2038年 8月 東京 霞が関 バグ・ハンター会議
2か月前に海外の半導体大手各社から発表された、レガシーおよび汎用半導体の大量供給開始の知らせ。経済産業省のブースには、一般のニュースよりもはるかに詳細な業界レポートが、担当官僚の手によって持ち込まれていた。
「グラフィックボードが標準品で9万円……廉価版でも6万5000円、ですか」
財務省の担当官が、液晶画面に映し出された海外メーカーの想定実売価格を見ながら呟いた。一時期の狂気的な高騰ぶりからすれば、これでも半額以下の値下げである。
市場が正常化し、連合の独占が崩れる――本来なら歓迎すべき報告のはずだった。しかし、資料を読み進めるバグ・ハンターたちの内心は、一様に苦いものだった。
「……連合のA社が出している3万9800円のボードよりも、ずっと高いのか」
「ええ。円安が進みすぎているせいもありますが、それ以上に『性能』の思想が違いすぎます」
経産省の担当官が、ため息混じりにホワイトボードへ補足を書き加えていく。
「海外大手の上陸品は、完全に連合のような『割り切り性能』ではなく、最新の重い3Dゲームや仮想通貨マイニングといった高負荷使用を最初から想定しています。廉価版ですらこの有様です。彼らは連合のように『最低限、画面が映ってオフィスソフトと動画が見られればそれでいい』という割り切り商品へは、プライドが邪魔をして行けなかったのでしょう」
それは「一般使用レベル」という言葉に対する、解釈の決定的な違いだった。
世界の大手メーカーからすれば、一般ユーザーの範囲には「最新の3Dゲームをする人」「最新の生成AIシミュレーターを動かす人」「高画質な動画編集をする人」までが広く含まれる。それが長年の業界常識になってしまっていたのだ。
一方で、連合の連中は「業界常識なんて最初からゴミ箱に捨てている連中」である。
『普通の人間はネットを見て書類が作れれば満足するだろう』という冷徹な割り切りに基づき、大手が高性能な高級品、標準品、廉価版の3種類を莫大な開発費をかけて作っている中、連合のA社は最初から1種類しか作っていない。この開発・製造ラインの単純さによるコスト差が、価格設定にそのまま響いていた。
海外の巨人が戻ってきても、A社の牙城はビクともしない可能性があった。
一方で、メモリ市場に投入された連合のB社もまた、しぶとく生き残る可能性が極めて高かった。
メモリはGPUやグラフィックボードほど製品ごとの性能差が出にくいため、単純な価格勝負になりやすく、バグ・ハンターたちも「こちらの方が先に大手の物量に圧殺されるだろう」と踏んでいたのだが、蓋を開けてみればその予測は裏切られた。
「大手が今回、汎用市場に流してきたメモリは、一番古くても『DDR6』……」
大川が資料を指でなぞる。
現在、連合のB社が死守しているラインは「DDR4」と「DDR5」だった。
レガシーの中のレガシーであり、もはや骨董品に近い産業機器向けのDDR4。そして、一般のオフィス需要を満たせるギリギリの世代としてB社が踏みとどまっているDDR5。
海外大手が「最新・高性能」のDDR6以上を引っ提げて戻ってきたところで、B社が戦っている市場そのものと全く被っていなかったのだ。
シリーズや容量によって異なるが、価格は当然B社の方が若干安い。
一般の消費者が、この「若干の価格差」を払ってまで、容量や速度の上昇を求めるか? それが勝負を分ける要素になる。
「言い換えれば、彼らが狙っているのはローエンドなので、需要がゼロになることは絶対にない、ということだ」
経産省の担当官が指摘する。
「それで最低限の黒字を出せるなら、B社はしぶとく市場に残り、さらにその中でコスト改善を進めていくでしょう。そして他社がDDR7、DDR8と規格を進めていくたびに、彼らはDDR4のラインは残したまま、これまでDDR5を作っていた古いラインを、他社が手放した『中古の製造装置』で安く更新してDDR6用に回す……そうやって無限に生き残り続けるサイクルが完成してしまう」
