2049年 11月 東京都 東京総合経営技術情報社
経営実験が始まってわずか4か月ほど。だが、結果はすでにほぼ出揃っていた。というより、猶予の限界として結果を出さざるを得ない段階に達していたのだ。
一般的な経営の教科書では「最低でも1年、できれば3年スパンでデータを採集し、統計的に分析を……」などと生ぬるい言葉が並んでいる。しかし、当の事業者にそんな悠長な余裕が残されているわけがない。切迫した危機感が薄く「まだ大丈夫だから」などと高を括っているうちの相談は、埼玉県の実験項目のように単なるやっつけ仕事のコストカット案で処理されるのがオチだった。
不良債権化へ向けてまっしぐらだった岡崎の『ショーシューズ』のような末期店舗には、半年先の未来すら存在しない。
七岡銀行から注入された追加融資は、この短期間ですでに7割近くを使い果たしていた。しかも「追加融資」とは名ばかりで、その実態は過去に他行で組んだ高金利ローンの返済に半分以上が右から左へ消えていただけなのだ。
コンサル営業部長や七岡銀行の幹部、そしてグループの上層部は『初期投資を極限まで抑えた再建案さえ出せばいい』と楽観視していたのだろう。
だが、現場の冷酷なデータは、それすらも瀕死の不良債権店舗にとっては不十分であることを証明していた。
――『初期投資を抑え込みつつ、顧客の潜在ニーズと既存競合モデルの致命的な隙間を的確に撃ち抜く』。
この絶対的な無理難題をクリアして初めて、中小店舗は死の淵から這い上がることができるのだ。
「埼玉の平凡なコストカット案は、単なる寿命の延命治療にしかならなかった。……そして、佐賀の完全ネット募集案は、個人店側のバックオフィス対応コストの限界を超えてパンクしたな」
「ええ。愛知・岡崎の出張採寸案こそが、個人店舗のキャパシティにおける『最適解』ということです」
開発課長・舞鶴が冷ややかに結論を下し、課長補佐の北村がその抽出されたデータを一般化し、他産業へも横展開できるようにマニュアルのコードを書き換えていく。
「ああ。地盤もない個人店が無理に全国規模へ商圏を広げれば、当然のようにバックオフィスの処理能力不足が露骨に出て破綻する」
「……ということは、それなりに実店舗数と事務員を抱えている地域密着型の『小規模チェーン』であれば、佐賀の完全リモート案も十分に高い期待値を持てる、ということですね?」
「そうだな。『期待値は』あるだけだがな」
二人の会話を経て、話はコンサル営業としての次なる具体的な提案書の作成へと移行する。
「では、この岡崎で実証された出張採寸モデルのスキームを、埼玉と佐賀の店舗へそのまま渡してやってくれ。あちらもこのままでは死に体だからな」
「了解しました。実験のモルモットとして使った挙句、用済みで捨てたとあっては大問題になりますからね」
彼らはボランティアではない。かといって冷酷なマッドサイエンティストでもない。ここは飽くまでコンサルティング会社だ。死にかけの企業が助かりそうな道があるなら対価を求めて差し出す。
特定の個人店に専属で永久に再建指導を行い、新ビジネスの権利すべてを無償で譲渡するような甘い真似は絶対にしない。
事前に岡崎の『ショーシューズ』の店主・山木とは、この出張革靴事業モデルの主要な知的財産権・展開権を『東京総合経営技術情報社』が握ることを合意させた上でコンサルに入っていた。
もちろん、山木を一方的に搾取するわけではない。今後、この出張革靴モデルが全国の同業他社へパッケージとして提供・ライセンスされるたび、発案協力者である山木夫妻のもとへ一定のロイヤリティが還元される契約構造になっていた。
もしこのモデルが日本各地でフランチャイズとして成立すれば、山木夫妻は汗を流して軽トラを走らせずとも、チェーンの最高顧問兼オーナーとしての不労所得を得ることになる。
――1時間後。
開発課のミーティングルームに全員が集められ、緊急ミーティングが執り行われた。
