同日 東京都 東京総合経営技術情報社
新宿の高層ビル街の喧騒に紛れ込むようにして、そのオフィスビルは静かにたたずんでいた。
中堅とは言えど金融グループとしてのプライドと意地があり、七岡グループはこのビル1棟を自前で所有している。館内にはグループ各社の東京オフィスや顧客窓口が所狭しと入居しており、この『東京総合経営技術情報社』も同様にフロアを間借りしていた。
そのビル内に与えられたフロアの最も奥深くに、『コンサル営業部開発課』が存在する。
こここそが、コンサル部門の皮を被った「連合出身者たちの巣窟」であり、七岡グループ全体の生きるも死ぬも握る最重要の心臓部であった。
当然のことながら、この開発課のエリアに部外者がフリーで立ち入ることは固く禁じられている。たとえ七岡グループの会長であろうとも、開発課担当者の同伴なしでは跨ぐことすら許されない。
専用エリアは分厚い防音壁と完全な仕切りで区切られ、非接触カードキーによる2重のオートロックで施錠されていた。内部には専用のトイレ、給湯室、さらには警備員室まで完備している。
セキュリティの古典的な破り方である「解錠された扉から前の人間の後ろに続いて侵入する(テールゲーティング)」手法は、二重扉のタイミング構造上極めて困難であり、何よりガラス越しに常駐警備員の肉眼でチェックされる。
ちなみにこの警備員だが、通常の連合関連施設であれば連合系列の人材大手「J社」から錬度の高い要員が派遣されるところだ。しかし今回は、「連合本体は一切の情報収集以外の関与を行わない」という実験プロトコルが適用されていた。そのため、警備員もごく普通の一般警備会社から手配された人間である。
――「標準的な現場警備員に対し、どのようなオペレーション手順と条件付けを与えれば、最も監視・管理精度が高まり、かつ働きやすい環境を構築できるか?」
実は、この警備体制の運用設計そのものも、彼らが遂行している経営実験のデータのひとつであった。
「中井くん、佐賀の靴屋は乗ってくれたか?」
「はい。提示したスキームでコスト計算に入ってもらっています。」
デスク越しに声をかけてきたのは、開発課課長補佐の北村だ。
この開発課には、課長と課長補佐という2人のキーマンが配属されている。月影証券から出向――もとい連合から転職してきた北村の役割は、持ち込まれた課題から画期的なビジネスアイデアを創出し、実行可能なレベルへ肉付けすることだ。
一方で課長は、稼働したビジネスプランの進捗を冷徹に監視・評価し、撤退(切る)か拡大(張る)かの号令を下す『本当の意味での意思決定者(管理職)』であった。
つまり彼ら開発課は部署を跨ぐことなく、自分たちの課内だけでGOサインもSTOPサインも出せる権限を持ってしまっている。普通の会社なら危なくてできないが、ここでは連合に弱みを握られているため、敢行されていた。
「これで、ようやく『駒』が揃いましたね。」
「……ふっ、やっとまともな比較評価ができるな。」
今回の中井が仕込んだ佐賀県鳥栖市の靴屋の案件は、彼ら実験組が初めて行う「同一業種における複数アプローチの比較実験(A/B/Cテスト)」であった。
実はすでに、別の地域にある2件の靴屋に対し、それぞれ全く異なる手法でのコンサルティングが同時並行で進行していたのだ。
1つ目は、実験組の連合出身者ではなく、東京総合経営技術情報社に昔から在籍する生抜きの『生粋のコンサル社員』が担当する案件。彼ら連合出身者から見れば「どこにブレイクスルーの勝機があるのかサッパリ分からない」、極めて平凡なコンサル案だ。
対象は埼玉県にある靴屋で、販管費の削減や材料仕入先の見直しといった、教科書通りの泥臭い再建計画が進められていた。
そして2つ目は、愛知県岡崎市の靴屋に対し、北村たち実験組が提示した『駅前軽トラ・セミオーダー革靴』という変化球スキームである。
佐賀の鳥栖では「自宅で完結する完全リモート計測」を狙ったが、岡崎では移動販売スタイルを採用した。軽トラックにデジタル採寸機材だけを積み込み、駅前の広場やショッピングセンターの駐車場へ自ら出向いてその場で専門家たる主人自身が足型を採寸する。
さらに、提供する革靴のパーツ展開も極限まで絞り込んだ。1箇所につきデザインは3〜5種類のみ。カラーバリエーションすら用意せず、潔く「黒一色」に固定した。
その場でオーダー票を作成・自作し、完成品は後日依頼者の自宅へ宅配する。もし自店舗の製造キャパシティがパンクした場合は、近隣の設備の空いている靴個人店へ外注を出せばいいという仕組みだ。
同じ「地方の個人靴店再建」という課題を舞台にして――
【埼玉】 標準的で無難なコストカット案(従来型)
【佐賀】 魚拓と写真による完全リモート簡易オーダー案(非接触・全国特化型)
【愛知】 軽トラ出張採寸による局地集客&パーツ削ぎ落とし案(対面移動型)
この3パターンを同時に走らせ、靴という「標準化と量産化が極限まで進んだ成熟商品」を個人店が売り込む際、何が決定的なプラス要因となり、何が致命的なマイナス要因(ボトルネック)になるのかを抽出・数値化するのが彼らの狙いだった。
「これまでは、会社の知名度上げと、相談に来てもらうためのハードルを下げることに追われてましたからね……。」
「ああ。『超有名コンサル』だと高額すぎて個人店は寄り付かない。かといって『完全な無名』だと怪しまれて誰も相談に来ない。コンサル部門の規模感を“中堅金融グループの傘下”という絶妙なポジションに見合うところまで引き上げたおかげで、ようやくサンプルが集まり出した。」
東京総合経営技術情報社の連合が寄生する前はほぼ無名に近かった。
「本来なら、全く同じ市内の競合店同士で比較実験を行いたいところですが……さすがに一般企業を実験台(モルモット)にしていると外部に察知されたらマズイですからね。」
中井は手元のタブレットを操作し、集計されたデータ一式をまとめる。そして、開発課の最奥に鎮座する課長・舞鶴の端末へデータを送信した。
「舞鶴課長、靴店舗再建に関する『3パターン比較実験』のデータを再整理した資料をお送りしました。ご確認をお願いします。」
舞鶴課長はモニターから目を離さず、短く答えた。
「分かった。目を通しておこう。」
ディスプレイの光に照らされた舞鶴の瞳には、路地裏の靴屋の経営者の苦悩も、地方銀行の焦燥も映っていない。
そこにあるのはただ、暗闇の中で着々と集められつつある、世界をハックするための冷徹な経営データ(解)の羅列だけであった。