同日 山梨県 甲府市
J社のブースで息の詰まるような説明を聞いた二奈と藤村の二人は、その足で隣に並ぶ『PUF社』の巨大ブースへと向かい、資料を覗き込んでみた。
今年から本格的に『逆指名派遣』の領域へ参入したというPUF社。しかし、提示されている人材育成の理念自体は、驚くほどJ社と酷似していた。
派遣先が決まらない「待機期間」を、単なる無駄なコストとして切り捨てるのではなく、自社の人材価値を極限まで高める「絶好の教育期間」と捉えて巨額の投資を行う――。
だが、二者の間には明確なアプローチの差が存在した。
J社が「現場を知り尽くした元熟練(シニア人材)」を直接投入し、本物のプラントや工場、オフィスで身体と頭を動かさせるスパルタ実習を強みとするならば、PUF社が用意したのは『双璧アカデミーの研究員・学生と、世界最高峰の教育テキスト』であった。
『逆指名派遣制度』という市場の中では新興に当たるPUF社には、J社のように連合傘下であるG化学のプラント設備をまるごと借り上げるような力業は到底真似できない。
そこでPUF社は、提携する旧財閥系「双璧アカデミー」が誇る世界レベルの教育工学の研究成果を、すべて「オリジナル教材」として凝縮する戦略をとったのだ。彼らのカリキュラムは、圧倒的な理論と座学によって構築されていた。
『配管設計における物理的ストレスと流体力学の落とし穴』
『過去50年の事故爆発事例から読み解く、環境変化と構造クラックの相関性』
実際のプラント設計において絶対に犯してはならないミスや死角を、これでもかと細かく分解・言語化したテキスト。受講者はそれらを頭に徹底的に叩き込んだ上で、出題される高難度の実践課題(配管設計演習)に挑む。そして、提出された設計図面は、双璧アカデミーの化学工学専攻に所属する“天才”と称される大学院生や研究員たちの手によって、ミリ単位で過酷な検図(赤ペンチェック)を受けるのだ。
「あの……こちらの『研究職コース』というのは……?」
二奈がPUF社の担当者に問いかけると、返ってきた答えはスマートかつ整然としたものであった。
「お二人のように化学工学を専門とされている方であれば、まずは全員に『高度設計業務カリキュラム』を受講していただきます。その後の社内適性審査において、『この人材は研究開発の領域で真価を発揮する』と弊社が判定した場合に限り、より上位の『研究職カリキュラム』へ選抜・昇格していただく流れとなります」
そして――気になる給与面。
PUF社の求人票には、J社のように契約の枠組みや実績の重みを盾にした「3年後最低保証年収」の厳格な文字は刻まれていなかった。政府(霞が関)からの法的是正権限のバックアップが正式に下りていない現段階では、J社ほどの強引な経済制裁カードを切れるか確証が持てないためだ。
しかし――そこに提示されていた金額の数字は、およそ「新卒の派遣社員」という言葉からはかけ離れたものであった。
「あの……ここに書かれている『年収650万円〜720万円』というのは……?」
「ええ。こちらは、弊社で現在『逆指名派遣』として稼働しているスタッフの平均提示額になります。……と申しましても、本サービス自体が稼働してまだ1年ほどの実績ですので、今後の情勢によって多少の変動は生じ得ます。そこだけはご容赦ください。その旨は求人票の注記にも明確に記載しております」
新卒数年目のプロパー正社員すら一瞬で置き去りにするような、破格のハイクラス待遇――。
その日の夜、自宅へ戻った二奈は、ベッドの上でノートパソコンを開き、J社とPUF社に関するネット上の口コミや業界の評判を片っ端から調べ上げた。
無料の生成AIや掲示板で検索をかけると、案の定、J社に関する情報は山のようにヒットした。
すでに物流現場や介護インフラの派遣領域において、国内ぶっちぎりのトップシェアを誇る巨大な怪物企業だ。そんな企業が技術者や専門職の高度人材派遣に本格参入してきたとなれば、噂や分析が溢れかえっているのも当然であった。
ネット上では、J社の背後に聳え立つ「連合」という組織の圧倒的な規模感と、それをフル活用した実務教育システムの凄烈さが絶賛されていた。
しかし……年収面に関しては、J社が提示する「最低保証額」は確かに手厚いものの、世間の正社員の平均より「少し良い」という水準に留まっており、爆発的な高収入を約束するものではなかった。
一方で、PUF社について調べてみると、ブースでの説明通りサービス発足から1年足らずということもあり、ネット上の情報は圧倒的に不足していた。
しかし、専門の口コミサイトでは、PUF社の提示する待遇面は新卒や若手正社員の給与体系を遥かに超越した、派遣業界における『超ハイクラス専門派遣』に該当するとして、就活生や転職活動者の優秀層の間で密かに話題沸騰となっていたのだ。
画面の明かりを見つめながら、二奈は小さく息を吐いた。
