ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第60話

2041年 5月 岐阜県

 

周囲に人影のまったくない、深い山岳森林エリア。

半導体廃液リサイクル工場の建設に向けて、大手ゼネコン・漆原(うるしばら)建設の重機が唸りを上げ、地元の林業作業員たちが杉林を次々と切り倒しては巨大な根を掘り起こしていた。

 

その泥臭い開発現場の最前線を、作業着姿の男たちが付きっ切りで凝視している。

急造された黒々としたアスファルトの敷地入り口には、真新しいプレハブ小屋が6棟、整然と並べられている。そこが連合の陣取る「監査基地」だった。漆原建設側の休憩所や事務所のプレハブは、完全に別のエリアへ追いやられている。

 

「おい!……いや、君。そこは今は危ない、入らないように」

 

親方風の男性作業員が、鋭い、しかし極めて平易で冷静なトーンで制止の声をかけた。

漆原建設は連合企業ではない。彼らは元請けのゼネコンであり、実際に現場で汗を流して請け負い工事をしているのは、その下にぶら下がる3次請けの地元の工務店だ。漆原建設の生え抜き社員は数えるほどしか現場におらず、重機は本社がレンタルで投入したもの。数名の保守メンテナンス要員と、施工管理と現場管理者が10数名が広大な現場に散らばっているだけだった。

 

「……なぁ、どうしたんすかね、あのお上の社員様たちは」

 

切り倒された杉の枝を払いながら、下請け工務店の若い作業員が、怪訝そうに漆原建設のプレハブを顎で示した。

 

「さっきの新人、重機の進入禁止半径にぼさっと入り込もうとしてただろ。いつもなら親方から『どこ見て歩いてんだボケナス!』って、ヘルメットの上から殴られてるタイミングだぞ」

 

下請け工務店の面々は、この現場を包む異常なまでの『静けさ』に、ずっと不気味な違和感を抱いていた。

建設業界といえば、まずは何よりも年功序列と徒弟制度が絶対だ。その原理から、現場では怒鳴る、殴る、いじめるが「安全管理」や「教育」の名目で当たり前に行われてきた世界である。

だが、この山奥の現場では、それがほぼ完全に起きない。

 

いや、工事の始まった最初の数週間は起きていた。工務店内の古いヒエラルキーに則って、先輩が後輩を怒鳴り散らす光景が。

しかし、元請けの漆原建設が突如として「現場での暴言・暴力は一切禁止」と言い出した。業界の常識からすれば最近流行りの方針だった。

 

「今回の現場監督は、おめでたい理想論者なんだろ」

 

作業員たちは当初、鼻で笑って高を括っていた。しかし、いざ現場で怒鳴り声が響き、小突く蹴るの行為が目撃されると、漆原建設の管理者が青い顔をして猛ダッシュですっ飛んできた。そして、その場で実行犯を徹底的につるし上げたのだ。

ただ事ではない――工務店側がそう肌で察するのに、一ヶ月もかからなかった。

 

「気づいたか? 元請けの社員の巡回頻度、普通じゃねえぞ」

 

「ああ、マジで1秒たりとも隙間を作らずに、交代で現場を見張ってる……」

 

「でもよ、新入りがちょっとサボって手を抜いてても、元請けの奴らは何も言わねえんだ。サボりを取り締まるための監視じゃないのか?」

 

「なのに、俺たちの親方やオヤジたちが『手を動かせ!このタコ!』って怒鳴った瞬間にだけ、毎回全力で止めに入って来たのは何なんだ……」

 

下請け工務店の従業員たちも、この1ヶ月ほどの工事を通じて薄々気づき始めていた。

漆原建設や自社の経営陣が、急に「労働者の人権」とやらに目覚めて心を入れ替えたわけではない。もっと別の巨大な何か、あるいは遥か上の権力者たちから、現場の理不尽を強硬に止められているのだと。

 

「……交代です」

 

「お疲れ様です……。本当に、神経がすり減る……」

 

漆原建設の現場事務所プレハブで、監視員の交代が行われた。

外の巡回から戻ってきた社員は、泥のついた長靴を脱ぐ気力もなくパイプ椅子に深く座り込み、冷蔵庫から取り出した冷たいお茶を喉に流し込んだ。

 

「はあ……」

 

彼らがここまで現場の空気改善、いや「バグ取り」に躍起になっているのは、その指示を出してきた者たちの権力構造が、あまりにも異常だからだった。

これが自社の役員や社長が朝礼で語るような「我が社もクリーンなホワイト経営を」といったお題目程度なら、現場レベルでなあなあで済ませられた。監査役が来た時だけお茶を配り、『温情をもって現場を指導しました』と適当な報告書を上げて終われる話だ。

しかし、今回は自社(漆原建設)の意思など1ミリも介在していない。

 

発端は、この工場建設を発注してきた元請け、24社連合の一角である『E化学』の労務担当役員だった。

彼らは契約の席上、具体的な「NG言動リスト」を突きつけ、さらに「これらを監視・管理する漆原建設を、さらに後ろから監視する人員を付ける」と言い出した。そして本当にプレハブ6棟を自費で持ち込み、そこに20名もの連合社員を常駐させたのだ。

