ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第120話

2045年 12月 三重県 四日市市 小田製鉄

 

冷え込みの厳しい冬の四日市。だが、『小田製鉄』の工場内だけは、溶鉱炉が吐き出す熱気で肌がヒリつくほど熱かった。

 

ついに、津ローカルテレビジョンの撮影班がやって来た。私は案内係として、彼らの受け入れを担当することになった。

 

「今日はよろしくお願いします。安全第一で進めますので」

 

丁寧に名刺を差し出してきた作業服の男は、津田(つだ)と名乗った。名刺の部署名には『制作部映像課』という、いかにも地方のテレビ局らしい当たり障りのない肩書きが印刷されている。

 

だからこそ、私は内心で首を傾げていた。

一口に精密センサーやカメラと言っても、それを現場で正しく動かすには高度な専門知識が要る。例えばサーモカメラひとつとっても、『キャリブレーション(初期設定・校正)』という極めてシビアな工程が必須だ。

センサーが「+1℃の変動」を検知したとしても、その前段階の数値が0℃なのか、それとも300℃なのかでデータの意味はまるっきり変わる。「スタートの基準値が何℃だったか」を正確に合わせなければ、採取したデータはすべてゴミになるのだ。

 

今回はさらに磁気センサーやジャイロセンサーなど、我が社の技術部ですら導入を躊躇った専門性の高い測定機器が並んでいる。この無難な名前の部署の人間が、本当にこれらを扱えるのだろうか。

機械のボタンを押すだけなら素人でもできる。だが、画面に表示された数値を見て「これが物理的に妥当な数値なのか、あるいは異常値なのか、ただの測定失敗なのか」を、彼らはその場で判別できるのか?

 

(まあ、いいか。持ち込んだ高額機材がぶっ壊れてもお釈迦になっても、すべて向こうの腹痛だ。もし手際が悪ければ、後ろからこっちが指導してやればいい)

 

私は少し気楽に構えながら、彼らを高炉へと誘導した。

 

だが、現場に到着した瞬間、私は彼らの放つ空気に気圧された。

 

「本当に……これをやるのですね」

 

私の口から、思わず緊張の混じった声が漏れる。

溶鉱炉の開口部は、鉱石を投入する上部と、溶けた鉄を排出する下部にしかない。津田率いる撮影班は、センサー類を投入口のすぐ近くに設置し始めた。ちょっとでも身を乗り出せば、凄まじい輻射熱だけで大火傷を負う領域だ。銀色の耐熱防護服に身を包んだメンバーが、一切の無駄のない動きで、手が届く限界の範囲にセンサーを固定していく。

 

一方、彼らが持ち込んだゴツいカメラ群――シネマカメラ、サーモカメラ、ハイスピードカメラが一体となった特製の観測ユニットは、4本の太い金属ワイヤーで吊り下げられ、真っ赤に滾る高炉の奥へとゆっくり下ろされていった。

 

「津田さん、絶対に落とさないでくださいよ……! 万が一にでも高炉の中に不純物が混じったら、数ヶ月以上は操業停止。うちのような規模の会社は一発で飛びますからね」

 

釘を刺す私の言葉に、津田は防護服の奥で短く頷いた。

 

「分かっています。ワイヤーの電流抵抗値を常時モニタリングしていますのでご安心を。それに賠償条項もありますので。」

 

恐ろしいことに高炉1機が数か月で生み出すウン十億の機会損失と、定期購入契約先の出す違約金を全額保証すると言っているのだ。確かに業界トップを走る安心の財閥系の河内保険の事業保険で、オプション盛り盛りの高額保険加入証を見せてもらっていた。

 

そして、彼らの検証システムもまた徹底していた。吊り下げている4本のワイヤーに微弱な電流を流し、その『電気抵抗値の変化』をリアルタイムで測定しているのだ。熱や張力でワイヤーがわずかでも引き伸ばされたり、1本でも切断の兆候として微小なクラックを見せれば、抵抗値が急変する。それをシステムが自動で異常を検知した瞬間、ウインチが作動して一気にユニットを引き上げる仕組みだ。本当に切れたかどうかを目視する前に、データで迷わず判断する。

