同日 岐阜県 中津川市 双璧アカデミー
岐阜県の中でも東の果て、長野県と境を接する旧中山道の地方都市、中津川。
JR中央本線の快速や特急を使えば名古屋まで1時間前後、長野方面であれば塩尻を経由して松本や長野市まで一本で繋がっている。その上、中央新幹線の岐阜県駅(仮称)の建設が進むこの地は、まだ宅地化されていない広大な森林と山岳地帯が、財閥の購買力からすれば破格の安値でまとまって転がっていた。
交通の便は申し分なく、かつ俗世から隔絶された広大な敷地。
そこに今、異様な光景が広がっていた。
紙村財閥の圧倒的な建設力と、河内財閥の無尽蔵の資本力。日本の双璧が持てる力を惜しみなく注ぎ込んだ結果、山あいの斜面に「灰色の城郭」とでも呼ぶべき無機質で巨大な校舎群がそびえ立っていた。平野部はすでに既存の生活圏として埋まっているため、あえて山を切り開いた敷地内は激しい坂道ばかりだ。しかし、そこに鎮座する施設はすべて、およそ教育機関の常識を遥かに逸脱した「本物」だった。
さすがに隣で本物の製品を出荷し続ける商業ラインと作業員までを常駐させるのは不可能だったが、世界シェアを誇る最新鋭の製造機械をそのまま並べた「教育用フルスケール・ライン」が何棟も稼働している。さらに敷地内には、学生や講師陣が暮らす巨大なアパート群、そしてスマートディスカを猛烈な勢いで追撃する総合小売りの巨人「オール・グロッサリー」の中規模ショッピングモールまでが誘致されていた。
日用品の買い物から、家具の調達、映画鑑賞に至るまで、大抵の生活は外に出ることなくこのキャンパス内で完結する。
それはまさに、山中に突如として出現した独立経済圏――『学園都市』そのものだった。
「……ここはこういう二層構造になっているので、下手に外装から外すより、この光学モジュールから先に手を付けるのが正解ですね」
「なるほど、手順としては合理的だ。ですが、これだと逆に修理後に光軸の3次元調整をするのが死ぬほど難しくなりませんか?」
「そうなんですよ。そこはウチの青森校でも本当に苦労しているところで……」
防塵服に身を包んだ二人の若者が、1機100億円は下らない最新型の小型露光装置(リソグラフィ機器)の筐体を前に、容赦なく工具を動かしながら議論を戦わせていた。
一人は、24社連合の青森校から「交換留学生」としてやってきた、現場実務特化型の学生。
もう一人は、最先端半導体の製造理論を研究する、財閥の「双璧アカデミー」生。
財閥の人材は、渡された機械の構造や、各種パラメータ調整の組み合わせを実験・シミュレーションさせれば右に出る者はいない。しかし、その高精密な機械の心臓部までを自らの手でバラバラに分解し、消耗品を交換した上で、再び元のナノメートル単位の精度と同等レベルにまで組み直すような「泥臭い職人技」は持っていなかった。
一方で連合の人材は、過酷なOJTで培った運転・保守メンテナンス、トラブルシューティングの腕前は抜群だが、その機械の限界を超えて新しいプロセス理論を構築するような数理的研究は不得手だった。
「保守の連合」と「理論の財閥」。
市場では血を流して争うライバル同士でありながら、彼らは自らの教育機関において、互いの学生を交換して競い合わせ、高め合うという奇妙な共生関係を築いていた。資本の論理で殺し合うことと、次世代の技術基盤を育てることは別問題であると、双方の上層部が冷徹に割り切っている証拠だった。
この2つの学び舎は、どちらも文部科学省の認可を受けた「学校教育法第一条」に基づく、いわゆる普通の大学や専門学校ではない。ただの「無認可の専門スクール(私塾)」である。
連合がかつて、文科省の一方的なリソース強奪要求に激怒してすべての許認可証を叩き返したように、財閥の双璧アカデミーもまた、最初から文科省の管轄外として開校した。
国に首根っこを掴まれていれば、政府の都合が悪くなった瞬間に「この分野の研究人材が不足しているからお前たちの金で育てろ。あ、補助金は出さないぞ」と、官僚の怠慢を押し付けられるのが目に見えていたからだ。青森総和短大の件で、向こう10年は文科省も頭が上がらないだろうが、その苦い記憶が風化すれば、官僚組織は必ずまた同じ過ちを繰り返す。だからこそ、最初から制度の手が届かない「法外の領域」に城を築いた。そこだけは、連合と財閥の気が完全に合っていた。
「いやあ……それにしても、お宅の『高知校』の連中は本当に恐ろしいですな」
