2046年 10月 静岡県 島田市
「203、206、301、303、403か……」
私はこのマンションで『共同管理人』をしている。
数ヶ月前までは、住む場所すら明日どうなるかわからない生活を送っていた。しかし、L不動産が差し伸べてくれた手が、私にやり直しのチャンスをくれたのだ。
『準老人ホーム』――。
特別養護老人ホームなどの施設に入るほどのまとまった蓄えはない。かといって、民間アパートの家賃が払えないわけでもない。だが、「高齢」「単身」「孤独死リスク」というラベルを貼られた瞬間に賃貸市場から門前払いを受けてしまう。そんな行き場を失った高齢者を専門で受け入れるのが、このマンションのコンセプトだった。
L不動産が中古で買い取った5階建てマンション。その最上階である5階の6部屋に、それぞれ1名ずつ計6名の『共同管理人』が入居している。
午前中、入居者たちに配られた専用デバイスが操作されると、私の部屋の壁に設置された電光掲示板に「本日の安否確認完了」のランプが点灯する。
もし午前中に点灯しなかった場合、午後に2回ほど電話を入れる決まりだ。それでも応答がなければ、共同管理人2名ペアでその部屋へ直接訪問する。そこでも返事がなければ警察へ連絡し、鍵を開けるという手順が淡々とマニュアル化されていた。
もちろん、旅行や帰省などで事前に不在の連絡を入れておけば、L不動産側のシステムで確認業務のスケジュールをフレキシブルに調整してくれる。
「村田さん、301号室の花尾さんが出ません」
私はローテーションで今日の対応ペアになっているもう一人の共同管理人へ内線電話をかけた。
『ええ、またですか? ……参ったな、今ちょうど欧州市場が開いたところなんですけど……』
電話口で苦々しい声を上げた村田さんは、同じくL不動産と月影証券が共同展開している『PTAプログラム(プロップ・トレーダー・アパートメント)』に挑戦し続けている男だ。定職を持たない(あるいは社会からあぶれてしまった)個人専業投資家に住居と資金を提供し、育成するプログラムなのだが、彼は落選続きだったらしい。
そこへ、投資家としての審査基準を一段落としたこのマンションの共同管理人(家賃補助付き)の枠が提示されたため、第一号の募集に飛びついたのだという。だから彼は、この6人の共同管理人の中で最も古株だった。
『……ハァ、よし。ストップロス(損切り注文)仕掛けたからいいですよ。行きましょう』
専門用語の意味はよくわからないが、準備ができたようなので部屋の玄関を開ける。1つの階に6部屋しかないので、横を向けばすぐに隣の部屋から村田さんが出てくるのが見えた。
二人で管理人たちが住む最上階から、エレベーターで3階の301号室へと向かう。
管理人が最上階に配置されているのは、ご老人たちへの配慮からだ。エレベーターは1基しかないため、もし災害や故障で止まった場合、階段の上り下りという負荷を若くて動ける管理人に背負わせる構造になっている。
ピンポーン。
「花尾さん! 管理人です!」
入居者の数はそれほど多くないため、誰がどんな特徴を持っているかは把握している。花尾さんは入居者の中でも特に高齢で、かなり耳が遠い。だから、金属製のドア越しに届くよう、あえて荒っぽい大声で呼びかけなければならないのだ。
3回ほど大声で名前を呼んだところで、ガチャリと静かにドアが開いた。隙間から花尾さんが顔だけを覗かせる。
「大丈夫ですか?」
「ああ……うん……大丈夫だよ」
とりあえず普段通りの様子だったので胸を撫で下ろす。
必ず二人体制で訪問するルールになっているのは、もし室内で倒れて急を要する事態だった場合、即座に担架で運び出すためだ。
「花尾さん、確認用にちょっと写真撮るよ。はい、ピース」
私は管理人用に配布されたタブレットの小型カメラを向けた。
管理人が部屋へ駆けつける際、L不動産の管理システムへ「対応中」のサインが送信される。これに対し、「実際に訪問し、入居者の生存を確認した」ことを証明するのがこの写真だった。私は冷やかすような機械的な作業にならないよう、努めて「記念撮影」のような明るい雰囲気を作るようにしていた。
対応が終わり、私と村田さんは再び自分たちの部屋がある最上階へと戻っていく。
「じゃ、お疲れ様でした」
「はい、お疲れさん」
共同管理人といっても、私たちがやるべきことはすべてマニュアルで緻密に決まっている。介護資格すら持っていない私たちが下手に踏み込んだケアをしようとすれば、かえってトラブルになりかねないからだ。
だから村田さんや他の管理人たちとも、顔合わせやチャットアプリでの業務連絡こそ交わすが、個人的に深く話し込んだことはほとんどない。
それよりも、彼らの関心は別のところにあった。夜の雑談チャットでは、私以外の5人がいつも「ナスダックがどうの」「為替ヘッジがどうの」という投資の話題で盛り上がっていた。全員がPTAプログラムの敗者であり、チャレンジャーなのだ。
「いつか、俺もL不動産の公式プロップトレーダーになって、こんなところで燻ぶってる生活から抜け出してやる……!」
村田さんはよくそう息巻いている。
ここまで見れば、このマンションは身寄りがなく、アパートすら借りられなくなった孤独な老人たちを救い上げている慈善事業のように見えるかもしれない。
だが、やっぱりそこは「L不動産」という企業のビジネスだった。
この物件には、明確な「リスク乗せ料金」が設定されている。
まず、私たち共同管理人6人の人件費や住居コストを回収するという名目で、この島田市の賃貸相場よりも10%から15%ほど高い家賃が設定されている。
さらに、万が一室内で孤独死が発生したとしても、この物件が「事故物件」として価値が落ちる(瑕疵割引される)ことはほぼない。最初から「そういうリスクを織り込んだ見守り付き物件」として契約させているからだ。それどころか、「特殊清掃費が発生した場合は積み増し請求したいほどだ」とL不動産の営業が以前ドライに語っていた。
さらに言えば、ここの入居者のほとんどは島田市民どころか静岡県民でもなかった。ただ、L不動産から『空いている物件はここ。家賃や条件はこれ。』と言われてやって来たのだ、私たちと同じように。
(老人ホームにも入れず、普通のアパートからも弾かれた老人たちから、相場より割高な家賃を取って囲い込む。……これは本当に、良いことなのだろうか?)
自問自答してみるが、答えは出ない。
L不動産だってボランティアでやっているわけではないのだ。手のかかるリスクの高い入居者を集めた物件である以上、相応の対価を取るのはビジネスとして当然だ。そして老人たちにとっても、家賃を払い続けている限りは「行き倒れて野垂れ死にする心配のない終の棲家」が保障されている。
こういう物件なら他の会社でもすでにやっている。
しかし、L不動産は月影証券とかいう会社と組んで、管理人枠にプロ投資家を夢見るが住処が確保できない者まで同時に拾い上げた。ある意味、村田さんたちもご老人たちと近い立場だ。
果たしてこれは、老人と投資家の夢を追う者という社会的困窮者たちを救う「救世主」なのか。
それとも、弱者の最後の蓄えを搾り取る「効率的なビジネス」なのか――。
私には、まだ分からない。