ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第164話

2053年 7月 青森県 青森市 坂田フィールズ社

 

青森市内で、社員80名規模の製造・整備事業を営む『坂田フィールズ社』。

この会社は全社員80名のうち、実に半数にあたる40名を派遣社員によって構成していた。そして、その40名の派遣枠のうち、たった「2名」を連合傘下の総合人材企業『J社』が受け持っていた。

 

サプライヤー(供給企業)に対する監査のように、現地の工場敷地にプレハブ小屋を直接持ち込んで24時間体制の隠密監視を敷くような真似は、さすがに一派遣先の企業に対してまでは行わない。そんなことをすれば、どれほど巨大な資金力を持つ連合であっても途方もない赤字を垂れ流すことになるため、端からやらないのだ。

 

だが――客先(クライアント)であるはずの坂田フィールズ相手に対しても、彼らの取る対応はどこまでも容赦なく、そして強気であった。

 

「そ、そんな無茶な……! それは流石に困ります……!」

 

坂田フィールズの社長が、冷や汗をダラダラと流しながら縋るように声を上げる。

 

「そうですか」

 

目の前に座るJ社の男性監査員は、ピクリとも表情を崩さなかった。

 

今回、J社が内部調査によって突き止めた坂田フィールズの違反行為は、単なる「給与条件の虚偽申告(求人詐欺)」にとどまらなかった。契約外の危険・専門業務への「業務内容逸脱」、そして「労働時間規定(残業・タイムカード)違反」の3重苦であった。

 

そもそも、J社がこの会社に紹介した2名の派遣スタッフは、ただの汎用作業員ではない。

彼らは以前、大手自動車メーカーで期間従業員として現場を経験した後、J社が自前で雇用した熟練の高齢ベテラン技術者から、精密な車両設計と高度な板金加工技術を叩き込まれた『自動車のエキスパート人材』であった。

 

坂田フィールズの主力事業は「車両整備」であったが、中でも最も高い粗利益を叩き出していた看板事業が、顧客の趣味や特殊用途に合わせた『車両カスタム(改造・特注整備)』であった。

顧客からのマニアックな要望や、毎年のように変わる道路運送車両法の法改正に合わせた保安基準などの知識は、もともと会社として十分に持ち合わせていた。しかし、最大のネックとなっていたのは「その複雑なニーズをCADで図面化する設計能力」と、「実際に金属を曲げ、溶接して寸分違わず形にする熟練の手技」を持つ現場人材が圧倒的に不足していることだった。

 

当然、そうした特殊スキルを持つエキスパート人材の派遣待遇条件は高くなる。

J社が契約時に坂田フィールズ側へ提出した条件では、支払うべき年収の下限を『年収450万円以上』と厳格に設定していた。

 

しかし4年前、契約締結の際に坂田フィールズの社長はこう渋っていたのだ。

 

『すみませんがね、J社さん。うちとしても、まずはその2名のお人柄や現場との相性、本当にそれだけの技術があるかを実際に見極めた上で判断したいのです。最初の試用期間として、年収390万円相当の単価で試させてはもらえませんか……?』

 

J社側は冷徹に条件を提示した。

『では、その例外単価の適用期間は“最長6か月間”とします。この条件で両者の合意が得られた場合に適用とします。』と。

 

……それから、すでに4年の月日が流れていた。

 

J社の定期アフターフォロー追跡システムに入ってくる情報では、4年が経過した現在も、2名の年収はどちらも『年収410万円程度』にとどまっていたのだ。

 

半年に一度訪れる契約更新と昇給判定のたび、J社はシステム経由および文書で『契約時の基本条項に違反している。速やかに年収450万円以上を保証し、当人たちへ未払い分の還元をせよ』と、坂田フィールズ側へ明確な警告(アラート)を発し続けていた。

 

それに対して坂田フィールズ側が返してきた言い訳は、こうだった。

 

『あれはですね、当社の平均モデル賃金から算出した額でありまして……同年代の現場でなら十分な高待遇ですよ』

 

この言い訳こそが、J社の規定するレッドライン(禁忌)に直接触れたのだった。

 

J社は企業から求人票を受け付ける際、担当者がしつこいほど何度も釘を刺していたのだ。

 

『社員の単なる「平均値」や「努力目標」の数字ではなく、勤続3年以内に“確実に支払うことを保証する最低金額”を明記してください』……と。

 

坂田フィールズは、自ら『6カ月例外契約』を提示しておいて、正式契約条項をもう1年間にわたって反故にし、虚偽の報告を繰り返していたのだ。故に、J社は規定に基づき、抜き打ちの『強制契約監査』という強硬手段へ踏み切ったのである。

 

J社による監査の手網は、坂田フィールズの事務所へ乗り込んでくる遥か前から張り巡らされていた。

 

