2051年 9月 和歌山県 海南市 海南市役所
「青森市電気料金特別支援制度」の波紋は、市の境界線を越えて日本全国の地方自治体を揺さぶっていた。
「なぜ青森市ができて、我が市ではできないのか?」
そう問い詰める地元の有権者や市議会からの電話が本庁舎に殺到し、行政の現場は連日その対応に追われていた。
ここ和歌山県海南市でも、職員たちが紙時代の旧登記簿や過去の固定資産台帳を引っ張り出し、連日地道な追跡作業を余儀なくされていた。
「とにかく、市内で大電力を消費している事業所を片っ端から洗い出すんだ!」
課長の怒号に、執務室の職員が一斉に顔を上げる。
「大規模工場だけじゃない! スーパー、ホテル、総合病院、大規模介護施設、冷凍・冷蔵倉庫、温室ハウス、上下水道施設……とにかく電気を食いそうな施設をすべてリストアップしろ!」
「分かりました! ですが課長、各事業所の実際の電力使用量データそのものは、電力会社との契約情報ですから我々行政では把握できません!」
「だから『推定』するんだよ! 延床面積、業種、稼働設備、営業時間、固定資産台帳の資産評価……使えるデータはすべて使え!」
課長は額の汗を拭い、息を荒げながら言葉を継いだ。
「それと、土地と建物の登記簿も遡れ。マイコン導入以前の、紙の時代の分まで全部だ!」
「そこまで調べるんですか……!?」
「そこまでやるんだ! 青森市が一体何を『材料』にしてB社を電力交渉のテーブルに乗せたのか……そのカラクリを解明できないまま『うちの市では不可能です』なんて市民に言えるか!」
誰も反論しなかった。
「いいか、重要なのは『できませんでした』という泣き寝入りじゃない。『我が市のデータを精査した結果、現時点のこの条件では成立しません』と、市民へロジカルに説明できる根拠を作ることだ」
課長の机の上には、すでに分厚くなり始めた調査資料と白黒の登記簿謄本の山が積み上がっていた。
「青森市と同じスキームを稼働させるための“材料”が、我が海南市に本当に存在しないのか。それとも、まだ我々が見つけられていないだけなのか。そこをハッキリさせる!」
――だが、実は海南市役所側も、一番の「大本命」にはすでに水面下で打診を行っていた。
それは、地元に巨大な生産拠点を構える旧財閥『紙村(かみむら)グループ』の中核企業、「紙村モーター(KM)」であった。
関西圏向けおよび一部輸出用のトラックや乗用車を組み立てる同社の海南工場は、発祥の地である愛知県内の工場群をも凌ぐ一大生産拠点だ。その電力消費量は、B社の青森メモリ工場のような超巨大半導体プラントに十分匹敵すると試算されていた。
しかし、ここで「全企業非上場の連合」と、「上場企業の紙村グループ」という、企業としての根本的な立ち位置(構造)の違いが決定的な壁となって立ち塞がったのだ。
役所の応接室で、紙村モーターの役員は申し訳なさそうに、しかし断固とした口調で首を振った。
「……大変申し訳ございません。弊社内でも経営陣および法務で慎重に協議いたしましたが、やはり海南工場は株主の皆様や取引銀行様から資金調達を行って投資した経営資産です。それを『特定の自治体の全世帯・全事業者のため』に電力一括交渉の材料として無償提供することは、企業のCSR(社会的責任)活動の範疇を完全に逸脱いたします」
「……そこまで厳しい話になりますか? 市全体に還元されるのであれば、御社にとっても絶大なイメージアップになるはずですが……」
市役所側の幹部が縋るように尋ねる。
「なります。仮に今年度は市場環境が良くて制度が成立したとしても、来年、再来年もまったく同じ好条件を維持できる保証はどこにもありません。弊社の生産計画やライン稼働率が変われば、電力使用量も大きく変動します。その際に『去年は市民にこれだけの電気代削減率を約束したのだから、会社の身を削ってでも維持しろ』と行政や市民から求められても、弊社としては一切保証できません」
