2046年 4月 アメリカ オレゴン州
オレゴン州の太平洋を望む実験施設にて、G化学が主導し、重次化学工業、ICIT、その他に日欧英から3社が合同で進めていた「低コスト海水淡水化製法」の実証実験結果が出た。
結論は冷徹だった。
中規模データセンターの冷却水供給には十分適用可能。しかし、大規模や超大規模データセンターレベルの給水量となると、プロセス内の遠心分離が追いつかず、微生物の残骸がろ過しきれずに大量に残る。かといって、それを超高性能フィルターで物理的に防ごうとすれば、中規模設備の数百倍という莫大なコストが跳ね返って来る。
「中規模まで、ですね。」
G化学の担当者は、何の後悔もなくあっさりと結論を告げた。
その一言に、同席していたどの企業も言い返すことができない。いつのまにか特許も利権もごっそりと握らされ、表舞台の「顔」に担ぎ上げられている重次化学工業も、提示された不純物濃度のデータが完璧な裏付けを示している以上、頷くしかなかった。
だが、中規模であっても海岸線にデータセンターを分散建設できれば、莫大な利益を生む。初期ロットの設備は減価償却費などで当然高額になるが、そこはハイテク覇権を維持したいアメリカ政府が動いた。
兆単位の国家補助金を強引にねじ込み、日米の海岸線沿いに小規模~中規模のデータセンターを無数に建設する国家プロジェクトが、その場で決定したのだ。
後日。
このオレゴンでの実験成功と、補助金投入によるアメリカ政府の功績、そしてウォール街をはじめ世界中のハイテク投資家へ向けた「AIインフラ建設再開」を盛大に告知するメガセレモニーが催された。会場となったのは、オレゴン州から南へ飛んだハイテク企業の聖地、カリフォルニア州シリコンバレーの最高級ホテルである。
その絢爛豪華なメイン会場のステージの上に、案の定というべきか、連合の人間やG化学のメンバーの姿はなかった。かつて東京で起きた「佐々木製薬とKバイオ」の祝賀会の構図と全く同じだ。表に立ってスポットライトと賞賛を浴びるのは、主賓でありながら主催者でもある重次化学工業の役員たちである。
ただ今回は、技術内容のスケールがあまりに巨大だったため、重次化学工業側から「会場の裏で即座に技術的質問に答えられるよう、ホテル内に控えていてほしい」と懇願され、G化学の面々は上層階の客室に身を潜めていた。
「じゃあ、今後の設備調達ルートの調整をしようか」
下の階では重低音のパーティーミュージックと歓声が響く中、防音の利いた客室でG化学の主要メンバーたちが円卓を囲んでいた。
机の上に図面などの機密資料は一切置かれていない。全員が自身の頭の中にある範囲内のプラント図面と化学反応式を脳内描画しながら、淡々と話を進めていく。
彼らは、自分たちが成し遂げた「世界を変える発明」を自慢することも、鼻にかけることもない。かといって無償で奉仕する聖人君子でもない。抜かりなく定率の実利(利益)は頂く。
その代わり、世界中から集まる政治的圧力や顧客対応といった「面倒な手間」をすべて重次化学工業に押し付けるのだ。その手間賃・泥を被る代与として、重次化学工業には巨額の利権と栄誉という名の『剣と盾』を持たせてあった。
セレモニーが進行する裏で、彼らの議題はすでに「どの企業にどの部品の製造を割り当てるか」という超具体論に入っていた。
「淡水化プラントの核心部、対腐食コーティングを施した特殊金属タンク。これを作れる企業だが……あのレアメタル備蓄倉庫の内壁を完璧に仕上げた『F金属工業』が良いだろう。もちろん、それ以外の金属加工業者も一応リストアップはさせるが、連合流のマニュアル運用を熟知しているのはやはり連合加盟企業のあそこだろう。」
オレゴンでの試作プラントの段階では、文字通り一点物の特注品だったため、日本や欧米のプラントメーカーに依頼して作らせていた。