タイムカードに打刻された出退勤時間と、実際の工場での稼働時間との間に発生している大幅な「乖離(サービス残業)」。

普通の派遣会社であれば、「なにやら残業違反の噂がありそうだから」と乗り込んで口頭で注意し、揉めた挙句に派遣契約を解除して引き揚げる(バイバイする)するか、見なかったことにするのが関の山だろう。

 

しかし、J社は違った。

監査に踏み切る直前の1週間、該当する派遣スタッフ2名から事前に聞き取った「実際の平均的な出勤・退勤時間」に合わせて、J社の監査チームが早朝と深夜の工場近くで身を潜めて待機。退勤してきた当人たちと直接対面し、タイムスタンプ(時刻暗号)付きの電子サインと社屋出入り口前で写真を撮影。それらを収集・保持していたのだ。

 

さらに――追跡調査の過程で、2名のうち1名が、坂田フィールズの正社員すら敬遠する「特殊塗装用の高圧噴射機械」や「有機溶剤・塗料薬品」の全管理・発注業務を一人で任されていた事実まで発覚した。

J社が地元の資材仕入先へ照会をかけたところ、過去2年間にわたって、その派遣スタッフ個人の名義や指示によって出された部品・塗料・薬品の注文メールデータが大量に発掘されたのだった。

 

「管理責任の重さ」がないからこそ、正社員よりも給与設定を低く抑えているはずの派遣社員に対し、実際には正社員以上の業務責任と薬品管理のリスクを一方的に押し付けていたのだ。

 

・求人提示条件(年収保証)の不履行

・タイムカードの改ざんおよびサービス残業(労働基準法違反)

・契約外の管理責任業務への逸脱行為

 

この決定的な3つの違反事項。

J社が契約書内に定めている「契約違反監査の即時実行規定」の要件に、完璧すぎるほどガッツリと引っかかっていた。

 

一般的な派遣会社が突きつけてくるような、「本人がそう言っています」という客観性に欠け、会社側がいくらでも「言った言わない」「勘違いだ」と口先で躱せる生ぬるい証拠ではない――。

坂田フィールズの社長は、目の前に並べられた反論不能な物理データの山を目にして、自分たちの退路を完全に塞がれたことを悟り、泣き脅しに走っていたのだ。

 

「……そ、そんなに我が社の条件や現場のやり方が厳しいとおっしゃるなら……! この辺の20代半ばの若者に400万を提示することがどれほどの努力か調べてください……!」

 

開き直り混じりに叫ぶ社長に対し、J社の監査員は冷ややかな視線を向けた。

 

「相場という話でしたら、少し前提が違いますね。単純労働の相場でしたらそうなのでしょう。しかし、我が社が派遣した2名は設計・板金技術を持つ若者です。彼らがどれほどの市場価値があるのか、逆にお尋ねしますが?」

 

「くっ……それは……」

 

「お分かりのはずです。でしたら……今後は御社が自前のコストと時間をかけて一から人材を育てるか、我々が提示する正規の労働条件(未払い分の補填を含む)を全て飲んでいただくか、あるいはカスタム事業サービスの質を落とせば良いのではないでしょうか?」

 

監査員は静かに手帳を閉じた。

 

「『良い技術やサービスを、より安く提供する』――それ自体は素晴らしい企業の努力でしょう。しかし、それが度を過ぎて働く人間の権利を不当に削り取るのであれば、それは単なる『搾取』です。御社は今回、自らサインされた契約条件という一線を完全に踏み越えてしまったのですよ」

 

資本主義において、コストカットは正義とされる。しかし、それは「法と契約の遵守」という大前提があって初めて成り立つものだ。坂田フィールズはその一線を甘く見すぎていた。

 

「最終的なご回答は、本日より『2週間後』までにお願いいたします。なお、契約書に定められている通り、一連の契約違反に対する違約金・損害賠償請求も発生いたしますので、そちらの請求明細は明後日までに正式にお送りいたします。……ああ、それと」

 

監査員は席を立ち上がりながら、最後に事務的なトーンで付け加えた。

 

「今回の調査データ一式につきましては、本日付けで青森労働基準監督署へ正式に通報を行わせていただきます。もっとも……行政指導や是正勧告がどのタイミングで御社に入るかは、労基署側の行政都合となりますが」

 

ガタガタと膝を震わせる坂田フィールズの社長を残し、J社の監査員は悠然とした動作で社長室を後にした。

 

先月の厚労省でのやり取りの通り、J社は自分たちの「調査ノウハウ」を労基署や行政へ教えるつもりなど毛頭なかった。

彼らはただ、完璧に精製された違法データを労基署の窓口へ機械的に叩きつけ、行政指導という名の法的な「オチ」を静かに待つだけなのだ。

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