ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第115話

同日 東京 霞が関 外務省

 

欧州委員会との緊迫した回線が切断された直後、室内のモニターは自動的に切り替わり、連合側との「内打ち」のオンライン会議へと移行した。画面に映る向島の表情には、国家の運命を左右する価格交渉を終えた直後だというのに、疲弊の色のひとかけらもない。

 

「お疲れ様です、皆さん」

 

「……いえ。我々はただそこに座って、一言も話さずに聞いていただけですので」

 

外務省の交渉官が、どこか自嘲気味に肩をすくめる。その様子を見ながら、議事録を取っていた若手官僚は、「無言でただ圧倒されるだけの会議ほど、精神的にすり減るものは他にない」と心の中で毒づいていた。

 

「さて、次の会議で決着ですよ。おそらくね」

 

向島が事もなげに言う。その口ぶりに、経産省の高官の一人が探るような視線を向けた。

 

「……やはり、先ほどあなたが誘導していた『特別国債』の手を使ってきますか」

 

「ええ。持っているだけで社会的インフラの維持・普及に貢献しているという『大義名分(ステータス)』を投資家に与えられる商品です。その栄誉の分、利率を極限までゼロに近づけて発行すれば、GRIDが元々生み出しているファンド配分後の利益という『残りカス』だけでも、十分に利払いや償還をまかなえる可能性があります。財政への直接負担を1ユーロでも減らしたい欧州委員会なら、確実にあの案に飛びつくかと」

 

またこれだ、と室内の高官たちは内心で深く息を吐いた。

 

連合が絡む案件は、いつも終わってみれば『考えてみれば当たり前だ』『気づきさえすれば誰にでもできる』という解決策に着地することが多い。

今回の国債のスキームも、財務省や金融庁の中堅官僚に条件を投げれば、おそらく数秒で同じアイデアを叩き出し、1分もあれば大まかな集金可能額のシミュレーションまで完了させるだろう。

 

だが、連合はそれを自らの口からは絶対に提案しなかった。今回も『国債でも国費でも何でもいいから払うこと』と言っただけだ。ヒントを与えたに過ぎない。

 

他国の企業という立場で「我が社への支払いのために国債を発行しろ」などと言えば、それは内政干渉や露骨な利益誘導として国際的な批判の的になる。だから口を閉ざした――建前としてはそうだ。だが、これまで連合の恐るべき生態を特等席で観察してきた日本の高官たちには、それが彼らの本質にある別の理由によるものだと、痛いほどに想像がついた。

 

『相手の自由意志や言動は、徹底的に尊重する。……連合の規則と、その国家の現行法を犯さない限りは』

 

それが連合の、そして加盟企業の一つである城島ファンドの根底にある絶対的な性質だった。

 

それは、嫌になるほどに公平で、ある意味では寛大だ。

自ら牙を剥いて国家を侵略することは絶対にしない。ルールに従う限りは対等なビジネスパートナーとして接する。

 

だが、そのコインの裏返しの性質は、状況によっては「加虐心の権化」へと変貌する。

 

目の前で、システムの維持費と国民の暴動のリスクに挟まれ、のたうち回って苦しんでいる国家がある。連合の頭脳(アルゴリズム)なら、その国が最も傷つかずに済むスマートな財政再建や国債発行のスキームなど、コンマ数秒の演算で導き出せるし、知っている。

 

なのに、彼らはそれを絶対に教えない。助け舟を出すこともない。

 

『すべては、あくまで君たちの判断(自由意志)だから』

『もし君たちが連合の所属企業なら、マニュアルAIの指示通りに動けば最適化してあげられるけど、そうじゃないなら……頑張ってね』

 

そう言って、ただ冷たいガラスの向こうから、国家が自らの血を流しながら正解の選択肢に辿り着くのを、一歩も動かずにじっと見つめているのだ。

 

過度な介入をしないという究極の「放任」は、時として、最も残酷な暴力よりも冷酷に人間を追い詰める。

 

「……本当に、底の浅いお人好しなら、どれほど御しやすかったか」

 

外務省のベテラン交渉官が、誰に聞こえるでもなく小さく呟いた。

画面の向こうの向島は、ただ穏やかに微笑んでいる。その笑顔の奥に潜む「計算機(システム)」の冷徹な眼差しに、霞が関の最高頭脳たちは、再び心地の悪い戦慄を覚えざるを得なかった。

 

城島ファンドの向島が予言した通り、契約は無事に成立した。

しかし、その最終手続きである「調印式」を巡り、水面下で泥沼の押し付け合いが発生した結果、元『バグ・ハンター』メンバーであり、現在は外務省の若手キャリアとして泥泥の現場を押し付けられがちな宮田が、一人アタッシュケースを抱えてベルギーへ飛ばされる羽目になっていた。

 

「……また私か」

 

ブリュッセルのどんよりとした曇り空を見上げながら、宮田は本日何度目かも分からないため息をついた。

 

今回の取引は、年11億ドルに加えて既存店舗の購入まで加わる欧州の命運をかけた準国家インフラの売買だ。いくら連合がオンライン回線での合理性を好むとはいえ、国際法上の公式な控えとして、物理的な「紙ベースの署名(サイン)」を互いに残すことは回避できない。

 

当然、当初はどちらの代表団が動くかで揉めた。

 

