2041年 1月 茨城県 株式会社ヨージー
「いやぁ……まさかウチのような地場企業が、全国ネットのテレビ番組から取材を受ける日が来るとはね」
「本当に。泥臭い改善を少し積み重ねただけなのですが、世間というものは何が引っかかるか分からないものです」
本社応接室の大型モニターに映し出される、自社の特集パートを見つめながら、社長や役員たちはどこか狐につままれたような顔で不思議がっていた。
取材に来たのは、キー局の有名経済報道番組だった。番組内のビジネス特集コーナーで、ヨージーが実践している「10円の値下げも値上げも、そのコストの内訳を100%SNSでガラス張りに公表する『誠実経営』」が、今の不況を生き抜く革新的なビジネスモデルとして大々的に取り上げられたのだ。
茨城を中心とした関東ローカルでしかお弁当と加工肉製品を販売していない中堅企業に、なぜ全国区のスポットライトが当たったのか。当事者である彼らには、その理由が皆目見当もついていなかった。
しかし、これこそが経済産業大臣・野上の打った「二発目の発破」の正体だった。
野上は、霞が関の権力を使って無理やり企業を従わせるような不器用な真似はしない。メディアという巨大なスピーカーを使い、自力でバグをデバッグして銀行の金利交渉まで勝ち取ったヨージーのような「一足先に目を覚ました範例(ロールモデル)」を複数例、全国に晒し上げたのだ。
『お前たちが国や環境のせいにしている間にも、やり方次第でこれだけ体質改善できる企業が現実に存在するぞ』と、日本中の居眠り企業たちの目の前で強烈なビンタを食らわせたに等しかった。
この放映が全国の経営者たちに与えた衝撃は凄まじかった。
そして同時に、発破の火薬となったヨージー自身もまた、テレビの向こう側で同じ特集コーナーで紹介されていたある関西の中堅企業の「さらに一歩進んだコスト増加ほぼゼロのSNS活用法」を見て、貪欲にそれを取り入れる検討を開始していた。
テレビの特集でヨージーと並び、先進事例として紹介されていた関西圏のある中堅食品メーカー。
ここも元々は、多くの現代企業と同じように公式SNSアカウントを所有していた。しかし、これまでは新商品の宣伝を型通りに呟くか、あるいはユーザーと当たり障りのないジョークを交わし合う、いわゆる「場を温めるだけの大喜利アカウント」に過ぎなかった。
そこに、ヨージーの誠実経営を掲げるより前に似た構想を立ち上げた経営陣が、独自の生存戦略として『議論とアンケート』の機能を組み込んだ。
「飼料と燃料の暴騰により、養鶏場の経営が逼迫しています。つきましては、来月より卵関連の対象商品が一律30円値上がりします。コストの内訳は以下の通りです」
ここまではヨージーと同じ使い方だ。消費者は「また値上げか」とため息をつく。しかし、この関西の企業が恐ろしかったのは、『その次』があること。
【公式からの切実なお願い】
「どなたか、フォロワーの皆様の中に、個人の養鶏業を営まれている方、あるいはそのお知り合いはいらっしゃいませんか? もしよろしければ、我が社の物流網を使って、一緒に資材や配合飼料をまとめて大量仕入れ(共同購買)し、お互いのコストを限界まで削り落としませんか?」
公のSNSを、まさかの「BtoBの仕入れ交渉の場」として開放したのだ。
当然、リプライ欄や引用リツイートは一瞬で地獄と化した。
大多数の書き込みは、『企業のくせに素人に泣きつくな!』『そんなことより30円値上げを取り消せ!』『ふざけるな、消費者舐めるな!』という、感情論に終始したクレーマーたちの罵詈雑言だった。
しかし、この企業の広報部門と経営陣は、それらのノイズには「一切、1ミリも触れずに完全スルー」を徹底した。
彼らが目を光らせていたのは、その怒号のコンクリートの隙間から、ごく稀に生えてくる「本物のデータ」だけだった。
『ウチの実家、兵庫の田舎で小さな養鶏場やってるけど、マジで規模が小さくてエサ代の単価高くて困ってるっぽい。こういうのって相手にしてもらえるの?』
一般ユーザーの何気ないその返信を見つけた瞬間、公式アカウントは猛烈な勢いで食いついた。
【公式】
「お声がけありがとうございます! ぜひ具体的なお話を伺いたいです。差し支えなければ、大体の年間生産規模や、現在お困りの仕入れ単価の目安だけでもDM、あるいはこのリプライツリーで教えていただけますでしょうか? 場所は兵庫のどのあたりでしょう?」
もちろん、SNSという流動的なプラットフォームの性質上、タイムラインの流れのせいで過去の重要な提案や議論が一般ユーザーの目から見えなくなるという構造的弱点はある。素人の思いつきによる非現実的なアイデアも大量に混ざる。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
今この瞬間、画面の向こうにいる当事者同士の間では、既存の商習慣や代理店をすべてすっ飛ばした、熱くリアルな「直接商談(デバッグ)」が成立しているのだ。もし、流れが早すぎて埋もれてしまったテーマがあれば、運営側が「先日の飼料共同購買の件ですが、再度進捗を共有します」と、何度でも新しくアップし直せばいいだけのことだった。
感情的なクレーマーの叫びは、1円の利益も生まないただの背景音(環境音)。
冷徹に耳を傾けるべきは、お互いの「不快とコスト」を相殺し合える、具体的な数字を持った生存のパートナーの声。