今回の「靴屋3パターン比較実験」により、企業の人的・資金的規模に対してどのようなビジネスモデルを選択すべきか、商圏の限界値はどこまでかという、極めて密度の濃い『N=1(サンプル数1)』の生データが共有されていく。
本来、あの狂気的なまでの「連合」の生態系において、単なる『N=1』のデータなど到底受け入れられるものではない。
それがたまたま発生した「特殊な例外(ノイズ)」である可能性を排除できないからだ。だからこそ連合は、圧倒的な巨額資本を一点集中させ、業界ごと更地にするような大打撃を与えて市場を荒らし回るか狂ったようにシミュレーションをする。膨大なN数を力技で集めない限り、彼らの合理的な思考回路は自らを納得させられないのだ。
「……これこそが、連合が喉から手が出るほど欲しがっていたデータだ。自分たち(巨大資本)とは根本的に異なる生態系で生きる、弱小個人店舗の泥臭い再生データ……」
「連合はこれから、ますます事業範囲をミクロに広げ、個人店舗の領域にまで参入してくるということですね」
「……だが、それもまだ遥か先の話だ。我々が十分な牙を研ぎ澄まし、連合と真正面から叩き合えるようになるまではな」
これは、どちらかが折れるまで続く出来レースなどではない。
本当の意味で敵と味方に分かれた、血の滲むような真剣勝負。
連合自身が心底から切望している、常軌を逸した企業としての「存在理由(レゾンデートル)」と、どこまでも貪欲な「実験精神」。
彼らが戦う舞台は、『金融』の世界だけに留まらない。『金融のみで中小企業や個人店を導くことができた』と連合が判断すれば否応なく開戦の火蓋が落とされる。
連合の誇る最強の半導体プラントも、食品加工チェーンも、巨大な人材派遣企業も動員された『連合そのもの』との『実証実験という名の闘い』。これこそが七岡グループを利用して計画されていたこの壮大な経営実験の最終段階・・・
歴史を振り返れば、巨大企業が全く別の分野・新領域の事業を裸一貫で立ち上げ直す、子会社形式とは全く異なる試みは、日本や欧米のビジネス史において幾度となく行われてきた。しかし、それらの目的は常に「新しい収益の柱を探すため」であり、どこまでも自社を巨大化させようとする資本主義的な『欲望』がすべてのベースにあった。
しかし――この24社連合という怪物だけは、根本から思想が狂っていた。
彼らのモチベーションは一貫して『経営理論の実験と検証』なのだ。
そのためだけに、優秀な自社の人材をあえて組織の外へ解き放ち、自らの「敵」を人工的に創り出してまで戦わせる。
それこそが、かつて政府閣僚が冷や汗を流しながら分析した通り、巨大企業群へと肥大化した今なお、彼らが黎明期と変わらぬ『マニュアル経営研究所』と呼ばれる所以であった。
なぜ、そこまでして止まらないのか。
その根源にあるのは、やはりあの恐るべき『マニュアル絶対主義』という名の不可逆の呪縛だった。
普通の人間や企業であれば、こう考える。
「これほど巨大化し、世界的なシェアと存在感を手に入れたのだから、そろそろアクセルを緩めて利益を享受しよう」と。
だが、連合の内部においては、会長から各加盟企業の社長、監査役、末端の社員、果ては連合スクール出身の一点突破型の秀才に至るまで、全員が共通のマニュアルという絶対的な規範に縛られていた。
マラソン大会において、すでに2位以下を大きく引き離して圧倒的トップに踊り出ているにもかかわらず、彼らは視線すら前に向けたまま、手元の「マニュアル」という名の厳格なペースメーカーをひたすら追い続ける。
スタート地点の段階から、競合他社がどこを走っているかなど彼らの関心事の外にあった。
周囲のライバルたちが息を切らし、次々と膝をつき、絶望して倒れ込んでいこうとも――
彼らはただマニュアルの指示に従い、今日も愚直に『努力し、不便と不快をこの世界から1個でも消し去る改善』を打ち続けなければならない。
彼らは、勝つために走っているのではない。
その足を止めることすら、もはや許されていないのだから――。