ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第50話

2039年 12月 東京 帝国ホテル

 

丸5年という月日をかけ、ついに「Kバイオ」がその基盤技術を開発し、連合外の大手製薬企業「佐々木製薬」が製品化へと漕ぎ着けた新薬。手術前に行われるあの苦痛に満ちた腰椎麻酔の恐怖から人類を救う、画期的な「術前麻酔薬」の厚生労働省による製造販売認可が下りた。

 

そのアプローチは、いかにも連合のKバイオらしい、圧倒的なまでの『発想の単純さ』だった。

あの痛く、苦しく、見たくもない極太の注射針を、逃げ場のない背中側の腰椎へと突き立てられる数十秒間の地獄のような恐怖と苦痛。

それに対し、彼らの出した最適解は至極シンプルだった。

「じゃあ、その本番の激痛を消すために、今まで市場にあるものよりは強いけれど、身体を完全に麻痺させるほどは強くない、ギリギリの強さの『前段階の麻酔(術前3回分割服用・錠剤タイプ)』を別で作って眠っておけばいいんじゃない?」

 

ただ、それだけだった。

本日はその認可を祝う盛大な祝賀会である。すでにプレスリリースは世界に向けて発信されていた。当然のことながら、24社連合の加盟企業はすべて非上場であり、表向きにはこの新薬の権利関係に連合はほぼ関与していないことになっている。なぜなら、基礎研究を終えた段階で、開発に携わった主要研究員は全員、Kバイオから佐々木製薬へと正式に籍を移されていたからだ。

 

佐々木製薬の株価は現在、市場で2連続のストップ高を記録している。

客観的に見れば、これは世界をひっくり返すようなノーベル賞級の新薬でもなければ、誰も思いつかなかった奇跡の分子構造でもない。難病の特効薬でもなければ、不治の病を完治させるわけでもない。ただ、あらゆる医療現場の「ほんの数十秒の、最高に不快なバグ」を都合よく解消しただけの薬だ。

 

しかし、その実利的な意義を、ある意味では高尚な医療関係者よりも、実際に手術台に上がる恐怖を知っている一般庶民(市場)の方が痛烈に理解していた。だからこその、すさまじい株価の急騰だった。

 

華やかなシャンデリアが輝く祝賀会の会場。しかし、その主役であるはずの元Kバイオの天才開発者たち8名は、ステージ上の特大モニターの中に、オンライン形式での参加となっていた。

彼らが東京の会場に来なかった理由は、別に研究が忙しいからでも、大勢の前に出るのが照れくさいからでもない。

 

事前の調整段階で、彼らはただシンプルに「わざわざ東京まで行く合理的な意味、あるんですか?」と問い、佐々木製薬の担当者が答えに窮すると、「家でリラックスして過ごしている方が効率的だし快適です。なんで勤務時間(定時)が終わった後に、わざわざスーツを着て、お偉方の前でお酒を飲まされて記者会見なんてしなきゃいけないのでしょうか?」と至極真っ当に答えた。

それこそが、まさに純度100%の「連合流」の思考回路だった。

 

「……あー、そんなわけで、我が社の誇る開発・発案の社員たちは画面の向こうから申しております。いやぁ、私も直接この場に来るように何度も熱心に誘ったんですけどね、ははは……」

 

佐々木製薬の社長は、額の汗を拭いながら、胃の痛みに耐えて必死に場を繋いでいた。

日本経済界の重鎮たちが揃うこの格式高い帝国ホテルにおいて、この異様な状況を笑いに変えてコミカルにいなすことしか、今の社長に残された防衛手段はなかった。

 

「ハハハ、社長さん、お気持ちは痛いほどよく分かりますよ。ウチの研究所にいる博士たちにも、全く同じタイプの人間が腐るほどいますからね」

 

「おお、Mr.アズラー……。やはり、あの領域の『異能』と呼ばれる人間たちは、我々とはどこか根底の思考回路が違っているものですよね……」

 

社長の隣でグラスを傾け、フォローを入れたのは、この術前麻酔薬をアメリカ国内で製造販売する独占ライセンスを佐々木製薬から巨額で買い取った、米国製薬大手「セメラー社」のCEOだった。いや、それは世界のメガファームを率いる彼にとってもあまりに生々しい事実であったため、フォロー半分、同情半分といったところだった。

 

その喧騒から遠く離れた祝賀会会場の最背後、壁の影。

公安の大川と、警察庁のサイバー捜査課にいる元連合勤務の若い青年の二人は、会場全体の警備と「観察」のためにひっそりと佇んでいた。

 

「……あれが、連合の誇る天才というやつか」

 

大川がモニターの中の、部屋着のような衣服で眠そうに画面を見つめている若者たちを顎で指す。

 

「ええ。彼らは24社連合が今の形を結成する前から、すでにバイオベンチャーとして業界の一部で頭角を現していました」

 

「らしいな。D社の内部資料をバグ・ハンター会議で見たよ。しかし、それはつまり、彼らは連合のあの『職業専門スクール』の出身者では当然ない、ということだな?」

 

「時系列を逆算するなら、スクール出身なわけがないです。おそらく東大や京大あたりの、いわゆる既存のエリート大学のドロップアウト組か、その辺りの出身だと思いますよ」

 

大川がこれまで、政府の連合対策会議(バグ・ハンター会議)で実質的な議長役を任されることが多いのは、この警察庁の若い官僚と話をする機会がたまたま多く、連合の「内情の少し先の真実」を、他の泥臭い官僚たちよりもほんの一歩早く察知できていたからだった。

