ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第32話

同日 東京 河内総合運輸本社

 

「で、まさか連中の熱気に絆(ほだ)された、と?」

 

「申し訳ありません……」

 

24社連合から送られてきた、あの嫌がらせ染みた段ボール十数箱の紙マニュアル。そこにあったのは、凄まじい精度で構築された「人間の規格化」という最高レベルのノウハウ。そして、異国の若者を2年かけて作り変えるという、狂気じみた覚悟の提示。

 

その深淵に触れ、畏怖を口にしたプロジェクトチームを、グループ本流から出向してきた社長の冷徹な声が叱責する。

 

「我々は適当に、合法の範囲内で運送業の形を整えていればいいんだ。なぜ連中のように、真面目に巨額の金をかけて教育プログラムを組み、施設まで作る必要がある?」

 

社長は苛立たしげに、手元のデスクを強く叩いた。

 

「忘れたのか?」

 

「我々の本当の役割は、24社連合に勝つことじゃない」

 

「――美しく『負ける』ことだ」

 

部屋が、水を打ったように静まり返る。

張り詰めた沈黙の中で、担当役員だけが小さく息を呑んだ。

 

「……はい?」

 

「政府――あのバグ・ハンターどもが欲しがっているのは、あくまで代替手段だ」

 

社長は椅子の背もたれに深く体重を預けた。

 

「24社連合が万が一転んだ時に、最低限でも物流の息の根を止めないための保険。我々はそのために作られた、国費付きの『捨て駒』に過ぎないんだよ」

 

担当役員は返す言葉を失い、ただ黙って俯く。

 

社長は淡々と続けた。

 

「連中みたいに、血を流して完璧な全国網を作る必要はない」

「連中みたいに、人材を2年もかけて教育する必要もない」

「連中みたいに、手厚い寮まで建ててやる必要もない」

「……そんなことを始めたら、我々まで24社連合(怪物)になってしまう」

 

そこまで一気に捲し立ててから、社長は動きを止め、机の上に積まれた3万ページの紙束を人差し指でトントンと叩いた。

 

「だがな……」

 

「一つだけ、どうしても気に食わない」

 

「……何でしょうか」

 

「連中は、完全に我々を舐めている」

 

社長は、そのずっしりと重い分厚い紙束を一掴みし、持ち上げて見せた。

 

「この3万ページ。これは単なるノウハウじゃない。――明確な『挑戦状』だ。『お前ら旧財閥のお高くとまった連中には、逆立ちしたって真似できない』と、行間にそう書いてある」

 

社長の目が、獲物を狙うように鋭く細められた。

 

「だから、真似はしない。彼らの土俵には乗らない」

 

「だが――なぜ彼らがそこまでやるのか、その『理由』だけは徹底的に調べろ」

 

「多大な金を払ってまで海外で教育する理由」

「わざわざ寮を作って共同生活させる理由」

「離職率を極限まで下げる理由」

「事故率を異常値にまで下げる理由」

 

「そこだけは、骨の髄まで理解しろ」

 

社長は紙束を机に叩きつけるように戻し、役員を真っ直ぐに見据えた。

 

「我々は24社連合になる必要はない。だが、24社連合がなぜそこまで強いのかを、本質を理解しないまま負け戦(出来レース)に臨むほど、我々河内グループは愚かでもない」

 

同日 名古屋 紙村グループ本社

 

ハノイの熱帯夜と東京の冷徹な会議室から遠く離れた名古屋の地では、また別の巨大な歯車が、凄まじい金属音を立てて回転を始めていた。

 

愛知県、岐阜県、三重県の東海三県、そして静岡東部にまでまたがる広大な中京工業地帯。そこに点在する紙村グループの中核をなす自動車メーカー『KM』の各工場は、未曾有の活気に沸き返っていた。

 

KMの主力は乗用車だが、物流の背骨を支える中型・大型トラックの製造ラインも保有している。東京の『河内総合運輸』から正式に発注された、ベトナム人ドライバーたちが乗るための新型トラックの群れ――その大量受注のデータが生産管理システムに流し込まれた瞬間、工場の景色は一変した。

 

「おい、河内さんから追加で大口が入ったぞ! ラインのタクトタイムを調整しろ!」

「火を消すな! 溶接ロボットの定期メンテのスケジュールを組み直せ!」

 

火花が散り、巨大なプレス機が重低音を響かせるライン。新型トラックのシャーシが次々と組み上がっていく。

 

そして、その熱量はKMの自社工場内だけに留まらなかった。

自動車という数万点の部品の集合体を作る重工業のサプライチェーンは、裾野が絶望的に広い。KMの増産体制に伴い、ティア1(一次下請け)からティア3(三次下請け)に至る、日本各地の無数の自動車部品企業たちにも、一斉に大量の注文書(内示)が舞い込んだのだ。

 

愛知のネジ製造業者、岐阜の樹脂成形工場、三重のワイヤーハーネス工場、そして静岡の精密電子基板メーカー。

 

「紙村のKMさんから、来期までフル稼働の注文が来たぞ!」

「工場のラインを3交代制に戻せ! 眠っていた設備を叩き起こせ!」

 

