2045年 6月 カリフォルニア州 旧NEXAオフィス
カリフォルニア州にある、接収され合衆国政府の管理下に入った旧NEXAのオフィス。その一角には、商務省が莫大な予算を投じて呼び寄せた精鋭のデータ分析官たちが貼り付いていた。
島根の城島ファンドから、毎日決まった時間に淡々と送られてくる「仕入れ指示データ」。
アメリカ政府にとって、年間1億ドルを支払って得たこのデータは「命綱」であると同時に、連合の頭脳(アルゴリズム)の正体を暴くための唯一の「足掛かり」だった。
分析官たちは、メリーランドの経済分析局(BEA)が事前に導き出していた『余りもの(デッドストック)回収戦略』の仮説がどこまで正しいのかを、送られてくるリアルタイムのデータと照らし合わせて検証していた。
「……はあ、またか。」
モニターを見つめていた主任分析官が、深く、重い溜息をつく。
予想は恐ろしいほどに的中していた。しかし、その正しさが、彼らをより深い絶望へと突き落とす。
保存の効く缶詰や調味料、パスタなどの加工食品は、NEXA店舗の近隣にある大手スーパーチェーンの倉庫で売れ残り、余剰となったものをピンポイントで底値で買い叩いて店舗に並べている。
一方で、生鮮食品や肉類などの足の早い食材は、同じキャベツであっても特定の大規模農場から一括で仕入れることはしない。近隣にある小規模な複数の農場から、それぞれの収穫過多による「余り」を、まるでパズルのピースを埋めるように数ケースずつ、細切れに買い集めているのだ。
「これでは、仕入れの統計パターンを追っても、ただ『その時その場所で何かが余っていた』という外部の変数に振り回されるだけで、再現性のある数理モデル(アルゴリズムのコア)など構築できるはずがない……」
分析官たちは、仕入れ元の農家や卸業者に直接、裏取りの聞き取り調査も行った。
「この余りものが出たという事実を、どうやって城島ファンドのホストに伝えているのか?」
だが、どの業者の担当者も、判で押したように同じ答えを返すのだった。
「いや、守秘義務(NDA)ってやつがあってね。契約上、これ以上は話せないことになっているんだ」
接収騒動の真っ只中でさえ、彼らはそう言って口を割らなかった。
もちろん、今こちらの背後にいるのはアメリカ合衆国という巨大な国家権力だ。連邦政府の権限を背景に「日本企業の守秘義務など知ったことか。アメリカ国家への忠義を果たせ」と脅しつけ、強制的に口を割らせることなど造作もない。
しかし、それをやればどうなるか。
ただでさえ他国のインフラを強奪して世界中から不信の目を向けられているアメリカが、さらに同盟国籍民間企業の取引先、さらに悪い事に謝罪して温情までもらっている相手に再度、牙を剥けば、国際的な信用は完全に失墜する。それこそ、あの冷徹な「連合」は一切の警告を挟むことなく、年1億ドルのコンサル契約すら即座に破棄する。連合が呼びかけることもなく、今度こそアメリカは世界の自由経済システムから完全に遮断されるだろう。
あのNEXAの焦土撤退だけで国中が内戦寸前のパニックになったのだ。それ以上のダメージなど、想像するだけで胃が捩れる。
「仮説は正しかった。あまりにも綺麗に……。つまり、これ以上の経営改善(リバースエンジニアリング)は望めないということか……」
事実、城島ファンドからの指示を忠実に実行している現在でも、NEXAの全米網は単日ベースで未だに「赤字」を垂れ流し続けていた。
確かに以前の壊滅的な状態に比べれば赤字額は減った。しかし、連合が直接経営していたあの「絶妙な微益」の領域には到底及ばない。
(やはり、仕入れという『点』ではなく、それを繋ぐ『物流(ロジスティクス)』のダイナミズムにこそ、彼らの真のコアがあるのか……?)
