2051年 4月 東京 霞が関 総務省
「くそっ……! 絶対に止めろ! これ以上飛び火したら、マジで行政の骨組みが崩壊するぞ!」
総務大臣室に、悲鳴に近い怒声が響き渡った。
青森市と連合・B社が構築した「大口電力一括調達による自治体電気代支援スキーム」。そこに自ら首を突っ込んできたのは、長野県須坂市だけではなかった。
飛騨山脈を挟んだ先にある岐阜県高山市までもが、一連のスキームへの参加を打診してきたのだ。
実は、高山市の南の深い山奥には、連合の『G化学』が所有する巨大な半導体洗浄液リサイクルプラントが立地していた。
海外大手半導体工場から排出される使用済みの洗浄液を再資源化する、B社専用の高度処理施設である。
プラントの直接の管轄こそG化学であったが、連合企業群の設備の中でも上位に位置する巨大な電力を24時間365日消費する施設であり、B社専用設備であったため電力市場での一括調達枠の計算に組み込まれていたのだ。
そのつながりに目敏く気づいた高山市の市議会議員が市議会で議題として取り上げ、須坂市と同様「市民への分かりやすい行政実績」として飛びついたのだった。
長野県須坂市、そして岐阜県高山市。
2つの地方都市が、連合の差し出したあまりにも甘く合理的な罠へと誘い出されていく。
もしこの2市が青森市の電力一括交渉枠(B社の電力ネットワーク)に正式に組み込まれてしまえば、もはや後戻りはできない。
住民や地元企業は、一度「電気代実質3%カット」というダイレクトな実利の味を知ってしまえば、自らの手でそれを手放すことなど不可能だからだ。政治的に制度を廃止しようとすれば、猛烈な落選運動が巻き起こる。
さらに恐ろしいのは、連合側から『連合設備の電力枠だけでなく、須坂市や高山市の地場企業や公的施設の電力量もB電力の調達枠に上乗せすれば、スケールメリットでさらに購入単価を引き下げる交渉が可能ですよ』などと提案され、自治体側が言われるがまま電力量を差し出してしまった場合だ。……そうなれば、完全に「詰み」である。
後から国や自治体が「やはり一企業に依存するのは危険だから電力枠を減らしたい」などと言い出した日には、連合側から冷ややかにこう返されるのが目に見えている。
『おたくの行政都合で調達規模を減らすとおっしゃる? それでは来期からスケールメリットが失われ、全体の電気代単価が跳ね上がりますよね? B社とG化学の工場の長期コスト計画が根底から狂うことになりますが、その損害賠償と差額補償はどちらの予算から出していただけるのでしょうか?』
……そんな悪夢のような揺さぶりを掛けられる可能性だってゼロではないのだ。
そして何より、どれほど自治体が胸を張ろうとも、この施策の莫大な功績はどこまで行っても『連合のもの』にしかならない。
スキームを発案したのも連合。交渉の背景となる巨大な需要を生み出しているのも連合。電力卸売市場や大手電力会社と血の出るような価格交渉を行ってくるのも連合なのだ。
果たして市民や地場企業が、これを「現職市長や既存与党の功績」として見るだろうか? 答は否だ。
これが引き金となり、結党したばかりの『政党・れんごう』が、長野や岐阜といった地方都市の政治基盤へ「飛び地侵攻」を仕掛けるための決定的な足場を与えてしまうことになる。
「……崩れる……都道府県や国の統治システムが、内側からガラガラと崩れていく……」
総務大臣が恐怖で手足を震わせている頃――。
総務省庁舎の別室では、かつてバグ・ハンターとして連合を追いかけ周り、公安担当だった大川(おおかわ)課長と、元連合出身で警察庁の警視である辻(つじ)係長が、連絡官から上がってきた最新の報告書を静かに眺めていた。
「まったく……最近おとなしくなったと思ったら、またどでかい花火を打ち上げやがって。あの連中、本気で国家転覆でも狙っているんじゃないだろうな?」
大川が呆れたように吐き捨てると、辻はくすりと笑った。
「大川さん、感情の振れ幅が大きいですね。昔は連合のことを『社会のバグを正す裁判官だ』なんて評価していたじゃないですか」
「まあ、そうだがな……」
二人は冷めた紙コップの緑茶をゆっくりとすする。
同席している総務省の若手連絡官二人は、二人とは対照的に脂汗を額に浮かべながら、ノートパソコンの画面を血走った目で見つめていた。
「……ついにこの時が来た、というのが私の率直な感想ですよ」
辻が紙コップを置き、静かなトーンで語り出す。
「大川さんが言った通り、連合はどこまで行っても『社会の裁判官』であり『不合理のデバッガー』です。これまでは企業や業界団体の怠慢を見つけてはビジネスで殴り倒してきた。そしてついに、国家行政レベルの慢性的な非効率と制度疲労にしびれを切らし、自らルールを書き換えるために乗り込んできたんです」
「……国家転覆ではない、と?」
「ええ。大川さんたちが危惧しているようなクーデターや国家の乗っ取りなんて、彼らはハナから考えていませんよ。だって……あの『極限まで効率化して楽をすること』しか考えていない連合の幹部たちが、国家運営なんていう面倒くさくて泥臭い雑務を丸抱えするはずがないでしょう?」
一拍置いて、辻は薄く笑みを浮かべた。
「私が思うに……彼らは国家や自治体という『枠組み(行政組織)』自体はそのまま残します。残した上で、中のスカスカな運用システムだけを自分たちの手で置き換えてしまう。役所のトロい予算と重厚長大な手続きを使うより、連合の自己資金と自慢の『マニュアル』で動く社員を投げ込んだ方が、遥かに安上がりで速いと知っていますから」
「……行政の民営化、か」
