「作戦開始だ。各自、陣形を維持しながら前進、索敵しながら塗れ」
到着したのは、世白対策庁七野県支部の隣町にある自然公園だった。
僕も何度か家族に連れられて来たことがある。当然、その懐かしい色彩は奪われてしまっているが。
多少の傾斜はあるが、開けた歩き易い草原だ。
そんな慣れた場所を、今まで通りの陣形で進む。
いつもと違うのは、僕らの気持ちだけ。
コルマとメイスは広範囲に芝生や土の色を振り撒き、効率的に辺りの風景を復元していく。
レオも普段の快活さを潜めて、黙々と腕を振るっていた。
僕も手伝いたいところだが、この作戦における僕の役割は世白の拘束、ただそれだけ。
だからいつでも紙テープを投げて拘束できるように準備だけして、皆の後ろを着いて行く。
目標の世白を見つけるまでは、これが僕に任された仕事。
歯がゆい時間が、1時間は続いただろうか。
「居た。11時の方向」
コルマの声に目を見張る。まだ辺りは白色が目立つ世界だが、その世白はあっさりと視界に捉えられた。
何故なら、色を持っていたのだ。
さっき見た写真と違って、鮮明に分かる。膨らんだ牛のような白い身体の中に、まばらに散る濃いピンクと薄いベージュのマーブル模様。
その二つの色には、見覚えがある。
アロと、レオの髪の色だ。
その色は、お前のものじゃない。
両手の中の紙がクシャと鳴った。
「テング君、落ち着け」
「分かってます」
最前をじりじりと進むコルマの声掛けに即答する。
落ち着いていないことを自覚しています、という意味だった。
「アタシが命令するまで動くなよ、この陣形のままギリギリまで近づく」
僕は頷きだけを返す。この場で求められているのは言葉じゃない、行動だ。
辺りの風景を復元して、そこへ誘い込む。
対世白における定石は、この作戦においても動かない。
つまり今はまだ、下準備の段階だ。
と、自分の心を宥めようとして。
「来る!速いぞ!」
コルマの声が響いた。
まっすぐに、斑模様の世白が迫り来る。
自動車程のスピードだ。接触すれば、色を奪われる以前にただでは済まない。
「触るな、一度避けろ!」
その指示が脳に届くより先に、僕はすれ違いざまに紙を世白に投げていた。
「んああうっ!」
ここまで速いなら、一度逃がせば追い付くのは困難だろう。だから絶対にここで仕留める。
その決意からの判断だったが、すぐに後悔する。
ダンプカーと綱引きをしているようなエネルギーに引っ張られ、僕は地面を引きずられた。
「テング君!くそっ!」
コルマの声を、倒れ伏したまま聞く。
それでも、どうやら効果はあった。世白は一度減速し、纏わりつく紙を払い除けるような動きを挟む。
その隙に、コルマが秘密兵器を取り出して広げてくれたのが見えた。
事前に各自に持ってもらった、特製の緑色をした対白紙。
以前にアロとの任務で使用したのと同じ、超大型の一枚だ。
続いてレオとメイスも世白を対白紙で包む。
これで色を奪われるリスクのある接触は避けられるし、この上からディテールを描き込みさえすれば、辺りの草原に溶け込ませて倒せるはず。
そう確信した時。世白を覆った対白紙の上に、濁ったピンクが染み出て浮かんだ。
コルマが指を振って塗り潰そうとしたが、なおピンク色だけが紙の下から突き破るように滲む。
「そんな……こんなことって」
メイスがそう呟く。ということは、やはりこれは想定外の事態らしい。
悪目立ちするビビッドカラーのせいで、世白は風景に溶けずになお存在し続ける。
「一瞬だが猶予はある、とにかく急いで塗れ!」
コルマの指示に、手を動かして応えるメイスとレオ。
しかし、消えない。消しても浮き出てキリがないのだ。
僕も駆け寄って加勢したいが、今は僕の右手と繋がるこの紙の拘束を解かないことの方が重要だろう。
どうする?せめてアロの、広範囲を一度に塗れる彩能があれば。
いや、たらればは無しだ。全員で塗り込めば間に合うだろうか?いや、それよりあのピンクそのものを風景の一部とすれば?どこかの花や人工物にピンクはないのか?
