2045年 11月 山口県
アニメーターのみを集めたL不動産のアパート。そこではいつも中堅アニメ会社からの緊急ヘルプをL不動産が持ってきて住民に依頼するという経済システムができていた。
そして今回もまた新たな依頼がやって来た。
「ねえ、今度の依頼ちょっと変なんだけど。異世界アクションものの、ドワーフ鍛冶師が剣を鍛錬するシーン『だけ』だって」
液晶タブレットの手を止め、同じアパートの仲間であり、隣のデスクを借りて共同作業をしているベテランが顔を上げた。
「ん? 場面(カット)数が妙に少ないな。また中堅スタジオのヘルプか?」
いつもなら、L不動産の営業担当者が「この作画崩壊しかけてるアクションシーンを、何日までに仕上げて!」と、修羅場を迎えたアニメ会社の中抜き案件を緊急で持ってくるのが常だった。
「さあ?でも報酬がいつもの倍近くに跳ね上がってる。……ただ、添付されてる『溶融金属の参考映像』ってファイルが重すぎて、さっきからダウンロードに時間かかってて」
「鍛冶のシーンか。ていうか、鉄が溶けたり火花が散ったりするエフェクトなんて、今時どこも全部3DCGで一発処理するだろ。わざわざ手書きにするか?」
「それがさ、『熱で空気が激しく揺らぐところまで含めて、徹底的にリアルな手書きにこだわりたい』って指示なの。あ、落ちてきた。……うわ、何これ」
ダウンロードされた動画ファイルを再生した瞬間、二人の動きが止まった。
画面に映し出されたのは、CGでも、アニメのロケハンで撮るような一般的な参考映像でもなかった。凄まじい轟音とともに、超高熱でドロドロに溶けた本物の金属が、目も眩むような光を放ちながら火花を散らしている。カメラが限界まで近づいているせいで、熱気による空気の歪みが、画面全体を文字通り激しくのたうち回らせていた。
「やれって指示なんだからやるけどさ……。これ、どこかの本物の製鉄所で撮らせてもらったのかな。ものすごい迫力」
3年以上このアパートで寝食をともにしてきた仲間だ。疑問を抱きつつも、住人たちは息の合ったコンビネーションで、その圧倒的な「現実の映像」をアニメの線画へと落とし込んでいった。
その日を境に、彼らへ届く依頼は、ますます奇妙な方向へとエスカレートしていった。
『崩落する岩石の直撃を受けて、完全に押し潰される主人公の目線シーン』
『至近距離での爆発を、モロに正面から受ける主人公の目線シーン』
どれも、物語のクライマックスに数秒だけ使われるような、極限状態のアクションシーンばかりだった。そして、その全てに、信じられないほど鮮明な「実写の参考映像」が添付されていた。
深夜、いつもの定例飲み会で住人の誰かの部屋に集まっていたアニメーターたちは、缶コーヒーを片手にタブレットを囲んでいた。
「なぁ、これ……明らかにカメラがブッ壊れてるよね?」
一人の作画監督が、送られてきた爆発の参考映像をコマ送りしながら呟いた。
アニメーターもレイアウトや演出のためにカメラの特性を熟知している。だからこそ、映像の異常さに気づく。
「壊れてるなんてもんじゃない。レンズのコーティングが熱で溶けてパキパキに割れて、炎がばっちり映り込んだまま、爆風がレンズを直撃して画面が暗転してる。……これ、撮影のためにカメラを使い潰してないか?」
「しかも、映り方からして家電量販店で売ってる数万円のカメラじゃないよ。プロ用の、それこそ数百万円するようなシネマカメラか、産業用の特殊な精密測定カメラの画角だ」
「そんな高価な機材を、たった数秒の『爆発エフェクトの参考用』として現場で爆破したっていうの? 狂ってるよ……」
スタジオが予算をかけてロケハンをするにしても、機材を文字通り「破壊」しながら撮影するなど、日本のどのアニメ制作会社にも不可能な芸当だった。
「とにかく」と、三浦は画面を閉じ、自分の手をグッと握り締めた。
「これを完璧にトレースして、これまでにない最高のアクションを描けって指示よ。四の五の言わずにやるわ。……何より」
彼女は少しだけ声を潜め、苦笑いを浮かべた。
「今回のカット、通帳見たら報酬がさらに上がってのよね。愚痴を言ったらバチが当たるわ」
「……違いないな。お上の考えることは分からんが、金をくれるなら神様だ。行くぞ」
巨大な資本の意志が、山口県の片隅にいる彼らのペン先を踊らせている。
自分たちが描いているその「炎の揺らぎ」や「破壊のプロセス」が、一体どこの誰の、何のためのデータ(教材)に使われているのか――。それを知る者は、このアパートには一人もいなかった。
同日 三重県 四日市市 小田製鉄
中堅製鉄企業であるこの会社に、数ヶ月前、地元三重県のローカル局『津ローカルテレビジョン』が取材の申し入れにやって来た時のことを、担当者の私は思い出していた。
「いや、溶鉱炉の中を撮らせてくれだなんて、そんなことしたらカメラが木っ端微塵に壊れますよ?」
私の言葉は、担当者としての当たり前の忠告だった。だが同時に、その裏には『溶鉱炉の稼働状況という企業の心臓部を、外部のカメラに見せるわけにはいかない』という、メーカーとしての建前も隠されていた。
それを知ってか知らずか、テレビ局側の営業担当者は不敵な笑みを浮かべて言い放ったのだ。
「大丈夫です。なんなら撮影の際、こちらで各種センサーなども同時に設置いたしますよ。もちろん、それらのデータを放送に載せることはありませんし、『我がグループ』の外部へ漏らすことも絶対にありません」
ずいぶんと押しが強く、妙な自信に満ちた営業だな……。それが最初の印象だった。
しかし、彼らが「無償で設置・提供する」品目として提示してきたセンサー類のリストを見た瞬間、私の目が釘付けになった。
さっき自分が忠告した通り、溶鉱炉の内部は文字通りの地獄だ。
自社設備だからこそ、これまでにも可能な限りカメラやセンサーを「使い潰す」前提で突っ込み、内部の解析を試みてはきた。しかし、そこには限界がある。テレビ局側が提示してきたリストには、最新鋭の超高精度サーモカメラ、極限環境対応のハイスピードカメラ、さらには特殊な電磁気センサーなど、中堅の自社単独で揃えるにはあまりにも予算の荷が重い、最高級の測定設備がズラリと並んでいたのだ。
「――ただ、これらの機材が御社の設備や製品の品質に与える悪影響についてまでは、弊社では責任を負いかねますがね」
営業の男は釘を刺すように付け加えたが、その表情には微塵の不安もなかった。
私はすぐにこの件を上司に報告した。稟議書を読んだ上司は、デスクの上のコーヒーをすすりながら、あっさりとこう言ったのだ。
「まあ、テレビで放映されるのは当たり障りのない内部映像と、出来上がった鋼材の映像、あとは表面などの測定の様子くらいなんだろ? その中で少しでもマズいとこっちが判断したデータは守秘義務で隠してくれて、おまけに解析データまで丸ごとタダでくれるって言うんだ。悪い話ではないな。一応、部長にも回しておくよ」
現場の技術者からすれば、喉から手が出るほど欲しいデータだった。経営陣からすれば、地元密着のPRになり、かつ莫大な研究開発費をテレビ局側が肩代わりしてくれる神のような提案だった。
こうして、社内での1ヶ月に及ぶ慎重な会議の末――小田製鉄は、あの狂気の取材を受け入れることを決定したのだった。