ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第55話

2040年 10月 茨城県 株式会社ヨージー

 

「では、豚肉の運用プロセスに関しては、今月よりこの2系統で確定させます」

 

品質保証部門の責任者がプロジェクターの画面を切り替えると、社長をはじめとする役員一同が深く頷いた。

 

あの5月、一人のアルバイト社員が放った「そもそもなんでマイナス20℃なんすか?」という素朴な疑問。そこから始まったヨージーの『誠実経営・現場改善運動』は、社内に猛烈な地殻変動を起こしていた。だが、それは経営陣や精査する管理部門にとって、決して綺麗事だけでは済まない、膨大な『ゴミデータ(甘えの提案)』との血みどろの闘いの始まりでもあった。

 

あの冷蔵庫の設定温度に関しては、法律という絶対的な数字の「過剰マージン」が誰の目にも明らかだったからこそ、すぐに実験とコストカットへ移れた。

しかし、ベースアップの報酬をぶら下げた途端に現場から津波のように押し寄せたのは、そんな洗練されたものばかりではなかった。

 

「ベルトコンベアの速度をあと20%落とせば、人間の視認ミスが減ってクオリティが上がります」

「毎日1時間早く全員退勤して心身をリラックスさせれば、翌日の集中力が上がって歩留まりが改善します」

 

聞こえは良いが、中身を剥がせば「ただ自分が楽をしたいだけ」の個人的な願望に、もっともらしい理屈を強引に貼り付けただけのゴミ提案が山をなしていたのだ。

消費者がワガママなら、現場の社員もまたワガママであり、経営陣もまたコストを削りたいだけのワガママ。人間のエゴがぶつかり合う以上、こうして有象無象のデータが溢れ返るのは必然だった。

 

だが、管理部門がそれらのゴミ提案を仕分けし、泥をさらい続けた中に、一つだけ鈍く光る本物の原石があった。

提案のタイトルは、「3つある大型冷凍倉庫の奥から、たまに発掘される期限切れ肉ブロックの廃棄をゼロにする生産方法」。

 

これまでのヨージーでは、新しい肉の塊(ブロック)を仕入れた際、3つある倉庫の「空いているスペース」に、現場の判断でとりあえず適当に詰め込んでいた。もちろん、ロット番号や日付のタグは付けるし、事務所のPC画面上の在庫リストにはデータとして存在する。

しかし、いざ生産ラインでその古い肉を使おうと現場が倉庫を探しても、どこに潜り込んだのか見つからないのだ。超低温の環境下で、防寒着を着ていても1時間を超える「肉の捜索作業」は、即座に低体温症や凍傷などの労働災害に直結する。そのため、現場責任者は早々に捜索を打ち切る。一度打ち切られた肉ブロックは奥底で忘れ去られ、数ヶ月後の定期清掃や大規模な仕入れのタイミングで、「あ、こんなところにあった」と発掘される。そして、その時にはすでに賞味・消費期限が切れており、無残に産業廃棄物として処理される――そんな経営の「隠れた出血(バグ)」が、たびたび起きていたのだ。

 

システムを完全デジタル化し、RFIDタグや高額な自動ピッキング倉庫を導入すれば解決する。だが、今のヨージーにそんな大金を一瞬でキャッシュアウトする余裕はない。

 

なら、管理と生産の「人間の動線」を力技で見直せばいい。提案された解決策は、拍子抜けするほど原始的だった。

 

『コレが最古参(一番古い肉)です!』とデカデカと書かれた、蛍光色の巨大な布タスキを現場で作る。

 

別にこれが絶対に科学的な正解でなくてもいいし、倉庫内に複数存在していても構わない。とにかく、日常業務の中で周囲の肉ブロックを見回したとき、3ヶ月前の仕入れ日のタグがかかっている塊を見つけたら、現場の作業員は何も考えず、上司の審査も通さず、その場で倉庫内に常備してある滅菌済みの布タスキをその肉にガバッと掛ける。それだけだ。

布製だから超低温でもパキパキに割れず、劣化もしにくい。

 

そして生産管理側は、初めから毎日の生産ラインの計画の中に「通常の生産計画の肉」とは別に、「とりあえず近場で見つかった、タスキのかかった最古参肉を1〜2個強制投入する枠」を最初からシステムの中に混ぜ込んでおく。

毎日、機械的に古いものを数%ずつ確実に使い切る。当然、法律で定められた期限内なのだから、品質にも顧客にも文句は出ない。

 

デジタルな在庫管理ではなく、現場の「視覚」に直接訴えるアナログ極まる運用。

その試験結果が、今日、役員会に提出されたデータだった。

 

結果――「対象の肉ブロックの廃棄ロス、7割減少」。

 

元々の分母(廃棄数)がそこまで巨大ではないため、パーセンテージとしては極端な成果数値になったが、それでも無駄な廃棄費用と仕入れ原価のドブ捨てが明確に阻止された。紛れもない「改善」だった。

 

「素晴らしい……」

 

社長は手元のグラフを見つめ、感嘆の声を漏らした。

 

「設備投資費もゼロ、システム改修の人件費も管理費もゼロ。やったことと言えば、現場で洗える布のタスキを用意したことと、毎日の生産予定の中に『古い肉専用の枠』を数行開けておいただけだ。それだけで、これほどの具体的効果が出るとはな」

 

「しかも社長、これだけではありません」

 

営業部長が興奮気味にタブレットを突き出す。

 

「食品廃棄数の明確な減少は、我が社の『ESG(環境・社会・ガバナンス)スコア』の直接的な加点対象になります。このデータを持っていけば、来期のメインバンクとの金利引き下げ交渉で、かなり有利な条件を引き出せるかもしれません」

