同日 東京 バグ・ハンター会議
「……年間数百億円の利益を生む技術者が一人出れば、大学の赤字など誤差、ですか」
大川が、先日目の当たりにした河内グループ幹部の「教育への執念」を会議室のメンバーに共有すると、室内には重苦しい沈黙が広がった。
メンバーの誰もが、あの旧財閥の歪な一点集中投資に、官公庁の役人たちのような形式主義ではない、どこか「あの24社連合と同じ匂い」を感じ取っていた。
24社連合が、地方の見捨てられた陸と海の孤島からピンポイントに「原石」を掘り出し、4000億の戦場でダイレクトに怪物を育てるなら。
第二連合(旧財閥)は、日本全土の中枢から地方に至るまで網の目を張り巡らせ、伝統的な組織の精製技術で純粋な頭脳を培養する。
手段は違えど、本質的な「狂気」の匂いは共通していた。
「それはさておき――」
大川は気持ちを切り替えるように、プロジェクターの画面を切り替えた。
「公安の協力を得て進めていた『城島ファンド』の潜入・追跡調査の結果が出ました。連中、すでに南米やアフリカにまで触手を伸ばす準備を始めています」
「……海外での外国人ドライバー育成網の拡大、ですか。日本・アジアで成功したモデルを、そのままアメリカや欧州へ輸出するための布石ですね」
宮田が配られた資料をめくりながら呟く。資料によれば、24社連合はそのための莫大な資金をファンド経由で集め、すでに現地投資へと回している。だが、これはまだ彼らの拡大戦略における「序章」であり、脇道に過ぎない。
本題は、その次に表示されたスライドだった。
【城島ファンド重要人物リストおよび経歴】
「なぜ24社連合の各社は、従来の経営学の型をあえて外した、あんな奇抜なビジネスを次々と成功させられるのか?」
その謎を解き明かすため、バグ・ハンターたちは動いていた。
どれほど国家の危機とはいえ、違法性のない純然たる民間企業に対して通信傍受(ワイヤータッピング)を行うには、法的・制度的なハードルが高すぎる。だからこそ、協力関係にある諜報機関が最も得意とする、泥臭いが確実な「正攻法」の数々が繰り出された。
ある時は取引先の社員、ある時はファンドが入るビルの清掃業者。その従業員として潜入し、合法的かつ精巧な「人間録音AI」として機能する。ゴミとして廃棄されたシュレッダー前の書類を回収し、わずかな会話の断片と紙のクズから、外堀を埋めるように情報を集積していった。
宅配、ビルメンテナンス、警備会社――24社連合に関わるあらゆる周辺企業に、普通の転職者やアルバイトとしてサクラを送り込む。そこまでしてようやく手に入れたのが、このリストだった。
「向島(むこうじま)と院田(いんだ)。実業部門・スーパー経営課……。つまり、彼らがあの『NEXA』や『GRID』といった、欧米を震撼させているインフラ型スーパーの親玉ということか」
「ん? それ以外の情報はないのか……?」
宮田は、手元の冊子の最後のページを何度も往復させた。
確かに彼らは、アメリカやヨーロッパの大都市に格安スーパーや高級健康志向スーパーを計200店舗以上も急拡大させ、それを「人質」にすることで、欧米政府による安全保障を盾にした資産没収や罰金を防ぐ防壁(シールド)に仕立て上げた、極めて政治力の高い重要人物だ。
だが、宮田が本当に知りたかった『狂ったビジネスモデルそのものの起案者』の欄には、彼らの名前はなかった。
「宮田さん、起案担当ならそこに書いてありますよ。その、一つ前のページです」
大川が指差した部分を見て、宮田は目を見開いた。あまりに簡素な記述だったため、無意識に読み飛ばしていたのだ。
【推定起案源:人間 + AI】
「……これだけか?」
「ええ。あの数々の奇抜なビジネスモデルのアイデア源は、極めて典型的な『AIとの壁打ち』です。城島ファンドでは、能力の高い低い、役職の上限を完全に撤廃し、考え得る限りのあらゆる業界人の知識を集積しています。そして、ひたすら社員たちにAIとディスカッションをさせ、その実現性や意外性を評価させているのです」
「そんな馬鹿な。城島ファンドの社員数は、せいぜい300人ちょっとだぞ? 膨大な業界の知識をそんな人数で集約するなど……」
「――『Iコンサルティング』ですよ」
大川が口にしたその名前に、会議室の全員がハッと息を呑んだ。
「連合結成より少し前にD財閥が後ろ盾になり、一緒に上場廃止したあの老舗コンサルの……まさか……」