分析官は、手元の端末に記録された、州内の中堅運送会社への聞き取り調査ファイルをスクロールした。
その中の、あるドライバーがポロリと漏らした愚痴のような証言が、彼の脳裏に引っかかっていた。
「……うちの会社、トラックの荷台に空いているスペース(積載隙間)があったら、そこを埋めるために毎回サイズを測ってるんだよ。どこに運ぶのかは俺たちも直前まで知らされない。出発直前か、あるいはハイウェイを走っている最中にナビに臨時指示が飛んできて、『あそこの倉庫に寄ってこれを積め、そしてこの場所に下ろせ』って言われるんだ」
その一言が、パズルの最後のピースだった。
(これだ……。商品の『余りもの』だけでなく、配送トラックの『スペースの余り(隙間)』までもが、彼らのリアルタイムな回収対象なのか……?)
物流会社が本業の荷物を運ぶついでに、荷台の隅に空いた「死にスペース」にNEXAの仕入れ品を格安で放り込ませる。本来ならただ空気(デッドスペース)を運んで走るはずだったトラックの隙間を、極限まで低価格の運賃で買い叩いて活用する。
連合が誇る「脅威的な低価格」の裏には、この『隙間運送網』の徹底的なパーソナライズがあったのだ。
だが、分析官はそこで自らの仮説のハードルの高さに絶望しそうになる。
「使い古された、アイデアとしては単純な手だ。だが……これをアメリカのような広大な国土の、全米の地方都市ごとに、リアルタイムでマッチング処理するだと? そんなことをやれば、サーバーにかかる計算処理の負荷はどれほど天文学的なものになるんだ……?」
全米を走る何万台ものトラックの、その時々の「荷台の隙間サイズ」を入力させて処理するだけでは、この超大規模な隙間運送網は機能しない。
おそらく、運送会社が日々行っている面倒な入力を極限まで減らすための、整理され尽くした「魔法のようなフォーマット(UI)」が、城島ファンドのホスト側から現場へ事前に配られているはずだ。
「間違いでも、不完全なデータでもいい。とにかく普通にトラックを新規チャーターするよりも、1セントでも運賃が安くなるマッチングが成立するなら、システムは構わずそれを採用して指示を出す……ということか?」
それなら、すべての説明がつく。
トラックの現在地や積載データに「分からない部分」があれば、システムはエラーで止まるのではなく、そこを「空白」のまま処理する。適当な中央値やデフォルト値を代入して演算を回し、送信側である現地の運送業者が「入力するのがめんどくさい」と放り投げない、絶妙にギリギリな手間のラインに項目数をコントロールしているのだ。
「――そうか。彼らのシステムは、世界を100%の完璧さで制御しようとしていないんだ」
分析官の目の前で、何ヶ月も凍りついていた連合の謎が、音を立てて氷解していく。
連合が掲げる『快適さの追求』。それは、人間や社会の「曖昧さ」や「面倒くささ」を排除することではなく、その「不完全さ」や「余りもの」をそのままシステムに受け入れ、許容するという、究極の柔軟性(バッファ)によって成り立っていたのだ。
極東の怪物が見せている背中の、そのほんのひと振りの「産毛」ほどではあったが、アメリカの知性は、確かにその絶対的な真理へと近づきつつあった。
翌朝、分析官は一睡もせずにまとめたレポートを携え、商務省の対NEXAタスクチームの緊急ミーティングに臨んでいた。
「――なるほど、不完全なラストワンマイル(配送センターから店舗までの最終区間)運送、か」
スライドに映し出された解析データを見つめながら、タスクチームのリーダーである商務省のベテラン官僚が、深く頷いた。
「確かに、接収前の過去データを洗っても、州をまたぐような幹線輸送(プライマリ・ロジスティクス)に関しては、彼らは大手の鉄道会社や航空貨物、そして大手トラックフリートと極めて強固でガチガチの年間契約を交わしていた。だが、そこから先の地方配送センターから各NEXA店舗へ繋ぐ末端の運送だけが、信じられないほど不規則でバラバラだった。
……なあ、その聞き取り調査をした運送会社に、もう一つ追加で聞いてみてくれないか? 『配送依頼のメッセージが届く具体的な時刻(タイミング)』を」
