2048年 5月 東京 河内証券本店
二大財閥の一角であり、日本の商業・金融を牽引してきた河内グループ。その対面型証券の総本山である河内証券の本店執務室で、役員の一人が手元の端末を見つめたまま、忌々しそうに舌打ちした。
同グループ内には、手数料の安さを売りにした「河内スマート証券」というネット証券会社も存在する。対面型であるこちらの河内証券は高コスト体質が嫌われ、年々その業績規模を縮小させていた。そこへ追い打ちをかけるように、またしても「連合」の放った不気味な一手が一閃したのだ。
「ちっ……月影証券のあの“ネタETF”が、また最高値を更新したのか……」
画面に表示されているのは、月影証券が連合の傘下に収まって数ヶ月が過ぎた頃に組成された、怪しげなアクティブ運用型ファンドだった。
その名も、『決算理不尽ETF』。
「よくもまあ、こんな悪ふざけのような商品名でJPX(日本取引所グループ)の審査が通ったものだな……」
役員は思わず呆れ声を漏らした。
役員の愚痴の通り、ほとんどの主要なネット型および対面型の証券会社では取引不可扱いになっているこのETF。ほぼ月影証券と数社程度の取り扱いだ。
だが、その運用ロジックは拍子抜けするほどシンプル、かつ冷徹だった。
前年同期比で「営業利益」がしっかりと伸びているにもかかわらず、決算発表後のわずか3日間で一定割合以上大きく売られて急落した銘柄だけを集めて買い叩く、というものだ。
株の世界ではよくある光景だ。アナリストたちの事前予測(コンセンサス)にほんのわずか届かなかったというだけで売られる株もあれば、コンセンサスを完璧に上回って過去最高益を出したのに「材料出尽くし」などという理不尽な理由で叩き売られる株も存在する。
その「市場の感情的で理不尽な過剰反応」によって叩き売られた優良株を、底値で拾い集めるというコンセプトだった。
もちろん、個別に見れば「いくら好決算でも、今後の見通しが悪すぎて売られて当然」という罠銘柄も含まれている。
しかし、このETFの構成銘柄上位に並んでいるのは、日本を代表するような名だたる大企業ばかりだ。
まだ過去の目論見書のPDFデータが残っている5年前からずっと手放さずに組み入れ続けられている上位銘柄すら幾つか存在した。もしその銘柄群を一切売却せず買い続けていたと仮定すれば、その平均含み益は『+553%』という驚異的な数字に達している計算だった。
「……会社の営業利益が伸びている、つまり本業は確実に成長しているという動かぬ事実がある。ならば、決算直後の3日間のパニック売りは、単なる“バーゲンセール”と割り切って買い漁るというわけか」
月影証券がネット証券事業へ参入した当初、彼らの「注文画面インターフェース案」を金融庁のグレーゾーンを突いてほぼ丸パクリしていた事件があった。河内グループがそのパクリ騒動に目を奪われている陰で、連合・月影証券はこの異様なETFを静かに市場へ放ち、じっくりと育て上げていたのだ。
「9年前の発売当時の価格は1口200.0円、0.1円刻みでした。それが今や、1033.9円まで跳ね上がっています」
部下が提示したデータを前に、役員は苦い顔をした。
もちろん、ただ買い抱えるだけでなく、業績が真に悪化した銘柄の除外や入れ替えも定期的に行われているようだ。ただし、そのリバランスの明確な基準は当然ながら連合の最高企業秘密に属する。
JPX側も、上場維持基準に反するような主観的すぎるルールではないからこそ、9年もの間この商品を市場で泳がせてきたのだろう。
「パンフレットの表紙も、例によって連合がお気に入りのオタク向けアニメキャラのイラストですよ」
部下が差し出したカラーのパンフレットには、ポップなキャラクターが指を指しながらこう宣伝していた。
『営業利益がこんなに伸びてるのに、理不尽に下がっちゃった! これはもう、買ってみるしかないよね♪』
「……ふざけおって」