「そうです。24社連合の本当の強さは、そのIコンサルティングが過去に蓄積し、他社が『使い物にならない』と捨て去った膨大な泥臭いビジネスモデルの屍にあります。それを、彼らが独自に構築した『MX(マニュアル・トランスフォーメーション)』というOSの上で実現できるか否か――ただそれだけを、何百人もの人間が毎日泥臭くキーボードを叩いて、地道に、力技で道を切り開いていた。それが、怪物の実態です」
大川は、自嘲気味に首を振った。
「我々官公庁や既存の日本企業、それこそあの旧財閥ですら、AI任せに『自動で、綺麗に、素早く』壁打ちをさせて、スマートな経営計画書を作って満足していた。しかし、それでは教科書を突き合わせただけの、どこかで見たようなビジネスモデルしか生み出せない。なぜなら、AIに綺麗なデータしか入力していないからだ」
大川はプロジェクターの画面を消し、室内の明かりを戻した。
「24社連合(連中)は違った。人間が現場から持ってくる、あまりにも生々しく、意外で、時には不合理な『泥まみれの材料』を、そのままAIの炉に投入していたんだ。4000億の工場を学生に弄らせる狂気も、3万ページの泥臭い生活指導マニュアルも、すべてはその地道な『人間とAIの格闘』から出力された、生きた答えだったんですよ」
最先端のスマートなテクノロジーの裏側にあった、信じられないほどの泥臭さと人間臭さ。
バグ・ハンターたちは、自分たちが挑もうとしている怪物の正体が、単なるシステムではなく、徹底的に現場を研ぎ澄ました「人間の執念」そのものであることを、改めて突きつけられていた。
「日本企業が捨てたマニュアル運営能力の価値を見逃さずに極め、世界が捨てたビジネスモデルを拾っては調合し、世界が捨てた需要やマーケットに根を張る。どこまでも敗者の覚悟で動いていたのか・・・」
「なので向島や院田がどういう経歴とか調べる必要もなくなりました。だって集合知のシステムですから彼らが何者かは影響度はあまりないと判断しました。」
沈黙するメンバーに追い打ちをかける。
「さらに言えば、向島が転職しようが、院田が入院しようが、彼らは止まらないでしょう。もし止めたいなら城島ファンドごと何かの嫌疑で規制するしかない。」
「それができないからこうして雁首揃って会議しているんだがね・・・」
会議は一通り終わり総括に入る。
「連合の実態が見えた結果、より第二連合の重要度が上がった。」
人間とAIで奇抜な経営シミュレーションをしている。AIだけでも不確定要素なのに、未知の組み合わせを平然と回す神経も2つ目の不確定要素が特に厄介だ。もしこの二つの要素がかみ合って、今日にでも「ドライバー派遣事業は来週から赤字になります」なんて弾き出せば連中なら何の未練も躊躇いも慈悲も愛国心も無く、「じゃあ撤退。一番早い撤退順序、AIと一緒に回して」と言う。
普通の企業なら物流事業が年数百億利益を出していれば、多少先行きが怪しくて単年決算が赤字予想でも事業は続けるだろう。
理由は簡単。既得権益になるからだ。
だが、連中は違う。即断即決で撤退する。
そうなれば日本の流通は再び、そして連合に依存し切っていた分より深い暗黒期に引き戻されるだろう。
次に決定したのは「連合組織の監視」である。もちろん合法的な手段のみだ。
そして情報は省庁の中で保管され、両財閥に出すのは連合が動いてからにする。
もし、これで連合の事業情報を連合より先に財閥が知っていたら不信感を抱かれる。さらにこれに関与した官僚や政治家が飲み屋でぽろりとこぼせば公安による民間企業への恣意的マーキングとなり、財閥への利益相反まで嫌疑がかかる。
「我々官公庁は脇役と小道具役だ。主演は連合と第二連合たち。そういうことだ。」
2037年 1月 東京 J社本社
「この度、河内総合運輸から参りました牟田と言います! 河内グループと申しましても運送業界ではまだまだ新人ですので、皆様のご指導ご鞭撻、どうぞよろしくお願いします!」
朝礼の場で、さわやかな笑みを浮かべて挨拶する牟田。
しかし、これから同僚となるJ社の現場社員たちの多くは、拍手こそすれど、その表情はどこまでも無表情で、冷徹なまでに静かだった。
河内グループが仕掛けた次なる一手は、24社連合への「人材交流」の打診だった。
『国のドライバー不足問題を解決するにあたり、競合の垣根を越えて、参考にできる一般業務のノウハウを学び合いたい』
大義名分を掲げたその提案を、またしてもJ社は驚くほどすんなりと受け入れてきた。
お互いに3名ずつを出向させるクロス出向。
