ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第108話

2045年 5月 ベルギー ブリュッセル 欧州委員会

 

アメリカで起きたNEXAの強制接収劇と、それに続くホワイトハウスの悲惨な屈服――その顛末を最も恐ろしい教訓として凝視していたのは、欧州連合(EU)の頭脳たる欧州委員会だった。

 

当初計画されていた、ヨーロッパ全域に展開する連合系格安スーパー網『GRID』の買収・国有化計画には、この日、極めてドラスティックな修正が加えられた。

修正されたのは、他でもない「交渉主体の統合」である。

 

これまでは、食文化や物流網、労働法が国ごとに異なるという大義名分のもと、欧州委員会が大まかな枠組み協定(フレームワーク)を決定し、実質的な条件の交渉は各国政府の裁量に委ねる方針だった。

しかし、大統領令一枚でNEXAを強奪し、システムを引き揚げられて自滅したアメリカの姿を見て、欧州の官僚たちは背筋を凍らせた。

 

「アメリカの現状を見る限り、このGRID交渉は一度でもボタンを掛け違えれば、一発で欧州全域の低所得層による同時多発的な暴動を誘発しかねない超高リスク案件です。加盟各国の個別交渉に任せるなどという生ぬるいやり方ではリスクが大きすぎる。交渉のテーブルにつく主体は、ただ一つに絞るべきです」

 

準備会合の席上、統合の必要性を説く専任委員に対し、懐疑派の理事が眉をひそめて反論する。

 

「しかし、この買収予算案を巡ってすら、主導権を握りたいドイツとフランス、現実的な防衛ラインを模索するイタリアとスペイン、そして一刻も早い格安網の維持を求めるブルガリアやギリシャの間で、言い分はすでに3分割されているのだぞ。それを欧州委員会が一律の条件で代表して交渉するとなれば、どういう着地点になるというのだ?

……おそらく、連合側から足元を見られて天文学的な買収費用を請求されるか、逆に我々にとってとんでもなく理不尽な隷属的条件を飲まされるかの二択になるぞ」

 

達成すべき目標は、GRIDの「正規購入交渉」であり、決してアメリカのような強奪ではない。

だが、加盟国間での意見はバラバラだ。

これが一般的な製造業やメーカーの工場買収であれば、「地域別の分社化」や「国ごとの合弁会社化」といった妥協案も通用しただろう。しかし、GRIDの本質は店舗というハコではなく、国境をまたいで複雑に張り巡らされた「サプライチェーン(供給網)」と、それを支配する「アルゴリズム」そのものだ。地域ごとにシステムを切り離した瞬間、それはGRIDとしての機能を失い、ただの非効率なローカルスーパーへと退化してしまう。

 

議論が紛糾する中、欧州委員会が出した結論は冷徹なものだった。

各国の個別交渉という当初のルートを完全に廃止し、『欧州委員会そのもの』を唯一無二の単一交渉人として連合の前に立たせる。

 

そして、この交渉で提示されるGRIDの売却総額に対し、「欧州各国内に存在するGRIDの実際の店舗数」に応じて負担金額を分担するという数理システムを導入した。

 

つまり、自国内にまだ1店舗も出店していないギリシャやルーマニアといった国々は、今回の買収費用や維持費を1ユーロたりとも負担する必要はない。そして負担が発生しない以上、彼らには今回の「条件交渉の場に座る権利(拒否権)」も与えられない。

もし将来的に、「負担金が高すぎる」と不満を持つ加盟国があれば、自国内の店舗数を自主的に減らす(閉鎖する)ことで負担を抑えられるよう、最初から欧州内向けの共通条項に盛り込む。

 

これこそが、GRIDを個人や一国家の私物ではなく、「欧州共通の社会インフラ」として共同所有するための最も合理的でフェアな制度設計であった。

 

インフラとしてGRIDが欲しい国は、欧州委員会へ正式に申請を出し、規定の定額料金(インフラ使用料)を支払って恩恵を享受する。もしそれが嫌なら、GRIDのネットワークから静かに抜ければいいだけだ。

 

アメリカのように傲慢な政治的暴走でシステムを自壊させる愚を避けるため、欧州は「超国家組織による一括管理」という巨大な盾を作り上げた。

徳島のD財閥本部、そして島根の城島ファンドという「極東の計算機」に対し、ヨーロッパは一つにまとまった「法と制度の共同体」として、静かに、そして極めて厳粛な交渉の席を設けようとしていた。

 

同日 日本 霞が関 首相官邸

 

「NEXA店舗への『商品補充指示』のみを限定提供するコンサルティング業務として、連合がアメリカ商務省と年1億ドルの正式契約を交わした」

 

その報告が経済産業省を経由して官邸に入った瞬間、会議室にいた閣僚たちの間に乾いた沈黙が走った。

日本政府は完全に蚊帳の外だった。

しかし、これまで前政権や現政権が「机上の計算」として恐れていた連合の破壊力が、いざ牙を剥いた時どれほどの「現実の」威力となって炸裂するのか――その最悪の実例を特等席で見せつけられた。

 

超大国アメリカを、政治的・財政的な崩壊スレスレの奈落にまで一瞬で追い詰めた怪物。その恐るべき実態を突きつけられ、日本政府としてもはや恐怖のあまり、連合に触れることすら躊躇われる状況に陥っていた。

 

国家の意地もプライドも関係ない。相手が世界覇権国であろうが、一切の感情を排した冷徹な「システム処理」だけで躊躇なく国境を封鎖し、経済を干上がらせる。その一連の迷いのなさは、理性を超えた畏怖の対象でしかなかった。

 