大川が呟くと、辻は即座に首を振った。
「いいえ。『既存システムのコード書き換え(リファクタリング)』と言った方が正確ですね。行政機構から非効率でバグだらけの処理だけを抽出して、より高速で合理的なプログラムに置き換えて動かす。彼らはただ、社会という巨大なOSの仕様変更を行っているだけです」
「なるほどな……。選挙の時にあの女性候補が街頭で言っていた言葉通りというわけか。『できることはやります。できないことはできません』とな」
二人は静かに立ち上がり、総務省の庁舎を後にした。
彼らがわざわざ庁舎へ足を運んだのは、大川が公安の独自ルートで掴んだ「高山市が『れんごう』側に傾斜した」という極秘情報を、混乱する総務省へ伝達するためだった。
警視正クラスの課長となった今でも、官公庁全体で指折りの「連合案件のスペシャリスト」である大川の分析は、政府内で絶大な信頼を得ていた。
「まあ、どちらにせよだ……今回も連中は寸分の狂いもなく法律の枠内(コンプライアンス)で動いている。総務省が事前に釘を刺した『隣接自治体への無秩序な拡大』でもない。岐阜や長野の飛び地自治体を巻き込むことを法的に止める口実は存在しない。……我々には、指をくわえて見ている以外に選択肢がない」
「ええ。もし無理に国が行政指導で止めたら、なぜ止めたのかという『明確な法的根拠』を説明せざるを得なくなります。そんなことをすれば、今度は電気代カットの権利を奪われた須坂市と高山市の市民・企業から、国が集中砲火を浴びることになりますからね」
2051年 5月 青森県 青森市 青森市役所
緑深まる初夏の青森市役所。その応接室に、長野県須坂市と岐阜県高山市から派遣された政策担当部署の職員および幹部たちが集結していた。
彼らを迎えるのは、古川市長と青森市の行政局長である。
協議は、形式的な挨拶から始まり、驚くほど滞りなくスムーズに進行していった。それもそのはず、古川側は事前の書面協議において、すでに前向きな受入回答を提示していたからだ。
もちろん、総務省もこの動きをただ黙って指をくわえて見ていたわけではない。裏で密かに両市へ接触し、揺さぶりをかけていた。
彼らが突きつけた工作のカードは、『逆サヤリスクと不透明会計疑惑』であった。
「今年度の始めに卸市場で安く電力を調達できたとしても、翌年度初めに世界情勢や燃料高騰で電力価格そのものが跳ね上がった場合、3.1%の削減どころか市側が莫大な差額損(逆サヤ)を抱え込むリスクがある」
「逆に市場価格が急落して含み益が生じた場合、その資金の還流処理を間違えれば、民間企業と自治体による『不透明な裏金会計』として国から監査が入るぞ」
……と、両市の幹部を脅し抜いたのだ。
だが、そんなものは官僚たちの苦し紛れの反撃に過ぎなかった。そうした初歩的な財務リスクなど、連合と青森市の法務チームが制度設計のスタート時点でとっくに織り込み済み(デバッグ済み)だったからだ。
「――行政の皆様が懸念されているその点につきましては、こちらをご覧ください」
古川市長は穏やかな笑みをたたえながら、市内の全世帯・全事業所に送付している「制度案内パンフレット」と「申請用紙の控え」をテーブルの上にすっと差し出した。
「ご覧の通り、双方の書面の最下部に明確な太字で記載しております。『電力市場の急変により逆サヤ等の損害が発生した場合であっても、本市およびB社は追加の補填・支援を行う保証は一切致しません』と」
古川の説明に、高山市の幹部が口を挟む。
「しかし……逆に市場価格が下落して『含み益』が発生した場合はどうなるのですか? 自治体が民間企業の取引から生じた不透明な利益を保持することになりかねませんが……」
「いいえ。そもそも本制度は、民間企業であるB社グループ様が市場で行っている大口調達の枠に、本市が『データとして相乗り』させていただいているスキームに過ぎません。青森市が直接電力の調達枠を売買しているわけではありませんので、構造的に行政側に『含み益』なるものが生じる余地そのものが存在しないのです」
「……ですが! B社側の経営状況や契約条件が変更されれば、市民に対するこの電気代支援制度そのものが維持できなくなるのではありませんか?」
「はい。ですから、最初から『永久的な継続』など一切保証しておりません」
「……え?」
「B社様が来年度もまったく同じ優位な条件で卸契約を結べる保証はありません。国際的な電力市場の相場も変動しますし、青森・長野両工場の操業ラインの稼働状況だって変わります。だからこそ、我々は市民や事業者の皆様に対し、この制度を『永久に保証された権利』としては説明していないのです」
古川は隠す様子もなく、あっさりとと言い切った。
「できる間は、全力を尽くしてやります。……ですが、環境が変わってできなくなったら、その時は『できません』と伝えて終了するだけです」
須坂市と高山市の職員たちは、顔を見合わせ、言葉を失った。
「……あいた口が塞がりませんね。市長選の時に街頭で訴えていたスタンスと、何一つ変わっていない」
古川が誇らしげに小さく呟いた。
「ええ。最初から何も変えていませんし、隠してもいません。……それが『れんごう』の基本原則(プロトコル)ですから」
誠実な顔をした「嘘の公約」で市民を飾る既存の政治家と、冷徹なまでに「免責事項」と「実利の限界」を突きつけて実行する技術者出身の市長。
須坂市と高山市の幹部たちは、自分たちが提示された「甘い罠」の正体が、毒でも何でもなく、ただ徹底的に精製された『冷たい現実の合理性』であるという事実に、背筋が寒くなるのを禁じ得なかった。