しかし、これから日米欧のすべての海岸線に、小~中規模のAIデータセンターが何百と建ち並ぶことになる。各国の政府や企業の動きは想像できる。大型化が不可能と証明された以上、必要な処理能力を確保するには『数』で殴るしかないのだ。
「さて……この中規模プラント群が世界中で稼働し始めるとなると、一時冷めかけていた世界中の半導体業界は、再びAI向け超高性能製品の増産に釘付けになるだろうな」
「そうなると、我らが『連合』のA社が作るグラフィックボードと、B社が作るメモリ。これらが再び世界から必要とされる時が来る、というわけだ」
かつての一次AIラッシュが落ち着いたことで、世界的な大手半導体メーカーたちは既存の汎用品市場へと戻ってきていた。その結果、元々「低性能(本当の普段使いなら問題ない性能)」であり「中価格帯(B社メモリ)もしくは低価格値(A社グラボ)」であることを売り文句にしていた連合傘下のA社とB社の製品は、コスパ重視派からも性能重視派からも見向きもされなくなり、PC市場の選択肢から外れていたのだ。
『お目当ての大手メーカー品は在庫切れ? 次の入荷は3ヶ月後!?……クソッ、仕方ない、つなぎで連合の安い奴を買っておくか……』
『とりあえず予備(スペア)として連合のグラボを買っておこう。大手のは購入制限がかかってるし、フリマサイトでは高騰しているしな・・・』
ここ最近のA社・B社製品の立ち位置はまさにそれで、市場から無視されるほどではないものの、誰も進んで買いたがらない「第二の選択肢」に甘んじていた。なにせ、使われている技術自体も一世代以上も古い旧式なのだから。
しかし、AIインフラの需要が「数」への対応にシフトすれば、その「古くて安くて、そこそこ動く大量の在庫と生産ライン」が凶悪な武器へと化ける。
「――というわけです。その節はまた、良い取引をお願いしますよ」
G化学の担当者は、部屋の隅で固まっている男たちへ向けて、穏やかに微笑みかけた。
「…………」
その場に同席していた経済産業省の官僚たちは、あまりのスケールに言葉を失っていた。
今回のセレモニーは、日本の技術が世界を救う国家的偉業である。そのため経産省としても成果を誇示せんと、局長クラスから若手官僚までゾロゾロと大名行列で渡米してきていたのだ。
だが、目の前で繰り広げられているのは、世界の半導体サプライチェーンそのものを手のひらで転がすような、あまりにも恐ろしい会話だった。
止まっていたB社青森のメモリ工場、そして建設凍結中だった長野工場(仮称)。さらにはA社のグラボを支える台湾のサプライチェーン。彼らのシナリオ通りに進めば、それらが再びフル稼働を始めることになる。そうなれば、日本の税収は跳ね上がり、経済産業省にとっても莫大な「成果」となるのは間違いない。
さらに連合は、民間向けの安価なグラボやメモリ市場を自社で独占し、『利益の低い民間向けローエンドは俺たちが支えてやるから、君たち大手は最先端のAI向けへ行ってくれ』という、市場全体の交通整理(ハック)まで目論んでいた。他社から見ればAI向けに行くために民間向けのキャパシティーを放り投げる良い口実にもなるから、この独占を訴える企業はほとんど出て来ないだろう。実際に少し前のAIブームの時も同じ構図になっていた。
彼らがわざわざこの構図を官僚たちに聞かせた意味。
それは、『経産省は余計な口出しをして邪魔をするな』という暗黙の牽制か。あるいは『万が一この戦略が外部に漏れたら、リーク元は経産省だと特定するぞ』という、冷徹な脅迫なのか――。
背中に冷や汗を伝わせながら、若手官僚を率いる経産省の高官は、ひくつく顔面をどうにか笑顔に整えて深々と頭を下げた。
「……は、はい。このプロジェクトは日本の国益にしかなりません。我々が邪魔をするなど、あり得るはずがございません……!」
狂騒のパーティーが響くシリコンバレーの夜。
世界を動かす本当の力は、高級ホテルの静かな一室で、誰にも知られることなく静かに、そして完璧に噛み合わされていた。