2051年 12月 青森県 弘前市 谷友運輸
「――とりあえず、実証実験にご参加いただくための社内準備がすべて整いましたので、ご連絡いたしました」
「ありがとうございます……! 本当に、助かりました……!」
受話器を握りしめる谷友運輸(たにともうんゆ)の社長・藤下(ふじした)は、込み上げる安堵から思わず声を震わせた。
谷友運輸は、弘前市を拠点に地元の生鮮食品や農産物を中心に運搬している中堅の物流会社だ。長引くドライバー不足により、一時は廃業の危機に瀕していた。しかし、連合傘下の派遣機関『J社』から送り込まれたインドネシア人ドライバーと連合独自のコンプライアンス・スクリーニングを通過した日本人前科者ドライバーの雇用に切り替えたことで、なんとか現場のオペレーションを維持してきた経緯がある。
だが――2051年、青森県内の物流業界を再び強烈な地殻変動が襲った。
原因は言うまでもない。隣の青森市が打ち上げた、あの悪魔的な「電気料金特別支援制度」であった。
生鮮食品や水産・畜産物を品質を落とさずに運ぶためには、定温倉庫や巨大な冷凍・冷蔵プラントが絶対に欠かせない。故に、莫大な電力を24時間消費する「電気代」は、物流・倉庫業者にとって経営の首を絞める特大の固定費であった。
それが青森市ではどうだ。
一般家庭が3.1%カットされる横で、運送・倉庫業者などの事業用電力に対してはさらに優遇された「一律3.3%還元」という破格の支援金スキームが適用されることになったのだ。
当然、青森市内に大規模な冷蔵倉庫を構える同業者たちは、制度の適用を見越して即座に保管料や配送運賃の引き下げを断行してきた。
この影響を最もダイレクトに受けたのが、谷友運輸のような「弘前市の同業者」であった。
とくに関東や首都圏の大手流通業者から見れば、弘前市も青森市も広域物流の拠点としては「目と鼻の先の誤差」に過ぎない。一時保管や配送中継基地として利用していた関東の大手顧客が、雪崩を打って青森市の倉庫業者へ乗り換えていったのだ。
(弘前周辺で収穫された野菜であっても、わざわざトラックで数十分走らせて青森市の安価な冷蔵倉庫に預けた方が、保管コストの削減分でガソリン代も人件費も丸々浮いてお釣りが出る――)
そんな冷酷な経済の合理性を突きつけられ、谷友運輸の保管部門は一気に閑古鳥が鳴く事態に追い込まれていた。
危機感を抱いた藤下は、青森市内に自社専用の新たな定温冷蔵倉庫を確保しようと動いた。
だが、時すでに遅し。青森市内の既存の中古倉庫や居抜き物件は、電気代削減の恩恵を狙うあらゆる業界の事業者によって疾風の如く買い占められており、地価が高騰する市内に巨額の投資をして倉庫を「新設」するしか選択肢が残されていなかった。
地価県内トップの青森市で真新しい冷蔵プラントを建てるなど、自社の手元資金で賄えるはずがない。
藤下は地元最大手の地銀『青森産業銀行』に駆け込み、新設倉庫の融資申請を出した。結果、審査自体はなんとか通過したものの、提示された条件は「金利4.0%」という、今の谷友運輸の財務体力では首が回らなくなるほど厳しいものであった。
困り果てた藤下が相見積もりを取ったのが、近年、独自の事業評価と爆速の融資審査で地方金融界を席巻している『七岡銀行』であった。
しかし、七岡銀行から返ってきた当初の回答は、青森産業銀行よりもさらに高い「金利4.25%」であった。
だが、七岡銀行の担当者は、がっくりと肩を落とす藤下に1枚の名刺と提案書を差し出してきたのだ。
『――藤下社長。現在の事業計画書のままでは、当行としても4.25%が限界です。……ですが、当行が提携しているコンサルティング会社と一緒に、事業計画そのものを抜本的に見直してみませんか? 内容次第では、金利を“2%台”まで一気に引き下げられるような、画期的なアイデアを出してくれるかもしれませんよ』
そして紹介されたのが――あの『東京総合経営技術情報社』であった。
融資審査とコンサル、そして裏で繋がる連合の巨大なアセット。もはや、既存の業界を再編する際のお決まりの「コンストラクション(構造)」であった。
