ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第174話

2054年 2月 山梨県 甲府市 県民ホール

 

まだ寒さが残る甲府市の県民ホール・大ホール。

そこでは、翌春の就職を控えながらも未だに『無い内定』の焦燥に駆られた大学4年生、および大学院2年生の「滑り込み」もターゲットに含めた合同就職説明会が開催されていた。

 

会場の中で圧倒的な存在感を放っていたのは、ひときわ巨大なブースを並べた『J社』と『PUF社』の2社であった。

他の中小企業や人材会社が「翌年の採用(大学3年生・大学院1年生)」のパイを狙って動いている。それに対してこの2社はそうした将来の客引きを鼻から捨て、目の前で途方に暮れている「今年の就職難民」たちを『派遣社員のみ募集』という、足元を完全に覗き込むような求人条件を堂々と掲げて君臨していた。

 

会場に集まった学生たちの心理は、見事に二分されていた。

 

「……あいつはいいよな。もう内定貰ってやがる。……大海鉄鋼って、超大手だろ?」

 

「一方そのころ、俺たちはこうして不採用通知に怯えながら、就活の会場の隅を這いずり回っていますとさ……」

 

今年、あと数週間後には地元の私立大学を卒業予定の二奈(にな)と藤村(ふじむら)の2人は、まだ使い古していないリクルートスーツに身を包み、会場の外のロビーで冷たいペットボトルのジュースを飲みながら、自嘲気味に呟き合っていた。

そこに、爽やかな笑顔を張り付けたJ社の勧誘社員が、すっと歩み寄ってきた。

 

「お疲れ様です。もしご帰宅前でしたら、最後に私どものブースに寄っていきませんか?」

 

勿論、積極的な勧誘行為は会場内の規定エリア内に限られている。ゆえにその勧誘社員は、会場とロビーの境界線のラインを絶妙に踏まない位置で、ビジネスライクに微笑んでいた。

 

「まあ、話だけならタダだし……でも、確かここって『派遣社員』しか募集してないんですよね?」

 

『逆指名派遣制度』がこの世に誕生してから5年が経過し、6年目に突入している。

J社の名は、「新卒の駆け込み寺」とされる派遣社員を手掛ける一社としてある程度知られてはいた。だが、それもこの間の年末に起きたオール・グロッサリー社への契約履行監査の話から風向きが変わり出す、そんな頃合いであった。

 

「はい。ですが、一般的な他社様の派遣事業とはシステムが少々異なりますので。……っと、私どもがブース外で引き留められるのはここまでですので、続きは中で。いかがでしょうか?」

 

彼らの動きは徹底的にマニュアル化されていた。他のアグレッシブな人材会社の担当者から見れば「もっと押せよ!」と怒鳴り出しそうなほど淡白な勧誘だったが、だからこそ学生側も不気味な警戒心を解かれやすい。

家に帰っても、スマホのSNSを無限にスクロールするか、パチンコ屋のチラシを眺めるくらいしかやることがない二人は、冷やかし半分でJ社のブースへと向かい、パイプ椅子に腰掛けた。

 

「それでは、こちら本日の求人資料になります」

 

「あ、ども……」

 

差し出されたパンフレットを受け取る二奈。だが、手渡された求人票はなぜか「2種類」存在していた。

 

「お手元の求人票ですが、1枚目は今回の合同説明会の主催である桜井サービス様の共通フォーマットに合わせたものです。そして、もう一方の『4枚構成』になっている分が、弊社の規定で厳格に定めた独自フォーマットの求人票になります」

 

物珍しそうに2つの用紙を見比べる二奈。

学生が一番に気にする「年収・初任給の欄」に目を凝らす。

桜井サービスの共通フォーマットには『初任給 23万円』と美しい数字が並んでいる。しかし、このご時世、初任給の額面だけは大手に合わせて綺麗に見せておきながら、入社後の昇給やボーナスを極限まで削り取るような「隠れブラック企業」が正社員の世界でも当たり前のように存在することは、就活生の間でも常識だった。

 

対して、J社の4枚構成の求人票には、世間の企業が隠したがる「あの数字」が冷徹に印刷されていた。

――それは今、日本社会を揺るがせているあの『3年後最低保証年収・月給額』である。

さらに驚くべきことに、その表には『7年後』『12年後』の保証額までが細かく刻まれていた。しかし、12年後より先の記載は一切ない。

 

「大学・大学院の新卒でご入社された方につきましては、12年後に至るまで『3段階の時点』における最低収入保証を義務付けております。ですが、当然ながら、個人の能力評価や資格取得の実績において、3年目から7年目の間に何も進展がなければ、昇給はあまりない……ということでもあります。それでも、万が一停滞していたとしても、7年後にはその段階の保証額まで一気に引き上げることを弊社がシステムとして保証します。そして12年経過時点での最後のステップアップを経て、その後の昇給は皆さまご自身のその後の努力次第となります」

 

さらに、求人票の注記欄には、冷酷な一文が添えられていた。『※この求人票における給与額の数字には、すべての残業代、住宅手当等の変動手当を一切含めず、純粋な基本ベース給のみを記載するものとします』

その他の諸手当を受け取るための条件やステップも、几帳面すぎるほど細かく箇条書きで並んでいる。

 

