同日 東京 河内証券本店
「……で、そのネタETFは真似できないから放置、ということで決着だな?」
役員の一人が、会議室の沈黙を破るように吐き捨てた。
「はい。金融学的な根拠も明確に存在しますので、富裕層の顧客へは『資金規模と市場の流動性に関する構造上の限界』としてご説明するしかありません」
それに、月影証券のあの『決算理不尽ETF』が今になってネットやメディアで大きな話題になれば、9年間も右肩上がりを続けているという実績を買って、取扱(売買解禁)を開始する競合証券会社が雪崩を打って増えるはずだ。
そうなれば、元々の発行元である月影証券側にそれを拒否する権利はない。キャパシティを超える多額の外部資金が一気に流れ込み、あのファンドの運用がどこまで耐えられるかを高みの見物で観測する――それこそが、メガ証券である河内にとって最もダメージの少ない対応策と結論付けられた。
「まあいい。で、今回は確か“新商品”の決裁会議のはずだ。ライバルのネタETFの話題が出て、その上で我が社は真似をしない。ならば、今日はどのような商品を我が社から世に出すための会議なのだ?」
役員の問いかけに、商品開発部門の担当者が背筋を伸ばし、一歩前へ出た。
「はい。本日ご提案させていただきますのは――『半導体ETF』でございます」
「……君ねぇ。そんなETFなど、日本市場どころか我が河内グループにすら既に何本もあるだろう」
役員があからさまに失望の溜め息をつく。だが、担当者は不敵な笑みを崩さなかった。
「はい。ですので、従来の全方位型とは少し切り口を変えます。私が本日ご提案いたしますのは……『半導体製造ETF』『半導体装置ETF』『半導体消耗品ETF』の三本同時上場でございます」
「……三本?」
「はい」
担当者は、手元のプレゼン資料をテーブルの上に三つ並べた。
「一般的な既存の『半導体ETF』では、半導体の設計企業、製造企業、製造装置メーカー、材料メーカー、洗浄関連、特殊ガス、クリーンルーム関連までを、すべて『半導体関連』という一つの大きな枠組みでごった煮にして組み入れます」
「それが金融業界の普通だな」
「ですが、現実の産業構造において、それぞれの株価を動かす“先行指標(ファクター)”は微妙に違います」
「ほう……?」
「半導体そのものの『製品需要』、それを生産する工場の『設備投資』、そして工場を24時間稼働させ続けるために消費される『材料・消耗品』。この三つは、同じ半導体産業の中でも資金が流れ込むタイミング(時間差)が明確に異なります」
担当者は、一枚目の資料を指で叩いた。
「まず、一つ目の『半導体製造ETF』です。これは文字通り、実際に製品を製造するファウンドリやIDM企業を組み入れます。主に製品の市場需要、販売価格(市況)、在庫水準、そして工場全体の設備稼働率の影響をダイレクトに受ける銘柄群です」
続いて二枚目。
「次が二つ目、『半導体装置ETF』。こちらは製造装置や検査装置を供給するメーカーに特化させます。このセクターは、新工場の建設や大規模な設備更新(技術ノードの移行)の影響を先行して受けます。例えば、新しい製造規格が登場して既存ラインの全面買い替えが発生した場合や、大手製造メーカーが新工場を建設する際、実際の製品が刷り上がる遥か手前の段階で、装置メーカーへ莫大な設備投資資金が集中します。つまり、半導体そのものの需要が伸び始める前に、装置側の株価に資金が流れる可能性があるのです」
そして担当者は、最後の資料を前に突き出した。
「そして三つ目が、『半導体消耗品ETF』です。対象は超高純度化学薬液、特殊ガス、シリコンウェハ、研磨材、精密フィルターなど……工場を動かす限り、そして製品を一気通貫で作る度に絶え間なく消費される部材メーカーです」
担当者は一瞬、言葉を溜めた。
