ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第113話

同日 東京 霞が関 外務省

 

大型モニターの電源が落ち、静寂が室内に戻る。画面越しに行われた「欧州委員会対連合」の緊迫したやり取りを特等席で傍観していた外務省、経済産業省、内閣府の高官たちは、誰からともなく大きなため息をついた。

 

会談中、日本政府の面々はただの一言も発しなかった。発する隙すら与えられなかった、と言うほうが正しい。

 

当初の目論見では、国家インフラ級の巨大な取引がスムーズに進めば、そのドサクサに紛れて欧州側に対し、日本企業の関税優遇や規制緩和といった「政治的利権」をねじ込むつもりだった。しかし、事前の打ち合わせで城島ファンドの向島は、端から日本政府の期待をへし折るようなことを口にしていた。

 

「多分、交渉は拗れますよ。期待せずに見ていてください」

 

そして結果はその通りになった。というか、交渉の場にガソリンを注いで拗れさせたのは向島自身なのだから、予言でも何でもない。ただの確定演出だった。

 

「あの連中、国家集団のEUを相手に、あそこまで真っ向から喧嘩を売るとはな……」

 

経済産業省の参事官が、額の汗を拭いながら呆れたように呟いた。

そもそも「会談の場に同席させてくれ」と頭を下げたのは日本政府側だ。向島たちはそれを利用した。画面の横に「日本政府」という国家権力のバックプレートが並んだからこそ、彼らはEUからの政治的圧力を完全に無効化し、あそこまで強気の条件を突きつけることができたのだろう。

 

「……またしても、連合の良いように使われたな。我々は彼らの『盾』としてディスプレイの肥やしにされたわけだ」

 

「それはいい。民間を守るのが政府の仕事だ。だが、解せないのは別の一点だ。連合は一体どうやって、欧州委員会が裏でGRIDの機密を探っていて、しかも言い返せないほどのグレーゾーン(規約違反の教唆)に踏み込んでいることを察知したんだ?」

 

外務省のベテラン交渉官の疑問に、隣に座る内閣府の分析官が乾いた笑みを漏らしながら答えた。

 

「簡単ですよ。向こうが口を割らせたのと同じ手法を、連合も現地でやっていただけです。GRIDと提携している現地運送業者の中に、追加給与を払って『情報管理役』として雇っていた監視社員――平たく言えば二重スパイがいたのでしょう。運悪く、EU側の調査員がその人物に接触してしまったか、あるいは動向が筒抜けになっていたか」

 

連合という組織が持つ、いくつもの異常性質。その最たるものが『狂気的な遵法精神(リーガル・マニア)』だ。

 

彼らは決して違法行為をしない。その代わり、契約書に明記された禁止事項や、法的な権利の境界線においては、ナノメートル単位の妥協も許さない。現地提携先企業の社員を適法に配置し、自社の機密漏洩を監視させるのは企業防衛として当然の権利である。

 

「そんなスパイ合戦を仕掛けてくるような敵対組織(EU)の地元で、これ以上新規店舗を開くわけがない、というのが向島らの理屈でしょう。GRIDシステムや仕入れ網、配送網の開拓プロセスをこれ以上現地で見せたら、それはノウハウの無償提供であり、自殺行為だ。リスク管理の観点から見れば、連合の『新規展開の完全凍結』という言い分は100%合理的だ」

 

むしろ、そんな当たり前のカウンターリスクすら想定せず、オールドタイプの政治的圧力で情報が取れると踏んでいたアメリカや欧州の調査方法が、あまりにも前時代的で杜撰だったのだ。

 

「……まさか欧州委員会は、未だに『日本企業など、国家の政治力で上から押しつぶせば最後は言うことを聞く』とでも思っているのだろうか?」

 

「それこそまさかだ。現にその日本企業のシステムに、ここまで鮮やかに自分たちの社会インフラの根底を寄生されているんだぞ? 我々を格下に見るほどの余裕は彼らにはないはずだ」

 

「いえ」

 

外務省の若手官僚が、皮肉めいた表情で口を挟んだ。

 

「彼らは我々を格下に見ているのではない。『連合が横柄な態度を取れば、同席している日本政府が慌てて場をなだめ、民間企業である連合に制裁や指導を加えて、大人しく言うことを聞かせるだろう』と踏んでいたのではないですか?」

 

室内が一瞬、静まり返った。

 

「……もし、彼らが本当にそんな甘い外交的プロトコルを期待して動いていたのだとしたら、もはや欧州委員会も終わりだな」

 

今回の日本政府の同席名分は、あくまで「日本の民間企業」と「欧州連合」という国家組織との交渉の場で、準公共インフラの売買交渉という商品の大きさから欲をかいて不均等な圧力がかかるのを防ぐため。つまり、国家権力という暴力に対して『24社連合』を守るための防波堤となることだった。

 

だが、蓋を開けてみればどうだ。

実際の交渉は終始、24社連合側の冷徹なロジックに振り回されっぱなしで、EU側は一方的に条件を突きつけられ、青ざめた顔で代案を持ち帰るしかなかった。日本政府が割って入る隙など、最初から1秒も存在しなかったのだ。

 

「まあ、これで良かったのかもしれん」

 

参事官が自嘲気味に椅子に深く寄りかかった。

 

「もし連合が、いつもの奇抜な作戦で、あっさりとGRIDのすべてをEUに引き渡すような真似をしていたらどうなっていた? 我々は『みすみす巨大な利権交渉のチャンスを逃し、民間企業の暴走を止められなかった無能な政府』として、後から世間や身内から激しく責め立てられていたはずだ」