当然、河内側も甘くは見ていない。出向した人間が、J社の核心たる運行管理システムや「MX」の基幹マニュアル(データ)にアクセス制限をかけられ、表向きの単調な業務ばかりに回されることは織り込み済みだった。
だからこそ、河内は3名の他に「牙」を混ぜておいた。
メンバーのうち2名は、河内グループの中でもMXの本質をある程度理解しており、かつ、あえて一度グループとは無関係な他社を挟んでから「中途採用」の形で潜り込ませた、経歴ロンダリング済みの生え抜き工作員。
彼らなら、一般社員の振りをしながらマニュアルの「少し奥」まで見せてもらえる可能性がある。
もちろん、出向中の彼らと河内本社との直接の連絡は命取りになる。通信傍受を警戒し、情報は定期的に行われる「公式交換留学生と転職者たちの研修報告会」の際、紙ベースの資料の束に紛れ込ませて手渡しするという、徹底したアナログ手法が採られた。
2037年 3月 東京 J社東京物流センター
潜入開始から2か月。
牟田たちから極秘裏に送られてきた報告書によって、連合J社の物流現場が持つ「異常さ」の正体が、次々と浮き彫りになっていった。
まず目を引いたのは、荷物の「積み付け(パズル)」のプロセスだった。
通常の物流倉庫と同じように、J社にも手積みの軽量貨物は存在する。しかし、トラックに積み込まれる前の「荷物置き場(ステージングエリア)」の時点で、異様な光景が広がっていた。荷物が、すでに「トラックの荷台に置くレイアウトを、上下逆にした状態」で精密に積み上がっていたのだ。
理由を尋ねると、現場の作業員は淡々と答えた。
「AIが、トラックの荷台の体積効率と、配送ルートの降車順を計算して、一番効率的な配置を逆算してステージングしているだけです。作業者は、目の前の山をそのまま荷台にスライドさせるだけで積載が完了します」
さらに、倉庫内のフォークリフトの運用も狂っていた。
リフトが走る導線は厳格に規定されており、フォークリフトが倉庫の奥から作業エリアに進入してくるときは、まるで航空機の滑走路だった。床の白線の下に埋め込まれたLEDが、青・赤・黄の3色のグラデーションの光を放ち、リフトの接近速度と同調して明滅する。
「今は近づいてはいけない」「あと数秒でここをリフトが通過する」という情報を、騒音にかき消されない「視覚」へ直接訴えかけ、事故の可能性を極限まで排除するための設計だった。
そして聴覚のハッキング
それは、牟田が実際の作業倉庫へ入る直前のことだった。
若い現場リーダーの男が、牟田の前に小さな箱を差し出した。
「これ着けてください」
中に入っていたのは、無骨なデザインの骨伝導マイクとインカムだった。
牟田は思わず聞き返した。
「……全員、ですか?」
「はい」
若者は、何を当たり前のことを、という顔で頷く。
「トラックもフォークリフトも走る現場ですから」
「ええ」
「人の声って、意外と聞き間違えるじゃないですか」
若者は、まるで今日の天気や昼飯のメニューでも話すような、あまりにも軽い口調で続けた。
「『左から入ります!』が、周囲のノイズで『まだ入ります!』に聞こえる。
『止まれ!』が、『取れ!』に聞こえる。
現場じゃ、たったそれだけの聞き違いで、人が死ぬか、数千万円の貨物が大破する事故が起きるんです。だから、最初からそのバグ(聞き違い)を無くす。それだけの話ですよ」
「いや……」
牟田はインカムを手に取り、せわしなく動き回るJ社の現場を見回した。
「普通の運送会社で、パートやアルバイト全員にこんな精密機器を支給してるなんて、見たことないぞ」
すると、若者は不思議そうに首を傾げた。
本気で、牟田が何を驚いているのか理解できないという反応だった。
「……そうなんですか? これが無いと、危なくて仕事にならないと思うんですけど」
その、悪気のない「常識の乖離」こそが、牟田にとっては一番恐ろしかった。
河内総合運輸の役員室に戻ってきた潜入報告書には、以下のような項目が並んでいた。
【J社現場調査:音声通信インフラの導入】
・骨伝導インカムおよびマイクの導入。
・現場作業員(アルバイト・派遣含む)全員装着。
・システムとしての新規性:なし
ここまでは、よくある現場改善の報告だった。
しかし、その次の行に書かれた「数字」を目にした瞬間、河内の幹部たちは一斉に動きを止めた。
・費用対効果(ROI):極めて高い。
・導入コスト:事故1件分の損失以下で全アセットへの配備完了。
・事故発生率:導入後、ほぼゼロに低下。
・指示の聞き直し・確認に伴うタイムロス:ゼロに。
