2049年 4月 東京 東京総合経営技術情報社
「――では、こうしましょう。」
画面越しのオンライン会議。佐賀県にある「佐賀みらい銀行」の融資課、そして鳥栖市にある小さな商店街で靴屋を営む初老の店主。その2人の命運が今、この画面の向こう側に託されていた。
鳥栖市は佐賀県内でも屈指の人口を誇る街だ。しかし、昔ながらのアーケード商店街にやってくる客足は年々途絶え、郊外の幹線道路沿いに建つロードサイド店舗が市場を完全に牛耳っていた。
ましてや靴など、アパレルと一緒に大量生産・規格化された安価な既製品を買うのが消費者の当たり前となっている。
そこに、このコンサルティング担当の中井が提示した新たなビジネスモデル――それは、『リモート・革靴オーダーメイド』であった。
「ですが、オーダーメイドの革靴となると……そもそも需要の絶対数自体が少ないのでは……?」
銀行の融資担当者が不安そうに口を挟む。中井は落ち着いた声で返した。
「ええ、鳥栖市内だけで見れば極小でしょう。だからこそ、全国のWeb市場を対象にするのです。……旦那さん、店舗でオーダーメイドの靴を作る時、一番手間がかかるのは『足型(ラスト)』の作成ですよね?」
「は、はい。木製や樹脂のものを削り出して作りますが……」
「では、こうしましょう。購入希望者にはまず、自宅で自分の足裏の『魚拓(インクペーパー)』を取ってもらいます。それに加えて、スマートフォンのカメラで自分の両足を左右・真上・斜めの指定アングルから撮影し、データを送信してもらうのです。」
「……つまり、足裏の魚拓から正確な寸法の縮尺を割り出し、写真から足甲の高さや幅を立体的に逆算して木型を削り、靴を作る……ということですか?」
「その通りです。おそらく旦那さんご自身は『そんな方法で完璧な一品が作れるはずがない』とお考えでしょう。……ええ、その通りです。完璧なフィット感を求めるお客様は、数十万円を払って本物の高級ビスポーク店へ足を運べばいい。
デジタル逆算では当然、数ミリの微妙なズレが出ますし、足の細かい凹凸や骨の癖までは再現できません。ですが、『そこが本サービスの限界であり、だからこそそれなりの値段で簡易オーダーメイドが手に入る』と、事前にランディングページで明確に謳っておくのです。その限界を理解した上でサービスを受けるかどうかは顧客の自由です。なにも1億人全員の靴需要を掴めとは申し上げておりません。」
画面の向こうで、銀行員と靴屋の主人の顔に、わずかながら生気が戻ってきた。
「ただし――このサービスが本当に成功するかどうかは、実際に運用してみないと分かりません。」
中井は、期待を膨らませすぎないよう冷ややかに付け加えた。
「いかがでしょうか?」
「はい……! すぐに持ち帰って、具体的なコストを検討します!」
主人の声には、先ほどまでの「廃業を待つだけ」だった諦めは綺麗に消え失せていた。
埃を被った古い店舗。
右肩下がりで減り続ける売上。
重く積み上がる毎月の赤字。
そして、金融機関の目線では返済される見込みが薄くなりつつある焦り。
銀行側にとって、この靴屋はすでに「不良債権」のカウントダウンに入っていた。
そこへ、まだ成功するかは未知数とはいえ、融資を継続するに足るロジカルな「事業計画書」が手に入ったのだ。
もしこの『魚拓&スマホ撮影による簡易オーダーメイド』が成功すれば、このスキームそのものを全国の衰退した靴屋へ横展開し、プラットフォームとしてチェーン化することすら可能になる。
だが――それもまだ、遥か先の話だ。
今の段階では、全国展開どころか、この鳥栖の一店舗が本当に黒字を出せるかすら誰にも分からない。
そして『東京総合経営技術情報社』にとっても、これは数ある案件の中の、ごく一例に過ぎなかった。
同じように、
「赤字の個人商店をどうにか再生したい」
という相談が別の金融機関から舞い込めば、今回と同じ思考フレームワーク(発想)を提示することになる。
当然のことながら、今回の靴屋の主人から得た個人の機密情報や経営データを、そのまま別の顧客へ漏洩させるような真似はしない。
だが――そこで生まれた「一般化可能な経営手法(解法スキーム)」まで、たった一店舗のためだけに封印する必要もなかった。
もし靴屋側が、
『この革新的なオーダー手法を、他店には絶対に横展開させないでほしい』
と強く望むのであれば、ノウハウの独占ライセンス契約を結ぶという選択肢もある。
しかし、そのためには相応の巨額のライセンス対価が必要となる。
まだこのサービスが事業として成立するかどうかすら分からない段階で、地方銀行も、靴屋の主人も、そしてコンサル会社自身も、巨額の現金を賭けるつもりなど毛頭なかった。
今はただ、定められたコンサルティング相談料を着実に受け取る。
それだけでいい。
成功したら、その時に次の契約(手数料率アップやプラットフォーム化)を考えればいいのだ。
「まずは、一店舗で小さく試してみましょう。」
中井はそう静かに告げ、オンライン会議の接続を切った。
――これこそが、『七岡グループ』の冷徹なやり方だった。
