同日 東京
いつもなら、所属ライバーたちが黄色い声を上げて新作ゲームに一喜一憂するか、他愛のない雑談配信を垂れ流している時間だった。あるいは、テレビの黄金期に使い古されたバラエティ企画の二番煎じで、刹那的な同時接続数を稼ぐか。それがこれまでの、この業界の「日常」だった。
だが、そのスタジオの空気を、城島ファンドの手先の一つである『服部経営コンサルタント』の冷徹なスーツ組が完全に塗り替えていた。業務改善という名目の、実質的な「コンテンツの兵器化」である。
「つまり、日本株は日足以上にするとウネウネと上下するってころ(こと)!?」
「アリスちゃん、また噛んだ! ははは、そこ『こと』ね!」
「そう。対してアメリカ株は、一度上昇気流に乗るとトレンドが結構長く続くことが多いんだよね」
「だから、200SMA(200日移動平均線)の上にローソク足が出てくるようになって、20SMAと75SMAがゴールデンクロスすると……」
「お、これ行けるんじゃね? ってことか!」
画面の中で滑らかに、そして一瞬の描写遅延(ラグ)がほとんどなく動く美少女アバターたち。彼女たちが画面上で纏っているのはこの事務所と小林服飾研究所の共同デザイン衣装だ。
実は、この衣装が完成するまでに、事務所のデザイナー陣と小林服飾研究所の間で激しい主導権争いがあった。
当初、事務所側が提出した新作3D衣装のデザイン案は、フリルや装飾が過剰に盛られた、いわゆる「見栄え重視」の代物だった。だが、小林服飾研究所はその図面を一瞥するなり、冷酷に突っぱねた。
『こんな物理演算に負荷のかかる上に衣装化したときの製作費の跳ね上がる構造では、長時間の生配信で必ず3Dモデルの挙動がバグるし、価格も50万円じゃ済まなくなってくる。さすがにそれ以上の価格はもはやウエディングドレスだ。金のあるオタクと言えども限度がある。デザインの実現しやすさ(実装コスト)を無視したクリエイティブは、我が社の基準を満たさない』
小林服飾研究所は、単にリアルな服を作るだけの集団ではなかった。彼らは現実の型紙(パターン)技術を3Dモデリングのポリゴン割へと落とし込み、「配信システムに負荷をかけず、かつ最高級の質感を維持するデザインの最適化(口出し)」を上流工程から徹底的に行い始めたのだ。
「フリルの折り込み数を3割削減。ただし、シェーダー(影の描写)の設定をこう変えれば、画面上の高級感はむしろ増す。袖のボーン配置はこれで固定」
彼らがデザインの細部に至るまで「実現しやすさ」を前提とした修正を強制した結果、自慢のタレント・アリスたちの3Dモデルは、激しく動いても突き抜けや型崩れが「より華やかだが、より起きなにくい」、完璧に規格化された工業製品のような3D衣装へと生まれ変わった。クリエイティブの現場すらも、24社連合の「バグ排除マニュアル」に屈した瞬間だった。
可憐な唇から飛び出しているのは、コスメのトレンドでも、新作スイーツのレビューでも、ソシャゲのガチャ結果でもない。
「株式投資」――それも、ネットの若者層も嫌う、退屈で泥臭い地政学と数学の話題だった。
ネットの海には、短期デイトレで「一晩で100万稼いだ」「半導体・AI株で大爆死」といった、射幸心を煽る配信者ばかりだ。扱う銘柄も偏っている。
対して、この事務所の美少女たちが今、満面の笑みでリスナーに叩き込んでいるのは――『ディフェンシブ銘柄(薬品・食品・インフラ株)の拾い方』。
地味な大型株特有の周期的な「うねり」をインジケーターで少しずつ抜きながら、年単位で配当と微小な利ザヤを積み上げていく、気が遠くなるような長期投資法だった。
地味すぎる。
華々しさとスピードが求められる世界において、こんな退屈な手法を好んで配信する競合など、個人勢の物好きなVTuberを除き、事務所単位で見れば地球上にただの一社も存在しなかった。
