ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第134話

2047年 4月 東京 菅野工業本社

 

二大財閥(紙村・河内)以外にも、あの「連合」の異常な生産性と効率性を密かに盗み出そうと画策する大企業は存在した。

電気・機械分野において「何でも屋」と揶揄されながらも、産業用ロボットから小型白物家電まで幅広く手掛ける巨大グループ企業――菅野工業である。

 

その傘下の一社であり、自動車内装部品の製造を担う「菅野モビリティ社」。

製造管理部長の藤岡は、自室のデスクで数枚の報告書を前に、深く溜め息をついていた。それは、彼が社運を賭けて連合傘下の製造企業へ潜入させていた「スパイ社員」からの極秘レポートだった。

 

菅野工業グループの中でも、自動車内装部門は特に利益率が低く、現場の効率化が急務とされていた。さらに現場叩き上げの藤岡が「常に自力でカイゼンを模索している」という社内評価も手伝って、菅野モビリティが今回の潜入工作の主幹に抜擢されたのだ。

 

「……ふう。ひとまずはバレずに帰還できたか」

 

報告書をめくりながら、藤岡は胸を撫で下ろした。

工作には細心の注意を払っていた。菅野工業から連合企業へ直接転職し、再び菅野へ戻ってくるなどというあからさまな履歴は自殺行為だ。かといって、往復両方で架空のアリバイ会社を何社も挟むほどの時間的・資金的余裕はない。一度潜入させた社員が連合の厳格な採用面接で落ちてしまえば、ただ無駄にキャリアを汚して終わるリスクもあった。

 

だからこそ、工作は「復帰時」だけに絞った。

連合を退職させた後、一度まったく無関係な地方の中小製造業へ転職させ、そこに数ヶ月在籍させた上で、中途採用として菅野モビリティへ呼び戻したのだ。古典的だが確実な履歴のロンダリング(洗浄)である。何十万人もの社員を抱える巨大な連合だからこそ、すでに退職した人間の「転職先からその先」まで完璧に追跡スクリーニングできるはずがない、という踏み込みだった。

 

「よし……まずは、奴らの“製造管理”の実態からだ……」

 

藤岡は報告書に目を滑らせた。

しかし、読み進めるにつれて、彼の額には嫌な汗が滲みはじめ、猛烈なめまいに襲われた。

 

そこに書かれていたのは、藤岡の知る「製造業の常識」を根底から覆す、あまりにも不気味で“緩い”現場環境だったからだ。

 

まず、根本的に『始業時間』の概念からして違っていた。

一般的な製造現場で「9時操業開始」と言えば、8時半には出社して準備を整え、9時ちょうどのチャイムと同時にコンベアラインが動き出し、製品が流れ始める状態を指す。

しかし、連合の工場では「9時」とは『9時に準備(朝礼や点検)を開始すること』を意味していた。スパイ社員が記録したライン稼働時刻のヒストグラムによれば、実際のライン操業開始時刻は「9時25分から9時35分」の間に集中していたという。

 

連合にとって重要なのは「作業員を何時間拘束して動かしたか」ではない。

『定時(終業時刻)までに、あらかじめ計画された生産個数を確実に作り終えたか?』――ただそれ一点なのだという。労働者がきっちり8時間丸々作業ラインに張り付いていたかどうかなど、経営陣は誰も見ていないのだと。

 

「……めちゃくちゃだ……」

 

藤岡は思わず頭を抱えた。

根本的に見ている指標が違う。これは、労働者側――特にネットの掲示板やSNSで蔓延している「労働者の理想論」そのものではないか。

要するに、「時間内に約束したアウトプット(計画数)が完了していれば契約履行。できていなければ不履行」。ただそれだけだ。だが、取引先(クライアント)の目線を考えた瞬間、その異常な割り切りが途端に狂気的な合理性として浮かび上がってくる。

 

取引先にとっても、供給元の工場が1日何時間ラインを動かしたかなど、単なる補助情報に過ぎない。本当に重要なのは「提示した納品計画をどれくらい正確に履行できたか否か」だけなのだから。

 

だが、藤岡にとって真に恐ろしかったのは、『そのユルユルの労働感覚で、なぜ狂いなく計画個数を叩き出せるのか』という現場の運用システムだった。

その核心部分は完全なブラックボックスだったが、手がかりとなる極めて重要な記述が報告書の中盤に存在した。

 

『作業者は全員、作業服の胸部分に小型ボディカメラの装着を義務付けられており、作業中の映像と音声が常時記録されている。これは不良品の発生原因解析だけでなく、作業効率の向上、さらには現場でのハラスメント防止の証拠としても運用されている』

 

「……なるほどな」

 

藤岡は膝を打った。

工場の天井に高価な監視カメラを数台取り付けるよりも、現場で動く数百、数千の作業員一人ひとりにカメラを装着させれば、「不良解析」「カイゼン」「コンプライアンス(防犯)」という一石三鳥の効果が生まれるわけだ。