「……まあ、どっちもエントリーして選考を受けるだけならタダだし。落ちたら落ちたで、受けてみるか」
同月 福岡県 福岡市 EXE-LAグループ本社
九州の経済の中心地、福岡・博多の街にそびえ立つ高層ビル。
そこに本社を構える『EXE-LA(エグゼラ)グループ』は、日本の産業界において異色の立ち位置を占めていた。
彼らは常に「連合」の後ろを追いかけ、その足跡を分析し、自社の規模や既存市場環境に合わせてカスタムして運営していた。
だが、その行動は連合に対する対抗心から来るものではない。『連合という怪物が力ずくで切り開いた舗装道路(構造)をそのまま辿ることで、自社を生き残らせる道を見つける』という、極めて現実的かつ保守的な生存戦略ゆえであった。
しかし――その「後追い」を実行すること自体が、今の日本においてどれほど困難なことか。
連合の作ったシステムを崩壊させずに追随できている巨大企業グループは、全国を探しても「紙村・河内」の両財閥と、この「EXE-LAグループ」のわずか3社しか存在しなかった。他の大手グループもこぞって参入を試みたものの、単に資本(金)を突っ込むだけでは真似できず、ことごとく妥協にまみれた中途半端な駄作を作り出して自滅・撤退していったのだ。
そのEXE-LAグループの会議室で、今、一人の中途採用で内定を出していた男性から正式な承認が下りて、入社を承諾してもらえたことのお礼のオンライン面談を行っていた。
この男性は、つい最近までJ社の『逆指名派遣』の現場で働いていた技術者であった。
「――はい! 本日からどうぞよろしくお願いいたします!」
深く頭を下げる男性のログアウトを見送り、博多の街を見下ろすガラス張りの役員室へ戻った人事担当役員は、満足そうに口元を緩めて呟いた。
「……フフッ、素晴らしいな。連合特有の『思想(カルトじみたマニュアル主義)』までベッタリ植え付けられているわけではないが、その現場での腕と実務能力はまさに本物だ。……これほどの即戦力人材を、金を払って中途で引っ張ってこられるなら、年収1,200万円の提示など安いものさ……」
自前の実務研修と現場経験によって極限まで鍛え上げられた、J社の『逆指名派遣』のスタッフたち。
彼らの市場価値が跳ね上がれば、より良い待遇を求めてキャリアアップ転職へ動くのは、資本主義の構造としてごく自然な流れであった。
そして、先ほどの男性をEXE-LAグループへ引きあわせたのも、他ならぬ『J社・正社員紹介サービス(人材紹介部門)』のコンサルタントであった。
役員は、以前別の案件でJ社の担当者と交わした会話を思い返していた。
『……おや、EXE-LA様。今回は桜井サービスさんやPUFさんのような他の大手人材紹介会社様をご利用にならなかったのですか?』
『ああ、一応あちらにも声をかけたんだがね……彼らは求職者の本当の職務経歴や実務スキルを、推薦書の上で全く表現しきれていなかったのだよ。……その点、御社(J社)は素晴らしい』
EXE-LAを含む多数の企業がJ社の逆指名派遣の技量の高さを見せられている。そのため、「元J社逆指名派遣」というワードでスカウトをする流れが出来上がってはいた。だが、桜井サービスなどの人材紹介企業たちにはJ社・正社員紹介部門と比べて、ある不利な点があった。
『当然でございます。社内教育カリキュラムを組み立て、現場で育成したのは我々(J社)です。彼個人の成長過程と現在の技量について我々以上に知り尽くしている人間など存在しませんからね』
役員は腕を組み、窓の外を見つめた。
(……なるほどな。J社という奴らは、自社と連合グループの莫大なリソースを使って派遣社員を『最強の現場即戦力』へと鍛え上げ、クライアント企業へ送り込んでさらに圧倒的な現場実績を作らせる。……そして、熟し切った最高のタイミングで、今度は『自社の人材紹介サービス』を使って他の大手企業へ高額な年収で売り飛ばし、巨額の紹介手数料を回収する……)
その紹介手数料の設定が狂っている。『契約年収の125~200%』という巨額と表現できる範囲にあるレベルなのか?というものである。通常の人材紹介会社のそれと比べれば4~7倍の支払いだ。
「希少人材かつ高度技術を持ち、派遣履歴などを考慮してマッチングさせているのですから、これくらいはどうしてもしてしまいますよ。」
とJ社営業は言っていた。たしかにそう言われて紹介された人材の経歴とスキルを見せられれば納得せざるを得なかった。
「派遣」で稼ぎ、「教育」で価値を高め、「正社員紹介」で回収する――。
派遣労働者のキャリアの入り口から出口までを完全に自社エコシステムの中に囲い込み、他社を寄せ付けない圧倒的な回転率で利益を叩き出す。
J社が完成させたその完璧すぎる「人材錬金術」の前に、既存の人材会社が太刀打ちできる隙など、どこにも残されていなかったのである。