右手は紙を握り締めながら、左手でまとまらない考えが巡る頭を押さえる。と、嫌な温かさがあった。
手には赤い血と、黒い髪の毛が絡みついている。
「髪の毛……もしかしたら」
辺りをいくら見渡しても、ピンクが溶け込めるような風景は見当たらない。
ならば、仕方ないだろう。僕は思い付きを実行することに決めた。
「うわぁ!」
レオの悲鳴がした。見れば、コルマとレオが地面に倒れ、メイスは世白から距離を取って木の影に隠れている。
あの巨体に弾き飛ばされたのだろう。しかしこの配置は、これから僕がしたいことには好都合だ。
日も傾き始めている。暗くなってしまえば、話は更にややこしくなるかもしれない。やはり今、やるしかない。
僕は世白に向かって走った。緑色の塊を取り囲む仲間達の隙間目掛けて、全力で左手を振り抜く。
「うあぁあうっ!」
ビリッと紙が破ける音がして、その奥に突っ込んだ左手を脱力感が襲う。
全身に広がる気持ち悪さ。分かる。
僕が奪われていく。
「お前っ、何してんだ!」
「大丈夫です、コルマさん」
大丈夫ではない。今までの人生で一番イヤな感覚だ。
けれど、これは肉を切らせて骨を断つため。
「これで、いいんですよ……僕の色が奪われるからいいんです」
今こいつの持っている色は、アロのピンクとレオのベージュが混ざった色。
なら、ここに僕の色を。髪と同じなら、この黒色を奪わせて、混ぜ込んでやれば。
問題のピンクさえ、塗りつぶせるはず。
それに、アロは対策庁へ運び込まれた時、まだ僕の名前を覚えていた。記憶があった。つまり時間的猶予もある。
緑色の上に浮かんだ斑模様に、徐々に黒が混じっていく。
やがて染まり切ったその色は、ちょうど近くにそびえ立つ大木の幹の茶褐色に似ていた。
「今のうちに!」
足音が迫る。メイスのものだった。
「えーいっ!」
透明感のある繊細な色合いが、世白に貼り付いた紙の表面を彩る。
けれど、薄い。今度は色の淡さが、風景から世白を浮き出させている。
「これでダメなら……ぁああっ!」
その叫びと共に、筆が放つパシャパシャという水音が止んで、硬く乾いた音がした。
世白に刻まれたのは暗褐色の、粉っぽい線。透明水彩の色合いではない。
なお世白の表面に浮き出る斑模様の色合いを、その線が閉じ込めるように囲んでいる。
直感的に分かった。これは下描き、木の幹と枝葉を示すエスキースだ。
「皆、お願いっ!」
「メイス、分かったよ!」
メイスの声に応えたレオも同じことを考えたようで、彼の手で瞬く間に世白にクレヨンの原色でおおまかな着彩が成された。
「任せろ!」
残すはディティールのみという所で、コルマが続いて動く。世白の巨体にアルコールマーカーの鮮やかな発色が染み入り、全体像が急速に完成していく。
そして皆が筆を止めた時。
薄く残っていた斑の赤みも、いつしか傾いていた夕陽のオレンジに溶け込んで。
僕の目に世白は映らなくなった。
「……っは、あっ」
咳き込むように声を絞り出したのは、レオだった。
記憶が戻ったの?と、問い詰めたいのをぐっと堪える。
「大丈夫。今はいいんだ。戻ろう、レオ」
「……世白完制と判断する。帰還するぞ」
レオは僕の声掛けに答えなかった。代わりにコルマがそう号令して、僕らは乗ってきた車へと歩き出した。
レオの表情を伺うと、どうも晴れない。
けれど、これも夕焼けのせいか。ほんの少し彼の髪の色合いが濃くなって、より鮮やかなオレンジに染まっているように見えた。
***
「コルマさん」
帰りの車内。誰も喋らない気まずさに耐え兼ねて先手を打ってしまった。
だって隣のレオは仕方ないとして、向かいのメイスはなんかずっと手いじってるし、コルマはすっごいこっち見てくるんだもん。
「なんだよ」
本気で怒ってるなあこれ。
まあ今思い返せば、あれは自己犠牲どころかただの賭けだったからな。世白がすぐに僕の色に染まってくれる保証は無かった訳だし。
「すみませんでした。軽率な行動だったと」
「申し訳ございませんでした、だろ」
声低いな。
言い方も腹立つけど非は僕にあるからなあ。
「はい。申し訳ございませんでした」
「今月中に体脂肪率一桁な」
無茶過ぎる。
「コルマ、そんなに怒らないで。ボクはテングに感謝してる」
重いムードを払拭する、純朴な声。
「ありがとね、本当に」
レオはそれだけ言って、僕の手を握ってくれた。
いつもの、今までの彼の振る舞いではない。
けれどそれは、良い変化に感じられた。
「戻った、んだよね」
「うん」
それだけやり取りをして、お互いに笑った。
「良かった」
安心した。そんな一幕を見て、コルマも毒気を抜かれたのか。
「はぁ〜、お、喜べよテング君、アロ待ってんぞ」
溜息と共に、車の前方へ目を逸らして呟いた。
ゴッ。
「痛っ……」
つい立ち上がり、頭をぶつける。気恥ずかしさは一旦忘れて窓の外を見ると、本当だ。
アロが、立っていた。
病衣じゃない。オレンジ色の制服に、顔にはいつもの色眼鏡を掛けて、佇んでいる。
そして揺れる髪には、鮮やかなピンクが戻っていた。
停止した車を蹴飛ばすように飛び出して、彼女の元へと駆け寄る。
「アロちゃん!元気!?」
言ってから「元気」は違ったな、と反芻しつつ。
ちゃんと聴き取れるようにアロの言葉を待った。
「……忘れてよ」
両手をシャカシャカ振りながら呟くアロ。色眼鏡の反射で睨みつけてるのか目を逸らしているのかは窺えないが、頬が紅潮しているのは分かった。
良かった。いつものアロだ、彩能も使えるみたい。
「一応お願いします、どうかやめてください」
しかしそれはそれ。顔面の保護も兼ねて、両手を顔の前で合わせて頭を下げる。
「くらえぇー!」
手と手の隙間をすり抜けて、ブフーッと大量のエアロゾルが景気よく俺の顔面に付着した。
話を聞いてくれません。まあそうですよね。
「忘れろー!お前も忘れろー!忘れろよー!」
いつにも増して熱烈な波状攻撃。
皆が巻き込まれまいと離れる足音が聞こえた。
「何を!」
「ぜんぶ忘れろー!」
「あーはいはい忘れた忘れた!」
「うがー!」
スプレーの噴出音に負けじと声を張り上げて会話する。
この実害だけは、マジで勘弁して欲しい。でも正直嬉しいから。
「……良かったよ。元気になってくれて」
これだけは伝えておく。
すると、一瞬だけスプレーが止んで。
「うるせー!」
また噴き出した。
つい滲んだ涙も、カラフルに上塗りされていくのが分かる。
ああ、本当に、良かった。