す。
「彼女の件については、すでに十分な説明を行いました。これ以上のやり取りは無用です」
アロの権利や苦しみを一切無視した、組織にとってだけ合理的な論理ならば聞き飽きたのだが。
あれが、十分な説明?
「ただ、面会の申請は通しておきました。後悔のないようにしてください」
そういう、これで手打ちにしてねみたいな態度が気に入らないのだ。
けれども、得難い機会ではある。
「承知しました……ありがとうございました」
頭を深く下げて、持ち上げて。
所長の冷たい目を今一度見据え、振り返る。
扉を閉める直前、革張りの高そうな椅子が大きく軋む音がした、気がした。
***
「失礼します、アロさん」
ベッドの上の毛布の塊が、もぞと動いた。
「……なんですか」
乾いた声だった。
そして、ひどい顔だ。明らかに、衰弱している。
あの日、肌まであった白斑は消えている。
その代わりか、ショッキングピンクだった髪の色は褪せたように白っぽくなっていて、肌も同じに見えた。
眼帯も外れていた。けれど、その双眸は今も頑なに閉じられたまま。
それが、どうしようもなく痛ましい。
「この部屋の白い壁を、違う色に貼り変えたいんだ」
そう切り出すと、アロの皺が寄るほど緊張していた瞼がほんの少し緩む。
これはあらかじめ用意していた企みだ。
彼女のための、せめてもの企み。
「いいかな」
そう問いかけて、数秒。
アロは静かに頷いた。
「ありがとう」
正直、首を横に振られてもするつもりだった。
迷惑をかけずに済んだなと思い、なんて自分勝手な思考回路かと自嘲する。
そうしてアロが横になっている部屋は、一転してアバンギャルドな色彩に囲まれた。
彼女の、ピンク色。
彩能の任務外使用は、何気に初めてかな?
あ、違うや、一回アロのスプレーを上から貼り直して隠した事があったな。
そうだ、ちょうどこんな感じに。
ああ、一応規則でダメだったと思うんだよな。誰かさんは、気ままにラクガキ放題していたが。
けれど、せめてアロが嫌いな色に囲まれていて欲しくなかったから。
畢竟、やっちまったもんはしょうがねえ。
後で規則違反で所長に怒られても、アロに怒られるか嫌われるかするよりはマシだろう。
「終わったよ。それじゃ、さよなら」
アロはいつの間にか毛布を下ろして、ベッドの縁に腰掛けていた。
目は閉じたまま。それでいい。
「……きっと、よくなるからね」
それだけ言いたくなって、言って。
僕は隔離室を後にした。
***
ジム施設はいやに空いていた。
乾いたタオルで、乱雑に汗を拭う。
肌を引っ掻く痛みが心地よい。
課せられたトレーニングメニューが済んだ後も、マシンを押し続ける。
理由は単純、憂さ晴らしだ。運動でストレスを発散すると吹聴する人間は今まで信用していなかったが、撤回しよう。
「もう止めろ、テング君。過度な筋トレは毒だ」
セット数も数えずに没頭していたら、コルマがいつの間にか隣に立っていた。
彼女の視線にも口調にも、いつもの温かさや軽薄さはない。頬は少し赤いが、やはり酒の匂いはしなかった。
まあ、だから、という訳ではないが。
素直に従い、マシンを降りる。
「……なあ、テング君」
彼女は自分のタオルで、僕に流れる汗を包むように拭いてくれる。
前にレオも同じ事してくれたけど、トレーニングする人達の間ではこれが普通なのか?
