ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第15話

翌日、広瀬はD社本社の最高経営会議の席上、あるいは秘匿された回線を通じて、上層部への「四半期定期進捗報告」を行っていた。

3ヶ月ごとに繰り返されるこの儀式は、連合の究極の目標である『聖杯』の完成度を1パーセントずつ積み上げ、その進捗を厳格に監査するためのものだった。

 

しかし、今回の広瀬の報告書もまた、美しく右肩上がりに伸びるグラフではなく、複雑性の爆発によって無限にフォーク(細分化)を繰り返す、歪なシステムの構造図だった。

これがまたしても前回よりも広がっていた。

 

報告を一通り聞き終えた上層部の男は、重厚な革椅子の背もたれに体を預け、静かに息を吐いた。

 

「――状況は理解した。開発データの不足をI社からのストリーミングで補うスキームは機能しているが、現実の細分化の速度がそれを上回っている、ということだな」

 

「はい。現状、各業界の個別ルールへの対応でシステムが飽和しつつあります。精度を維持するには、さらなる演算リソースと、法務チームの増員が不可欠です」

 

広瀬の淡々とした要求に対し、上層部が下した決断は、冷徹な「経営の算盤(そろばん)」に弾かれたものだった。

 

「そうか。ならば広瀬、計画は引き続き続行してくれたまえ。……ただし、だ」

 

男は机の上の資料に視線を落とす。

 

「我が社としても、例の事情から今期からは『新事業』に組織の総力を注力せざるを得なくなった」

 

その言葉が意味する組織のパワーバランスを、広瀬は瞬時に察知した。

 

「つまり、『聖杯』の鋳造へ注ぐ資金と人員の優先順位は、これより二の次になる。現場への投資スピードは落とさせてもらう、ということだ。これ以上の予算の増額は認められない」

 

「……」

 

「幸いにも、燃料となる他社の失敗データは、I社が勝手にクライアントから吸い上げて運んでくる。金も人もかけず、その『無料のデータ』をAIに咀嚼させ続けるだけであれば、プロジェクトの維持は可能なはずだ。新たに出せる金は減るが、I社と共に歩みは止めず、解析は続ける。そういうことだ」

 

予算と人員の事実上の凍結。しかし、プロジェクトの「中止」ではない。

データの自動回収網(トロール)という自活インフラがあるからこそ、上層部は「低空飛行での継続」という、最もリスクのない生殺しの選択肢を選んだのだ。

 

広瀬は小さく、しかし迷いのない声で答えた。

 

「――分かりました。現有リソースの範囲内で、システムの最適化を継続します」

 

「期待しているよ。我々にとっても、それは文字通りの聖杯なのだからな」

 

通信が切れる。

世界のインフラと技術をマニュアルで支配せんとする24社連合。その中枢であるD社の大手町オフィスに、奇妙な静寂が訪れる。

予算を削られ、開発の足並みを鈍らせた『汎用開発マニュアル』。しかし、それは他社の敗北を肥やしにしながら、地下水脈のように見えない速度で、なおも冷徹に「完成」へのコードを書き換え続けていた。

 

同日 インドネシア

 

「――そう、そこで左折する前に、バックミラーと目視で左後方のバイクを確認するんだったな。どうするんだったかい?」

 

「……ヒダリ、カクニン、ヨシ!」

 

熱帯のねっとりとした風が吹き抜ける、ジャカルタの遙か郊外。もはや人口過密の首都の境界線をとうに飛び越え、新興の工業地帯へと足を踏み入れたその場所に、周囲の喧騒とは完全に隔離された「異空間」が存在していた。

 

『J人材派遣社・ジャカルタ教習所』。

 

そこに広がっていたのは、見慣れた日本の道路そのものだった。

美しく白線が引かれたアスファルト、日本の警察仕様の信号機、一時停止の赤標識、そして日本の住宅街を模した、あの意地の悪い「S字クランク」や「方向変換のポール」。

建設を担ったのは、D社系列の建設グループだ。彼らの持つ圧倒的な資本力とインフラ構築力をフルに活用し、南国の泥を強引に均して、この「ミニ日本の道路」を突貫で出現させたのだ。

 

助手席から厳しい視線を送る教官たちは、すべて城島ファンドの傘下ファンドが日本全国からスカウト――いや、文字通り「掻き集めてきた」ベテランたちだった。

日本国内の猛烈な少子化と若者の車離れにより、地方の自動車教習所は次々と倒産。お役御免となり、路頭に迷いかけていた彼らに声をかけたのが、J社とファンドのスカウトマンだった。

 

「日本じゃ生徒の奪い合いで、頭を下げてばかりだったが……ここでは、俺たちの『日本の運転マニュアル』が、若者たちの人生を変えるプラチナチケットになるんだから分からんもんだよ」

 

日本の教官は、額の汗を拭いながら熱心にハンドルを握るインドネシアの若者に目を細めた。

 

D社の上層部が広瀬に対して言っていた、本業へ総力を注力せねばならないほど重要視していた『例の事情』。

それこそが、このジャカルタの巨大プロジェクトの背景にある、「日本の物流ドライバー不足が、ついに国家の心肺停止を招く水準(臨界点)を超えた」という連合が自身で弾き出した冷酷なタイムリミットだった。

 