・作業全体のスピード:約12%向上。
・新人教育(現場指示)に要する時間の短縮。
・現場のストレス軽減による定着率の向上。
「……なんだ、これ」
河内グループの幹部が、報告書を指で叩きながら不快そうに呟いた。
「ただのインカムだろう? どこにでもある通信機器だ。なぜ、それがこれほどの経営数値の改善に直結するんだ」
すると、報告書を提出した調査担当の役員が、重く首を振った。
「違います。幹部、連中は『便利な通信ツール』を導入したんじゃないんです」
「何?」
「連中は、現場における『事故やミスの原因』を徹底的に分解した結果、『人間の生の聴覚には、環境音によってバグ(誤認)が発生するという致命的な欠陥がある』と判断したんです。だから、テクノロジーを使って人間の聴覚を『補強(アップデート)』した。ただ、それだけのことなんです」
24社連合にとって、現場の人間はただの労働力ではない。
マニュアル(OS)に沿って完璧に動くための「パーツ」であり、そのパーツに欠陥(バグ)があるなら、ツールを使って規格を適合させる。
インカムの導入というありふれた施策の裏にある、人間の肉体すら「システムの一部」として冷徹にハッキングしていく24社連合の設計思想に、旧財閥の幹部たちは再び、言葉にできない不気味な寒気を覚えていた。
さらに河内総合運輸の幹部たちを戦慄させたのは、報告書の最後に記されていた、ある「問題児」を巡るJ社の異常な人材活用方法だった。
その現場には、18歳のフリーターのアルバイトがいた。
髪はボサボサで身だしなみはお世辞にもよろしくなく、おまけに極度のサボり癖がある。指示された最低限の仕事が終わると、不愛想に「終わりました」の一言だけを現場リーダーに告げ、作業エリアから忽然と姿を消すのだ。
河内総合運輸はいくら立ち上げたばかりの新興企業とはいえ、旧財閥の厳格な規律を引く組織だ。現場の末端作業員といえど、このような協調性もやる気もないバイトは、組織のモラルを低下させる素行不良者として「即座に首を斬る」のが当然の常識だった。
しかし、J社は絶対に彼を切らない。
現場リーダーは、そのサボり魔が持ってきた成果(積載や搬送)を端末で軽く確認すると、「承りました」と一言返すだけで、あとはどこへ行こうが完全に放任しているのだ。
潜入していた牟田が、あまりの規律の緩さに耐えかねて「あんなマネジメントで本当にいいのか?」とJ社のリーダーに詰め寄ると、返ってきたのは信じられない言葉だった。
「彼はマニュアルで規定された時間内に、規定されたクオリティの貨物運搬を完璧に達成しています。約束されたタスクをクリアした以上、あとの時間は彼の『個人裁量(自由)』です。会社の費用でトラックやフォークリフトの講習に自主参加するのも、トイレや喫煙所でスマホを弄っていようが、それは彼の自由時間(リソース)ですよ」
J社のリーダーは、さも当然のルールを口にするように淡々と答えた。牟田は開いた口が塞がらなかったという。
「……我々は、連中のマニュアルを極力真似してきたつもりでいた」
報告書を読み終えた河内の幹部が、机に両肘を突き、深く顔をうずめた。
「だが……違った。我々が真似していたのは表面の文字だけだ。連中の『人事思想』の根底には、爪の先ほども追いついていなかった」
旧財閥の組織論は、「人間性」や「忠誠心」「真面目さ」といった曖昧な情緒で労働者を縛り、枠からはみ出る者を排除する。
だが、24社連合(J社)の思想は違った。彼らにとって重要なのは、企業の掲げるシステム(OS)と交わした「契約」を履行したかどうか、それだけだ。
身だしなみが悪かろうが、愛想がなかろうが、タスクを完璧にこなす能力があるなら、その人間はシステムにとって「正常なパーツ」である。ならば、契約以上の忠誠や労働を強要してパーツに過度な負荷をかける(首を切る)必要などどこにもない。むしろ、無駄な摩擦を避けるために放っておくのが最も合理的である――。
「真面目に働け」という精神論を一切排除し、成果の等価交換だけで人間をドライに動かす徹底したシステム主義。
出来レースの枠組みの中で、なんとか怪物の形だけを模倣しようとしていた河内総合運輸は、マニュアルの裏に隠された「24社連合の冷徹な人間観」の深さに、完全に打ちのめされていた。
「ははは!ウチに交換研修に来たJ社側のメンバーたちはどんな目でウチの現場とオフィスを見ているだろうか?面白かろう。なにせ動いている化石そのものだろうからな!」