(なるほど……そりゃあ、他の企業と同じような一律の簡易フォーマットじゃ、情報が収まり切るわけないわよな……)

 

隣で一緒にパンフレットを覗き込んでいた藤村も、思わず納得したように頷いた。

だが、心の底では冷めた疑念が消えない。

 

(……とは言っても、大企業の正社員であっても、7年後や12年後に自分の給料がどうなってるかなんて誰も分からないんだしな……)

 

それ以上に、彼らの頭からどうしても離れない最大の壁は、『派遣社員』という身分そのものに対する社会的忌避感であった。どれほど理屈を並べ立てられようと、自分たちが「正社員」ではなく、いつでも切り捨てられる「派遣」であるという事実に変わりはない。

 

(絶対に何か、正社員と比べて致命的に不利な裏の仕組みを隠してるんだ……)

 

疑いの目を隠さずにいる二奈の横で、藤村が率直な疑問を口にした。

 

「あの……派遣社員ってことはですよ、よくニュースで聞く『派遣切り』とか、景気が悪くなったら真っ先に首を切られるリスクがあるんじゃないですか……?」

 

藤村の問いかけに対し、J社の勧誘社員は微塵も動じず、分厚いパンフレットの1ページをめくって指し示した。

 

「そこが、弊社の『逆指名派遣』における最大の強みです。一般的な派遣会社であれば、派遣先との契約が切れた場合、待機期間中の給与は通常の半分、あるいは無給の自宅待機にされることがございます。しかし、弊社はその間も『満額の給与を100%支払い続けます』」

 

「えっ……仕事がない間も、給料全額出るんですか?」

 

「はい。では、その待機期間中に何をするかと申しますと、弊社では『社内実務研修』を受講していただきます。もちろん拒否もできますが、その場合は給与は半分となりますのでご注意ください。研修を受けるという業務指示に従うため、業務をしていると見なされての満額支給なのです。」

 

そう言って、勧誘社員は別のスタッフに合図を送り、1冊の分厚いファイルを持ってこさせた。

表紙には『会場持ち出し厳禁・機密保持誓約必須』と赤文字で貼られ、頑丈なビニールカバーが装着されたそのファイルには、J社が誇る膨大な「研修プログラムのリスト」が並んでいた。

 

機械製図、CADオペレーション、電気工事施工管理――ここまでは、一般的な大手の技術系派遣でもかろうじてあり得そうな内容だった。

だが、その次のページにある『実務・プラント保守編』の項目を開いた瞬間、二人は絶句した。

 

例えば、二奈が専攻している「化学工学」の欄。

そこには、福岡県にある『G化学』のプラント施設にて、「実際の化学プラントを用いた保守保全実習(実機演習)」を行うというプログラムが記載されていた。

 

なんと、G化学が保有するプラントの一部には、老朽化や製品グレードの切り替えによって既に実稼働を停止したものの、構造や配管はそのまま残されている「巨大な実習用プラント設備」が存在し、J社はその敷地を丸ごと借り受けてスタッフの練習場にしているというのだ。

 

「……これって……」

 

二奈は絶句した。

 

(本物の化学プラントの保守・保全の実務経験……こんなの、化学メーカーかプラントエンジニア企業に直接採用されない限り、新卒どころか中途ですら絶対に積めない実績だ。もしこれを経歴に書けたら、将来的に別のメーカーへキャリアアップ(転職)するときに、最強の武器になるんじゃ……)

 

彼の頭の中で、理系の就活生としての本能がピクンと反応した。

 

「あ、こちらの社内研修プログラムにご興味がおありですか? この実習は、4名1組の少人数チーム制で行うものです。そして、その4名のチームメンバーのうち、必ず1名は『弊社の正社員であるシニア講師役(ベテラン技術者)』が常駐して同行しますので、プラント内での安全管理や技術指導についてはすべてお任せください。皆さまの市場価値(スキル)を徹底的に高め、顧客様企業に『他社には真似できない』と満足していただくことこそが、我々の最大の務めですので」

 

その「講師役」の正体――。

それこそが、J社が日本全国の大小・製造非製造問わずに企業から掻き集めた、定年退職後も現場の第一線で戦い続ける意思のある「元・シニアエンジニアや熟練現場作業員たち」である。彼らは教え方のプロではないが、「本物の現場を知り尽くした、妥協なきプロ」であった。

 

だが――。

履歴書の職歴欄には、どれだけ高度な実務経験を積もうとも、最終的な身分としては確実に『J社の派遣社員』という文字が刻まれることになる。

そして、派遣先の現場に赴けば、プロパーの正社員たちから「都合のいい外注の派遣さん」扱いをされ、理不尽な雑務や責任の最終処分場にされるリスクもゼロではない。

 

その「圧倒的な実務スキルの獲得(キャリアの武器)」と、「派遣社員という社会的立場・処遇の壁」――。

その二つを天秤にかけ、果たしてこの手を取るべきか否か。二奈も藤村も、完全に思考の沼にハマり込んでしまっていた。

 

その沈黙を破るように、藤村が急に現実に戻ったように頭を掻いた。

 

「……ってかさ、俺たち、まだブースに座って説明をなんとなく聞いていただけだろ? 別に、J社から『内定』を出されたわけでもなんでもねえのに、なんでこんな真剣に悩んでんだよ……?」

 

「……ああ、そうだった、そうだな。」

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