「時刻、ですか?」
突然の問いかけに、分析官は瞬きを繰り返した。
「ああ。分単位の正確なログでなくていい。だいたいで構わん。ドライバーたちが、その臨時指示を『いつ、どの時間帯に』受け取っていたかだ。もしかしたら、彼らは物理的な『荷台の隙間』だけでなく、ドライバーの『余り時間の、余りの運送能力』をも買い叩いていた可能性がある」
「ですが……!」
分析官はそこで、物流の「常識」に基づいて反論しようとした。
「そんな不確定な空き時間に配送を頼んでいたら、いつ店舗に商品が届くか分からなくなります。朝の開店時間に商品が間に合わないかもしれない。それでは小売店として商売が――」
そこまで言いかけて、分析官の言葉がピタリと止まった。
彼の脳裏に、かつて全米を席巻し、自分たちも日常的に利用していたNEXAの「実際の店頭の光景」がフラッシュバックした。
そして、彼自身がこれまでの固定観念、いや、『連合ならとうに叩き潰していただろう古い業界常識』に囚われていたことに気づき、背筋に冷たいものが走った。
「……あ。そうだ、そうだった……。NEXAは、品切れが当たり前だったんだ・・・」
アメリカの、そして世界のすべてのスーパーマーケットには「朝9時にオープンした瞬間、すべての棚に商品が美しく満載されているのが当たり前」という絶対的なドグマ(常識)がある。
これを維持するために、世界中の小売業者は、運送費が高騰する深夜や早朝の「ホットな時間帯」に競合他社と競り合うようにしてドライバーとトラックを奪い合い、割高な深夜手当や特別運賃を支払って商品を運ばせている。
だが、NEXAは違った。
NEXAの棚は半分以下の品数しか並んでいないのも、欠品も当たり前。
それなら朝一番に棚がカラだろうが、昼過ぎにフラリとトラックがやってきて商品を下ろし、そこから棚が埋めていったところで誰も気にもしない。客の側も、「NEXAとはそういうものだ」「あそこに行けば、何かしら信じられないほど安いものが置いてある」と完全に教育されていたため、品切れや配送遅延に対して怒る者など誰一人いなかったのだ。
「……そういうことか。午前中に必ず届けろという制約を外せば、他所のスーパーや大手流通が必死になってトラックを奪い合っている『ゴールデンタイム』に、わざわざ高い報酬や優遇条件を提示して競り合う必要が一切なくなる……!」
分析官は、目から鱗が落ちるような衝撃に震えていた。
「そうです。運送会社や個人ドライバーが、本業の仕事をすべて終えて夕方に配送センターへ帰る途中、あるいは他の配達の合間にできた『完全にやることがない空白の2時間』。
連合はその最も価値の低い、誰も買わない『死に時間』を狙い澄まし、実質半額以下みたいな端金(はしたがね)で買い取って、NEXAの荷物を運ばせていたんです」
「だから、指示を出す側も『分からない箇所はデフォルト値の空白でいい』という態度を取れるわけだ」
リーダーが不敵な笑みを浮かべた。
「運ばせる荷物は保存が利く余り物。運ぶトラックも余り物のスペース。そして運ぶ時間すらも、業界の余り物の隙間時間。
これら3つの『余りもの(低価値要素)』を掛け合わせることで、彼らはロジスティクスのコストを理論上の限界値にまで引き下げていた。そしてその『不完全な遅れ』を、システムエラーとして弾くのではなく、最初から経営のバッファ(許容範囲)として織り込んでいたんだ」
超大国アメリカの頭脳が、ついに「快適さの追求」の真の意味をハッキングしつつあった。
完璧な計画と過剰なサービスのために莫大な富を浪費するアメリカ型資本主義に対し、極東のシステムが提示したのは、「適当さと不完全さを許容することで生まれる、圧倒的な合理性」という、東洋の哲学にも似た冷徹な最適化の美学だった。
「急ぎ調査を。我が国の配送データから、ドライバーたちの『アイドルタイム(余暇時間)』の正確な分布を逆算する。
奴らの真似はできなくとも、NEXAの赤字をあと1億ドル削るための『アメリカ版の隙間ロジック』なら、我々の手で作れるはずだ」
分析官の瞳に、絶望ではない、アナリストとしての静かな闘志の火が灯っていた。