ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第31話

翌週 三者合同会議

 

先週、河内グループと紙村グループが秘匿回線で「美しく負けるための出来レース」を冷徹に打ち合わせていたことなど、微塵も知らないバグ・ハンターたち。大川や宮田の前に並ぶ財閥幹部たちの顔には、国家への忠誠とも、未来への悲壮な決意とも取れる、完璧な経営者の仮面が張り付いていた。

 

「そうですか……動いていただけると」

 

大川は深く息を吐き出し、胸の内で確かな手応えを感じていた。国家の危機を前に、ついに二大財閥という巨大な歯車が自分たちの意図通りに噛み合ったのだと、そう信じていた。

 

「はい」河内グループのCEOが、重々しく頷く。

「提出いただいたデータを我が方のシンクタンクでも再検証いたしました。たしかに24社連合によるインフラ支配をこのまま放置すれば、10年後には彼らのシステムが停止するどころか、わずか50%ダウンしただけでも、この国は過疎地を強制的に切り捨てる『地域トリアージ(災害時の優先度選別)』をせざるを得なくなるという凄惨な結果が出ました。一民間企業の双肩に、国家の生存を委ねるわけにはいきません」

 

「理解していただけて光栄です」宮田が安堵の表情を浮かべる。

 

すかさず、隣に座る紙村グループの幹部が、獲物を罠にかけるような滑らかな手つきで、一冊の新たな要求仕様書をテーブルへ滑らせた。

 

「我々としても、彼らを完全に『潰す』のではなく、国家の安全保障として『第二のインフラ(冗長性)』が必要であるという大義には同意しました。そこで確認ですが……この『第二連合』を立ち上げるにあたり、我々が要求する特例の法整備、および巨額の政府補助金といった、国家側からの全面的なバックアップを頂けるという理解でよろしいでしょうか?」

 

「当然です。財務省や関係各庁との調整は、すでに我々バグ・ハンターが裏で手を回しています」

 

大川は力強く答えた。

 

その瞬間、財閥側の男たちの口元が、影の中でわずかに緩んだことに誰も気づかなかった。

国から引き出した莫大な予算と法特権。それらはすべて、彼らが本陣を守るための防壁となり、やがて来る「幸福な敗北」ののちに、二大財閥の血肉へと変わるための原資だった。

 

国家が仕掛けたはずのチェス盤の上で、怪物(24社連合)を睨みつけながら、旧財閥は国そのものを欺く二重底のゲームを、完全にスタートさせていた。

 

2036年 7月 ベトナム ハノイ

 

熱気が澱(よど)むハノイの郊外で、河内グループが立ち上げた「外国人ドライバー養成教習所」の建設工事が、ついに始まった。

国からの巨額の補助金を大義名分として引き出している以上、このプロジェクトを隠密裏に進めることは不可能だった。堂々と看板を掲げ、重機を動かすしかない。

 

当然、この動きはすぐに24社連合の耳にも届くだろう。

だが、河内グループの計算では、本家である彼らは「旧財閥の連中が、国の予算を貪るために、また俺たちのビジネスモデルに便乗してきただけか」と冷笑し、高みの見物を決め込めているはずだった。

 

――しかし、その直後。河内グループの幹部たちは、文字通り椅子から転げ落ちるほどの衝撃に見舞われることになる。

 

事の発端は、河内側がJ社(24社連合所属の人材派遣企業)に持ちかけた、一本の打診だった。

 

「我がグループでも、日本の深刻な運送問題を解決すべく、アジアでのドライバー育成に乗り出しましてね。ついては、業界の先駆者であるJ社さんのお知恵を少しばかりお借りできませんか? もちろん、コンサルティング料としての代金は、そちらの言い値で耳を揃えてお支払いしますよ」

 

それは、完全なる政治的ポーズだった。

どうせ動向を知られたなら、これを機にいっそ開き直って「ダメ元で懐に飛び込んでみせた」という、狡猾なカモフラージュに過ぎない。

 

24社連合が血の滲むような試行錯誤の末に構築した、あの至高のノウハウとマニュアル(MX)。それを、いくら大金を積まれたからといって、ライバルである旧財閥に売るような馬鹿がいるはずがない。そもそも、24社連合の財務状況は健全そのものであり、目先の現金に困っているはずがなかった。

