同月 愛知県 名古屋市 紙村・河内グループ合同協議会
日本経済の屋台骨を支え続けてきた二大旧財閥――「紙村」と「河内」。
両財閥は、政府および各省庁の官僚たちと裏で密接に手を組み、利用し合いながら、日本国内で異常繁殖を続ける「連合」の勢力圏を物理的に潰すのではなく、それとまったく同等のインフラ・機能を保険として構築する『第二連合』と呼ばれる対抗勢力を形成していた。
いまや、日本の政財界における表面的な存在感・発言力において、二大旧財閥よりも「連合」の方が遥かに上に位置していた。連合の絶対的中核である『D社(D財閥)』は、名実ともに日本経済の頂点に祀り上げられている。
しかし――永田町や霞が関の極限られた政府高官しか知らない「巨大な裏(真実)」が存在した。
D社の財務体質はボロボロどころか、「本業の収支(単体利益)などほぼゼロに等しい」というあまりに歪な実態であった。
自前で蓄積した純資産や資金力という観点で見れば、『D財閥単体』の財務は話にならないほど貧弱であった。紙村や河内といった旧財閥が牙を剥くまでもなく、それこそ小売大手のオール・グロッサリー社一社だけで一瞬にして吹き消すことができるほどの軟弱さなのだ。本来であれば「財閥」と名乗ることすらおこがましいハボテの存在であった。
(『連合』という巨大な多事業生態系の頂点としては、間違いなく日本最強の企業グループの中核企業。だが……『D社単体』として切り離せば、万年大赤字の巨大な不良債権――)
そんな歪で不気味なモンスターこそが、連合の正体であった。
名古屋の料亭の奥の院。重厚な座敷の中で、両財閥の最高幹部たちが静かに茶をすすっていた。
「……連中め。今度は『人材派遣』の領域で好き放題に暴れ回りおって……」
「しかしな、その『暴れるための生け簀(逆指名派遣)』をお膳立てして用意したのは、他ならぬ厚労省の官僚様と国会議員ども、そして経団連の甘えだ」
河内グループの幹部が、冷ややかな吐き捨てるように言った。
5年前の労働派遣法改正――あの「逆指名派遣制度」の導入に対し、紙村も河内も裏では明確に反対の立場をとっていた。
だが、当時すでに国内の企業全体における人件費の圧迫は限界を超えていた。企業が生き残るためには、『高度な技術を持つ現場人材を即座かつ安価に吸い上げ、不要になれば市場へ即日にでもお返しして別の会社で使い回してもら(リスクを外部化する)、後のことはJ社など派遣会社に丸投げして、我々は知らん』という不快なエコシステムが必要不可欠とされたのだ。
『企業を破綻から守り、ひいては労働者の雇用機会を確保するためである』――そう理屈をこね回され、連立労働組合の本家である「連合(※労働組合側の連合)」の老舗幹部たちすらも、渋々この制度を認めざるを得なかった。
加速する少子化と絶対的な人手不足。大企業が下請けに出している製造プラントや、サービス業の現場において、「熟練の判断ができる人材を使い捨てに近い形式で迅速に調達・破棄する」という悪魔の選択肢以外、日本経済を回す術が残されていなかったからだ。
経団連に所属する大手製造・流通企業たちが悲鳴を上げ、それを汲んだ国会議員が動いて、厚労省、経産省、財務省がタッグを組んで法案を提出。
そうして誕生した「逆指名派遣」という狂気の制度の副作用として、J社という怪物が解き放たれ、今や市場全体で暴れ回る結果となったのだ。
「だいたいだ……連合の誇る『日総職スクール』のあの狂気的な教育能力だけでも、十分に化け物組織なのだ。その『人材教育事業特化の神奈川校』を持つJ社だ。J社単独でも高度技能人材を育成・錬成する能力が業界の比ではないことくらい、役人どもも業界人も嫌と言うほど見せつけられていただろうに。そこに連合企業のリソースが加わればどうなるかくらい、火を見るより明らかな必然となぜ気付かなかった……」
「おそらくは……いつもの『その場しのぎの延命』のためか、あるいは単に『J社にシェアの一部は奪われるだろうが、最後は歴史と伝統のある由緒正しきブランドに周りが縋ってくるはずだ』と、本気で高をくくっていたのだろうな」
両財閥ともに、水面下で厚労省の高級官僚数名を呼び出して詰問(ヒアリング)を行っていたが、彼らの口から大義名分の裏にある真の理念などが語られることはなかった。
どれほど財閥の力があろうとも、コンプライアンスが叫ばれる現代において、昭和の時代のような露骨な密室政治を表立って行うことはできない。それゆえ、理念の化かし合いという形で、万が一外部へ漏れても「高尚でクリーンな政策議論」として聞こえるよう、官僚も財閥側も高度に訓練されていたのだ。
「まあよい……正直、政府の無能さにはそろそろ我慢の限界に近いところだ。……その政府から、我が『第二連合』へ新たな泣きつき(要望)が届いた。『このJ社の暴走の波を、どうにかして食い止めてくれ』とな」