まだ存在すらしていない成功の果実を、最初から高値で売り買いしようとはしない。
まず極小のコストで試す。
成功したら、その知見(データ)をアセットとして次の案件へ転用する。
失敗したら、最小限の損害で即座に撤退する。
だからこそ彼らは、裏に控えるリソースを秘めながらも、決して無謀なギャンブルに手を染めなかったのだ。
この『東京総合経営技術情報社』は、地方の個人商店から中堅企業まで、多種多様な再生案件を引き受けている。
しかし、大企業相手にはそもそも認知度もなく、表舞台の露出を増やしたところで相手にされない――金融業界においては、そういう「日陰の立ち位置」を保っていた。
「お疲れ様、中井くん。」
「ありがとうございます、部長。」
会議を終えたばかりの中井に、自販機で買ってきたばかりの缶コーヒーを手渡したのは、コンサル営業部長だった。
「いやあ、都内の高級惣菜スーパーに、千葉の体験型遊園地、そして今度は佐賀のリモートオーダーメイド靴屋か。よくもまあ次々と面白いアイデアが湧いてくるものだ。……ふふ、さすがは『連合・仙台校』の出身だけのことはあるな。」
宮城県仙台市。そこは、かつて連合が買収した「月影証券」の発祥の地であり、今なお本店(買収前から変わらぬ閑古鳥の鳴く対面型の地場店舗)を構える場所だ。その敷地内に建設されたのが、連合の誇る実務型私塾――『日本総合職業専門スクール・仙台校』である。
そこでは机上の空論(座学)だけでなく、本物の金融・経営の実務を、一般的な4年制大学など遥かに及ばない超高度かつリアリティ溢れる現場環境で叩き込まれる。
中井はそこを優秀な成績で卒業し、そのまま連合系列の月影グループへと入社した経歴を持っていた。
当然のことながら、マニュアルと合理性で鉄の結束を誇る「連合」であっても、自らの意思で他社へ転職する者や、何らかの適性要因で連合の社風に馴染めなかった人間が出るのは自然の摂理だ。そこは普通の一般企業と何ら変わりはない。あの警察庁に転職した辻のように。
そして、中井の場合は前者の「自らの意思による転職」であった。
その理由は、ある意味で連合の教育を極限まで受けた者らしい、純粋すぎる『己の力を試したい』という狂気的な渇望だった。
世間一般では、「連合の人間はマニュアルとAI経営の奴隷であり、情緒や気分で動くことはない」と思われている。だが、現実は真逆だ。
どんなに冷徹な数理モデルや経営理論であっても、その原点は人間の「感情」と「感性」から始まる。物理学の公式だって、最初は「なんとなく世界はこう動いているのではないか?」という研究者の直感からスタートするのだ。ビジネスも同様に、「この仕組みなら儲かるし、世界をハックできるのでは?」という感性からすべてが始まる。
連合という組織もまた、同じだった。
――『もし我々が、膨大な資本力やマニュアル運営力という経営の武器を一切持たずに、純粋な“アイデアと理論”だけで社外の企業を導くことができるだろうか……?』
連合の経営層が、ふとそう考えついてしまったのだ。
思考が生まれたなら、即座に仮説検証(理論テスト)が始まる。可能性が存在すると踏めば、間髪入れずに実証実験へと移行する。その意思決定の速度こそが、マニュアルによって世界一にまで研ぎ澄まされた連合の本質だった。
『Iコンサルティングのような連合の直営ではなく、完全に“外部の正体不明のコンサル会社”という体裁で企業を指導し、大成させられるか? ……この経営実験の被験者(プレイヤー)になりたい者はいるか?』
連合内部で密かに提示された公募。そこへ真っ先に手を挙げたのが、当時月影グループにいた中井だったのだ。
今回の『我々(連合)の黎明期から積み上げた続けた資本力と最強のマニュアル運用能力を完全に剥ぎ取った状態で、連合教育を受けたわずか数名の人員だけで、現実のビジネス市場と戦えるのか?』という実験。
当然、連合の最高機密であるマニュアル運用アルゴリズムやAIプログラムの社外持ち出しは厳禁。追加の軍資金(資本注入)も一切出されない。
つまり、手元には「空っぽの箱(会社)」があるだけだ。
連合黎明期の現身とも言える『七岡グループ』の中堅金融インフラと、連合で鍛え上げられた個人の「アイデア」だけで、どこまで市場を侵食できるかという極秘のストレステスト。
……ちなみに、なぜこの実験の「器」として『七岡グループ』が選ばれたのか。
理由は滑稽なほどシンプルだった。かつて菅野工業が試みたように、七岡グループの刺客が「産業スパイ」として連合傘下の月影グループへ潜入し、あっけなく看破されて捕まったのだ。
その際、連合側はスパイを警察に突き出す代わりに、ニヤリと笑ってこう告げたという。
『――君たちは、我が社に大変魅力的な“事業提携の商談”に来てくれたんですよね? ……違いますか?』
断ることなど不可能な状況で作られた商談のテーブル。
そこに叩きつけられた契約カードの条件こそが――『連合の極秘経営実験における“被検体(プラットフォーム)”になること』であった。