同日 愛知県 名古屋市 紙村グループ
15分ほどの短い休憩を挟み、紙村グループの幹部会議は次の議題へと移行した。
資料の束をめくりながら、一人の幹部が呆れたような苦笑いを浮かべて口を開く。
「……目と鼻の先にある三重の津市だが、そこの有線テレビ局(ケーブルテレビ)を連合が取り込んだようだな」
「ええ。現地からの報告書によると、かなり高度な大学レベルの学術内容を、バラエティ番組のエンタメスタイルを崩さずに配信しているそうです」
「だが、分からん」
別の幹部が首をひねる。
「教育インフラや人材育成という意味なら、連中はすでに全国にいくつもの私塾を持っているだろう。あの『日総職』を」
役員たちの素朴な疑問に対し、調査報告を担当する情報部門の幹部が静かに言葉を続けた。
「その番組の放送後アーカイブのリンクに、質疑応答などを行う匿名チャットサイトが開設されていました。そこから察するに、おそらくあの番組は『あの手の尖った学生に対する教育アプローチ』の実証実験の場にしているか、あるいは……私塾の学生たちの人間工学の実習の一環として使われている。我々はそう見ています」
「報告内容は見た。番組としては実に興味深い映像ではあったよ」
重鎮役員の一人が、手元の写真をコンコンと指で叩いた。
「だが、あのバラエティパートの検証実験は明らかにやりすぎだ。超高温環境に劇物薬品、さらには派手な爆破風景まで……。一体一回の撮影で何台の撮影機材や測定器をぶっ壊すつもりだ?」
すると、隣の席に座っていた男がフッと口元を緩めた。
「――『双璧アカデミー』に来ている、あの沖縄校の留学生ども……奴らの教材のためかもな」
『双璧アカデミー』。
日本の二大財閥である「紙村」と「河内」が手を組み、設立した私塾である。
連合が圧倒的なスピードで全国に教育インフラを構築していく事態に焦った政府から、「連合に対抗できる独自の教育機関を作ってくれ」と泣きつかれたのがきっかけだった。だが、紙村と河内からしてみれば、政府の威光を傘に『堂々と財閥主導の私塾を作る格好の口実ができた』程度の認識であった。
連合の私塾である『日総職(日本総合職業専門スクール)』が徹底した現場実務特化であるのに対し、財閥の『双璧アカデミー』は高度な理論と経営学に特化している。向かう方向性も組織の性格も完全な水と油だったが、両者は互いに「交換留学生」を出し合い、水面下で一定の交流を続けていた。
もちろん、お互いに組織の核心部分には絶対に触れさせない厳密なプロテクトを設けてはいる。それでも、方向性の異なる知性と接することで、双方が得る成果は莫大だった。
そして、話題に上った『沖縄校』。
そこは、連合が3年前に設立したばかりのまだ新しい4年制の校舎であり、一期生すらまだ卒業していない。
そしてこの沖縄校は、連合傘下の『Nメンテナンス』という企業を母体として設立された専門スクールだった。
Nメンテナンス――その名の通り、あらゆる工業製品、プラント、インフラの「メンテナンス」を専門とする企業だ。
その対象は、F金属工業の第2工場にあるようなビル数階分の超巨大圧延機から、溶鉱炉の極限環境で酷使された極小の電子基板に至るまで多岐にわたる。これらの技術を極限まで組み合わせれば、最終的に行き着く先は『工場丸ごと(プラント全体)のメンテナンス』という途方もない領域だ。
元々、Nメンテナンスは沖縄の地元で地場産業の工場設備を修理・保守していた中堅企業に過ぎなかった。そこに、連合の潤沢な資本とカイゼンシステムが流し込まれたのだ。
だが、いくら怪物的な連合と言えど、巨大な産業機械や極限状態で酷使された精密電子機器のメンテナンスノウハウなど、最初から持っていたわけではないのだろう。彼らはまずNメンテナンスの本業を支えつつ、D社をはじめとする連合傘下の各工場へ社員を派遣し、現場で泥にまみれながら修理技術を学ばせた。
連合が得意とする「マニュアル化」すら追いつかないカオスな状態が、現場では長らく続いていたのだのだろう。
すべては仮説だ。動き出しが遅かった理由を分析させて出て来た有力候補がこの内容であっただけだ。
「なるほどな……」
トップ幹部が頷いた。