「例えば、半導体製品そのものの需要が不振で市場在庫がダブついていたとしても、在庫調整の最終段階に入り、メーカーが生産再開へと舵を切り始める局面なら……製品や装置よりも先に、まず『消耗品』へ需要が戻り始める可能性があります」
「……なるほど」
「製造能力そのものを拡張するフェーズなら『装置』。実際の製品需要が本格的に爆発すれば『製造』。そして稼働の兆候や維持なら『消耗品』……」
「つまり、同じ『半導体』という括りであっても、今産業のどのフェーズに世界中の資金が流れているのかをピンポイントで切り分けて観察できる、と」
「その通りです」
役員は三枚の資料を見比べ、唸り声を上げた。
「……これなら、景気循環(半導体サイクル)の局面によって、三本のファンドの値動きに明確な時間差やコントラストが生まれるわけか」
「もちろんです。毎回きれいに教科書通りの順番で動くとは限りません。ですが、従来の全方位型半導体ETFでは互いの値動きが相殺されて埋もれてしまっていた『ミクロな差』を、独立した投資商品として市場に切り出す意味は十分にあります」
「海外企業も組み入れるのか?」
「はい。国内上場企業だけに限定はしません。日本企業は装置や消耗品分野では世界屈指のシェアを誇りますが、先端製品の『製造(ファウンドリ)』となると銘柄数が少ないため、どうしても海外の巨頭を組み入れる必要があります」
「ふむ……それなら商品として三本とも十分に成立するな」
役員は資料をめくりながら、顎に手を当てて考え込んだ。
「従来の普通の半導体ETFなら、『半導体産業全体がこれから伸びるか否か』という大雑把なギャンブルに賭けることになる」
「はい」
「だが、この三本なら……『今、半導体産業の“どこ”に資金が流れ込んでいるのか』という局地戦に賭けられる」
「まさにその違いでございます」
「……面白いな」
役員は三つのファンドの仮称をもう一度口の中で呟いた。
――『半導体製造ETF』
――『半導体装置ETF』
――『半導体消耗品ETF』
「ただし、営業部門の出す投資家向け説明資料では厳重に注意しろよ」
「何でしょうか?」
「『製造が先、装置が次、消耗品が最後』みたいな、出来レースのような単純すぎるストーリーとしては絶対に売るな」
「重々承知しております」
「現実の半導体産業は、そんなに綺麗には動かん。世界的な設備投資と在庫調整が同時に重なることもあるし、製品需要が冷え切ったまま特定の先端規格だけ設備更新が突貫で進むこともあるからな」
「ええ。だからこそ、一つの指数にまとめず、三本に分解して別々に上場させる意味があるのです」
「よし。商品開発部、三商品とも大至急具体化を進めてくれ」
「はい! ありがとうございます!」
こうして河内証券は、世の中に溢れる「半導体」という大雑把な括りを三つに解体する、これまでにない商品開発へと舵を切ることになった。
しかし――担当者の胸の中には、役員会では口が裂けても説明しなかった「もう一つの野望」が存在していた。
あまりにも突拍子もなく、成功する確率が低い妄想に過ぎなかったからこそ、社内の誰にも話さなかった秘密の仮説。
(……三つのETF。製造、装置、消耗品。いわば、半導体産業全体を三枚におろしたようなこの商品群……)
(……これ、もしかすると金融史上で“世界初”になるんじゃないか?)
当然、企画段階で調べられる限りのデータベースを検索し、世界中の市場に類似の概念の既存商品が存在しないことは確認済みだ。
だが、世界中のあらゆるマイナーな金融商品を完璧に調べ尽くしたわけではない。「世界初」などと軽々しく社内で宣言して、後から海外の既存ファンドが見つかれば恥をかくだけだ。
それでも――この「三点セット」そのものが世界のどこにも存在していないという事実は、担当者に一つの強烈な問いを抱かせていた。
ウォール街や日本の競合他社は、半導体ETFを設計する際、単に自社端末で『Semiconductor』と検索し、時価総額が大きい順に並べてパッケージングしているだけなのではないか?