「……」
「さらに言えば、その設備が生み出すスケールメリットという経済的価値を、特定の自治体政策の財源として恒常的に流用することについて、株主総会で明確な説明責任(アカウンタビリティ)を果たせるかという根本的な問題もございます」
市役所側の幹部たちは、完全に言葉を失った。
「……B社様がやっておられるからと言って、上場企業である弊社にまったく同じことができるとは限らないのです」
機関投資家や株主、銀行の目を気にしなければならない上場企業・紙村グループ。
対して、完全な株式非公開による自前資金で動き、株主の目を気にする必要がない非上場組織・連合。
さらに、首長(古川市長)を自前で擁立して行政と一体化できる連合に対し、行政と密接に関わり過ぎれば即座に「特定企業と政治家への利益誘導」「癒着」と叩かれる紙村グループ。
企業としての土台とインセンティブの構造が、初めから丸っきり正反対だったのである。
2051年 10月 青森県 青森市
「――そうですか。こちらの再建提案を受け入れていただけますか」
青森市内のホテルのロビー。
そう尋ねているのは、東京から出張してきた『東京総合経営技術情報社』のコンサルタントの一人であった。
彼の目の前で引きつった笑みを浮かべているのは、青森市内でスーパーマーケットを3店舗展開している地場チェーンの社長だ。
近年のB社工場進出に伴う人口増加により、地場のスーパーも順風満帆の波に乗っている・・・かと思われていた。だが、実際のビジネスの現場は、単に「人が増えたから儲かる」ほど甘いものではなかった。
人口が増加すれば当然、地価が跳ね上がり、店舗や駐車場にかかる固定資産税の負担が激増する。さらに「成長市場」と見なされたエリアには、資金力に物を言わせた大手チェーン店が相次いで雪崩れ込んでくるのだ。
連合系のディスカウントストア『スーパー丸得』、財閥系大手の『スマート・ディスカ』、そして全国展開する『オール・グロッサリー社』の各種フォーマット店――。
あらゆる層を狙った大型店舗に囲まれた結果、地場スーパーは売上の伸び以上に税負担と価格競争の激化が重くのしかかり、ジワジワと経営体力を奪われていたのである。
もともと「東京総合経営技術情報社」は、「七岡銀行」とともに、連合が表に立つことなく地域経済を実験・再編するための「裏の器(経営コンサルティング機関)」であった。
本来、彼らは既存の連合インフラには直接関与しないスタンスをとっていた。しかし、今回の青森市・須坂市・高山市を巻き込んだ「電気代削減スキーム」の波及効果があまりに絶大であったため、動かざるを得なくなったのだ。
電気代が3%前後浮くということは、利益率の低いスーパー業界にとっては営業利益を直接押し上げる劇的なインパクトを持つ。新規投資を狙う企業にとっても、この3市は最優先の進出候補地となる。
コンサルタントとしても、この巨大な地殻変動をただ黙って指をくわえて見過ごせば、これまで築いてきた「凄腕コンサル」としての評価を一気に失いかねなかった。
「では、提出した事業再生計画が執行可能か、こちらで関係各所との最終調整を行います。……なお、当然ですがこの件につきましては、本日締結した契約書の通り、計画実行まで第三者への口外は厳禁ですよ」
「は、はい……! よろしくお願いいたします……!」
地場スーパーの社長は、差し出された契約書に震える手でサインした。
『NEXA』『GRID』『スーパー丸得』――。
これまで流通・小売りという巨大市場において、徹底的な現場主義で既存のマーケットを破壊・再構築してきた連合の血筋を引く者たちが、青森市の電気代削減によって生まれた「新たな構造変化」を逃さず、再びその巨大な食指を伸ばし始めていた。