 

(このリスク管理と合理性……絶対にただのテレビマンじゃない。本物の『現場』を知る技術者だ)

 

緊迫の2時間が経過し、無事に収録が終わった。

オフィスの自席に戻り、収録されたデータや映像の内、すぐに渡せるものだけもらっていたのでそれを確認する。私が「テレビマンの素人相手に初歩的なダメ出しをしてやる」つもりだったノートは、白紙のままだった。指摘すべき不備など何一つない。

 

それどころか、途中からは完全にこちらの立場が逆転していた。

 

「津田さん、ここ、データの波形がちょっと気になります。映像をさらにズームできますか?」

「この箇所の挙動を見たい。センサーを追加で吊り下げることは可能ですか?」

 

こちらの技術的な好奇心からくる無理難題に対して、津田は表情ひとつ変えず、インカムで現場のメンバーに指示を飛ばした。

 

「ワイヤーの状態はどうだ? 下側の、排出口側の取り付け部が一番キツい熱条件だったはずだ。そっちの物理的な状態を観察して報告してくれ」

 

『やってみます。……外径、表面の微細クラック、電気抵抗変化ともに、すべて暫定の規定値内に収まっています』

 

「よし。まだマージンはあるな。では、小田製鉄さん側の追加検証に入る。要求のあった座標にユニットを再アプローチさせてくれ」

 

的確、かつ冷徹なまでのスピード感。我が社のどんなベテラン技術者よりも、彼らはこの過酷な環境と機材を完璧にコントロールしていた。

 

「では、我々はこれで。本日は貴重な機会をありがとうございました。解析データと、放送予定の映像データは、後ほどセキュリティ便で送付いたしますので」

 

夕方、彼らは機材を積み込むと、使い古された白いAkita製のバンに乗り込み、四日市の煙突群の向こうへと帰っていった。

 

残された私は、彼らの名刺を見つめたまま、しばらくその場から動けなかった。

彼らはテレビマンだったのだろうか。それとも超一流のプラントエンジニアだったのだろうか。あるいは、その両方か。

 

どちらにせよ、あのレベルの怪物人材が、地元でも聞いたことがないような小さなローカルケーブルテレビ局に、4名も同時に在籍しているはずがない。あのスキルと知識があれば、東京の大手インフラ企業や大手映像制作会社など、いくらでも割の良い条件を出すところが今の日本にはゴロゴロしているはずなのだ。

 

「……テレビ局の映像課、ねえ」

 

私はぽつりと呟き、深くため息をついた。

 

「ウチの技術部にだって欲しいよ、あの人たち……」

 

彼らのバックにいる『連合』という組織の本当の大きさを、私はまだ、何も知らなかった。

 

同日 東京 佐々木製薬

 

「爪の溶解薬、ですか……」

 

重厚な円卓を囲む役員たちの間に、困惑の混じった呟きが広がった。

 

彼らに企画書を提示しているのは、社長直属の新設部署『次世代創薬課』の面々だ。公式には連合Kバイオから転職してきて佐々木製薬の社員という肩書きだが、今も指令権を握っているのは連合直系のKバイオだ。そこから送り込まれた8名の精鋭たち。

 

彼らの実績は圧倒的だった。

「手術前緩徐麻酔薬」は、国内外の大病院や大学病院の医師たちが奪い合うように採用を決めている。一方で、お風呂で気軽に使える「軽度水虫の治療・消臭OTC(一般用医薬品)」は、国内の潜在的な患者層だけでなく、インバウンドの外国人観光客がドラッグストアで爆買いするほどの社会現象になっていた。

 

