僕らは白が許せない   作:sorasumi

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空になったスプレー

 月が変わった。

 

 つまりここに来て、あの白い部屋から解き放たれて。

 一ヶ月が経とうとしていた。

 

「先月の目標が未達成なんだから、今日からはもっと厳しくいくぞ」

 ラフなトレーニングウェアのコルマが、そう僕を見下ろしながら檄を飛ばす。あなた今日休みでしょ?

 

「ギリギリ、だった、じゃない、ですかっ!」

「未達成は未達成だ」

 全身から言葉を振り絞って抗議するが、考えを変える様子はない。

 いつになったらまたポテチ食えるんだ僕は。

 

「ほらこれ」

 レッグプレスの最中に、ポイとプリントの束が腹の上に置かれる。

 手に取ると一面カタカナと数字がびっしりだ。これ全部マシントレーニングかよ。

 

「テングく〜ん」

 今は脚の筋肉に集中しようとして、気の抜けた声が通り抜ける。

「やっぱりジムでしたね、来ちゃいました」

 

 レースカーテン並みの透過率をしたワンピースを纏うメイスがこちらを覗き込む。

 夏が近付き、露出度も比例して上昇しつつある気がするが、同時に僕ももう慣れた。

 

「すみません、デバイスはロッカーに預けてました」

「分かってます。既読も付かないんですもん」

 おおかた、いや100%僕に作品の画像を送り付けて感想を催促していたのだろう。

 

「メイスさん、あんましテング君の時間取るなよな」

 困ったなあというトーンでコルマが言う。

 拘束時間で比べたらこのトレーニングの圧勝なのだが。

 

「コルマさんだってやってることいっしょじゃないですか!きっとめんどくさがってますよ!」

 心外だというトーンでメイスが言う。

 その通りなんだけど、それこそお前が言うなよ。

 

「あ、アタシのは……業務上の必要性がだな」

「それなら私にとってだって、必要なことなんです!とにかく、テングくんはもらっていきますから」

 歯切れの悪いコルマの隙を突いて、メイスに両手を掴まれる。

 そのままマシンに寝そべっていた身体を無理矢理に起こされた。

 

「おい待て、まだ有酸素運動が残ってんだ!」

 今度はコルマに両足を掴まれ、身体は完全に宙に浮き引っ張り合いになる。

 

「ちょっと、重いです!離してください!」

「アタシが筋肉付けたからな!そっちが離せ!」

 僕を取り合って言い合う二人の間で、ハンモックに乗るみたいにぶらぶらと揺れる成人男性。

 女の子二人から引っ張り合いなんて、もうちょっとハタから見りゃ絵になるシチュエーションじゃないのか。

 

「痛いです!痛い!どっちか離してくださいどっちでもいいんで!」

 ドスン。

「ぐえっ」

 地面に叩きつけられた。どっちも同時に離すな!

 

「あ、スマン」

「ひゃあごめんなさい!」

 メイスが仰向けの僕に近付いてくる。まずい、見えちゃう見えちゃう!

 

「き、気にしないでください。鍛えてますからね」

 労災モノの痛みに耐えながら、目を伏せて立ち上がった。

 両手両足を振って壮健をアピールする。

 

「ならヨシ!それじゃ、次は走ってこい。すぐ行け!」

 何がヨシだアホ。

「じゃあ私、並走しますから走りながら見てください!それでいいですね!」

 良くないわアホ。

 

 そして、場所は屋外に移りランニング。

「どうで、すかっ、テングくんっ、はぁっ」

 マジでスケッチブック掲げて隣走ってんだけど。

 なにこの人。

 

「緑と青の、グラデーションが、爽やかで綺麗ですね!また落ち着いて、じっくりと見たいくらいです!」

「はぁ、ありが、とう、ござぃ、ま」

 そこまで言って、ヨロヨロと地面に沈むメイス。

 

「わ、私は、置いて、先へ……」

「はい!お疲れ様でした!」

 お望み通り、その場に放置してペースを上げる。

 

「ええっ!?や、やっぱり置いてかな……」

 なんか聞こえるけど、無視。

 コルマのマネジメントの甲斐もあってか、この一ヶ月で僕の基礎体力は目に見えて向上していた。

 

 一応振り返ってみる。

 遠近法に沿って小さくなって、ポツンと座っていた。

 無視した。

 

 角を曲がり、寮の壁面を埋め尽くすアロ製のグラフィティを眺めながら、息を整えて走り続ける。

 こう改めて見てみると、普通にすげー上手いな。多分フリーハンドの一発勝負で描いてるのにこれはスゴい。

 

 正直、何が題材かは分からん。

 しかし、これを描いたアロのパッションは十分に伝わる気がした。

 

 そんな風に鑑賞しながら建物を一周したら、メイスはやはり元の場所でへたり込んだまま待っていた。

 なんか、目をキラキラさせてこっちを見ている。

 無視したい。

 

「世白出現。直ちに出撃してください」

 警告音と共に、デバイスから自動音声が発せられる。

 ナイスタイミング。僕は踵を返し、現場へ向かう為の車へと向かった。

 

「えー!ひどいです、テングくーん……」

 僕は振り返らなかった。

 

 ***

 

 今日の当直は、僕とアロとレオ。

「頑張ろう!」

「ハーイ」

 

 向かいに座るレオはいつも通りにハツラツと声を上げ、拳一つ空けて隣に座るアロはツンとした態度で返事をする。

 こんな態度のコが、あの絵で壁面を占領しているとは。人間とは色々な面があるものだ。

 

「うん、頑張ろう。僕は描くのはまだ遅いから二人にお願いすることになると思うけど、世白はちゃんと捕まえるから」

 

「任せて!テングがいれば世白を逃がしちゃう心配はないから、楽しく塗れるね!」

 そう笑う目の前の青年にも、まだ僕が知らない一面があるのだろうか?