 

「絶対に、鼻で笑われて一蹴される」

誰もがそう確信していた。

 

なのに――J社からの返答は、あまりにもあっけないものだった。

 

『いいですよ。我々のシステムのうち、外部に明かせるところまで、という条件付きですが』

 

「……は?」

 

ハノイの事務所で液晶画面に表示されたメールを凝視していた河内の現地責任者は、思考を完全に停止させた。

 

断られる前提の、ただの嫌がらせに近いブラフだったはずだ。それが、なぜ通ってしまったのか。

明かせるところまで、とは言うものの、あの秘密主義の塊のような24社連合が、自らの手足である物流マニュアルの「一部」を、競合に開示することに同意したのだ。

 

二大財閥が仕掛けた「捨て駒の第二連合」という壮大な出来レースの盤面に、怪物(24社連合)は、不敵な笑みを浮かべながら自ら歩を進めてきた。その意図が理解できず、ハノイの熱帯夜の中、河内グループの首脳陣には、これまでにない奇妙な戦慄が走り始めていた。

 

3週間後 東京 河内総合運輸本社

 

3週間後、河内グループが「第二連合」の捨て駒として設立した新会社『河内総合運輸』の本社オフィスに、異様な光景が出現した。

配送業者の台車によって運び込まれたのは、ずっしりと重い何箱もの段ボール箱だった。

 

送り主は、J社。

彼らが約束通り送ってきた「マニュアル」の中身は、デジタルデータなどではなかった。何千、何万枚もの「紙媒体」として、物理的な質量を伴って送りつけられてきたのだ。

 

「な、舐めやがって……!」

 

届いた箱を開けた河内の幹部は、激昂して拳を震わせた。

2036年のこの時代に、あえて暗号化も改ざん検知もできないアナログな紙で送りつけてくる。それは「お前たち旧財閥のセキュリティ技術も、デジタルリバースエンジニアリング(逆引き解析)も一切信用していない」という、24社連合からのこれ以上なく露骨な拒絶であり、挑発だった。

 

だが、どれほど悔しがろうとも、その中身を精査しないわけにはいかない。喉から手が出るほど欲しかった怪物のシステムの一部が、いま目の前にあるのだ。

 

そこから、河内総合運輸のオフィスは地獄と化した。

最新の複合プリンターの前に、2か月もの間、若手社員が交代で24時間付きっ切りになり、膨大な資料を1枚ずつA3サイズでスキャンし続けるという、前時代的な作業が繰り返された。

 

「……くそ、A3だからタブレットの画面に表示すると、文字が潰れて絶望的に見にくいな……」

 

深夜のオフィスで、スキャナーの青白い光に照らされながら、担当者は充血した目をこすった。

拡大しなければ読めず、拡大すれば全体の構造(フロー)が見えなくなる。PDF化してもAIによる自動テキスト認識(OCR)を弾くような、絶妙なフォントと複雑な図表のレイアウト。

 

24社連合は、情報を開示するという「約束」は守った。

しかし、それを実戦で使えるデータにするためのコストと時間を、旧財閥側から徹底的に奪い取るという、最悪の嫌がらせ(バグ・トラップ)を仕掛けていたのだ。

 

旧財閥が仕掛けたはずの出来レースは、最初の一歩から、24社連合の泥臭くも完璧なマニュアルの防御壁(壁)によって、その進行速度を致命的に遅らされ始めていた。

 

OCRのエラー箇所を若手社員に泣きながら手入力させ、あるいは感度を調整して3回も4回もOCRにかけ直して無理やりテキスト化する。その非効率な作業に、さらに4か月という膨大な時間が費やされた。

 

そして、すべてのデータ化が終わったとき。

 

「……結局、分かったのはこれだけか」

 

プロジェクトの責任者が力なく呟いた。

 

送られてきたマニュアルの大部分を占めていたのは、日本の自動車教習所で教えている基本的な道路交通法や運転実技の内容を、そのまま現地語に翻訳したものだった。「そんなもん、わざわざお前らから貰わなくても知っとるわ!」と叫び出したい気分だった。

 