スタジオのガラスの向こうで、服部コンサルの担当者が、配信画面のコメント欄が「よくわからんが勉強になる」「アリスちゃんが言うなら200日線見るわ」という言葉で埋まっていくのを眺めながら、不敵に笑った。
小林服飾研究所がデザインの段階からバグの芽を摘み、配信トラブルのリスクをゼロに極力抑え込んだ完璧な3Dモデル。そのガワを被せるだけで、昭和の時代から市場に転がっているありふれた古典的テクニカルマニュアルが、若者たちの脳を狂わせる「最先端のエンタメ」へと化けた。
「しかし、予想以上に視聴数が出ましたね」
防音ガラスの向こうで、噛みながらも健気に200日移動平均線を解説するアリスの画面を見つめながら、事務所の社長がぽつりと言った。その表情には、安堵と、それを上回る困惑が混じっている。いつも通りのゲーム配信の数倍の同接(同時接続数)が、右下のカウンターに刻まれていた。
傍らに立つ服部経営コンサルタントの担当者、福部(ふくべ)は、表情ひとつ変えずに端末のグラフをスクロールさせた。
「当然の結果です。雑談、身の回りの商品レビュー、ゲーム実況にソシャゲのガチャ。すでに配信市場は同じような話題ばかりで飽和し、視聴者はマンネリに飽きているのです。そこに『投資』という全く異なる知的刺激を投入した」
福部は眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、ガラスの向こうのアバターへと冷たい視線を向けた。
「さらに言えば、今の若年層は底冷えする物価高と、一向に上がらない実質給与の差によって、自分たちの可処分所得(自由に使える金)が文字通り目減りしていく現実を、日々ありありと叩きつけられている。将来への不安は限界に近い。そこにこの話題を投入すれば、エンタメとしての意外性を楽しみつつ、『もしかしたら、学校も親も教えてくれなかったお金の増やし方を学べるかもしれない』と、飢えた魚のように寄ってくるのは必然です」
社長は感心したように深く頷き、本番中の配信の待機画面、そこに躍るサムネイルの文字列を指差した。
「なるほど……。だからタイトルに、わざわざあんな文言を仕込んでいたんですね」
そこには、美少女のポップなイラストとは不釣り合いな、太く無骨なフォントでこう書かれていた。
【デイトレ、スキャ、話題株厳禁!!】
「その通りです」
福部の唇が、かすかに歪んだ。
「ネットに転がっている『一晩で億を稼ぐ』などという甘い言葉は、今や情弱を騙す詐欺の合言葉だと若者も気づき始めています。だからこそ、あえて『デイトレ、スキャ(超短期売買)、話題株』を明確に禁止する。射幸心を煽るノイズを初手で排除することで、この配信が他の有象無象のギャンブルチャンネルとは違う、冷徹な『規律(マニュアル)』に基づいた聖域であると錯覚させるのです」
美少女アバターという最先端のセクシーなガワに、昭和の職人のようなカチカチの投資規律を喋らせ、タイトルでは「爆益」を全否定する。
この何重もの逆張りによって、大衆は自ら「24社連合のインフラ市場」へと、狂信的な安心感を持って資産を投げ入れていく。
服部経営コンサルタントがこの事務所のテコ入れに乗り出して、2か月。
その成果は、福部の予測を上回る速度で、そして極めて奇妙な形で結実しつつあった。
配信は、回を追うごとにその「セクシーさ」を剥ぎ取られ、代わりに冷徹な統計学の色彩を強めていった。アリスたちは、24社連合が選定した国内の主要ディフェンシブ銘柄10社をピックアップし、過去10年分のリアルなチャート(値動きの履歴)を用いたシミュレーションを数回に分けて実施した。
どこで200日線のうねりを拾い、どこで部分的に利益を確定(利確)させるか。どこで再び市場に潜り込む(再入場)か。