「……そうか。いや、何、別にこれは民間企業同士の、いや、民間企業と外国政府との単なる仕入れ指示の取引だ。効率的な在庫管理、店舗運営のためのコンサルティング契約。安全保障上の問題には、断じて当たらない」

 

総理は閣僚会議の場で、自らに言い聞かせるように狼狽えながらそう「解釈」を口にした。隣に座る鷺宮経産大臣も、強張った表情のまま同様の認識を示す。

 

「……総理。今後、連合に対しては『特別扱い』を徹底せねばなりません。これは優遇措置という意味ではありません。『普通ならまあ、これくらい大目に見てくれるだろう』という、我々政治の甘い観測に基づいたお役所仕事の書類や宣言は、彼らの前では一瞬で命取りになる、という意味です」

 

「何度も聞いているので分かっています。現行法の枠内においてであれば、彼らは一切の容赦なくその通りに動いてくる。そこは向こうも完全にルールを弁えている。本当に警戒すべきは、新規の法案成立や、既存法の改正プロセスです。そして、何よりも問題なのは……」

 

総理の視線の先を引き取るように、鷺宮が言葉を継いだ。

 

「河内グループ、および紙村グループという我が国の二大財閥と共同で進めている国家規模の代替インフラ事業ですね。我々が少しでも甘え、グレーゾーンに踏み込みすぎれば、彼らは抗議の声を上げることもなく、ある日突然、事業の核心部をシステムごと引き抜いて他国へ売却し、立ち去るでしょう。……もはやこれは『可能性』や『リスク』ではありません。アメリカで証明された『実績』なのです」

 

日本政府はアメリカのような破滅を回避するため、以前から河内・紙村の二大財閥と手を組み、連合の大きな影響下にある「小売・物流・介護・教育」という超重要インフラ分野において、国費をジャブジャブに投入した「代替インフラ」の構築を急ピッチで進めてきた。

 

ついに、最も制度設計が遅れていた「東南アジアから極めて高額な報酬で介護人材を安定的に招き入れる体制」も、国費の盾によって何とか形になった。

すでに代替システムの構築が進んでいた「教育」と「小売」の分野に関しては、万が一連合が今すぐ日本から手を引いたとしても、ほぼ十分に機能するレベルにまで達している。物流分野も、連合のトラックが一斉にストップしたからといって、即座に都市機能が完全崩壊しない程度には持ち堪えられるバックアップ体制が敷かれた。

 

しかし、そのために投入された税金の額は、言葉通り天文学的な規模に達していた。

そして真に恐ろしいのは、この代替インフラを今後も維持し、さらに拡大していくために、これから新たに投入し続けなければならない税金は、これまでの比ではないという現実だった。

 

「この露骨な国費投入は、一見すれば『二大財閥への巨額の利益供与』と野党から厳しく批判されかねません。しかし、結果として国民の大部分がその代替インフラの恩恵を直接享受しているのも事実。その一点においてのみ、これを『福祉費・社会保障費』として予算編成する大義名分が立っています」

 

だが、ここでも「国民感情」という、政治にとって最も扱いづらい不合理が立ちはだかっていた。

 

今回のアメリカでの大統領令による強制接収劇に伴い、公式の場において初めて『24社連合』、あるいは『連合』という巨大な非上場企業集団の全貌と構成メンバーが広く明かされることになった。

すると、その真の性質を知らない多くの一般の国民やネットユーザーたちは、一様にこう考え始めたのだ。

 

『これらはすべて日本企業なのだから、いざとなれば日本の国益のために動いてくれるはずだ』

 

ネットの掲示板やSNS上では、連日のようにアメリカ政府の無様な敗北を嘲笑し、

「日本企業が超大国アメリカを土下座させた!」

「日本の技術とシステムはやっぱり世界一だ。日本企業は本当にすごい」

といった、愛国心に酔いしれる盲目的な言説や動画が溢れかえっていた。

 

もし彼らが、あの連合の本質が「日本という国家」に対しても一切の忠誠心を持たず、ただ法と契約、そして自らの合理的アルゴリズムにのみ従って淡々と動く、「無国籍の怪物」であることを知れば、その的外れな歓喜に赤面して穴に入りたくなるだろう。

そもそも、「すごい」のは一般的な日本企業全体ではなく、「あの24社連合という特異な企業群と、その統率力と無感情さ」そのものだ。しかし世間では、主客が完全に転倒した「日本企業優生論」とも呼ぶべき歪んだ熱狂が横行し始めていた。

 

総務省から上がってきたそれらの一般世論情勢報告書に目を落としながら、閣僚たちは呆れたように、しかし同時にどこか安堵したように襟を正した。

 

「……とにかく、連合当事者たちはこのような大衆の熱狂には一切興味がありません。いくらネットで称賛されようが、それを不快に思うこともなければ、おだてられて日本のために便宜を図ることもない。ならば、この世論は放置でいいでしょう。実体のない愛国的な夢を見て、勝手に幸せになってくれているうちは、政権の支持率にとっても都合が良いことです」

 

「ええ。仮に彼らがいつか連合の『冷徹な正体』を知ったとしても、政府に対して筋の通った抗議などできはしませんよ。なにせ、連中のやっていることは法律の文言一つ、手続きの書類一枚に至るまで、髪の毛一本ほどの染みすらない『完全な合法』なのですからね。文句のつけようがありませんよ」

 

超大国アメリカを年間1億ドルの情報使用料で事実上の「小作人」へと落とし込んだ極東の計算機は、今日もただ、法という冷たいルールブックの隙間で、世界を最適化するための演算を静かに続けさせていた。

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