「……あの事業(物流・介護・教育)以外にもう追加しないという話ではなかったのでは?まあ、策は有るし、新たな収益源になり得るから乗ってやるが……政府にはそろそろ痛い目を見てもらわねばならんな。『自分たちの甘え』が招いた隙であるというのに、我々財閥に縋ればいつでも不始末を揉み消せると思っているようでならん。」
「まさに甘ちゃん、ですな。……まあ、第二連合の構想を最初に出案した公安の“例の官僚”からの個人的な頼みでもある。今回は動いてやるとしよう」
紙村と河内が提示した「J社封じ」の策――。
それは、河内グループと強力な業務提携関係にある大手広告代理店『PUFグループ』が展開している広報・人材プラットフォームと、両財閥が岐阜県中津川の広大な地に共同建設した超・研究教育施設『双璧アカデミー』をフル活用するスキームであった。
まずはPUFの展開している『PUFキャリアデザイン社』にて派遣社員という形で雇用する。その派遣に『社内研修』として、双璧アカデミーに集められた財閥系の現役研究員・大学教授陣のみならず学生、院生、そして一般から選抜された研究員候補たちから、3年間にわたって極限の理論と最新研究開発のメソッドを叩き込む。その上で、完成した超高度人材を一般企業へと送り出す。
すなわち――J社が「シルバー熟練職人の知恵や技術を、規律正しい元期間工へ数年かけてある程度伝承させて送り込む」という構図を、『双璧アカデミーの国内最高クラスの人材』と『高度知識を求める求職者』という上位互換のパッケージに置き換えたのだ。
そして――すでにこの「双璧アカデミー・PUFプログラム」の第1期生が卒業して1年が経過していた。
1期生たちは現在、紙村と河内の巨大プラントや中央研究所、最先端オフィスに配属され、この教育スキームが現場でどれほどの成果を叩き出すかの最終調整(実証実験)を完璧に完了させていたのである。
「助かったな……。あの逆指名派遣制度が可決された当時、水面下でこの対抗策を仕込んでおいて正解だった」
「ええ。J社躍進の踏み台にされると見抜いていたのは、決して我らの虚勢などではなく……『本物の先見の明』であったということですな」
言葉通り、彼らの読みは完璧であった。
連合の人材(J社)は、徹底した「現場実務能力特化」。
対する財閥(第二連合・双璧アカデミー)は、徹底した「理論・研究開発能力特化」で対抗軸を打ち立てたのだ。
世の中の労働市場の大半を占めるのは、当然ながら現場の実務職である。ゆえに、実務職の領域を押さえるJ社に力勝負で勝つことは不可能だ。
しかし――「研究者・開発者・高度エンジニア」という超・高度知識階級の職種においてならば、財閥の圧倒的な学術権威と資金力で勝算は十二分にある。
「双璧アカデミー」の名声と圧倒的な実績は、すでに学術界と産業界に轟いていた。
そこに財閥の持つ法務力、政治力、そして莫大な経済力を背景にして、J社と寸分違わぬ「強制監査と保証圧力」をかける。
今回、政府に支払わせる『痛み(見返り)』とは、この第二連合のスキームに対する「国家としての全面支持」であった。
行政調査の優先的受理、J社と同等の監査ができるようにする法的権限の付与、そして違法企業の中でも悪質な企業を確実に叩き潰す制裁法案の国会提出――それらを政府に強制的に飲ませるのだ。
「つまり……市場の『用途別棲み分け』を行うのだ。現場の実務作業なら『J社』、最先端の研究開発なら『PUF(双璧)』。……正直、研究開発人材の労働環境や研究費すらケチるような愚かな企業など、最初からお先が知れているがね」
「ククク……今はこれで我慢ですな。このスキームが軌道に乗り、政府からの完全バックアップを取り付けた後に……『桜井サービス』などの手頃な大手人材企業を買い叩いて買収する。向こうはJ社と組めずに立ち往生するだろうから、喜んでやって来るだろう。そうすれば、我が方の手元にも『各種派遣、正社員。実務人材から高度人材まで、幅広く浅いJ社』が完成する」
「……もし、政府がこの条件(痛みの肩代わり)を拒否したらどうします?」
「その時は、桜井サービスの買収などしてやらんまでのこと。飽くまで『現場のJ社、研究開発のPUF』という二極体制のままで放置する。……これでも一応は、政府からの『J社の完全制覇を防ぐ防波堤を作れ』という要望には、完璧に応えたことになるのだろう?」
「言えておりますな。それでも政府が文句を言うならば……それはもはや『助けてくれと言ったが、助け方が気に入らん!』と喚いている子供の戯言と同じですからな」
夜の名古屋に、旧財閥の老獪な高笑いが静かに響き渡った。
日本の労働市場を「実務データ」で完全制覇しようとする怪物・連合に対し、旧財閥と政府の残党は「知識と権威の砦」を築き上げることで、地獄の均衡(破滅的共存)を保とうともがいていたのであった。