双璧アカデミーの情報学部長が、連合から派遣されてきている情報工学の教授に、苦笑交じりの賞賛を漏らした。
連合が誇る『日本総合職業専門スクール・高知校』。そこはKソフトウェアが直轄する、情報セキュリティとインフラ工学の狂気的な牙城だ。
一流のIT国家であるエストニア、イスラエル、そしてアメリカへ巨費を投じて送り出してした30名ほどのトップ技術者たちを中核に据えた、企業直結のサイバー私塾。そのカリキュラムは、国内の一般的な大学の情報学部が見れば、あまりの異常さに茫然自失とする内容だった。
「何しろ、外部のインターネットからは完全に隔離されているとはいえ、高知校の敷地内だけで完結する『擬似インターネット網』を使って、学生たちが毎日ガチの紅白戦(サイバー攻防戦)をやっている」
「ははは、あれはうちの若者たちも良い刺激になっていますよ」
「敷地内の巨大プールに本物の海底ケーブルの模擬ラインまで敷いて、重機を使った物理的な回線切断攻撃(物理テロ)への即時復旧まで演習に組み込んでいるのは、さすがにやりすぎでしょう。おおかた、学生たちは毎日不眠不休で監視ソフトを自作・アップデートしているとか」
「ええ。そこで優秀な成績を収めた学生のコードは、Kソフトウェアの技術者が精査した上で、そのまま実際の商用セキュリティ製品のアップデートパッチに組み込まれて世界中に配信されますからね。インセンティブが違います」
「我々も慌てて欧米のトップ企業や大学に頭を下げ、ようやく理論面でのカウンターパートとしての形を整えたところですよ。……しかし、聞きましたか?」
情報学部長が、少しだけ声を潜めて言った。
「東京の大手、城内情報専門学校が、国内の大手ITベンダー数社と組んで、本格的に我々やそちらの真似を始めたらしいですよ」
「ほう……『城内』ですか。あそこは動きが早い」
連合の教授は感心したように頷いた。
「情報は、最低でもパソコンと、閉じた内部ネットワーク、そして本物の教育者がいればスタートできますからね。さすがに高知校のような『模擬海底ケーブル網』なんていう狂った設備投資は資金面で無理でしょうが、現場の最前線を知るベンダーの技術者が直接教えるとなれば、それなりの実戦戦力が出てくるでしょう」
「変わり始めた、のかもしれませんな。日本の教育界そのものが」
「大学機関と企業の連携」という言葉自体は、それこそ何十年も前から使い古されたお題目だった。
しかし、24社連合はその「濃度」を何十倍にも高め、圧倒的な実戦の成果を出してしまった。そして、それに危機感を覚えた財閥の双璧アカデミーが、潤沢な資金力でその構造を踏襲し、さらなる最高峰の成果を叩き出した。
結果が出てしまった以上、周りも動かざるを得ない。
国からの補助金という名の「配給」に頼り、時代遅れのカリキュラムをだらだらと続けていた既存の教育機関の中から、まずは身軽な専門学校のレイヤーが気づき始めたのだ。
『もしかして、文科省の学習指導要領に律儀に従っていること自体が、今の時代のスピードと技術水準に全く合っていないのではないか?』
最も初期投資が少なく、時代の変化が激しいIT分野の専門学校から、ついに既存体制への離反の狼煙(のろし)が上がった。
まだ「噂」の段階としてしか共有されていない、地方の幽霊Fラン私立大学への「自立化宣言」。それを待つまでもなく、生き残りを賭けて民間の巨頭たちとダイレクトに結びつき始めた教育機関の登場は、まさに硬直化した日本の教育システムに対する、最初の「反逆の号砲」であった。
にこやかに交流する両者だが、当然そこに「絆」などという感傷的なものはない。「実務力」と「理論力」という互いに足りない武器を持ち合っているから交流しているだけで、どちらかが利用価値が無くなるほど落ちぶれたり、さらに力を持つ教育機関が出てくればお互い容赦なく乗り換える。そんな打算が胸中にある。
2039年 4月 岐阜県 中津川市 双璧アカデミー
「……これ、本当にやるのですか?」
「はい。現場にとって、極めて必要な能力の育成ですので」
双璧アカデミーの広大な会議室。緊迫した面持ちでプロジェクターを見つめる財閥側の学部長たちに対し、24社連合から派遣されてきている教授社員は、至って淡々と、まるで明日の天気予報でも伝えるかのような口調で言い放った。
スクリーンに映し出されているのは、連合側から提示された新たな共同教育イベントの計画書、そしてアカデミー生への公式な招待状である。
そこに並ぶ文字列は、財閥側の教育者たちの常識を根底から揺るがすものだった。