「買収したあの地方のローカルテレビ局は、ただの綺麗な隠れ蓑。本質は、連合私塾の学生たちの情報伝達の実験場であり、番組で『酷使・破壊された機材』という最高の教材を自ら産み出しながら、ついでに放送事業で小金を稼ぐ。一石三鳥のシステムというわけだ」
「ええ。ですが……ただの優秀なプラントエンジニアリング会社で終わるなら、まだ脅威ではありません。本当に厄介なのは、その先です」
「――ああ」
幹部は深い溜め息をついた。
「青森校育ちの、半導体製造ラインを弄り倒したバカげた現場感覚を持つ学生を大量に抱えるB社。そして、このNメンテナンスと沖縄校の学生。……これらが組み合わさった時だ。半導体工場のプラントエンジニアリングから、内部の精密装置の保守までを『1社で完全にカバーしてしまう超巨大メガメンテ企業』が誕生する可能性がある」
「さらに言えば、以前、青森校では『稼働中の半導体ラインを、Kソフトウェア傘下の高知校の学生が実際にハッキングし、それを現場が防衛・復旧する』という狂気的な実習まで行っています。ここにKソフトウェアのサイバーセキュリティまで絡むと……もはや他社から見れば、奪われたシェアを取り返すには、どこを攻めればいいのかすら分からなくなりますよ」
ラインの製造装置、特殊配管、薬液タンク、高圧送電網、制御ソフトウェア、果ては検査・解析装置に至るまで――連合というひとつの生態系だけで、半導体工場のすべてを完璧に面倒を見ることが可能になってしまう。
もし、そんな怪物企業が完成してしまったらどうなるか。その影響範囲は誰にも読めない。
この統合企業は、最先端半導体工場の構造を文字通り「骨の髄まで」理解してしまうのだ。アメリカやアジア、欧州の半導体ジャイアントたちが、自国の最先端競争力の塊である工場内部を、そんな日本企業に見せるはずがない。
だが、だからと言って「型落ち(成熟世代)」の工場メンテナンスしか見せないようにガードしたところで、連合のA社やB社にとってみれば、その型落ち規格の工場や装置にすら学ぶべき知見や宝の山がゴロゴロ転がっているのだ。
となると、海外の大手半導体メーカーはどう動くか?
リスクを承知で、圧倒的に安く、圧倒的に即応性の高い連合のメガメンテに依頼するか。それとも、企業秘密の漏洩を恐れて断固として拒否するか――。
「……もっとも、連合自身がこのシナリオを読んでいないはずがないがな」
「ええ。ただでさえ世界中から警戒されている連中です。今さらそんな分かりやすい覇権プランを正面から打ってくるはずがない。やるならもっと遠回り……我々が気づいた時には、すでに全ての部位に『寄生』されていた、という状況を作るでしょう」
「既存の流通や生活インフラを侵食した『NEXA』や『GRID』、そしてスーパー『丸得』のように、ですね」
室内が一瞬、重い静寂に包まれた。
資料をパタンと閉じた役員の一人が、現在この「Nメンテナンス」の技術侵食を受けるリスクが最も高い自社グループの関連会社を示し、鋭い指示を出した。
「Nメンテナンスの本当の実力には、まだ不明な点が多い。だが、双璧アカデミーの報告によれば、沖縄校の学生は自動車製造ロボットのメンテナンス能力に加え、あのテレビ局で激しく損傷し『電子的にほぼ死んでいた』機材と同様の破損品をオーバーホールし、部品の打ち直しと組み換えだけで復旧させるほどの腕を持っているという」
役員は出席者たちの顔を順番に見回した。
「この圧倒的な現場力と便利さに甘えすぎると、我が社の現場から自社メンテナンス能力がいつの間にか失われ、最終的にNメンテナンスか、あるいは彼らの傘下企業に頼らなければ工場を稼働させられない体質に落ち込む。……さらに言えば、Nメンテナンスに仕事を依頼すればするほど、かつて最先端から自分で降りたはずの連合の元へ、莫大な依頼金と共に『世界最先端装置の知見』が勝手に転がり込んでいくことになる」
「まずは……そこへの防壁を固めることからですね」
「そうだ。『まずは』だ」
幹部は苦い表情で呟いた。
「連中の恐ろしいところは、この手に入れた泥臭い現場の力を、こちらの想像の遥か『外側』の用途に転用してくる可能性がいつでもあることなのだからな……」
ものづくりの王国・紙村グループの幹部たちは、遠く離れた沖縄と三重、そして青森で静かに芽吹きつつある「知と技術のネットワーク」の底知れぬ不気味さに、ただ静かに警戒の度を強めるのだった。