 

 ***

 

「世白完制〜!」

 あっさり終わった。

「ねえほら、世白完制だって。テングは言わないの?」

 晴れ晴れと宣言するレオと、つついてくるアロ。

 

 世白完制、改めてこの言葉について整理しよう。

 コルマが勝手に言ってたのを僕が正式な用語と勘違いして使い、それを聞いたメイスがアロに吹き込んだらしく、今僕をからかっているという流れである。

 なんかレオまでいつの間にか言うようになった。

 

「世白かんせーい」

 拳を突き上げてみたが、その上昇途中でもう場が白けるのを肌で感じた。

 

「もうやらん」

「んひひひ」

 アロの引き笑いが響く中、レオは僕に駆け寄ってその拳を突き合わせてくれた。

 

「ありがとね」

「うん!」

 いいヤツである。

 

 ***

 

 対策庁に戻り、食事の最中。

 タンパク質中心に補強された食事メニューを咀嚼する僕に、アロはデバイス片手に語る。

「このキャラが今すごい人気で、来週にあそこのショッピングモールでポップアップストア出るんだよね」

 

「よく知らないけど見たことある。丸くて可愛いね」 

 手を動かしながら適当に話を合わせる。こいつレオが居なくなった途端すげえ喋るな。

 

「だからウチ、今度の日曜日そこ行ってくるんだ」

「へえ。お楽しみください」

 別に皮肉ではない。楽しんだらいいと思う。

 

「美容室も行ってー、美味しい物食べてー、色々買いたいんだ」

「いいね。どうぞ存分にお楽しみください」

 本心から羨ましいね。

 

「でもウチ一人じゃ大変だから、誰かに荷物持って欲しいなー」

 なるほどね。え、それって?

 今、遊びに誘われてるの僕?

 

 いや待て、荷物持ちって言ってんじゃん。

 でもそれって、一緒に行くってことじゃん。

 思考が空回りを続ける中で、目を見開けば。

 

 で、どうなの?

 そんなセリフが聞こえるような上目遣いが僕を貫く。

 ワクワクする。それと同時に、心苦しい。

 

 言葉の解釈はどうあれ、返事は決まっているのだ。

 とても残念ながら。

 

「僕はまだ外出許可を貰えてないんだよ。他の人にお願いしてね」

 そう。事実この部隊に所属し、任務への出撃を許可されて一月近くが過ぎてなお、僕は私用で外出する権利を与えられていなかった。

 

「えー、そうなの?じゃあバレたらさ、ウチが庇ってあげる!この前のお返し!」

 マジで?と声に出かけたが、もちろんそうもいかない。

 

「嬉しい言葉だけど、そうしたら君がワルモノになっちゃう。だからごめんね」

 無断で抜け出すってのは、流石にこの前みたいに言い訳一つで誤魔化せはしないだろう。

 

「……じゃあ、テングに外出許可が出たらね!約束!」

 アロはむくれながらそう言い渡す。

 

 それだと、さっきまで話していたポップアップストアとやらには間に合わないのでは。

 と話題を戻すのは、なぜだか無性に野暮な気がして。

 

「うん、ありがとう」

 それだけ言って、笑顔を作った。

 

 ***

 

 そうして僕の目標は「より早く外出許可を得る」こととなった。

 元より、いつかはそうなりたかったのだが。

 

 いっそうその日が楽しみになって、毎日の任務やトレーニングにも身が入った。

 そんな、ある日。

 

 当直がメイスとアロで僕は休みだから、二人に飲み物でも渡してみようと購買施設に寄った帰りだった。

 ペットボトルの詰まったレジ袋がだいぶ重くなって、でも筋トレになっていいやなんて思っていた。

 

「通してください!」

 対策庁の廊下を、悲痛な声が裂いた。

 一台のストレッチャーがこちらへ曳行されてくる。

 

 言われるがまま通路の端に避けて、僕の前を通り過ぎる一瞬。

 

 ピンクの髪が見えた。

 

「アロっ!?」

 走り出していた。

 

「おい、何があった!?」

 言いながら縁に手を掛けた時に、誰かが怒鳴ったみたいだった。

 横たわる人と目が合った。確かにアロだった。

 

 彼女の左目には、色がなかった。

 

「テング……」

 真っ白な目と、震える口元で。

 

「ありが、と」

 それだけ、言ったみたいだった。

 

 どうして?

 

 もっと走れたはずだったのに、僕は足を止めていて。

 床に落ちた炭酸飲料が泡立つ音と、遠ざかる車輪のきしりが、ずっと僕の頭の中で響いていた。

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