購入手数料(信託報酬)は年間2.2%と、ETFとしては破格の高値に設定されている。
だが、それも当然だった。構成銘柄は常時400社近くに及び、決算データだけでなく、その後の株価推移やIR開示情報までAIとアナリストがリアルタイムで追跡し続ける超高コストなアクティブ運用なのだから。
それでいて、この驚異的なパフォーマンスを叩き出し続けているのだ。
最近ではネットの投資掲示板やSNSで「神ETF」「理不尽買い最高」と話題を呼び、個人投資家の資金が大量に流れ込んでいた。
そしてついに、伝統と格調を重んじるこの河内証券本店の役員会という、最もそぐわない場にまで議題として持ち込まれる事態となったのだ。
「……最近、我が社の富裕層顧客からも『あのアニメ柄のファンドと同じような商品を作れないのか』という問い合わせが相次いでおります。我が社でも類似のETFを組成する予定はないのでしょうか?」
営業部門の幹部が恐る恐る切り出した。対面型証券の太客である富裕層から直接指名が入る以上、経営陣としてもシカトを決め込むわけにはいかなかった。
しかし、リスク管理部門の担当者が冷静に口を挟む。
「ただし、あちらの商品にも明確な陰り……いわゆる『資金量の壁』が存在します」
「……運用資産残高の壁か」
「ええ。現在はまだ300億円規模の中途半端なファンドだから機能していますが、これが1,000億円、1兆円という巨大ファンドに成長した瞬間、中小型株に投入できる資金量が上限(市場の流動性)に達してしまい、狙った銘柄を適切な価格で拾えなくなります」
この『決算理不尽手法』にも当然、致命的な穴はある。
いくら好決算なのに理不尽に売られたからといって、その後に株価が必ず反発する保証などどこにもない。
だが、「経営自体は健全である」と市場が冷静さを取り戻せば、決算から数ヶ月後に何事もなかったかのように元の高値へ戻っていく銘柄が一定数確実に存在する。
つまり、10銘柄程度をピンポイントで買っただけでは、運悪くすべてハズレ(戻らない株)を引き当てるリスクが極めて高いのだ。
100銘柄以上に資金を分散して撃ちまくり、1銘柄の大当たりと20銘柄のそこそこの値上がりを拾い、明確に大ハズレと判定された銘柄は損切り基準に従って機械的に切捨てる――。とても素人の個人投資家が真似できる芸当ではない。
それを、年間2.2%の手数料で代わりにやってくれるというわけだ。
「好決算下落銘柄を自動選定し、24時間監視・運用してくれる。その代行費用が2.2%……しかも注記には『運用規模に応じて手数料率を見直す可能性がある』とまで書かれているな」
「ファンドの銘柄数や資産規模の拡大に合わせて、手数料を変動させる気でしょうね」
顧客から「河内でも同じような商品を作れ」と突っ突かれているが、河内証券の本音を言えば、『絶対に作れない』が答えだった。
「資金の壁」という問題ひとつとってもそうだ。
業界内では中堅に過ぎず、このETF自体も中規模である月影証券に対し、河内証券は日本最大級の金融コングロマリットである。
河内がもし本気で類似商品を作って売り出せば、個人投資家の遊び金レベルではなく、富裕層や法人顧客からの「本気の億単位の資金」が一気に雪崩れ込んでくる。
そうなれば、運用を開始したその瞬間に「資金量の壁」にぶち当たり、中小型の好決算株を買い占めて自ら株価を吊り上げてしまい、運用手法そのものが自己崩壊を起こすのだ。
「小回りの利く中堅証券のフットワークと、連合の冷徹なデータ解析能力……。この2つが揃って初めて成立する狂気の集金システムか」
役員は深く椅子に沈み込み、ため息をついた。
大富豪の資産運用としては扱えないが、庶民の小遣いを確実に吸い上げながら、市場の歪みをあざ笑うように利益を出し続けるアニメ柄のETF。
河内証券の幹部たちは、自分たちが築いてきた巨大な金融帝国の足元で、また一つ新しい「連合の集金システム」が完璧に稼働している現実に、ただ唇を噛みしめるしかなかった。