『買い取りたいから売ってくれと言ってきたのはそちら(EU)だ。なぜ我々が貴重な旅費と時間を支払ってまでヨーロッパへ出向かねばならないのか? 来るならそちらの担当者が日本に来るべきだ』

 

連合側は1ミリも譲らなかった。普通なら売る側が頭を下げるものだが、彼らにとってGRIDは「別に売れなくても構わない微益の安全弁」に過ぎない。巨大ファンドへの収益配分も確約済みである以上、その価値はさらに下がっていたため、強気の姿勢を崩す理由がなかった。

 

一方の欧州側もプライドにかけて日本へ行くことを拒んだ。なぜなら、この最終調整の土壇場で、日本政府が欧州委員会に対して「ある極めて図々しい要求」を滑り込ませ、それを呑まざるを得ない状況に追い込まれていたからだ。

 

――「日欧間の特定品目における関税軽減措置」。

 

連合は日本政府に対し、「日本政府さんも、この機会にEUへ言いたいことがあるならどうぞ自由に口を挟んでください。席は空けてありますから」という極めて放任主義的なスタンスを取った。いつもは日本政府を振り回すだけの煙たい存在である連合が、この時ばかりは「最強の身内」として機能したのだ。

 

当然、欧州委員会は「なぜ民間企業との取引に、無関係な日本政府が乗っかって関税の要求をしてくるのか!」と猛烈に抵抗した。だが、そこで向島が冷ややかに微笑みながら、例の「過剰なリーガルハラスメント」のナイフをチラつかせた。

 

『無関係、ではありませんよ。お忘れですか? そちらのタスクチームが我が社の現地提携先の運送業者に対して行った、国家権力を背景にした過剰な圧迫聞き取り調査。あれにより、本来ならば国際規約と守秘義務で守られるべき我が社の機密情報が、不法に漏洩・侵害されました。……その件についての「損害賠償請求」の協議には、まだ入っていませんでしたね?』

 

(まずい!こいつら、本気で国際法廷に訴えを起こしてGRIDのシステムを今すぐ完全停止させかねない……!)

 

欧州側は青ざめた。連合の「狂気的な遵法精神」が一度牙を剥けば、どれほど莫大な賠償金を毟り取られるか分かったものではない。下手をするとお金ではもう収集が付かなくなる事態もあり得た。

結果として、彼らは「国家としての不法行為への事実上の賠償」という形で、日本政府が提示した関税の引き下げ条件に応じる羽目になったのだ。

 

日本側も一部の関税を下げる互恵的な形を取ってはいるが、総合的な貿易収支で見れば、明らかに日本側が圧倒的な利益を得る品目構成となっていた。連合も「我が社の損害が、日本国家の利益という形ではありますが、経由して連合企業に補填されるなら、今回の賠償請求は相殺ということにしましょう」と綺麗に着地させた。

 

こうして、日欧の政府間で関税の合意まで成立した結果、最後の「調印のための移動コスト」の押し付け合いが発生した。

 

連合・日本政府幹部: 「わざわざ大物を出張させる費用と時間のコストが無駄」として派遣を拒否。

 

欧州委員会: 「不本意な関税引き下げまで呑まされたのに、なぜ我が国が出張費まで払って日本へ行かねばならないのか!」と断固拒否。

 

怒り狂う欧州側の交渉官が、最後の意地として放った言葉がこれだった。

 

『今回の一連の交渉で、実質的に最も痛み無く実利を得ているのは日本政府ですよね!? ならば、そちらの官僚を1名か2名ほど、メッセンジャーとしてブリュッセルへ派遣するくらいの手間は寄こしてくれたっていいはずだ!』

 

その結果が、この宮田へのお鉢回しだった。

 

「……はあ。連合の書類にサインをもらいに行くだけの簡単なお仕事、ですか」

 

宮田は、手首にしっかりとチェーンで固定された防弾仕様のアタッシュケースを軽く持ち直した。この中には、日本で城島ファンドおよび連合本部の代表印と署名が寸分の狂いもなく押印された、年11億ドルのGRID運営指示ライセンス契約書とGRID店舗購入契約書、および日欧関税特例合意書が入っている。

 

「外務省の中で一番連合の性質を知っているのは君だから、担当地域は違うけど特例で行ってもらうよ。現地で何かあったら対応して、問題になったら連絡してくれ。」

 

宮田が出発前に上司から言われた言葉がこれであり、選出理由もこれだった。

 

欧州委員会の重厚な調印室の扉が開く。

部屋の中で待ち受けていた欧州の高官たちは、日本からやってきたのが閣僚級のVIPでもなく、経産省の次官でもなく、ただの若手外務官僚一人であるという事実に、あからさまに不満と屈辱の表情を浮かべた。

 

だが、宮田はそんな彼らの視線を気にする風でもなく、極めてビジネスライクに一礼した。かつて連合のバグを必死に探して徹夜を繰り返していた頃に比べれば、国家のヘイトを一身に集める受付窓口の仕事など、ただのマニュアル作業に過ぎない。

 

「日本国政府、および24社連合の全権代理として参りました、外務省の宮田です。……それでは早速ですが、署名の手続きに移らせていただきます。お互い、時間は貴重ですから」

 

連合から叩き込まれた「無駄な感情を排した迅速な処理」のトーンでそう告げると、宮田はアタッシュケースを開け、机の上に世界経済の新たな首輪となる書類を静かに滑らせた。

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