2050年 4月 福岡県 福岡市 EXE-LAグループ本部
福岡市の一等地に聳える高層オフィスビル。その一角に『EXE-LAグループ』の本部が存在する。
しかし、そこはグループが自社所有するビルではなかった。
連合や既存の巨大財閥のように、本部ビルそのものに強大な事業指示系統の中枢や超高性能なインフラを置いているわけではない。そもそもEXE-LAグループの本部機能とは、グループ全体で日々吐き出される膨大な文書データを集約し、それを整理・検索する汎用AIを利用した経営支援が中心だった。
原本となる議事録や設計データは、各工場や事業子会社の現場拠点に分散して残されており、検索用のインデックスデータや必要な複製(バックアップ)がクラウド上に保存されているに過ぎない。
そのため、本部には巨大な自社サーバー設備も、試作工場も一切必要なかった。
人間とPC端末、そしていくつかの会議室さえあれば、それで機能としては十分すぎるほどだった。
ゆえに、もし本部のテナント家賃が高騰したり、ビルの修繕費や共益費が急に跳ね上がったりすれば、EXE-LAはあっさりと別の賃貸テナントへ移転する。
福岡市内でより条件の良いオフィス物件を探し、契約をサラッと切り替えるだけだ。
本部が別のビルへ移転したところで、地方の工場も、事業子会社も、クラウド上のデータも何一つ消えるわけではないのだから。
それでも、彼らは本部を福岡市から外へ出すつもりは毛頭なかった。
理由は、極めてシンプルだった。
――『ブランド(地場での知名度)』である。
東京、大阪、名古屋といった三大都市圏には、すでに超大手企業やメガベンチャーがひしめいている。
地元の優秀な就活生や転職者から見れば、そこにはもともと深く根を張った有名企業がいくらでもあるため、わざわざEXE-LAのような「どこか泥臭く中途半端な多角化グループ」を選ぶ理由は薄い。
だったら、西日本に根付いた構成企業が多いEXE-LAグループの本部は、西日本最大の都市である福岡に置くのが最も筋が良い。
福岡にドカンと本部を構えておくだけで、地方の求職者に対して「西日本発の有力企業グループ」という強力な看板を提示できる。
別に奇抜な経営戦略でも何でもない。
どこにでもあるような、極めて堅実で普通の判断だった。
そしてEXE-LAという企業グループは、まさにそうした「どこにでもある合理的な判断」を泥臭く積み重ねることで、ここまで生き残ってきたのだった。
そして4月。今年も全国から集まった新入社員を一斉に迎える春の季節がやってきた。
就職活動の市場において、EXE-LAの人気度は意外なほど高かった。
理由は単純明快で、「初任給および給与水準が高いから」である。
東証プライム市場に上場する多角経営企業――だが、株式市場のアナリストや投資家からの評価は散々なものだった。
『半導体製造装置でせっかく高い収益を出しているのに、他の赤字事業や薄利事業が足を引っ張っている』
『ここは半導体関連カテゴリーの典型的なトラップ(罠)銘柄だろ』
掲示板や投資誌ではそう叩かれ、純粋な半導体専業メーカーに業績や株価の伸びでいつも置いてけぼりを喰らっているのも紛れもない事実だった。多角化の弊害が数字に表れている、と。
しかし――働く社員の視点に立てば、評価は正反対になる。
特定の産業に「一点集中」していないからこそ、倒産リスクが極めて低く、雇用が圧倒的に安定しているのだ。これは求職者にとって最大の魅力となる。
2050年現在の市場では半導体産業が空前の活況を呈しているため、グループ内では半導体装置部門が稼ぎ頭となっている。
しかし、仮に将来半導体市況が深刻な不況に陥ったらどうなるか?