谷友運輸の社長室。
東京総合経営技術情報社から派遣されてきた若いコンサルタントは、ノートパソコンを閉じ、静かな口調で切り出した。
「……金利4.0%、ですか。いえ、現在のような不透明な経済情勢において、青森産業銀行様は御社の過去の実績を非常によく評価され、最大限に頑張った数字を提示されたと言えますよ」
「……あ、やっぱりそうですか……」
「ええ。ですが――それでは御社の利益は残りません。新倉庫を作っても、電気代の削減分がそのまま銀行への金利返済や税金に消えていくだけです」
コンサルタントは、他行の対応を丁寧にフォローしつつ、鞄から一冊の分厚い事業計画書を取り出してテーブルの上に滑らせた。
「……それで、七岡銀行さんが言っていた、金利を2%台にできるかもしれない計画書というのは……?」
藤下は、目の前に置かれた厚い紙の束に吸い寄せられるように齧りついた。ページを捲り、図面や収支シミュレーションの隅々まで食い入るように読み込んでいく。
そこに書かれていたのは――まさにこの東京総合経営技術情報社が得意とする、『既存の業界の巨人たちが抱える巨大な無駄(バグ)の足元をすり抜け、隙間市場(ニッチ)を丸ごと奪い取る』ような、極めて小賢しく、そして恐ろしく合理的なビジネスモデルであった。
「……冷蔵宅配の『スーパー店舗受け取りロッカー』事業……ですか?」
藤下が顔を上げ、疑問を口にした。
「はい。まず前提として、現在の宅配業界において“荷物の再配達”が現場のリソースとトラックの稼働率を劇的に圧迫していることはご存じですね? とくに、通常の置き配が不可能な『冷蔵・冷凍荷物』は、顧客が自宅に不在であれば持ち帰らざるを得ず、営業所の貴重な冷蔵保管スペースを延々と占有し続けることになります。そのスペースが空くかどうかは、注文した一般家庭の“気まぐれな在宅状況”に完全に依存しているのが現状です」
「ええ……それは物流ニュースでも毎日のように報道されていますから、痛いほど分かります」
「では、なぜ受取人は指定の時間に自宅に居ないのか? あるいは営業所に引き取りに行かないのか?後者の原因はシンプルです。“営業所が家から遠いから”です。青森市内であっても、宅配大手の主管支店や営業所は郊外の幹線道路沿いにあり、一般市民がわざわざ車を走らせて引き取りに行くには数キロ離れているのがザラでしょう。また営業時間も夜8時までと絶妙に使い辛い。残業すればタイムオーバーになる人が多い。」
コンサルタントは、1枚のエリアマップをすっと差し出した。
「でしたら、営業所よりも遥かに身近で、市民が『ついで』に立ち寄れる日常の生活導線上の施設に、冷蔵保管の拠点を作ればいいのです。……例えば、市内の『スーパーマーケット』の中に」
マップに落とし込まれていたのは、東京総合経営技術情報社と七岡銀行が水面下でアプローチをかけ、再建支援の契約を結んでいた青森市内の地場スーパーや中堅チェーン店の店舗網であった。
「……ですが、すでにコンビニエンスストアでの荷物受け取りサービスは定着していますが……」
藤下が指摘すると、コンサルタントはフッと口元を緩めた。
「藤下さん。コンビニの店頭荷物受け取りも、現場のオペレーションから見れば宅配営業所のミニチュア版に過ぎないとは思いませんか?」
「……あ。そうか、スペースの問題か」
「その通りです。コンビニの狭いバックヤードには、大型の冷蔵荷物を何十個も保管しておく容積などハナから存在しません。アルバイト店員のレジオペレーションの負荷も限界です。……ですが、ある程度の規模を持つスーパーマーケットであれば話は別です。彼らは店舗裏に広大な業務用冷蔵・冷凍設備を既に所有しています」
コンサルタントは指でマップの店舗を突いた。
「昨今の電気代高騰や大手ディスカウントストアの進出により、地場スーパーは顧客数が伸び悩み、店舗の冷蔵能力を持て余しているケースが多々あります。さらには電気代が削減されることと顧客数の伸びに論理的な繋がりはありません……そこに、谷友運輸様の名義で『簡易型の鍵付き冷却受け取りロッカー』を設置させていただくのです」