だから今も、彼はこの後輩を情報源として、また頼れるITセキュリティのスペシャリストとしても深く信頼している。

 

だが、この青年は、連合の「公開されたシステムや思想の、少し先のロジック」までは極めてロジカルに教えてくれるが、そこからさらに一歩でも踏み込んだ「連合の核心的な内部機密」に触れそうになると、ピタリと口を閉ざす。

 

なぜなら、彼の手元には連合を離れる際に結んだ、鉄の「秘密保持契約書」が存在しているからだ。

そして連合のあの粘着質で執拗な気質からして、その契約の定義は、通常の上場企業が交わすような曖昧で形骸化したものではなく、違反した瞬間に法的・経済的に息の根を止めにくる具体的かつ冷酷な文言で規定されているのだろう。何より、彼自身も連合の冷徹な最適化マニュアル(MX)の中で育った人間なのだ。契約書に書かれた文言の範囲から「1ミリでも外れる言動」は、自身の効率性と安全性の観点から、絶対にしない。

 

だからこそ、警察庁の上級官僚たちも、サイバー捜査課の課長も、この青年を最大限に優遇し、全面的に信頼していた。

口が堅いということは、警察や公安という国家の暴力を扱う組織にとって、何よりも重要な資質だ。

内情に誰よりも詳しく、契約を遵守して口が堅く、サイバー技能に特化している。

組織として彼を優遇しない理由が、どこを探しても見当たらなかった。

 

「さて……連合は今後も、あの佐々木製薬を手足のように使って、自らの薬を世界中にバラまくつもりなのだろうな」

 

大川の呟きに、青年は視線をステージへと向けたまま答えた。

 

「そうですね。連合がいくら『自社と薬の関係性を世間から隠したい』と言っても、わざわざ特許ごと天才たちを転籍させてまでやることじゃないです。それに、もし今回の目的が達せられたからといって、開発者たちを全員Kバイオに戻したりすれば、佐々木製薬の株価は翌日には急落する。そうなれば、せっかく手に入れた『歴史ある大手製薬企業の生産・流通インフラ』という果実を、自ら失うことになりますから」

 

「確かに、それは非効率だな」

 

「ですが」

 

青年は少しだけ声を低くした。

 

「佐々木製薬側が扱いを一つでも間違えれば、連合が彼らに『戻ってこい』と号令を出す可能性は、常にありますよ」

 

「ん? 扱いを間違える……? 佐々木製薬の経営陣が、彼らに昔ながらの非効率な業務や、理不尽な接待、サービス残業なんかを押し付けたら、ということか? さすがにこの状況で、そんなバカな真似はしないだろう」

 

「ええ、そんな分かりやすい昭和の悪癖は出さないでしょう。彼らが恐れるべきは、そこじゃないんです」

 

青年は、クスリと静かに笑った。

 

「それよりも、もし画面の向こうの彼らが、今回の成功に味を占めて、次の研究テーマとして『よし、次は世界で一番快適な水虫治療薬だ』とか『究極の虫刺され痒み止め薬だ』と言い出したら、佐々木製薬の経営陣はどうしますかね?」

 

「……あ」

 

大川は言葉を詰まらせた。

 

「連合は、世界を震撼させる偉大な製薬会社になりたいわけでも、不治の病をなくす医療の光になりたいわけでもないんです。彼らはただ、自分たちの生活圏を『より効率的に、より快適にするための薬』を作りたいだけ。それが、今回はたまたま『腰椎麻酔の恐怖』という、医療格付けの高い高尚な対象だっただけです。となれば、彼らの次の探索範囲(バグハント)には、水虫治療薬や、市販の虫刺され薬の劇的な改善といった、泥臭い大衆薬も平然と入ってきてしまう」

 

青年の静かな解説が、大川の脳髄に染み込んでいく。

 

「それをもし、株価が上がって世界のメガファームの仲間入りをしたと勘違いした佐々木製薬側が、『我が社は世界のササキだぞ、もっとがん治療薬やバイオ新薬のような、真面目で株主ウケのいいテーマに人員を割いてほしい』などと彼らに少しでも指示を出せば……連合は、本当に一瞬で、表情一つ変えずに手のひらを返すでしょうね。別に怒ったり、偉そうに脅したりはしません。ただ淡々と、『我々とは理念が違うようですので』とだけ言って、提携も転籍もすべてを白紙に戻して解消(バグフィックス)する。……おそらく、ステージで引きつった笑いを浮かべている佐々木製薬の社長自身も、本能的にその『底なしの恐怖』を感じ取っているはずです」

 

機嫌を損ねるな、とまでは言わない。

だが、彼らの持つ「快適さと高効率」という絶対的な理念と生存思想を、既存のビジネスの常識で完全否定した瞬間に、すべてが崩壊して終わる。

それが、24社連合という怪物と握手を交わした企業に課せられる、あまりにも危うく、あまりにも冷徹な共生関係のルールだった。

 

帝国ホテルの豪奢な夜。華やかな拍手と、狂喜乱舞する株価指数の喧騒の裏側で、佐々木製薬は「世界一都合の良い魔法の杖」を手に入れた代償として、自らの首元に連合という名の「見えない剃刀」を突きつけられていることに、ただ静かに怯え続けるしかなかった。

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