専業メーカーは一発で業績が赤字転落し、大規模なリストラや希望退職に追い込まれるだろう。だが、EXE-LAには全国展開するディスカウントスーパーがあり、不動産があり、ネット金融があり、その他産業用の加工機械部門もある。
これこそが、彼らなりのリスクヘッジの完成形であった。
世間や学生からはそうして高く評価されているEXE-LAだったが、会社側の本音としては、実は「新入社員や転職者の個人の才能にはさほど期待していない」というのが実情だった。
彼らは本家・連合のシステムを真似て、過去の莫大な議事録の蓄積から「過去5回の類似トラブル履歴をもとに仮の手順書(プロトタイプ)を作成」し、「その後も現場で運用し続けて、トラブル解析で問題の発生源と特定されたら修正してライブラリへ再び送り返す」というPDCAの自動循環を行っている。
ゆえに、飛び抜けた天才や超絶エリートを無理して引っ張ってくる必要などどこにもなかった。
いや、むしろ平均的な能力値から乖離した「天才固有のひらめきや能力」に依存した手順書を作られてしまうと、後に続く凡人社員たちが再現できなくなって困るため、会社としてはそうした尖りすぎた人材を避けたいとすら考えていた。
天才やエリートの書く手順書なら論理的矛盾も存在しない可能性が高いだろうから、膨大な数の凡人が作成した手順書に紛れて現場の混乱が長引くとすら予想されている。
……まあ、この冷徹な思想の背景には、グループ結成当初に集まったのがパッとしない平凡な中堅企業ばかりであり、かつ手元資金(キャッシュ)も少なかったため、高待遇で優秀な人材を集めることができなかったという悲しい過去がある。
当時の経営陣と現場が「自分たちの泥臭い現実」を直視した結果、生み出された生存システムだったのだ。
今でこそ上場して知名度も上がったため、かつてなら見向きもしなかったような旧帝大クラスの学生や大手からの転職者も流れてくるようになった。会社として歓迎はしている。
だが、すでに構築された「凡人でも回るシステム」で組織が見事に機能してしまっているため、わざわざ高スペック人材に合わせてシステムをいじる必要など微塵もなかった。
「……ほう、今年も九州大学をはじめ、九州と中国地方の国立大学出身の秀才たちがズラリと並んでいるな」
本部でグループ全体の採用活動を一括で担当する『本部人事部』の部長が、提出された新入社員名簿のリストを眺めながら呟いた。
事業子会社ごとにバラバラで採用活動を行わせる方式でも良かったのだが、EXE-LAではあえて本部が一括で採用のタクトを振っている。
その最大の理由は『評価基準のブレをなくすため』であった。
子会社ごとにバラバラの人事担当者が採用を行えば、当然のように採用基準や人材の質にムラが生じる。
そうなれば、いつしかグループ内に「優秀な優等生子会社」と「落ちこぼれの劣等生子会社」という格差が生まれてしまう。そしてその格差は、やがてグループの根本理念である「子会社間の待遇の平等性」を揺るがす社内圧力へと変わってしまうのだ。
成果主義や高成長を謳う一般的な企業グループであれば、格差をつけて切磋琢磨させればいいだろう。
だが、EXE-LAは違う。
『皆で一緒に地道に力を合わせて生き残る』
どこか時代遅れな昭和・平成の標語のようでありながら、これこそが目まぐるしく変化する時代における最も健全な経営戦略であった。
現に、先日の『液体機械事業部』が顧客の納期遅延で契約を打ち切られたトラブルの際も、他の事業部がその損失をグループ全体で静かに埋め合わせた。そして別の事業が失敗した時は、今度は液体機械部門や金属加工部門がフォローに回る。
そうした助け合いのやり取りが、これまでに何十回、何百回とグループ内で繰り返され、そのすべてのリカバリー記録がしっかりとライブラリに保存されているのだ。
そのため、EXE-LAの採用試験における評価基準は一貫していた。
彼らが何よりも重視するのは、グループの基盤である『超・明文化(正確で論理的な議事録作成能力)』であり、その旨は採用試験を受ける受験者全員に事前に明確に伝えられていた。
一通りの面接を終えた選考の場で、受験者にはある子会社工場の作業映像が見せられる。
そして、その映像内の作業手順やトラブルの発生状況を客観的に観察し、制限時間内にわかりやすい報告書として文書化させるのだ。
ただし、その試験は一般的な採用試験のように「その場の1時間」で書かせるのではない。
資料と映像を持ち帰り、「1週間以内であればいつでも提出してよい」というルールにしていた。
わずか1時間の制限時間でその場で作成させる方式だと、慎重に事実関係を確認し、じっくり推敲して深く考えるタイプの実直な志願者を振り落としてしまうからだ。
実際の現場業務においても、「1分1秒を争ってその場で即答しなければ破滅する」といった極限状況は滅多に存在しない。
手元のAIツールを駆使し、時には人間工学などの専門書や技術データベースを参照しながら、論理的な報告書を構築していく時間的猶予は必ずある。
だからこそ、実際の業務環境に極限まで近づけた条件で採用試験を行うのだ。
「学生時代に頑張ったこと(ガクチカ)」や「自己PR」といった口達者なアピールを喋らせるよりも、この方式の方が遥かに実効性のある能力主義と言えた。
マニュアルと成長した圧倒的な資本で世界を塗り替えていく怪物『連合』。
その途方もない影の足元で、自らの弱さと凡庸さを完璧に理解し、膨大な「過去の記録」という名の鎧を纏ってしぶとく生き続けるコバンザメ『EXE-LA』。
2050年、日本の産業界は、巨大な怪物の咆哮と、それに順応して生きる者たちの静かな鼓動とともに、新たな局面へと緩やかに進んでいた。