そしてまたぎゅっと、締め付けを感じた。
ハグされてた。苦しくなるくらい、力強く。
耳の辺りに、僅かに濡れた感触を覚える。
「頼む……アタシの言うこと、ちゃんと聴いてくれよ」
声も、どこか湿っていた。
筋トレのことだけを言っている訳ではないだろう。
「すみません」
明らかに、その場しのぎの謝罪だった。こうもしつこく絡んでくることに、苛立ってさえいる。
所長も喰い下がる僕に対して似たような感情を覚えているのかな、なんてことにフワフワした思考が行き着いた。
ダメだな、僕も。
「今は我慢しますよ。心配しないでください」
この言葉も、その場しのぎ。
どの口が言うのかと引っ叩かれるくらいの反応を、どこかコルマに期待していた。
けれど、返ってきたのは、ただ、嗚咽。
僕だって泣きたいと思ってしまう自分に、泣く資格はないのだろう。
***
「テングくん」
自室へ戻る途中、か細くも優しい声がした。
お久しぶりです、と声を出しそうになって慌てて堪える。今まで何をしていたんだ、という皮肉に聴こえるかもしれない。
「メイスさん。会えて、安心しました」
服装は、いつもの彼女だ。
ただ、その表情に朗らかさはない。
「コルマさんから、全部聞いたの」
今にも泣き出しそうに顔を歪めて、それでも目を合わせて言葉を続ける。
場所を変えましょうと言いかけて、彼女が今ここで伝えようとするなら、それを受け止めるべきだと思い直す。
「倒す、つもりなんだよね」
「はい」
迷いなく答える。
「アロちゃん、見たでしょ……もし負けたら、自分じゃなくなっちゃうんだよ」
「見たからです。あんな姿を見せられて、黙っていられません」
つい、また即座に断じてしまう。
「それにやめるも何も、じきに命令が出ますよ」
滲む怒りを悟られまいと、少しおどけて付け足した。
この感情は、メイスに向けるべきものではない。
「メイスさんが無理する必要はありません。僕がなんとかします」
「ううん。私、頑張りたいの」
今度はメイスが即座に返した。
「私が、あの時、一緒に居たのに。私がうまくやれてたら、こんな事にならなかったの」
あの日の当直がアロとメイスだったことを、その言葉で思い出した。
「私が悪いんだ」
涙混じりにそう嘆くメイス。事ここに至って、僕はようやく悟ったのだ。
この戦いが、自分一人だけのものではないことを。
「メイスさんは悪くないです。誰かに責任があったとしても、誰も悪くなんてありません」
悪いって言葉は、嫌いだった。悲劇を盛り上げようとするみたいで、嫌だ。
「……ありがと。ねえ」
一歩、彼女が僕に近づく。
「私も戦いたい。アロちゃんを元に戻して、ごめんなさいを言いたいの」
普段のメイスからは想像も付かない、力の籠もった声だった。
「はい。勝ちましょう」
だから、僕もやはり断言する。
お互いに無言で頷き合うと、彼女は右手を掲げてひらりと振った。
倣って別れを告げ、自室へ向かう。
そうだ。僕とアロだけじゃない。
皆で勝つんだ。
***
「アタシの口から説明する」
やや蒸し暑い昼下がり。今までロクに入った事もなかった、世白対策庁七野県支部の第一会議室にて。
アロを除く彩能部隊の全員が一堂に会していた。
「今回の件を受けて、世白対策庁本部へ応援要請を行った。しかし人材が派遣される見通しが立たなかった」
プロジェクターもマイクもない部屋で、コルマがただ声を張って概要を語る。
「それに加え、昨晩に例の世白の所在が確認できた。現在も監視中だ」
僕は机に置いた手を浮かせ、指を組んだ。
「よってこれ以上の被害拡大を防ぐ観点からも、直ちに当支部の全力を以て制圧に当たる判断とした、そうだ」
妥当な判断だ。いつ来るかも定かでない応援を待たされるなど、たまったものではない。
「作戦について説明する。といっても、目新しい情報や動き方がある訳じゃないがな」
その言葉と共に、コルマは一枚の紙を広げた。
写るは、真っ白な体に斑模様を浮かべた怪物。
画質が悪くハッキリとした形や色合いは分からないが、件の世白ということだろう。
「あれ、こいつ。どっかで見たような」
その言葉を発したのは、右隣に座るレオ。
「この世白には、特別な能力があると目されている。よって極端な接近と接触は避け、テング君の紙による拘束を確認してから制圧に当たる」
コルマは構わず説明を続けた、というよりも。
レオの発言を、あえて無視したようだった。
それでいいと思う。全てを説明して、混乱させる必要はない。こいつさえ倒せば、万事解決なのだ。
「早速出発するぞ。いいな」
そう念を押す目線は、僕に向いていた。
「はいっ!」
返事をしようとして、左隣のメイスに先を越された。
「うん!」
続いて、明るいレオの声。
「はい!」
一度息を吸い直して、そう叫ぶ。
僕らは今日、奪われた色を取り戻す。