 

結果として、連合は自分たちの力だけでEUを圧倒し、完璧にビジネスの主導権を握り続けた。日本政府はただ「そこに座っていただけ」で、国際法上の義務を果たし、国内企業の防衛に成功したという建前だけを手に入れた。

 

「それにしても……」

 

外務省の交渉官が、消えたモニターの黒い画面を見つめる。

 

「アメリカはハコだけを残されて飢え、欧州は成長を去勢されたインフラのサブスクリプション契約を迫られている。奴らは国家という枠組みを、一体どこまで小さく見積もっているんだ……」

 

霞が関の最高頭脳たちが集まる会議室には、連合がもたらした「新しい世界のパワーバランス」に対する、割り切れない恐怖と一抹の安堵が、重く立ち込めていた。

 

同日 ベルギー ブリュッセル 欧州委員会

 

「……遵法精神とマニュアル的な画一処理の狂気、か」

 

向島との回線が切れた後、一人の高官が手元のタブレットに目を落とし、ぽつりと呟いた。

画面に表示されているのは、以前に日本の外務省から「参考情報」として送られてきた、過去の日本国内における連合の行動特性レポートだ。

 

そこには、日本国内の自治体や官僚、さらには地元の名士たちが、連合の展開するシステムに少しでも干渉しようとした際の顛末が冷徹に記録されていた。

相手が首長だろうが、中央省庁のキャリア官僚だろうが関係ない。彼らの領域に一歩でも踏み入れば、その瞬間にすべての主導権を奪われ、連合の「規約」と「マニュアル」の歯車に従属させられる。例外や超法規的措置を求めた者は、システムから容赦なく切除されていた。

 

欧州委員会は今、その「狂気」の切っ先を、自らの喉元に突きつけられたのだと理解した。『こいつらは国家すらその対象にしている』と。

 

今回の「現場調査」という名のインテリジェンス活動。

国家機関としては、これほどの巨大インフラの正体を探るためのごく一般的な『情報収集(聞き込み)』のつもりだった。だが、契約という名の絶対神を崇める連合にとっては、それは「守秘義務契約に対する不法な介入であり、規約の逸脱行為を教唆・強制した敵対行為」に他ならなかった。

 

相手は国家ではない。どこまでも「一民間企業」としてのルールで動いている。

だからこそ、国家間のスパイ合戦という『グレーな慣例』をそのまま持ち込んだEUの現場チームは、連合のシステムによって完璧に検知され、規約違反として即座に処理(パニッシュ)されたのだ。

 

「どうする……あの条件を飲むのか?」

 

会議室に、再び沈黙が流れる。

だが、向島に条件を突きつけられた直後の絶望的な静寂とは、明らかに質が異なっていた。実務家としての冷徹な計算が、彼らの頭脳を高速で回転させ始めていた。

 

「……選択肢はないな。飲むのが、最も合理的だ」

 

ドイツ代表の交渉官が、静かに口を開いた。

 

「新規展開のノウハウを完全に遮断されたのは手痛い。だが、既存の6カ国だけでも『GRIDの運営指示システム』を定額で維持できるなら、最悪の事態(安価に食料入手するのが困難になるリスクから発する暴動)は防げる。それに、システムの拡大こそできなくとも、日々の運行や仕入れのフロー(運営ノウハウの一端)は、運用を続ける中で嫌でもデータとして我々の手元に蓄積される」

 

「……なるほど。その蓄積されたデータを、我々自身で解析し、逆算する(リバースエンジニアリングする)というわけか」

 

「そうだ。当初、我々は『丸ごと買い取る(第1プラン)』か『自力でゼロから模倣する(第2プラン)』かの二者択一で考えていた。だが、今回の妥協案を受け入れれば、その両方を並行して進めることができる。連合からGRIDの『脳(指示システム)』を借りて生存を担保しながら、その裏で、彼らのシステムが弾き出す配送ルートや価格設定のアルゴリズムを徹底的に学習する」

 

それは、連合を模した「独自の共通インフラ」を裏で時間をかけて育てるための、壮大な「寄生と学習」のプランだった。

 

「アメリカとの共同会議も、これまで以上に重要になるな。ワシントンはNEXAを強奪して破綻しかかっているが、それゆえに彼らは『システムが失われた現場で、何が起きるか』の生データを最も豊富に持っている。彼らの失敗事例を、我々独自の模倣インフラ構築のための貴重な教科書にさせてもらう」

 

「決議を取ろう。……反対の者は?」

 

委員長が周囲を見回す。誰の手も挙がらなかった。

彼らは誇り高きヨーロッパの官僚だ。極東のファンドに屈したまま、隷属的なサブスクリプションを永久に支払い続けるつもりなど毛頭ない。

 

今回の「去勢されたGRID」の買収は、降伏の儀式ではない。

システムという名の怪物を手なずけ、その皮膚を少しずつ剥ぎ取り、自分たちの肉体へと移植するための「10年越しの防衛戦」の始まりに過ぎなかった。

 

「……よし。直ちに向島氏に連絡し、条件受託の旨を伝えろ。契約書の文言は、彼らの『狂気的な遵法精神』に適合するよう、一文字の隙もなく精査させろ」

 

立ち上がった高官たちは、それぞれの顔に闘志を宿し、足早に部屋を後にしていった。

オンライン回線の向こう、日本でそれを見守る「連合」と、背後にいる謎のホストAIが、この欧州の足掻きすらも「織り込み済み」として冷笑しているかもしれないという可能性には、あえて目を瞑りながら。

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