2052年 11月 東京 虎ノ門 国民自由党本部
「……どういうことだ?」
「さあ……我々にも、何が起きているのか……」
国民自由党本部の暗い会議室。重苦しい空気の中、党幹部や政策調査会の面々が顔を突き合わせていたが、議論は一向に深まらなかった。
つい先日、鹿児島県指宿(いぶすき)市議会議員選挙と、岡山県岡山市長選挙が相次いで告示された。
両市とも地方都市特有のインフラ問題を抱えており、政治の隙を突いて政党・れんごうが「第2、第3の青森市」を作り上げるべく、候補者を送り込んで侵攻を開始する絶好の入口が開いたかと思われた。
与党本部は防衛陣形を整え、厳戒態勢で身構えていたのだ。
しかし――れんごうはどちらの選挙にも、独自の立候補者をただの1人も擁立しなかった。
「……どちらも、連合傘下の企業にとって大規模な生産拠点やプラントがある街ではない。だから単に見送った、ということか?」
「やはり青森市の場合は、連合傘下B社のあの規格外な巨大メモリ工場と、そこから生み出される圧倒的な電力需要という『背景』があったから成立した奇跡に過ぎなかったのか……?」
「……普通に考えれば、そうなる。……『普通』なら、な……」
幹事長・倉本は、デスクの上で固く拳を握りしめながら潰やいた。
倉本が混乱している通り、党幹部から若手議員、そして長年選挙戦略を練ってきたベテラン職員に至るまで、誰一人としてれんごうの行動原理を読み解くことができずにいた。
歴代の経済産業大臣や総務大臣から伝え聞く「連合の基本原則」らしきものは存在する。
効率の徹底、コストパフォーマンスの追求、そして無駄の排除。どれも『高効率』を渇望する性質だ。だが、彼らの繰り出す手はそれだけでは読み解けなかった。
効率化を追求する企業や団体はあまた存在するが、それと比べてもあまりに『企業』としても『政治団体・秘密結社』としても従来の型から外れ過ぎているのだ。
「……現状の成果で満足しているのか? それとも、青森市でぶち上げたあの『ハコモノ再編・縮小』の対応で手一杯ということなのか……?」
青森市の第2弾改革として古川市長が打ち上げた、市有施設の大規模統合と除雪費への集中投資。あの大ナタの調整に全リソースを割いているため、他県への横展開どころではない――それが、現在党内で最も有力視されているシナリオであった。
だが嫌なことに、就任初年度に『電気代支援制度』で市民の心を完全に掴み、支持率を不動のものにした2年目に、この痛みを伴う『ハコモノ削減』をぶつけてきた。その狂いなきスケジュール感には、あまりにも計算され尽くした、いやらしいほどの計画性が見え隠れしていた。
2052年 11月同月 東京都 霞が関 総務省
相次ぐ地方選挙で、これ以上れんごうに自治体の主導権を食い荒らされずに済んだ総務省の官僚たちの間には、胸を撫でおろす安堵の空気が流れていた。
2年ほど続いた緊張の糸が解け始めて、久しぶりの束の間の休息を噛み締めようとしていた。
しかし、そのささやかな平和は、一通の極秘タレコミによって一瞬で崩れ去った。
日本の主要電力会社たちが結成する業界団体『全日本電力総合会』の幹部から、総務省の自治行政局長あてに、青ざめた声で緊急連絡が入ったのだ。
「大変なことになりました……! 民間小売大手の『オール・グロッサリー』が、我が国の各電力会社に対し、連合のあの『自治体包括電力削減スキーム』を持ち込んで直接交渉にやってきたんです……!」
「……な、なんだと!?」
かつて和歌山県海南市が、旧財閥系製造業の「紙村モーター」が、上場企業としての安定稼働保証や株主への説明責任といった壁に阻まれ、このスキームへの参画を断念した経緯があった。「上場企業である限り、自治体の電気代のために自社設備を差し出すようなリスクは冒せない」――それがこれまでの常識だったはずだ。
しかし、同じく上場企業であり、全国に膨大な店舗網を展開する各種小売り大手「オール・グロッサリー」は、その常識を強硬突破してきたのだ。
彼らが電力会社、そして自治体へ提示した交渉ノウハウの文書には、こう記されていた。
『自治体様の電力提供具合やその他環境にもよりますが、我が社が保有する自治体様の登記店舗の『電力使用枠』を、各地域の貢献枠として提供する用意がございます』
製造業と違い、小売店舗は顧客の受注具合によって電力需要の長期低迷を起こすリスクが極めて低い。・・・まあ固定費を言い換えただけの表現だが。さらに、何十年もの店舗稼働実績から弾き出される電力需要データは極めて安定している。