形になるか分からない『汎用開発マニュアル(聖杯)』のR&Dに莫大な予算を溶かしている猶予は、もう上層部にはなかったのだ。今すぐ、日本の物流インフラの崩壊という巨大な「穴」を埋め、その利権を独占せねばならない。

日本の過密で特殊な道路事情、そして「時間通りの配達」「丁寧な荷扱い」という属人的だったプロの技術を、C社の手によって完全にマニュアル化。

教習所の建設から、ビザの法務手続き、現地政府との労働者輸出協定の締結までを、D社の知財・政治ルートで完全合法的に舗装する。

 

D社は基本連合企業の事業に手を差し伸べない方針ではあったが、こと国難となれば話は別だった。

 

「よし、今のクランクの侵入角度は100点だ。日本に行ってもこれなら通用するぞ」

 

教官の言葉に、現地の若い教習生が白い歯を見せて笑った。

 

東京の大手町で広瀬が「前例なき開発の暗闇」に立ちすくんでいたその瞬間、24社連合の巨頭たちは、すでに「人間の規格化」という確実な勝利の方程式へと資金をシフトさせていた。

完璧な日本の規律を叩き込まれた現地ドライバーたちが、毎月何百、何千人とこのジャカルタの教習所から日本の物流網へと送り出されていく。開発という未来の博打を二の次にしても、目の前の「現実の崩壊」をマニュアルの力でハックして莫大な富へと変える――それこそが、24社連合という怪物が持つ、最も泥臭く、最も恐ろしい実効力だった。

 

ジャカルタの容赦ない直射日光を浴びて、教習所のコースを砂埃とともに進む右ハンドルの大型トラック。それらはすべて、城島ファンドたちの流通ルートによって日本国内から退役し、インドネシアへ格安で輸入されてきた中古品だった。

 

そのコックピットのボンネットには、安価なタブレットが据え付けられている。

画面で起動しているのは、連合製ですらない、アプリストアで誰でもダウンロードできる一般的な市販の翻訳アプリだ。金をかける必要のない末端のインターフェースは、既存のインフラで済ませる――それが彼らの流儀だった。

 

しかし、その横で起動している「地図ナビゲーションアプリ」だけは、全くの別物だった。

連合加盟の『Kソフトウェア』の手によって、その内部コードは完全に書き換えられていた。

 

タブレットの画面には、ジャカルタのミニ日本道路の形状と、日本国内の実際の道路網が完全にシンクロした状態でマッピングされている。そして、すべての道にはKソフトウェアが解析した「道路幅と走行難易度」に応じた星の数が、冷徹にインプットされていた。

 

★★★(星3): 道幅に十分な余裕があり、大型トラックでも通行に一切の問題がない道路。

 

★★☆(星2): いわゆる生活道路。すれ違いが困難で、ミラーを畳んでギリギリ通過できるレベル。

 

★☆☆(星1): 大型は物理的に通行不可。中型であればかろうじて通行可能。

 

「……実際、日本の地方の配送ルートなんて、ほぼ『星1』評価の地獄のような泥臭い道ばかりだけどね」

 

助手席の日本の教官は、タブレットの画面に並ぶ無数の赤く染まった「星1」のルート群を見て、苦笑いを浮かべた。

インドネシアの若い教習生たちは、このミニ日本道路の「星1」セクションを、何百回、何千回と往復させられ、日本の不条理な道幅の感覚を文字通り身体に叩き込まれていた。

 

本来、24社連合の基本理念は「個人の技能(ケイパビリティ)に合った仕事を、システムが最適に振り分ける」ことにある。

しかし、今回の事業は「人材派遣」だ。受け入れ先となる日本の運送会社や倉庫業者が、連合のような高度で合理的な思想を持っている可能性は、限りなくゼロに等しかった。

 

日本の運送業界の現場は、いまだに根性と経験主義が支配する泥臭い世界だ。

言葉の壁がある外国人ドライバーに対し、地元のベテランでも嫌がるような「星1」の通行不可能な細いルートを、パワハラ気味に指定して押し付ける現場の蛮行を、D社の法務チームは最初から「確定した未来」として予測していた。

 

「派遣先の会社が、ドライバーの技能を無視して無茶なルートを指定した瞬間、このナビがすべてのアラートとログを記録する」

 

大手町のD社オフィスで、広瀬はこのKソフトウェアの稼働状況を監視していた。

 

これは単なる運転支援アプリではない。

もし現地で事故が起きたり、配送の遅延が発生したりした際、それが「ドライバーの技量不足」ではなく、「派遣先企業による、マニュアルを逸脱した不当なルート指示(パワハラ)」によるものであることを裁判で確定させるための、『適法な反撃の証拠(データ)』の自動生成装置だった。

 

「身内の甘えは許さないが、外部の不条理によって我が社の資産(労働力)が傷つけられることも許さない」

 

広瀬は、ジャカルタから送られてくる教習生たちの走行エラーログと、日本国内の道路データを冷徹に照合していく。

 

日本が誇る「物流」という最後のインフラが、人手不足で崩壊していく中、24社連合はただ労働力を差し出すような慈善事業はしない。Kソフトウェアの歪な地図アプリを武器に、日本の運送業界の悪癖すらも数値化して人質に取りながら、その利権を根こそぎマニュアルの支配下へと収めようとしていた。

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