だが、彼らが辛うじて怒りを押し殺せたのは、一つだけ確かな「収穫」があったからだ。

マニュアルの奥深くに記述されていた『寮生活を指定し、徹底的に日本の住宅・社会環境に慣れさせること』という一節。あいにく、J社が運用している教習所の拠点はインドネシアであるため、その生活規範はすべてイスラム教徒(ムスリム)向けに最適化されていた。

「そこから先は、自分たちでベトナム人用にローカライズして作れ」と、暗に突きつけられているようだった。

 

「この5か月間、ハノイの拠点が工事中だったからこそ、この無駄とも思える作業に耐えられたし、若手の人員を投入できたが……」

 

河内総合運輸の事業責任者は、デスクの上に山積みにされた紙束を、苦々しい表情で見つめた。

 

段ボール十数箱。

総ページ数、3万ページ超。

 

その膨大な記述のほとんどが、以下のような内容で埋め尽くされていたのだ。

 

日本の交通法規の逐条解説

 

ゴミの分別や深夜の騒音対策といった生活指導

 

寮の清掃ルールおよび管理規定

 

毎朝の検温やバイタルチェックによる健康管理

 

現場で即座に使える実践的な日本語教育

 

ハラールフード対応や礼拝時間の確保といった宗教対応

 

「結局、配車の効率化やルートの最適化といった、運送会社としてのコアなノウハウなんて、ここには一つも書いてなかったな」

 

一人の担当者が、5ヶ月の徒労感に耐えかねて吐き捨てるように言った。

 

すると、暗い画面を見つめていた別の役員が、ゆっくりと首を振った。

 

「いや……違う」

 

「何がだ?」

 

「全部書いてある」

 

その一言で、会議室の空気がピキリと凍りついた。

 

「我々は、最初から『運送会社』を作ろうとしていた。だから配車ソフトやトラックの維持管理といったノウハウを探していた」

役員は、スキャンされた資料の目次を指先でなぞる。

「だが、連中は違う。連中が作っていたのは、最初から運送会社なんかじゃない」

 

画面のスクロールが止まる。

そこには、旧財閥のビジネス常識からはおよそかけ離れた項目が並んでいた。

 

『来日前生活習慣矯正プロセス』

『異文化共同生活におけるトラブル事例と対処100選』

『日常会話および専門用語の学習進捗管理システム』

『組織への帰属意識形成・孤立防止プログラム』

 

「彼らは、単にトラックのドライバーを育てていたんじゃないんだ」

役員の目が、驚愕と畏怖に pyxt と見開かれる。

「彼らが作っていたのは……『日本国内で絶対に事故を起こさず、トラブルも起こさない人間』そのものだ」

 

その指摘に、誰も反論できなかった。

 

教習所での運転訓練は、すべてのプロセスの「最後の工程」に過ぎなかったのだ。

運転技術など、最後に付与されるただの表面的なスキル(アプリケーション)に過ぎない。その手前にある、

 

生活習慣。

文化の受容。

言語の壁。

日本での金銭感覚。

集団での共同生活。

1分1秒の時間を守る規律。

徹底した健康管理。

そして、精神的なケアによる離職防止。

 

24社連合は、それらの泥臭い「人間の根幹」を、何年もかけて、マニュアルという名の彫刻刀で精密に作り込んでいたのだ。

 

「なるほどな……」

 

事業責任者が、乾いた苦笑を漏らした。

 

「だからあいつら、こんな門外漢が見ればただの退屈な生活指導に見える資料を、平気で我がグループに渡したのか」

 

「ええ」

 

「『真似できるもんなら、真似してみろ』という意味ですよ」

 

役員は、目の前の3万ページの質量を睨みつけた。

 

「運転技術なんて、金を出せば誰でも教えられる。だがな……異国の若者を2年間預かり、その人生と生活習慣ごと『日本のインフラの歯車』として完璧に作り変えるだけの狂気じみた覚悟とリソースが、お前たち旧財閥にあるのか、と。連中はそう聞いてるんだ」

 

出来レースとして、ただ形だけの「第二連合」を作ろうとしていた河内グループは、怪物が開示したマニュアルの深淵(底)に触れ、自分たちの「覚悟」の圧倒的な軽さを突きつけられていた。

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