24社連合という怪物を迎え撃つために、国家の予算を原資として旧財閥が身内に回した巨額の資金。それは『第二連合』という捨て駒の形を借りて、長らく冷え込んでいた日本のものづくりの現場、その末端の毛細血管にまで、ドクドクと新鮮な血液を送り込み始めていた。

 

勝つためではない。美しく負けるための舞台装置。

しかし、その装置を組み上げる過程そのものが、皮肉にも紙村という重工巨人の眠れる筋肉を、確実に呼び覚ましつつあった。

 

「連合が一点集中の『徹甲弾』なら、我々は広範囲を爆砕する『榴弾』だ」

 

紙村グループの最高幹部は、手元のモニターに映し出される中京工業地帯の稼働率グラフを眺めながら、満足そうに口元を歪めた。

 

「『河内総合運輸』の運送業そのものは、国の援助金と合わせてようやくトントン、良くて微黒字といったところだろう。奴らは身を切って捨て駒の舞台を作っている。――だが、その舞台装置(トラック)を製造・メンテナンスする我が紙村グループの自動車部門、そして連なるサプライチェーンの企業たちは、今この瞬間も莫大に儲かっている」

 

幹部は立ち上がり、窓の外に広がる名古屋の夜景を見下ろした。その視線の先には、不夜城のように光を放つKM自動車の工場群がある。

 

「これで河内グループには、貸しを一つ作った。……段取り通りだな。次は我々紙村が、バグ・ハンターどもの要求する別の『トントンの帳尻合わせ事業』を引き受け、今度は河内グループの商社や金融が裏で莫大な利益を得る番だ。素晴らしいギブアンドテイクじゃないかね」

 

彼ら旧財閥にとって、国家の若造たちが提示した「24社連合への対抗」という絵空事は、身内の巨大な経済圏を循環させ、肥え太らせるための最高の免罪符(ビジネスチャンス)に過ぎなかった。

 

24社連合が、無駄を極限まで削ぎ落とした「効率」という一本の鋭い楔で国家の隙間を貫こうとするならば。

旧財閥は、国費という火薬を用いて、自らの巨大なコンビナートとサプライチェーン全体を爆発的に回す「物量」で対抗する。

 

たとえ、表舞台に立たせた『第二連合』という前線基地がいずれ怪物の前に敗北しようとも、その製造過程で財閥の血肉となった数千億の富と、強靭にアップデートされた生産ラインは手元に残る。

 

「怪物に勝つ必要などない。怪物の脅威を利用して、我々が生き残り続ければそれでいいのだ」

 

冷徹な老舗の論理が、名古屋の夜に静かに響いていた。

 

同日 東京 霞が関

 

スマホのバイブレーションがポケットの中で重く震え、宮田は騒がしい執務室を抜け出して静かな庁舎の廊下へ出た。ディスプレイには大川の名前が表示されている。通話ボタンを押し、耳に当てた。

 

『紙村のKMが本格的に動き出しました』

大川の、低く張り詰めた声がスピーカーから流れる。

 

「そうですか……」

宮田は短く応じ、窓の外に見える初夏の霞が関の街並みに視線を落とした。

 

バグ・ハンターとて、決して馬鹿ではない。

財閥の老人たちが裏で何を企んでいるか。国が拠出した莫大な援助金や補助金を利用し、「捨て駒」の運送会社を隠れ蓑にして、自分たちの身内である重工や自動車部門のグループ企業を儲けさせている――そんな出来レースの構図くらい、最初から完全に読み切っていた。

 

だが、それでよかったのだ。

いや、それこそが彼らバグ・ハンターが描いた、最も「コスパ(対費用効果)が良い」戦略の全貌だった。

 

もし大真面目に、あの24社連合という怪物に正面から完勝できる『本物の第二連合』を一から作ろうとすれば、どうなるか。おそらくは東大教授や京大教授といった最高峰の権威を総動員し、国家プロジェクトとして10年以上の歳月と、天文学的な研究開発費をドブに捨てる覚悟で注ぎ込み続けなければならない。それでも勝てる保証はどこにもない。

 

かといって、国が危機感を募らせるあまり、国費を直接投入して「国営のインフラ企業」を乱発すればどうなるか。

『日本の資本主義は死んだのか?』

『民業圧迫だ』

国内外の産業界だけでなく、一般市民やメディアからも猛烈な白い目で見られ、政治的につるし上げられるのは火を見るより明らかだった。

 

ならば、どうすべきか。

財閥に「利用されている」と分かっていても、彼らの貪欲な生存本能(ビジネス)にただ乗りするのが一番早かった。

 

「国に恩を売り、身内を儲けさせる」という歪んだモチベーションであっても、彼らが動きさえすれば、国家としての最低条件である『24社連合が転んだ時の代替手段(バックアップ)』は、最も手軽に、かつ確実にこの国に用意される。

 

「彼らは自分たちが国を騙して一枚上手をいっているつもりでしょうが……」

宮田は、受話器の向こうの大川へ向けて、静かに口元を緩めた。

 

「それでいいんです。怪物を飼い慣らすための檻の材料は、彼らの金と、彼らの工場で作らせればいい。お互い、計算通りですよ」

 

財閥は国家の予算を貪り、国家は財閥の欲を利用して防壁を築く。

24社連合という未知のシステムを前に、霞が関の若きバグ・ハンターたちもまた、冷徹極まる国家の合理主義という刃を研ぎ澄ませていた。

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