翌日 青森県 青森市 青森市役所
長野県須坂市と岐阜県高山市の合同使節団を迎えた青森市役所の協議は、2日目を迎えていた。
自治体間の大枠としての連携協定については合意に達したものの、会議室内の空気は未だピリピリとした緊張感に包まれていた。揉めるのは、まさにここからだからだ。
なぜなら、青森市は『B社長野工場』と『G化学高山プラント』が消費する莫大な電力量をバックボーンに利用することで、「今年度の青森市民および市内事業者の電気料金3.1%削減」という数値を既に公式発表し、市民に確約していたからだ。
ここで須坂市と高山市の2市がそのまま同じ枠組みへ割り込めば、青森市の削減率は目に見えて減少してしまう。
(この事実が公表された時、青森市民の感情はどう動くか――?)
通常の行政施策であれば、「他市に良い顔をして市民の権利を勝手に削った」として、古川市長に市民の激しい非難が集中するところだ。
だが、今回の構図はあまりにも特殊であった。
画期的な一括調達制度をイチから設計し、政府や電力卸市場、大手電力会社とのタフな交渉をまとめ上げてここまで漕ぎつけたのは、連合と連合出身の古川市長である。
市民の目から見れば、須坂市と高山市の2市は、『連合と青森市が苦労して仕留めた獲物に、後からハイエナのように群がってきた厚かましい部外者』という構図にしか映らない。
「自分たちが勝ち取ったはずの恩恵を、他県の自治体に掠め取られた――」
そうした不満の矛先が自市に向けられるリスクを、須坂・高山両市の幹部たちも痛いほど危惧していた。
気まずい沈黙が流れる中、古川市長が穏やかに、しかし計算し尽くされたトーンで切り出した。
「……そこで、両市の皆様にひとつお願いがございます。全体の電力量をさらに大きくして次年度交渉をより優位に進めて、削減率の低下を最小限に抑えるため――皆様の街の『公的施設』が消費する電力量も、このB電力の調達交渉枠に載せていただきたいのです。もちろん、我が青森市も市内の公的施設をすべて枠に投入する方針で参ります」
両市の幹部は顔を見合わせた。
「まあ……市が管理する公的施設(公共インフラ)の電力量なら……」
これが「市内の一般企業や民間工場まで一括で巻き込んで電力量を差し出せ」という要求であったなら、両市としても突っぱねていただろう。民間企業の都合で工場が撤退・縮小した際、議会や青森市、連合から「見通しの甘さ」を追求されるリスクが高いからだ。
だが、自治体が自前で所有する公共施設であれば、需要の予測もコントロールも容易だ。そして公共施設の中には、水処理プラントやゴミ焼却施設、給排水ポンプ場など、24時間単位でそれなりの電力を消費する設備が数多く存在する。
古川は言葉を重ねた。
「それから、今年度(2051年度)の調達枠と給付額はすでに確定しておりますので、両市のご参加は『来年度(2052年度)以降』という扱いになります。これでよろしいでしょうか?」
「……承知いたしました。持ち帰って速やかに手続きを進めます」
両市の幹部たちは胸を撫でおろした。今年度の青森市の取り分を直接奪う形を避け、来年度からの「公共施設込みでの枠拡大」という名目を立てることで、最悪の泥沼劇を回避できたからだ。
2051年 6月 東京 霞が関 総務省
3市の合同協議の結果が霞が関の総務省へ届いた。
自分たちの仕掛けた「逆サヤ・不透明会計リスク」という苦し紛れの仕掛けが華麗に回避されたことに対し、官僚たちにいまさら驚きはなかった。
元より「国として対策は講じました」というアリバイ作りの難癖に過ぎなかったからだ。連合のようなシステム思想の集団が、あの程度の初歩的なバグを潰さずに制度を施行するはずがないことなど、重々承知していた。
「……だが、青森市は2市を二つ返事で受け入れた。本当にいいのか? 明らかに青森市側の取り分(還元率)は減ることになるんだぞ。提出された試算によれば、当初の3.1%だったものが1.8%へ落ち込む。良くても2%前後だ」
「1.8%……ほぼ半減か」
ここに来て、総務省の官僚たちはまた別の新たな恐怖を抱き始めていた。
ほぼ連合と青森市の単独成果であったはずのスキームに、後から便乗してきた2市のせいで、来年からの恩恵が半減させられる。
これは青森市民にとって巨大な行政不満の種になり得る。
その激怒の矛先は、あっさりと他市の相乗りを許した古川市長に向かうのか? それとも、長野工場や高山プラントを調達枠に入れて交渉した詰めの甘い連合・B社に向かうのか?
