2049年 8月 大阪府 東大阪市 七岡銀行東大阪支店
「なんとか、なんとか頼みます……! これ落とされたら、ウチの工場ほんまにヤバいんですわ!」
「……ええ、お気持ちは重々察いたします。ですが、とりあえず提携しているコンサルタント会社と一度ご相談していただけますか?」
窓口で頭を下げる初老の男性を宥めながら、融資課の担当員は内心で深いため息をついた。
東大阪の地に構えるこの支店に融資を乞いにやってくるのは、決まって経営に行き詰まった赤字企業や個人事業主ばかりだ。それもそのはず、業績の良い優良顧客であれば、メガバンクや地元大阪や関西の有力地銀がとっくに手厚く抱え込んでいる。
中堅規模で、しかも大阪の人間からすれば『山梨県』という関東なのか中部なのかもよくわからない遠方の地を発祥とする金融グループに頭を下げに来る時点で、良くても重症一歩手前の崖っぷち企業ばかりだった。
今回の相談者は、東大阪の地で長年金属加工業を営んできた小さな町工場の店主だった。
少し前までは、大手建設会社から「木材同士を接合する特殊形状の金属金具」の製造を一手に引き受けていたという。だが、建設会社側が設計変更を行い、その特殊金具を安価な汎用金具へ置き換えることに成功してしまった。結果、メインの収入源だった受注がじわじわと右肩下がりに落ち込んでいた。
とはいえ、まだ致命的な重症というわけではない。手元には過去の蓄えによる現金がいくらか残っており、この界隈の倒産予備軍の中では圧倒的にマシな部類だった。
だが――今の時代に、単なる金属加工の町工場を劇的に救うビジネスモデルなど本当に存在するのだろうか?
「提携コンサルに相談を」と案内した張本人である融資課員自身、正直なところ半信半疑だった。
……ところが、それからわずか2週間後。
あの町工場の店主が、早くも『東京総合経営技術情報社』の社名が併記された分厚い事業計画書を手に、興奮気味に支店へ駆け込んできたのだ。
(おいおいマジかよ……。これ、最初から類似の相談を想定してデータベースにストックしてあったケースだな。じゃなきゃ、たった2週間でこんな精密な計画書が上がってくるはずがない……)
担当員は呆気にとられながら書類を受け取り、ページをめくった。
そこに躍っていたのは、工場で新しく製造・販売するという意外すぎる新商品の名前だった。
――『頑強金属缶(アウトドア用ストレージ)』。
「……え?」
担当員は思わず目を疑った。
これまでスーパーの『油毎日交換』や、遊園地の『リアルサバゲー』など、度肝を抜く突飛な発想で数々の再生劇を起こしてきた東京総合経営技術情報社が、ここにきて「ただの金属缶を売る」などという超地味な提案をしてきたからだ。
「担当さん! その商品、パッと見は普通の缶に見えますけど、形状がめちゃくちゃ特殊なんですわ!」
店主が身を乗り出して指差ししたページには、上から見た図面が描かれていた。
その形状は、長方形でも円筒でもなく――『直角三角形の楔(くさび)型』。
商品コンセプトの欄には、こう記されていた。
『大型リュックの最後の最上部に差し込んで容量を使い切ろう』
『空気によって衣服が膨らみ、どうしても生まれるリュックの隙間をパッキングの楔として押し込み、極限の収納効率を実現する』
「どうですか? いけそうですか?」
「……ええと、必要な設備投資は……既存のプレス機と溶接機をそのまま流用し、新規に導入するのは専用の治具(ジグ)類と消耗品程度。手持ちの現金もありますし、これなら融資審査のハードルはかなり低いと言えますが……」
担当員は狐につままれたような顔で書類を見つめた。
「実はな、もう試作品を作ってきたんですわ!」
店主はそう言うと、持参していた大きなカバンから重々しく何かを取り出した。
ドカンと応接卓の上に置かれたのは、まさに先ほど図面で見たばかりの「直角三角形の金属缶」だった。
「角でユーザーが手を切らんように、縁はプレスで綺麗に丸めてあります。プレス加工と溶接繋ぎの方が、安物の折り返し継ぎ目方式より耐圧性で圧倒的に有利なんですわ。」
担当者は促されるまま、その金属缶を持ち上げてみた。ずっしりとした金属の重みが手に伝わってくる。
「……失礼ですが、もっと軽量なアルミ素材や樹脂には出来なかったのですか?」
「ああ、それも考えましたわ。実際にアルミ版で作ってみたんですが、これ、パンパンに詰めた衣類の強力な押し返し圧力に負けて、缶の方が凹んでしまうんですわ。プラスチックなんかで作ったら、接合部に苦労するでしょうな。まあ、ウチは金属屋なんで結局、ステンレスが一番性に合ってましたわ。」
計画書によると、この商品はアウトドア用品店への委託陳列やネット通販で展開すると同時に、動画投稿サイトに公式チャンネルを開設。使い方や極限環境での耐久性をアピールするショート動画を大量投下する予定だという。
取っ手も上面に折り畳み式の金属製取っ手がついていたが、その内側にだけ特殊な樹脂パーツが装着されていた。
寒冷地で素手で触って皮膚が貼り付く事故を防ぎ、逆に夏の車内に放置して火傷するのを防ぎ、さらにリュックから引き抜く際の静電気トラブルまで――たった一つの樹脂部品でまとめて解決しているという。
さらに驚いたことに、缶の内部には専用の「太鼓のバチ(木棒)」が同梱されていた。
この金属缶をバチで叩くと、周囲に甲高い金属音が遠くまで響き渡る構造になっている。
登山で遭難し、スマホやGPSなどの電子系統が死んだ際の「物理的緊急連絡手段」になり、逆に捜索隊がこれを叩きながら歩くことで、人間の声よりも遥かに広い範囲へ存在を知らせることができる設計なのだという。
「どうです? すごいやろ。さすがに支店の中で鳴らすと迷惑やさかい、今はやりませんけど。」
ニカッと笑う店主の顔には、2週間前の悲壮感など微塵もなかった。
「そ、そうですね……。ターゲットと用途が極限まで絞り込まれていて、非常に筋の良い商品だと思います。」
「まあ、ワシは商売の世界の詳しいことは知らんけど、試してみな分からんことがあるのは職人の世界と同じですからな。これで融資、お願いできまっしゃろか?」
担当員は、胸の前でしっかりと事業計画書を抱え直した。
少なくとも、そこらの倒産寸前の町工場が持ち込んでくる「目先の延命のための繋ぎ融資」とは訳が違った。
工場に現存する設備と熟練工の手だけで即座に製造可能であり、かつ既存の大手アウトドアメーカーが絶対に参入してこない「ニッチすぎる強烈なニーズ」を的確に撃ち抜いている。
「はい。確かに融資審査の書類一式、お預かりいたしました。」