ヨージーが「社内のワガママ」と格闘して布タスキを生み出したように、関西の企業は「ネットのワガママ」を冷酷にフィルタリングし、市場の新たなネットワークを内製し始めていた。
昭和的な泥臭い相互扶助の精神と、現代のSNSという網の目を組み合わせた、国家の手を借りない「地場企業サバイバル」の第2章。野上大臣の放った二発目の発破は、連合の合理性とはまた異なる、日本の土着的な経営OSの覚醒を確実に促しつつあった。
同日 東京 霞が関 経産省
テレビから流れる緊迫した報道を、仕掛けた張本人である野上経済産業大臣もまた、苦笑いを浮かべながら見つめていた。
「さすがは連合のH食品傘下に入っただけのことはある。企業の公式SNSアカウントを、そのまま『BtoBの商談の場』に作り変えてしまうとはね……」
そう、全国ネットの番組で「先進事例」の一つとして華々しく紹介されたあの関西の企業は、24社連合の食品セクター大量買収で『H食品』に買収され、その統括下に入った末端企業の一つだったのだ。
野上が放った「二発目の発破」。それは、単に眠っている地場企業たちに「がんばりましょう」と甘い成功例を教えてやるような、生ぬるい教育番組ではなかった。
「すぐに全国の経済産業局を通じて、各地域の経済団体や主要企業に通達しろ。――『これが連合の恐ろしさだ。お前たちがこれから市場で喰い合い、生き残りをかけて戦わねばならない対戦相手の本当の姿だ』とな」
野上は冷徹に言い放った。
成功例の広報というオブラートに包んで突きつけられたのは、連合の凄まじい合理性と、極限の単純思考から生まれた「奇想天外ではないが、確実に効果のある実戦マニュアル」そのものだった。
その真意と恐怖は、余程のボンクラ経営者でない限り、嫌でも脳髄に届く。
『連合も、それを必死に追うヨージーのような連合外の企業も、すでに超効率化を実現して未来へ走り出している。お前たちは、その古い看板を掲げたまま、ただ突っ立って死を待つだけでいいのか?』
国からの明確なメッセージ(脅迫)だった。
彼らはAIも、横文字ばかりのDXも、華やかなUXも極力やらない。最新のハイテク機械も、数億円規模の最新工場の設備投資も極力しない。さらには、「SNSや広報担当が、仕入れや原材料の商談なんて畑違いの業務を扱うべきではない」という、日本企業が長年固執してきた縦割り組織の固定観念すら、現場の『効率』のために軽々と破壊してみせる。
それがどれだけ厄介で、どれだけ強大な競合相手か。そろそろ気づけ、と。
「……しかし、大臣」
静まり返る執務室で、事務次官が恐る恐る口を開いた。
「よく、あの『モグラの生まれ変わり』のような……徹底的に表舞台に出ることを嫌い、地中に潜んでシステムを書き換える連合の企業を、テレビなんていうマスコミのど真ん中に引っ張り出せましたね。連中が国のメディア戦略に素直に乗るなど、普通では考えられませんが」
野上は椅子の背もたれに深く身体を預け、不敵な笑みを浮かべた。
「例の、彼らが岐阜の山奥で始めようとしている『山岳森林PMC(民間軍事会社)』の構想。あれを交渉のテーブルに乗せて、交換材料にしたのさ」
「「……!」」
事務次官も、隣にいた政務次官も、その言葉を聞いた瞬間に言葉を失い、完全に黙り込んだ。
外交問題の塊、いや、下手をすれば日本の憲法解釈の根底を揺るがしかねない、あの狂気の「準PMC」計画。林業従事者や猟師を組織化し、釘と石でスパイを狩る戦闘集団の育成。行政として絶対に「認可」のハンコなど押せるはずのない、劇薬中の劇薬だ。
「……大臣、まさか、あれを正式に承認されたのですか? それはあまりにも……」
「馬鹿を言うな。私が一存で認められるわけがないだろう」
野上は呆れたように手を振った。
「私が持ちかけたのは、国内の食品インフラと物流網を連合の排他的経済圏として完全に制圧されるのを指を咥えて見ているか……それとも、連合が内製する『山岳森林地帯における純粋な防衛・偵察、および緊急回避的な反撃のみに限定した、準PMC組織の将来的な海外展開の特許(実証実験枠)』を、国が水面下で条件付きで容認するか。……その天秤だよ。国益の取引としては、十分にすぎるほどこちらにメリットがあるとは思わないか?」
黙り込む官僚たちを冷たい目で見据えながら、野上は容赦なく言葉を続けた。
「いいか、連合を相手にする時の鉄則だ。交渉というものは、こちらが持っている『一番惜しいカード(劇薬)』を叩きつけなければ、相手は本気で乗ってこん。中途半端に予算の優遇だの、税制の緩和だのといった生ぬるい材料を差し出したところで、連中は一瞬でリスク計算(バグチェック)をしてこちらの意図を看破し、さっさと地中へ逃げ帰って引きこもるだけだ」
野上経済産業大臣という政治家もまた、バグ・ハンターの大川とは異なるアプローチで、連合という怪物の習性を完璧に理解し、それを利用していた。
「連中が山を制圧して海外へ打って出る力を手に入れる代わりに、私はこの国の腐りかけた市場に『連合の劇薬』という猛毒を直接流し込む権利を得た。……あとは、日本の中小企業どもがこの毒に耐えて、ヨージーのように独自の抗体を獲得して進化できるかどうかだ」
テレビの画面の中では、関西のH食品傘下の社員が、タイムラインの罵詈雑言を冷酷に無視しながら、一軒の養鶏場とのダイレクトな価格交渉を成立させていた。
システム最適化の波は、もはや一省庁のコントロールを超え、国家の法と市場の境界線をドロドロに溶かしながら、誰も見たことのない異形の新時代へと突き進んでいく。