【合同実戦演習計画概要】
演習舞台: 連合日本総合職業専門スクール・青森校(実稼働中の教育用メモリ製造ライン)
攻撃側(Red Team): 高知校・ITサイバー専攻生(本気のシステムハッキングによるライン停止・制御乗っ取りを許可。※なお、今回は重機等の物理攻撃は禁止とする)
防御・復旧側(Blue Team): 青森校・製造保守専攻生、および防御支援チーム
第2フェーズ: ハッキング成功(ライン異常停止)が確認された場合、即座に防御チームと青森校学生による「ラインの点検・修理・復旧トリアージ試験」へ移行する。
正気の沙汰ではない。
それが、計画書を読み終えた双璧アカデミー幹部たちの、偽らざる総意だった。
だが、双璧アカデミーとしても、この恐るべき招待を断るという選択肢はなかった。なにせ、実際に通電し、ウェハーが回り、製品がプレスされている「本物の半導体メモリ工場ライン」が丸ごとハッキングの標的にされるのだ。そして、仮にシステムが突破されてラインが緊急停止した場合の、泥臭い「物理的な普及作業」までをも網羅した実戦データが得られるという。
「ははは……」
双璧アカデミーの情報学部長は、こめかみを指で押さえながら、引きつった笑いを漏らした。
「これ、もし海外の半導体メガテック各社に情報が漏れたらどうなるか分かっておられますか? 連中の役員がプライベートジェットに乗り込んで、白紙の小切手を胸ポケットにねじ込んででも、見学させてくれと直訴しに来ますよ」
「……えっ? そうなのですか?」
連合の教授社員たちは、心底不思議そうにパチパチと目を瞬かせた。
「海外の大手企業さんなら、資金力も我々とは桁違いですし、社内でこれ以上に過激で似たような訓練を何度も重ねているものとばかり思っていましたが……」
彼らは、呆れるくらいに「外の世界」を知らなかった。
既存の学術的な理論を知らない。故に、競合他社がどのような組織構造で動いているのかという動向にも、これっぽっちの関心もない。それゆえの、あまりにも純粋な無知だった。
「大手ほど、しがらみが多すぎて『本物』ではできないんですよ!」
情報学部長が、身振り手振りを交えて熱弁を振るう。
「半導体ラインは国家の重要インフラです。動かすにも止めるにも、株主だけでなく政府の各省庁にお伺いを立てなければならない。だから彼らは、安全な仮想ネットワークのシミュレーターで、数字のゲームをしているだけのところがほとんどなんです。それに、あちらの実験用ラインは『次の世代の利益を生み出すための貴重な1本』として常に24時間フル稼働している。実験(演習)のためにシステムを物理的に破壊して止めるなど、経営陣が許すはずがない!」
「へえ、恐ろしいですね……」
連合の教授は、まるで他所の国の貧困問題でも聞いたかのように、気の毒そうな顔で感心した。
「ということは、海外大手の最先端工場は、ある日出社して見てみたらラインが謎の全停止を起こしていた場合、現場の人間がどう動いていいか実務レベルでは分かっていないかもしれない、ということですか? ウチみたいな、枯れた汎用品(DDR4/5)を作っていて、最悪止まってもいくらでも代わりが利くメーカーならともかく、世界をリードする海外大手がそんなに無防備だなんて……」
「先生、彼らのラインでそれが起きたら、世界の株式市場が瞬時にクラッシュするんですよ……」
財閥側の教授が頭を抱えると、それを聞いた別の連合教授が「なるほど」とカラカラと愉快そうに笑った。
「まあ、攻撃と言っても、うちの学生たちが使うのは既存のウイルスの亜種や、学生レベルのシステムハックですからね。重機での物理破壊も今回は禁止していますし、システム的にそこまで有益なクラッシュ結果は出ないと考えていますよ」
連合の男は、こともなげに続けた。
「我々としては、サイバー攻撃そのものよりも、ラインが止まった瞬間、青森校の学生たちがどれだけ迅速に防塵服を着込んで現場に飛び込み、一斉点検と修理のトリアージ(優先順位付け)を正確に行えるか。その肉体的な行動データを見ることの方が、はるかに価値があると踏んでいるんです」
極限の合理性と、圧倒的な現場主義。
財閥の天才たちが「最先端の理論」を数式で組み立てている間に、連合の化け物たちは「100億円のラインが止まった時の、作業員の動線」をストップウォッチで計ろうとしていた。教育の概念そのものが、すでに完全に別の次元へと突入していた。