「……ロッカーを、スーパーの店内に?」
「ええ。これは月額利用の個人契約(会員制)を想定しています。契約されたお客様には専用のスマートキーをお渡しし、届いた冷蔵宅配物は、ドライバーがそのスーパー内の専用ロッカーにダイレクトに納品する。受取人は、夕方や残業後の買い物のついでにロッカーから荷物を取り出して帰るだけです」
「なるほど……スーパー側にしてみれば、荷物を引き取りに来た客がそのまま自店舗でついで買いをしてくれるから、集客装置(ついで買い)として機能するわけですね?」
「その通りです。だからこそスーパー側はロッカーの設置場所を無償に近い形で提供し、店舗の防犯カメラや警備体制の監視下に置いてくれる。谷友運輸様としては、自前で高額な土地を取得して巨大な倉庫を建てる必要すらなくなります」
「……しかし、収入の柱は会員顧客からの月額利用料だけですか? それだけで新融資の返済が……」
「いいえ、藤下さん」
コンサルタントはニヤリと笑った。
「当然、『大手宅配企業』からも集荷・配送の委託手数料をしっかりと徴収します」
「なっ……!?」
藤下は絶句した。
宅配大手と言えば、全国に網の目を張り巡らせる巨大インフラ企業だ。一地方の弱小運送会社が、そんな巨人の足元を見るような強気のディールを突っ込んで、相手が首を縦に振るはずがないと思ったのだ。
――だが、その「巨人」たる大手宅配企業すらも、いまや現場のドライバー不足と再配達のコスト爆発によって青息吐息であり、連合傘下の『J社』から人員を融通してもらわなければ毎日の配送網すら維持できない惨状に陥っていた。
コンサルタントは、業界の裏情報など聞かずとも、現場のデータを見ただけでその窮状を完全に見抜いていたのだ。
(――ドライバーが営業所に荷物を持ち帰る代わりに、市内に点在する指定スーパーの専用ロッカーへ一括納品してくれれば、再配達の走破距離を削減できる。谷友運輸が自社の集荷ネットワークを使って配送を補完してくれるなら、自社のスペースと人員に莫大な余力が生まれる。総合的に見て、谷友運輸に手数料を払った方が遥かに低コストだ――それにあくまで『手間のかかる冷蔵品だけ』であって、通常配送需要まで取られるわけじゃない。)
大手のロジスティクス担当者が、そう合理的に判断せざるを得ないギリギリの攻防。
もちろん、大手との契約交渉は極めてタフで難航を極めた。いくら現場が切迫しているとはいえ、大企業としてのプライドを持つ彼らが、一地方企業の持ち込んだ変則的な提案に簡単に折れるはずがなかったからだ。
連合出身であるコンサルタント自身も、そのプライドの高さと組織の重さを熟知していたからこそ、この交渉の詰めに最も時間を費やしたのだった。
経営の傾きかけた地場スーパーを見つけ出すことにも、谷友運輸のような現場の足回りを持つ運送会社を引っ張り出すことにも、大して時間はかからなかった。
経営再建プランを提示し、七岡銀行の「低金利融資」という甘い餌を差し出せば、駒は勝手に揃う。
大手宅配数社から『専用ロッカーへの一括納品委託契約』を力ずくでもぎ取ること――それこそが、この青森の地で「新たな物流エコシステム」を完成させるための、最後のピースだったのである。
「……藤下社長」
コンサルタントは、驚愕のあまり固まっている藤下の目を選び、穏やかに微笑みかけた。
「この事業計画書であれば、既存の固定資産投資リスクを劇的に抑えつつ、確実なストック収入が見込めます。七岡銀行の本部審査も、これなら『金利2%台』も視野に入れてくれますよ。……いかがされますか?」
藤下はゴクリと唾を飲み込んだ。
目の前に提示されたのは、単なる資金繰りの救済策ではない。弘前という地方の弱小運送会社が、青森市の電気代削減という地殻変動を逆手に取り、大手宅配インフラの隙間に爪を立てて生き残るための、あまりに完璧な「設計図」そのものであった。