同日 愛知県 名古屋市 紙村グループ本部
重厚長大産業を中心に日本の製造業のトップを走り、商業・流通を牛耳る河内グループと共に「二大財閥」として君臨する紙村(かみむら)グループ。
重工業と商業の相性は抜群であり、お互いに縄張りを侵さず共存してきた歴史がある。政府にとっても、国家規模の案件を打診する際に「根拠と大義名分」を提示しやすい安定した受け皿として、長らく重宝してきた存在だった。
その紙村グループの本部で、幹部会議が開かれていた。
しかし、河内グループのような華やかでドラマチックな役員会議とは趣が異なる。重厚とはいえ、元を正せば泥臭い町工場や小さな技術集団が発展してできたグループ企業だ。
『会議室で議論する時間があるなら、工場へ行ってラインを見ろ』
それが、紙村の幹部たちに脈々と受け継がれている現場主義の精神だった。
会議の議題は多岐にわたっていたが、やはりどの案件を突いても、大小の違いこそあれ『連合』の影がチラついていた。
財閥グループとして、政府からは「連合が構築してしまった国家インフラの代替手段を、河内グループと共に作ってほしい」と要請されている。だが、それ以外の一般的なビジネスにおいて、紙村は連合を敵視することなく、単なる「ドライなビジネスパートナー」として割り切って付き合っていた。もちろん、そのスタンスは政府にも確認済みだ。
「連合の『Mマシナリー』は、ついに上層の大型プレイヤーにも手を付け始めたそうだな?」
重厚な木製テーブルの上座で、幹部の一人が口を開く。
「ええ。これまでは全国の町工場を回り、地道に職人のデータ集めばかりしていたようですがね」
情報はいつも商業主体の河内グループから持ち込まれることが多かった。一秒でも早く動くことができたかが命取りになる商業の世界に属する彼らは情報収集能力が極めて高い。
しかし、こと「工業・ものづくり」の領域に関する情報網であれば、紙村も決して後塵を拝してはいなかった。連合傘下のMマシナリーが約15年もの長きにわたり、新機種の開発や工作機械の改良をピタリと止め、全国の職人から加工データを買い集めていたことなど、日本の製造業の頂点に立つ紙村の耳に入らないはずがなかったのだ。
「それで、ウチのグループにも来たのか? そのデータ販売の営業とやらが」
「ええ。グループ内の『紙村工機』『紙村精密工業』の両社に、それぞれ個別でアプローチが来ております」
別の幹部が苦笑いを浮かべた。
「ふっ、相変わらずマニュアル通りの連中だな。普通の企業なら親会社が重複している時点で気づき、無駄な営業を弾くだろうに」
「ですが、約20億円ほど余分なコストを支払うことにはなりますが、両社で購入させました。両者に提供されるデータ内容が同一なのか、それとも企業ごとにカスタマイズされているのかを合法的に比較検証するためです」
「そうだな。調査費用と考えれば安い。合理的だ」
Mマシナリーの狙いは明確だった。
15年かけて日本中の町工場から新人・中堅・熟練職人のデータを収集。それを自社開発の加工機とAIに投入し、『各熟練度における非言語的な作業感覚や勘』を可能な限りアルゴリズム化して統合した。そして今、その「職人のコツ」を大型自動工作機械メーカーなどへ売りさばいているのだ。
正直、紙村グループ内でも意見は真っ二つに割れていた。
悲観派は『やられた……これで各企業の技術水準が一定まで引き上げられ、我が社の優位性が薄れてフラットに戻される』と危機感を募らせ、
楽観派は『現に我が社の機体でも表面性状(仕上がり)などの向上が見られている。連合は「どのパラメーターが重要か」という膨大な試行錯誤の答え(コツ)を売ってくれたようなものだ』と主張していた。
双方の言い分に一理あり、どちらかを完全に否定することも、肯定することもできなかった。