そして何より――『どういうシグナルが出たら、一分の未練も残さず容赦なく全撤退(損切り)するべきか』。
感情を一切排し、ただ数字の規律(マニュアル)に従うことの優位性を、美少女アバターの滑らかな身振りと共に、徹底的にリスナーの脳へ刷り込んでいったのだ。
そして、その日の生配信。画面に映し出された匿名質問(マシュマロ)を、アリスがいつもの甘い声で読み上げる。
「『親子で見てくださっているリスナーさん、その親御さんからのマシュマロです。ふむふむ……競馬とパチンコより脳汁(ドーパミン)が出ないけど、利益は意外と出るから、これを機に投資も真面目にやってみます』……だって!」
間髪入れず、隣の3Dモデルが冷淡な、しかしどこか楽しげな声を被せる。
「競馬もパチンコも、期待値(確率的な勝率)の計算と資金管理の手法が確立しているなら立派な投資ですが……どうもこのマシュマロを見る限り、これまではそうではなかったようですね?」
「要するにただのギャン中じゃん! ぎゃははは!」
「ちょっと、セイカちゃん笑いすぎ! 親御さんに失礼でしょ!」
スタジオのガラスの向こうで、福部は腕を組みながら、急速に変化していく視聴者層のデータログを注視していた。
この国の大衆を支配していたのは「焦り」だった。
物価は上がり、給与は上がるが物価に追いつかない程度の上昇なので実質的にはじわりと貧しくなっていく。その閉塞感から逃れるために、若者も中年も、公営ギャンブルの一発逆転や、ネットの怪しいデイトレード(ギャンブルトレード)に手を出しては、なけなしの可処分所得を溶かしていく。それが「脳汁」の正体であり、市場のバグだった。
しかし、総和アカデミーの認知データから導き出された「凡人が最も納得しやすいステップ」で構成されたアリスたちの配信は、そのバグを綺麗に上書きしてしまった。
リスナーたちが配信の規律通りに実践して得たリターンは、地味そのものだった。
月に、わずか「1%から0.5%弱」。
10万円を動かして、月に500円から1000円。100万円でも1万円に満たない。ギャンブル中毒者なら鼻で笑うような微小なプラス。
だが、それが「3か月期間で見た結果をSNSで持ち寄ると、かなりの事例数で額の大小もあるが、少なくともプラスになっていた」という事実を目の当たりにした瞬間、大衆の脳内でパラダームシフトが起きた。
「……信じられないな」
事務所の社長が、震える声で画面のコメント欄を指差した。そこには『人生で初めて、お金のことで夜眠れるようになった』『親父がパチンコやめてアリスちゃんの200日線ノート作り始めた』という、異様なほど真摯な書き込みが並んでいる。
「月1%。年利に直せば複利で10%を超える。これを『脳汁が出ない退屈な作業』として淡々と実行できるようになった人間は、もうギャンブル(バグ)には戻りません」
福部は静かに告げた。
「若者たちの焦りを鎮め、その背後にいる親世代の浮動資金まで巻き込んで、神がかったレベルの精神的安定をコミュニティ全体に生み出している。彼らは今、自分たちの意思で投資をしていると思っているでしょうが……実態は違う」
美少女のガワを被せられた、24社連合の「大衆管理マニュアル」。
若者も、その親も、ただその巨大な歯車の一部として正確に駆動し、インフラ市場の底へと資金を供給する『最も規律正しい兵士』へと調教されているに過ぎない。
スタジオの中で、噛みながらも笑う美少女たちの声が響く。その健気な世界の裏側で、日本の個人資産の地流が、不気味なほどの安定を伴って塗り替えられようとしていた。
そんな裏方の黒い思考を他所に、いつものようにアリスやセイカたちは雑談やコスメ、外食の話などの配信も隙間に挟み込んでいる。