もちろん、現実にはそこまで単純ではないだろう。流動性リスクや業績、地域のバランス、インデックスとしての連動性を計算して高度に組成されているはずだ。
だが、それでも。
「半導体産業という巨大なサプライチェーンそのものを、製造・装置・消耗品の三層に分解して観測する」という発想で作られたファンド群は見当たらない。
そして、もし――。
この三つのETFが市場に上場した後、それぞれの値動きに統計的かつ明確な「時間差(タイムラグ)」が現れたとしたらどうなるか?
『製造ETF』が跳ね上がる前に、必ず『装置ETF』が先行して動き出す。
『装置ETF』が天井を打った数ヶ月後に、『消耗品ETF』の取引量がピークを迎える。
あるいは逆に、『消耗品ETF』が底を打って微増し始めた数ヶ月後に、遅れて『製造ETF』が追随する――。
そんな再現性のある相関関係が、市場データとして何度も観測されたとしたら?
(……これ、世界中のどのシンクタンクのレポートよりも早く、“リアルな半導体需要の予測”に使えるんじゃないか……?)
担当者は、誰もいない帰り道の廊下で小さく呟いた。
ETFはあくまで投資商品だ。未来を予言する水晶玉ではない。
それでも、世界中の数千・数万の投資家の思惑と資金、そして企業のリアルな買収・発注データが即座に反映される「株価の集合体」だからこそ、個別企業の単発の決算発表よりも遥かに早く、市場参加者の総意(期待と予兆)を拾い上げる可能性がある。
そして、三つに分解したからこそ――その期待が今、産業の「根」「幹」「葉」のどこに集中しているのかが、一目で視覚化されるのだ。
(もし……)
自分でも馬鹿げた空想だと思いながら、担当者はその先の未来を想い描く。
もし、我が社が売り出したこの三つのETFの値動きと、世界の実際の半導体需給データとの間に、統計的に無視できない強力な先行関係が見つかったなら。
もしそれが一回きりのフロックではなく、景気循環のたびに何度も再現されたなら――。
『我が河内証券は、世界で唯一“半導体需要の先行指標”を自社で所有・コントロールしている』ということになる。
証券会社が顧客のために作った単なる投資商品が、世界のハイテク産業の未来を占う「コンパス(羅針盤)」へと昇華する瞬間だ。
投資家が買い、市場が値段をつけ、その値動きを河内証券がAIでリアルタイム解析し、半導体産業の先行きを誰よりも早く察知して自社の自己売買(プロップ)やアナリストレポートで市場を支配する――。
「……いや」
担当者はぶんぶんと首を振った。
「そんな都合よくいくわけがないだろう」
そもそもETFの価格は市場の気まぐれで動く。地政学リスク、世界的な金利動向、為替、そして投資家の根拠のない恐怖や歓喜に常に振り回される。
仮に三つのETFに綺麗な時間差が現れたとしても、それが本当に「実体経済の需要の先行指標」なのか、単なる金融市場の投機的なマネーゲームの癖に過ぎないのかなど、誰にも証明できはしない。後からデータをつじつま合わせで解釈するだけなら、統計学の遊びでいくらでもできてしまうのだから。
「あり得ない。妄想だ」
それでも――担当者は、カバンに仕舞った三枚の企画書をもう一度思い浮かべた。
(……だが、もし。万が一にでも機能したなら……)
夜のオフィス街を見下ろす窓に映った自分の顔。その口元が、ほんの一瞬だけニヤリと緩んだ。
(あの連合の鼻を明かし、我が河内証券が世界のハイテク金融の主導権を握る“先行指標の覇者”にのし上がれるかもしれない……)
「……まあ、ほぼ100%あり得ないだろうけどね」
担当者は苦笑しながらコートを羽織り、照明の落ちた執務室を後にした。
その破天荒な野望は、まだ誰一人として知らない。