「いや……時期が問題だ。制度が始まってまだ間もない。画期的な恩恵を生み出したという『初期のインパクト』があまりにも強烈すぎる。青森市民からすれば、後から割り込んできた2市を『恩恵を掠め取りに来たハイエナ』として恨む可能性の方が遥かに高い……」
「地方自治体同士の『不当な結合』を恐れてカマをかけたら、今度は自治体同士の『分断と憎悪』に怯えることになる……。くそっ、我々はどこまで行っても連合の掌の上で振り回されるだけなのか……!」
その時、青ざめた顔をした農林水産省からの派遣官僚が、1冊の仕様書をテーブルの上に置いた。
「……それで、こんなものが持ち出されていましてね」
そこに描かれていたのは、かつて連合傘下の『C社』が、元大手電機・家電メーカーのノウハウを再利用して開発・製造した『害獣防止・盗難防止用電気柵』のカタログであった。
あの協議の裏で、古川市長は両市の幹部に対し、悪魔的な提案を囁いていたのだ。
『自治体が所有する公共の利益となる設備であり、かつ24時間安定して電力を消費する設備として……市域の境界線に張り巡らす“広域電気柵”を調達枠に組み込んではいかがでしょう?』
そう、すでに農家向けの安価な防護資材として市場に一定数出回っている電気柵だ。
もし3市がこの提案に乗り、郊外の山際や山間地域の幹線道路沿いに大規模な自治体管理の電気柵を敷設し始めたらどうなるか?
当然、連合側はあからさまに「C社製の電気柵を購入しろ」などという直接的な売り込み(利益誘導)は一切行わない。そんな野蛮な真似をすれば行政監査で叩かれることを熟知しているからだ。
この公共事業で発生する市場需要の数%でもC社製品が取れればそれで十分――と完全に割り切っているのだ。
総務省の官僚が眉をひそめて尋ねる。
「自治体が導入する公共事業なら、当然フラットな指名入札になるはずだろ? C社の電気柵というのは、他社を圧倒するほど優れた製品なのか?」
「いえ……性能自体は業界平均以下です。どちらかと言えば個人農家向けに徹底した安全設計が施されており、操作の使い勝手と徹底的な価格抑制に特化したモデルです。自治体が鳥獣被害対策で公募する場合、熊や大型イノシシを撃退できる高電圧・高耐久の他社製品が選ばれるのが普通でしょう」
「となると……連合は自治体が直接発注する分の予算はハナから狙っていないということか?」
「ええ……。彼らの本当の狙いは、『自治体全体の電気代が下がったことで、浮いた手元資金を使って個人農家たちが自発的に安価なC社製電気柵を買い走る』という誘導ライン(導線)を敷くことかと……」
少し思いを巡らせた農水省の官僚は、絶望感から強くこめかみを指で押さえた。
今回のシナリオがそのまま現実化すれば、その先に待っているのはまたしても『すべて連合の手柄になる』という決定的な敗北であった。
現在、日本の個人農家はあらゆる農業資材や肥料、燃油価格の高騰により、採算ギリギリか赤字を垂れ流す限界状態に追い込まれている。そして増え続ける害獣と盗難の被害額にも頭を悩めている。
そこに、「電気代が年間数万円から数十万円下がる」という直接的な実利が、連合の作り出したスキームによってもたらされる。
手元に生まれたわずかな資金余力を使って、農家たちは「安価で扱いやすく、最低限の役割を果たしてくれるC社製の電気柵」を購入し、自らの畑を守り始める。
一連の営農投資のきっかけとなったのは、電気代の大幅削減と、手の届く価格で差し出された製品――つまり農家の脳裏には『困った時に助けてくれたのは連合だった』という強力な成功体験が焼き付いてしまうのだ。
たとえ後から農水省やJA(農協)の担当者が現場へ足を運び、「国の補助金制度を活用しましょう」「JA推奨の資材を使いましょう」と熱心にアドバイスを重ねたところで、その認識を覆すことがどれほど困難か……。
「結局、苦しい時に現場で使える制度を考えたのも、実行して電気代を下げてくれたのも、連合さんでしょ?」
現場の農家から冷ややかにそう言い放たれた瞬間、官僚もJA幹部もぐうの音も出ない。
農水省がどれほど厚い農業政策や複雑な補助金制度を積み上げようとも、現場の生産者が「生活と営農が助かった直接の発生源」を連合に結び付けてしまった時点で、既存の行政や農林水産政策に対する信頼そのものが、根底から失われていくのだった。