2050年 1月 東京都 スーパー・ヴェス
『スーパー・ヴェス』のグランドオープンからちょうど1年が経ったころ、予期されていた事態――すなわち「資本力のある大手による模倣店」が牙を剥いた。
国内小売大手オール・グロッサリーグループが新たに設立した『健康高級ブランド・セレモニー』。その記念すべき第1号店が、なんとヴェスから目と鼻の先のエリアに殴り込みをかけてきたのだ。
それだけに留まらず、2号店、3号店と、東京・横浜の富裕層エリアへ怒涛の勢いでドミナント出店が進められていく。
店長兼社長の高田にとって、巨大資本による容赦ない客の奪い合いを経験するのは、これが「2度目」だった。
大阪で味わった、あの連合と財閥による血で血を洗う安売り競争の惨劇。そこから勝ち目がないと悟って東京へ逃げ出してきた自分。
そして今、またしても目の前に立ちはだかる巨大な壁――。悪夢のような嫌な思い出が、重く脳裏をよぎる。
「……とりあえず、一度敵の懐を見に行くしかあらへんか」
高田は身なりを整え、オープンしたばかりの『セレモニー』の店内へ足を踏み入れた。
セレモニーもまた、ヴェスと同じ「油の毎日全量交換」を前面に打ち出していた。だが、向こうは大手らしい華やかな演出(パフォーマンス)をトッピングしてきた。
夕食の買い出しに訪れる主婦や仕事帰りのサラリーマンで店内が最も混み合う『18時ジャスト』を油の交換時間に設定。客の目の前で古くなった油を派手に捨て、新品のクリアな油を注ぎ込むデモンストレーションを毎日行っていたのだ。
(……アカン、また負けや……)
高田の胃が、きりきりと痛む。
あの大阪の『丸得』が「安さ」に特化して徹底的に無駄を削ぎ落としたように、この『セレモニー』も「健康演出」を売りに完璧なエンターテインメントを提供していた。
店内は洗練され、品揃えもヴェスと遜色がない。
さらにセレモニーは「廃棄した油はすべて航空燃料(SAF)へ精製・再利用します」と、SDGsやエコへの配慮まで大々的にアピールしていた。
実は高田も当初はSAF業者への売却をしようと検討したことがあったが、単店舗のヴェスが出す油の量では「回収コストに見合わない」と業者から冷たく断られていたのだ。規模の暴力が、ここでも高田を叩きのめす。
大阪の時と同じように、完全な敗北感に打ちひしがれて帰ってきた高田は、自分の店であるヴェスの店内を見渡して、ふと違和感を覚えた。
「……あれ? 客が……そんなに減ってへん……?」
確かに、気持ち程度は減っている。しかし、超大手が本気で目と鼻の先に同じコンセプトの旗艦店を出してきたというのに、店内には相変わらず落ち着いた富裕層の客が途切れることなく買い物を楽しんでいた。
大阪の時とは、あきらかに何かが違っていた。
バックオフィスに戻った高田は、何日もPOS端末の売上データや時間帯別客数を穴があくほど見つめ、彼なりに必死の分析を重ねた。
そして5日後――定期的に訪れる『東京総合経営技術情報社』の担当コンサルとの打ち合わせの日を迎えた。
「高田さん、競合のセレモニーが出店してきて大変でしょう?」
「はい。……でも、これが本当の商売の世界というのも分かってます。今まで自分は甘い世界に浸かってたんですわ」
高田は手元のノートを開いた。この数日間で彼自身が掴んだ「ある傾向」があった。それは『店内調理の総菜』の動きだ。
セレモニーも確かに「店内調理」を看板に掲げていた。しかし、100%同じ、あるいはそれ以上の味と健康度の高さを全商品で維持できているかと言われれば、疑問が残った。
確かに揚げ物ジャンルの売上はセレモニーのパフォーマンスに押されて減少していた。しかし、葉物野菜の和え物や煮物系の総菜の売上は、驚くほど変動していなかったのだ。
「ええ、素晴らしい着眼点です。その傾向は我々もすでにデータとして掴んでいますよ。」
コンサル担当者は微笑み、高田の分析を肯定した。しかし、そこはプロのコンサルタント。高田よりも遥かに高い視座から、セレモニーの「致命的な弱点」をすでに白日の下に晒していた。
「まず、こちらの写真をご覧ください。」
コンサルがタブレットに提示したのは、競合であるセレモニーの店内の隠し撮り写真だった。
「お菓子コーナーですか? それに、こっちは飲料コーナー……?」
「品揃えは一見同じように見えますが……ここ。チョコの棚を見てください。高級な欧州ブランドや北海道の限定ブランドなど、ヴェスと同じ商品を並べていますね。ここまでは同等です。……ですが、そのすぐ隣。これを見てください。普通の格安スーパーにも当たり前に売られている、合成着色料や添加物たっぷりの大手製菓メーカーのチョコ菓子が混ざっています。」
「……! 本当ですわ……。現地で見ている時は、全く気がつきませんでした。」
「飲料コーナーも同様です。国内大手メーカーのお茶や清涼飲料水がずらりと並んでいます。……つまり、『健康』という要素における純度において、向こうは我々ヴェスを全く上回っていないのですよ。」
セレモニーの親会社は、安売りから高級まで手広く扱う巨大流通チェーン『オール・グロッサリー』だ。彼らはナショナルブランドの大手メーカーとの強い付き合いがあるため、どうしても「全店舗で共通して扱うナショナルブランド品」を棚から排除しきれず、売れ筋としてねじ込んでしまうのだ。
その瞬間、高田の脳裏に電流が走った――『純度』だ。
かつて大阪で自分を倒した『丸得』や『スマート・ディスカ』は、「売っている物すべてが他店より絶対的に安い」という極限の純度を持っていた。だからこそ客の心が一切ブレずに流れていったのだ。
ならば今、この東京のヴェスは――「妥協がない健康・高級」という純度において、セレモニーを遥かに圧倒しているのではないか?