医療用医薬品と大衆薬。まったく異なる二つの市場で同時に爆発的なヒットを飛ばした結果、佐々木製薬の収益は、Kバイオと提携する前の「2.2倍」という驚異的な数値を叩き出し、維持してきた。

 

実績があるからこそ、役員たちも彼女たちの提案を頭ごなしに否定はできない。だが――今回の提案もまたあまりに突飛だった。

 

「……それで、これの本当の狙いはどこにあるのかね?」

 

常務が眼鏡の奥の目を光らせて尋ねると、次世代創薬課の課長を務めるうら若き女性は、堂々とした態度で声を響かせた。

 

「現在、介護現場において『肥厚爪(ひこうそう)』の処置が深刻な問題となっています。高齢化に伴い、皮膚科やフットケア専門の外来クリニックが乱立している現状をご存知でしょうか。それほどまでに、この『爪』に関する市場は巨大なのです」

 

年齢を重ねるごとに、人間の爪はケラチンが過剰に積層し、分厚く硬くなる。人によっては市販の爪切りでは刃が立たず、工具のようなニッパーを使わなければ切れないほどだ。

爪が伸びすぎれば、隙間の洗い残しから水虫の温床になる。さらに悪化すれば、湾曲した爪が肉に食い込み、激しい痛みや出血、最悪の場合は歩行困難を引き起こす。そうした高齢者の爪を電動ヤスリで削り、整えることで利益を上げているのがフットケア外来という医療サービスだった。

 

この情報のソースには、やはり連合の傘下で介護人材派遣を手掛ける『J社』の現場データが含まれていた。

【不快、不便があれば、そこを起点にして数値とデータ、現物のみで判断するPDCAを回す】

連合の徹底した現場主義から吸い上げられた課題が、超上流の創薬命令へと変換され、Kバイオを経由して佐々木製薬のこのメンバーに降ってきたのだ。

 

彼らは佐々木製薬の潤沢な機材を使い、社長すらスルーした極秘ラインで研究を進めていた。そして、成分の同定から臨床試験の直前までを自社(Kバイオ)の人材で完璧に仕上げた状態で、今こうして佐々木製薬の専門部署へ「あとは治験の手続きをするだけ」のパッケージとして引き渡そうとしている。

 

「分かった、分かったよ」

 

開発担当の役員が、苦笑しながら降参するように両手を挙げた。

 

「どうせ君たち、この市場規模のデータは後付けだろう? いつも通り、先に薬(ロジック)を作ってから、それらしい理屈を並べている」

 

「まあ、ビジネスとしての理屈は完璧に通っていますよ」

 

別の役員がフォローするように頷いた。

 

「この手軽なOTC商品が出れば、また世の中の多くの老人たちが悩みを解消されることになる。それに、製造プロセスを少し改良すれば、重症患者向けに濃度を高めた『医療機関用』の濃縮版もラインナップできるはずだ」

 

「なるほど、フットケア外来などの専門医療機関に卸せば、既存の市場を破壊せずに、我々だけがニッチな先行者利益(ブルーオーシャン)を総取りできるというわけか」

 

役員たちの議論は、すでに「やるかやらないか」ではなく、「どうやって利益を最大化するか」にシフトしていた。Kバイオの持ち込む完璧なロジックの前に、老舗製薬会社の経営陣は完全に手綱を握られている。

 

社長がゆっくりと席から立ち上がり、円卓を見回した。

 

「決まりだな。次世代創薬課の提案を承認する。直ちに予算を執行し、現時刻をもって役員会権限を発動する。この『爪溶解プロジェクト』の早期実現に向けて、開発、法務、営業、すべての部署を連動させて動いてくれ」

 

「かしこまりました」

 

課長の女性は静かに一礼した。その表情には、勝利の歓喜も傲慢さもない。ただ、予定された未来がその通りに動いたという、冷徹な結果だけを受け入れる連合の顔があった。東京のど真ん中で、数万人の高齢者の足元を救う「見えざる医療革命」の歯車が、またひとつ音もなく噛み合った。

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