そして、懸念される株主や主幹事銀行への説明責任に対して、彼らが用意したロジック(方便)はあまりにも明快であった。
『我々の顧客は、他ならぬ地元住民の皆様です。我が社の店舗電力を枠組に差し出し、地域に電気代助成金が下りて住民の可処分所得・購買力が回復すれば、巡り巡って我が社の店舗売上に直接貢献します。この取り組みによる我が社からの持ち出し資金は限定的であり、極めて合理的な経営戦略として考慮する価値がございます』
今回の件で総務省にとって何より厄介だったのは、連合自身が裏で糸を引いて動いているわけではないということだった。
オール・グロッサリーの経営陣が、青森市で成立したあの制度のニュースを見て、勝手にこう学習してしまったのだ。
『連合という企業体がやったスキームなら、我々のような大手流通チェーンでも同じことができるのではないか?』……と。
電力会社側はこれまで、連合傘下のB社のような巨大施設を持つ企業に対しては、大口顧客として格別の特別優遇条件(リベートや従量単価の引下げ)を提示してきた。
しかしB社の場合、圧倒的なスケールの巨大工場を抱えており、長期的な電力需要が極めて大きい。おまけに非上場企業であるため、「条件が合わなければ工場需要を他県や海外へ移転させる」といった強気な交渉カードを平然と切ってくる。
対して、オール・グロッサリーにはそこまでの脅威的な交渉材料はない。
そのため『電力会社がB社に提示したほどの異例の便宜を図る……要するに、地元自治体の電気代まで丸ごと優遇してやる理由になるのか?』と問われれば、電力会社側の答えは明確に『否』であった。
電力総合会は今回は「謝絶(拒絶)」する方針を固めた。
だが、総務省の官僚たちが本当の恐怖を感じたのは、その先に潜む「地獄のシナリオ」であった。
今回は電力会社側の毅然とした判断で突っぱねることで事なきを得そうだが、もし今後、電力業界のシェア争いや政治的圧力で状況が変化したらどうなるか?
仮にオール・グロッサリーのような小売企業の申し入れを一度でも認めてしまえば、次は外食チェーン、ドラッグストア、通信事業者といった全国の大企業が雪崩を打って同じことを始めだす。
『我が社の全国店舗網なら、もっと大きな電力量をまとめられますよ』
『我が社の基地局インフラの電力を自治体に提供するから、我が社の地盤自治体の電気代を安くしろ』
紙村モーターのような製造業が身を乗り出さなかったのは、自社製品(自動車)と地域住民の財布の直結度が薄かったからだ。「電気代が年間1万円浮いたから新車を買おう」と思う住民はいない。
だが逆を言えば、住民の購買力とダイレクトに直結しているスーパーや流通・外食産業のような業種にとって、連合が発明した「自治体包括電力削減」という制度そのものが、企業の最強の販促・経営戦略として全国で増殖してしまうのだ。
そうなった場合、追い詰められた電力会社側が次に考えるのは、当然生き残りのための『防衛策』である。
一番手っ取り早く思い至るのは、『託送料金(送電線の使用料)』の引き上げ・見直しだ。
日本の電気料金は大きく分ければ、契約に応じた「基本料金」、使った分だけ支払う「従量料金」、そして送配電網の維持・使用料にあたる「託送料金」で構成されている。
自治体と大企業が組んだ削減交渉によって、自治体全体の「従量料金」が強引に叩き落とされれば、電力会社としては送電網の維持費を回収するため、別の部分(託送料金)でコストを補填せざるを得なくなる。
しかし、全国の市町村単位で細かく託送料金の計算式を変えれば、電力会社の事務管理コストは天文学的に跳ね上がる。
例えば、青森市だけ特別な低価格計算式にする。
その隣の市は通常料金。
さらにその隣の市では、別の流通大手が交わした大口契約料金が適用される。
そんなモザイク状の料金体系を管理するのは現実的に不可能だ。
そうなると、電力会社が取り得る最終手段はただ一つ――『東北地方全体』など、広域エリア一括で託送料金を一斉値上げして損失を穴埋めすることである。
そしてそれは――
『なぜ、特定の市が自治体削減制度で得をするために、関係のない東北全体の住民や企業の電気料金が跳ね上がるのか!?』
という、まったく別の地獄のような政治的・地域的対立を引き起こすことを意味していた。
全日本電力総合会の幹部は、総務省の担当者に最後にこう告げて電話を切った。
「総務省さん……この流れが他社や他自治体に広まれば広まるほど、これはもはや単なる民間と電力会社の料金交渉では済まなくなります。……特定の自治体のエゴが周辺地域を食い荒らす、巨大な『地域格差の政治問題』として日本中が炎上しますよ」