「その通りです。現にここ数日、ヴェスの『顧客単価』はむしろ上昇しています。」
コンサルが見せたグラフの数値は、まさに高田の直感を裏付けていた。
本物の富裕層や健康マニアの客ほど、セレモニーの棚に混ざる「普通の添加物菓子」を見逃さず、「なんだ、ここは普通のスーパーの延長か」と失望し、純度の高いヴェスへ戻ってきていたのだ。
「さらに言えば――セレモニーの『18時の油交換』ですが、18時前までの揚げ物の売上は、むしろヴェス側で増加しています。考えてみてください、18時に油を交換するということは……開店の朝9時から18時までの9時間、彼らは『昨日から使っている古い油』で揚げ物を揚げ続けているということです。」
「……! 放置しているわけですか。」
「ええ。調理専門の調査員を派遣して開店直後のセレモニーのフライヤーを確認させましたが、すべての店舗で『新品の油ではない』と断言しました。どれだけ表面の揚げカスを掬い上げようが、プロの目には何もない油面に特有の微細な気泡が集中しているのが見えますから。」
コンサルは淡々と、しかし力強い声で言葉を紡ぐ。
「もちろん、これは衛生上の基準は余裕でクリアしています。ですが――“本物の健康”に強いこだわりを持つ富裕層の顧客層が、その矛盾に気づき、朝〜昼の時間帯に『朝一番から必ず新品の油を使っているヴェス』へ流れてきているのです。……高田さん、あなたのヴェスはすでに、最も目が肥えた健康クラスタから『本物』と認められた店になっているのですよ。」
「……俺の店が……『本物』……。」
高田の胸の奥から、熱い塊が込み上げてくる。大阪で負け犬として逃げ出してきた自分が、あの巨大資本のオール・グロッサリーを「純度の差」で返り討ちにしているのだ。
「ですから、今後の戦略は極めて明確です。『健康』を売りにした店づくりを極限まで維持すること。一滴たりともヴェス基準を満たさない添加物量の商品を棚に出さない。この徹底こそが、大手資本に対する最強の『盾』になります。……そして攻めるなら、これまた健康オタクが狂喜して飛びつくような、尖った商品を自社開発すべきです。普通のスーパーには絶対に置いていないようなものを、です。」
「そう言われましても……特段、パッと思い付くようなものは……」
高田が頭を抱えると、コンサルタントはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「――『無添加の生大根おろし』。それと、『無添加の生の長芋とろろ』を売りましょう。」
「……大根おろしと、とろろ……ですか? 家でわざわざすり下ろすのが、とにかく面倒くさいやつ……。」
「その通りです。市販のパック大根おろしは、日持ちさせるために大量のビタミンCやpH調整剤、漂白剤が投入され、風味が完全に死んでいます。しかし、家庭で一からすり下ろすのは手間がかかる。……そこに『店舗で毎日すり下ろした、無添加・純度100%の生大根おろし』をパック詰めで並べるのです。」
「……っ! 買いますわ! 『こんなのあったら便利だけど、市販品は添加物だらけで買えなかった』っていう健康意識の高い富裕層が、泣いて飛びつきますわ……!」
高田の目が、かつてない商人の輝きを取り戻していた。
「イメージが完全に掴めました……! サンキューです、コンサルさん! 俺、もう二度と逃げませんわ!」
力強く頭を下げる高田の姿を、コンサルタントは冷ややかに、しかし満足そうに見つめていた。
(……『純度』による差別化、そして『面倒の代行』による高粗利化……データ採取は完了だな。)
富裕層の購買データ、大手の出店に対する防衛成功ロジック、そして高粗利ノウハウ。
高田が歓喜に震えるその裏で、コンサルタントは手元のタブレットで『東京総合経営技術情報社』の本部データベースへとアクセスし、またひとつ新たな「成功解法パッケージ」を淡々と送信していた。