大手のお下がりを貪りながら、社会の底辺のインフラとして機能し続ける。まさに連合らしい、寄生的な生存戦略だった。またしても決定打にはならなかったのだと、会議室に重苦しい沈黙が広がりかける。
パチパチ、と大川が小気味よく手を叩き、会議室の空気を強引に換えた。
「――おい皆、忘れるな。我々は日本企業であり、現に国内のインフラを支えている連合を『倒産』させるために集まっているわけじゃない」
大川は不敵に笑い、メンバーを見回した。
「確かに、彼らの影響力は依然として大きいままだろう。だが、鉄鉄の防壁に風穴は空いたんだ。海外大手が戻ってきたことで、一般品供給が完全枯渇するという最悪のシナリオは、わずかながら遠のいた」
「……」
「それに、A社もB社も倒産しないのであれば、地方の雇用者も国への税収も、減りはするだろうがゼロにはならず、ちゃんと残る。我々としては、十分な変化じゃないか?」
大川の言葉に、官僚たちは顔を見合わせた。
連合の影響力が削がれるということは、政府としての市場管理能力、つまり「国家の操縦機能」が少しだけ自分たちの手元に復活したということを意味する。
怪物を退治することはできない。しかし、その手綱をわずかに引き絞ることには成功したのだ。バグ・ハンターたちは、山積みの半導体データを見つめながら、これから始まる長い管理戦に向けて、静かに深く息を吐き出した。
翌日 河内・紙村グループ合同会議
「……まさか国の連中、この海外大手の『汎用回帰』がこの先もずっと続くと思っているのか?」
会議室のスクリーンに映し出されたバグ・ハンター側の楽観的な市場予測を眺めながら、紙村グループの役員が呆れたように鼻で笑った。それを受け、対面に座る河内の事業統括官が、冷徹な手つきで手元のタブレットをタップする。
「それはないとは思います。霞が関の官僚とて、そこまで愚かではないでしょう。これはあくまで、彼らにとって一時的な『ガス抜き』に過ぎません」
海外半導体各社が急に汎用市場へ供給を戻し始めた本当の理由。AIバブルの縮小。その引き金を引いたのは、最先端のAIサーバーが引き起こした「冷却水問題」だった。
膨大な熱を発するデータセンターを冷やすための水資源、そして電力。それらのインフラ負荷が限界を迎え、ついに欧米の先進国内において、これ以上データセンターを設置できる土地そのものが物理的に枯渇してしまったのだ。
だが、常に市場や株主、金融機関、さらには国家から「右肩上がりの高い成長期待」を押し付けられ続けてきた半導体メガテック企業たちが、今さら真実を口にできるはずがなかった。
「巨大企業でありながら、株価収益率(PER)を100倍から200倍まで膨らませていた連中ですからね。『環境問題と土地不足で、これ以上の売上と利益の拡大は不可能です』などと正直に言えばどうなるか……」
「株価が急落する、では済まんな」
紙村の役員が冷たい目で応じる。
「バブルが完全に弾ければ、待っているのは世界規模の金融クラッシュだ。そんな悪夢、FRBや各国政府、大手金融機関が絶対に許すはずがない」
だからこそ、裏では冷酷な命令が下る。
――何が何でも需要を繋ぎ止めろ。工場の稼働だけは絶対にストップさせるな。表面上は『市場の健全な需給調整』という体裁で済ませろ。
さらに、この延命措置にはもっと個人的で泥臭い事情も絡んでいた。
「半導体企業の役員や優秀なエンジニアたちの中には、自社の高騰した株を担保にして巨額の借金をしていたり、高級住宅のローンを組んでいる者が無数にいます。株価の暴落は彼ら個人の破産を意味する。となると、企業自身も必死になって帳尻を合わせにくるわけです」
彼らは生き残るために、一時的に余った製造ラインをレガシーな汎用半導体やグラフィックボードの製造へと無理やり割り振ったに過ぎない。バブル崩壊という本震を先送りするための、時間稼ぎの防波堤。
「連中は、泥の中から当たり前の需要を拾い上げる連合の『敗者のゲーム』を舐めている」
「もっとも彼らからしたら連合のA社もB社も有象無象の雑魚半導体製造企業の一つとしてしか認識していないかもしれませんがね。」