「おそらく、大手の馬場工作やMOMといったライバル勢も、喉から手が出るほど欲しかったそのデータを買い取り、自社機体に合わせたチューニングに必死になっている最中だろうな」
「我がグループの2社も全く同じ状況ですよ」
「で、実際のところはどうだ? データを取り入れて機械の性能は改善したのか?」
問いかけられた技術担当の幹部が、手元の資料をめくった。
「ええ。提供されたデータ・50パターンごとに、何(精度・速度・耐久性など)を重視し、何を切り捨てているのか、その配分比率を徹底的にチェックしました。……お手元の資料の通り、驚くほど多角的な目的に振り分けられていましたね。これをバカ正直にすべて1台の工作機械に最適化して組み込もうとすれば、器用貧乏な駄作機になりかねませんでした」
「なるほど……一見すると万能に見えて、そのまま鵜呑みにすると沼にハマる、巧妙な罠か」
「ええ。ですので我が社では、現在の最新汎用自動機をベースに一部改造を施し、『表面性状特化機』と『難切削材特化機』の2種類の特別機として市場に投入する計画で進めています」
「フン、相変わらず食えない連中だ。姑息な罠を仕掛けおって」
会議の議題は続いて、Mマシナリーが構築し、すでにスムーズに運用されている『職人加工物評価・ランク付けサービス』と『突発依頼マッチングネットワーク』へと移った。この動きについても、幹部たちは事前に報告を受けていた。
「過去製品の詳細データが残っていたサプライヤー11社を対象に、切削加工品の仕上がりを追跡調査した結果……各種切削精度の向上はもちろんのこと、やはり『表面性状』の向上が目覚ましい数値を示しています」
「そうか……。連合は日本中の町工場のレベルを底上げをしつつ、突発的な依頼や難易度の高い高付加価値な仕事を、素早く最適な工場へ割り振るエコシステムを完成させたわけだ」
紙村グループほどの資本力とネットワークがあれば、同じような仕組みを作ることは技術的にも財政的にも可能だったかもしれない。
そして、もし構想はしていてもそれが他社ができなかった理由も、彼らは痛いほど理解していた。それは『財閥』のように、身内やグループ企業が株の過半数をガッチリと握っている構造でなければ絶対に不可能な戦略だったからだ。
15年間も新機種の開発を止め、それどころか自ら金を払って全国に人員を派遣し、高額なセンサーやデータロガーを無料進呈する。
そんな超長期的な投資であり、一見するとお人好しな慈善事業にしか見えない経営戦略――こんな無茶な案は、本当の意味での『身内』で固められた組織でなければ株主総会や取締役会を通過するはずがない。
単なる「提携関係のパートナー」が半数以上の株を握っている程度の生ぬるい関係では、赤字確実なこの狂気の暗黒期を乗り切る度量などあるはずもなかった。仲良く赤字の沼に沈もうと言われて頷く企業など、この世に存在しないのだから。
「とにかく、今から連合の真似をして追いかけるのは不論外だな。15年の歳月とデータの積み重ねに勝てる保証はどこにもない」
「はい。我がグループの2社においては、彼らから買った加工プログラムコードから『改善のコツ』の傾向を読み解き、他社より一歩進んだ解析とチューニングを施すことこそが最善かと」
トップの幹部は重々しく頷き、手元の資料を閉じた。
「よし。総括としては……今回の連合の動きによる『副産物』は、日本のサプライヤー全体の能力強化。そして『被害』は、自動加工機業界における開発競争の激化だ。紙村工機と紙村精密工業の2社は、足元をすくわれないよう十分に用心するように」
「了解しました」
日本の重工業を背負ってきた巨人・紙村グループすらも、連合が仕掛けた「静かなるカイゼン」の波を飲み込み、自らの糧として生き残る道を探るしかなかった。
ものづくりの街・名古屋の空に、初夏の冷たい風が静かに吹き抜けていた。