なぜ潜入社員がこの用途を正確に把握できたかといえば、彼自身が実際にその映像を使った「指導」を受けたからだった。

 

報告書には生々しい事例が記されていた。

 

『16時半ごろ、専門の解析担当社員がやって来て、「331番と420番の製品で部品の取り付け忘れが発生しました。あなたの担当区画です。そして、こちらがその時のあなたの胸元カメラの映像です。何が問題だったか分かりますか?」と尋ねられた』

 

ミスが発生した以上、通常ならここから地獄の残業が始まる。

しかし、連合では「ミス発生時のヒアリングは絶対に30分以内に終了させる」という鉄のルールがマニュアルで決まっていた。

 

「……たかがマニュアルだろう?」と、藤岡は毒づきたくなった。

だが、報告書の注記にはこう断言されていた。

『連合企業にとって、マニュアルは社長の命令すら超越する“絶対の聖典”である。そのため、反省会(ヒアリング)は必ずストップウォッチで厳密に計測される』

 

ヒアリングの内容も、作業者個人の注意不足や能力不足を責めるような精神論は一切排除されていた。

「なぜその瞬間に手が止まったのか?」「部品の配置がやりにくかったか?」「工具のコードが邪魔だったか?」といった「環境側の問題」だけを淡々と洗い出しつつ、現場写真を撮りまくる。

そして、ストップウォッチのアラームがピピピと30分を告げると、解析担当者は『時間になりましたので、今日の確認はこれで結構です。お疲れ様でした』と言って作業者を定時で帰らせるのだという。

 

「……未解決のまま、原因究明を打ち切って帰すだと……? 正気か?」

 

藤岡は戦慄した。

「どんな小さなミスでも、その日のうちに原因を突き止めてカイゼンしろ」――それが日本の誇るものづくり現場の伝統であり、正義だったはずだ。製造業のみならず、サービス業であってもそれは変わらない。

だが、連合はあえて原因不明のミスを「放置する」という選択を取っていた。

 

『30分間で判明しなかったミスのデータは、専門の解析部署へ転送されて分析に回されます。「現場の30分で分からないミスを、疲弊した作業者と考え込んでも時間の無駄である」とし、現場は30分で切り上げます。その後、解析部署が検証しても未解決なら、データにエラータグ(ラベリング)を貼ってそのままシステム上に保管されます』

 

……なるほど。厳密には「放置」ではないのだ。

ラベリングされたミス映像は、検索可能な巨大なデータライブラリへ蓄積・共有される。もし他の工場や別のラインで類似のミスが発生した際、AIが過去の動画データベースから即座に類似ケースを引用し、パターン分析するための「教材」として保存されているのだった。

 

「……連合は、『理想屋』だ」

 

藤岡は報告書を机に叩きつけ、深く背もたれに体重をかけた。

 

始業時間の柔軟な捉え方と、ミスの合理的処理。

この2つの要素だけでも、彼らが描く「理想の工場経営」の匂いが猛烈に漂ってくる。

彼らは「理想論」をただ夢見るのではなく、テクノロジーと徹底的なマニュアル構築によって、「理想論をそのまま現場に落とし込む構造(システム)」を作り上げているのだ。

 

だが――そのからくりに気付いたところで、明日から自社で真似することなど口が裂けてもできない。

下手すれば、連合と同じ15年という歳月と莫大な資本を投じたところで、表面的な真似事すらできずに現場が崩壊する可能性もある。

 

何より、連合の真似が不可能な「決定的な理由」がもう一つあった。

 

連合傘下の企業の多くは、再編の過程で既存の無理な取引契約を一度、違約金を払ってでも破棄・リセットしている。

つまり彼らは、『自分たちの理想論経営で無理なく対応できる受注量(キャパシティ)に合わせて、事業のスケールを自由に調整できる状態』からスタートしているのだ。

 

対する菅野モビリティはどうか?

既存の自動車メーカーからの厳しい納期圧力を受け、新人作業員なら目を回すような過酷なライン速度で、毎日残業寸前まで追い詰められてようやく計画数を達成しているのが現実だ。

この切羽詰まった状況で、現場に「明日から連合式の緩い始業時間と合理的ヒアリングを試しましょう」などと言えるはずがない。そんなことを試した瞬間、納期の遅延が発生し、菅野工業グループ全体の信用が失墜する。

 

真似をするとすれば、既存のラインを維持しつつ、完全新規の実験工場ラインをゼロから立ち上げるしかないのだ。

 

「……ハハ、冗談じゃない」

 

藤岡は暗い天井を見上げた。

今の菅野工業グループに、そんなギャンブルに投じるための財政的余裕も、精神的余裕も残されているはずがなかった。

 

「盗むことすら許されないか……」

 

圧倒的な差を突きつけられた藤岡の呟きは、誰にも届くことなく、無人の執務室に虚しく消えていった。

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