 

「……なるほど。1円、5円のコストカットが、銀行の金利というデカい数字の削減にまで化けるか。本当に、霞が関の経産省が言っていた通りだな。我々は今まで、国の過保護と『現状維持』という温ま湯に、甘え過ぎていたんだ」

 

社長も、役員たちも、部長たちも、一様に引き締まった顔で口々に言った。

そこには、半年前まで原材料の高騰に怯え、パッケージの底上げという「ステルス値上げ」の誤魔化しに終始していた、旧態依然とした日本企業の情けない姿はもうどこにも無かった。

 

だからといって、今のヨージーが24社連合のような、あるいは外資のギガファクトリーのような「最先端の未来企業」へと進化したわけでもない。

むしろ彼らがやっていることは、かつて日本の製造業が世界を席巻した「高度経済成長期」の現場が泥に塗れて生み出していた、あの昭和的で、懐古的で、泥臭い『カイゼン』の精神そのものへの先祖返りだった。

 

もし、このヨージーの姿に「2040年という現代の要素」が含まれているとするならば、それはただ一つ。

現場のアルバイトが巻いた泥臭い「布タスキ」の効果が、翌日には完璧な『デジタル数値』として可視化され、それが巡り巡って『ESG評価による金融機関との冷徹な金利交渉』という、現代の資本主義の最も鋭利な武器とダイレクトに結びついていること、その一点だけだった。

 

「よし、この『最古参タスキ作戦』を発案した倉庫の班にも、約束通りベースアップと報奨金を出す。そして……」

 

社長はニヤリと笑い、営業部長を見た。

 

「例のSNSでの小出し報告、来月分は『倉庫の運用バグのデバッグにより、廃棄ロスを削減。つきましては、ポークカツ弁当をさらに3円値下げします』でいこう。消費者どもに、我が社の”誠実な狡猾さ”をたっぷり見せてやるんだ」

 

怪物の影に怯えていた地場企業は、いつしか、独自の歪な「生存のOS」をその骨組みの中に完成させつつあった。

 

同日 東京 霞が関 経産省

 

野上経済産業大臣は、執務室の重厚なデスクで、財務省および金融庁のルートから上げられてきた最新の報告書に目を通していた。

数字とグラフが整然と並ぶその書類自体は、日常的に行われるありふれた政務の光景だ。

 

しかし、今彼が睨みつけているデータは、連合思想の感染と国のスパルタ方針(市場管理放任宣言)によって激変しつつある、日本産業界の「リアルな健康診断結果」とも言えるものだった。

 

「――金融機関に対して、具体的な現場改善のエビデンスを引っ提げて金利交渉に臨んだ食品関連企業は、現時点で全国で39社か。……ふむ、そのうち銀行側が実際に金利引き下げに応じたのは33社だな」

 

野上は手元のリストを指でなぞる。そこには、あの茨城県で泥臭い布タスキを回し始めた「株式会社ヨージー」の名前もしっかりと刻まれていた。

 

「……大臣、これはあまりに少なすぎはしないでしょうか?」

 

傍らに控える政務次官が、焦りを隠せない様子で疑問を投げかけた。

国が過保護を辞め、甘えたステルス値上げを糾弾する「判決文」を出してからまだ1年も経っていない。急激に体質改善を成し遂げられる企業などそう多くないことは百も承知だ。しかし、日本全国に何万社と存在する中小・中堅企業の中で、大波に抗う自力を見せたのがたったの40社弱という現実は、次官の目にはあまりに心許なく映っていた。

 

「何を言うか。始まりの一歩というのは、いつだって小さく静かなものだよ」

 

野上大臣は書類から顔を上げ、不敵に、しかし満足げににこりと笑った。

 

「むしろ、あれだけ長年『前例主義』と『国への依存』という温ま湯に浸かりきっていた地場企業が、たった一発の政府の発破(放任宣言)で自ら足元のバグに気づき、ここまで踏み出してくれたんだ。私にとっては上出来どころか、奇跡に近い大収穫だと思っているよ」

 

野上の表情に、次官は張り詰めていた肩の力を少しだけ抜き、ほっと胸をなでおろした。

 

「彼らはただ生き残ったわけじゃない」

 

野上はリストをトントンと指先で叩いた。

 

「自力でコストを削り、SNSで消費者を味方につけ、銀行の首を縦に振らせた『成功体験』を手に入れたんだ。ここからだよ。生き残った33社が放つ異様な生命力に触発されて、同業や近隣の企業が必ず『あそこはどうやって生き残ったんだ?』と交流を求め始める。そうして、国が補助金を出さずとも、現場主義の『改善の輪』は勝手に市場へ伝播し、広がっていくさ」

 

「なるほど……。自律的な市場の自浄作用、ですか」

 

「そうだ」

 

野上大臣は椅子の背もたれに深く身体を預け、窓の外に広がる霞が関のビル群を見つめた。その眼光は、優しげな笑みとは裏腹に、恐ろしく冷徹な政治家のそれに変わっていた。

 

「……しかし、な。その『改善の輪』が広がるのを、ただのんびり待っているほど、あの24社連合という怪物の進撃スピードは遅くはない。動き出せない残りの有象無象(居眠り企業)には……そろそろ、目を覚まさせるための『二発目の発破』が必要かもしれんな」

 

国が仕掛ける次なる淘汰の引き金。バグ・ハンター大川の懸念通り、政府というシステムそのものが、連合という巨大な最適化の怪物と呼応するように、より冷酷で、より容赦のない「次なる一手」へと指をかけようとしていた。

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