さらに、漆原建設に下された業務命令書の末尾には、『経済産業省・野上大臣』、そして『岐阜県知事』の名前が並んで併記されていた。

 

つまり、これは「元請けが聖者で理想論者だから」という話ではない。もしそうなら、いくらでも現場で隠蔽や言い訳ができた。『我々3人の管理者じゃ、広大な現場の隅々までは見きれませんよ』と言えば突っぱねられたはずだ。

だが、漆原建設がそう泣き言を言った瞬間、E化学の役員は表情一つ変えずにこう返してきたのだ。

 

『では、漆原建設さんへの管理委託費、および人件費の予算をこれまでの8倍に増額します。これで監査人員は何人増やせますか? 予算不足を言い訳にすることは許しません』

 

口を出す、権力も出す、そしてその言い訳を完全に封殺するだけの桁外れの「金」を、連合は即座に積んできた。そこに経産省と県庁のトップの二大権力の署名があるのだ。

 

「逆らえるはずがないだろ……。ここで暴言の一発でも見逃して上にチクられたら、マジで俺たちのクビどころか、会社ごと市場から排除される」

 

もしこれが『暴力が一度でも発覚したら即座に契約解除』といった一方的で横暴な内容なら、まだやりようがあった。その理不尽さを「下請けいじめだ」と労組やメディアに訴える防衛策も取れただろう。しかし、連合の構築したマニュアルは恐ろしいほどにシステム化されていた。

 

『現場が人間である以上、暴力や暴言、不道徳行為が突発的に起きるのは止めようがありません。我々がシステムとして重視しているのは、それが起きた際、元請けが「即座に止めた証拠」と「その後どのような具体的かつ実行可能な再発防止策を講じたか」の証明だけです』

 

結果として、不道徳な暴言や威嚇を行った者は、たとえ下請け工務店の社長であろが、現場を仕切る熟練のベテラン作業員であろうが、翌日には1枚の書面を回されることになる。

 

【労務環境是正合意書】

「私は〇月〇日、不適切な言動(威嚇・暴言など)があった事実を認めます。以降、マニュアルに従い改善します。今月の我が工務店の残り猶予(デバッグ)カウンターは『4』になることを承諾します。」

 

この文書にサインしなければ、その場で現場から叩き出される仕組みになっていた。そして、この猶予カウンターがゼロを下回り、マイナスに突入すれば、その工務店は組織ごと現場から排除される。

また、このカウンターは一か月経つとちゃんと初期数値の『5』に戻るし、一か月カウンターが減らなければ初期数値自体が底上げされ『6』や、完全状態を何が月も維持すれば『10』といった数値にどんどん上昇する仕組みになっている。

 

「理不尽じゃないんだよな……。ちゃんと、現場を改善するための『猶予』を数字で与えてくる。だから、誰も文句が言えない」

 

「文句を言ったら最後、それは『我々、漆原建設は、現場の暴力や暴言を容認する前時代的な会社です』と世間に堂々とアピールすることになりますからね。……完全に逃げ道を塞がれてる」

 

圧倒的な口を出す。国家級の権力も背景に置く。しかし、その要求を満たすためのコスト(金)は1円の狂いもなく全額支払う。

だからこそ、地方の古い建設業界の怪物たちも、連合という冷徹なOS(システム)の前に、ただ従順にデバッグされていくしかなかった。

 

同日 東京 霞が関

 

デジタル庁のMX(マニュアル・トランスフォーメーション)構想解析チームは、漆原建設に突きつけられたあのE化学の契約書の写しを、最重要機密資料として位置づけていた。

先日、長官が発した「マニュアルを破る人間は必ず出る。それを連合はどう制御しているのか?」という根源的な問い。そのブラックボックスをこじ開ける重大なヒントだったからだ。

 

国がわざわざ、連合外の大手ゼネコンであり住宅メーカーでもある漆原建設の割り込みを認め、伐採した杉を端材の一本に至るまで余すことなく資材化するという「連合の自前化(独占)」を防ぐ大義名分を作り、さらには野上経産大臣と岐阜県知事の権力まで貸し付けた理由。

すべては、この生々しい契約書の実物を、合法的に国家の手に手に入れるための壮大な布石だったのだ。

 

これまでの連合は、ほぼすべての経済活動を自前企業か、固い信頼関係で結ばれた連合加盟していない普通の民間企業との契約の閉じたループだけで回していた。省庁に対して提出される資料や契約書の写しは、体裁を整えたありきたりなものばかりで、MXの核心たる具体的かつ詳細なシステム制御条項はすべて削ぎ落とされていた。

官公庁側も、そこまで民間の契約書に深く介入することはできなかった。もし法改正や規制で無理やり全企業の契約詳細データを提出させようものなら、日本中から数百万、数千万件の文書データが押し寄せ、政府のサーバーが物理的にパンクすることなど目に見えていたからだ。だからこそ、民間同士の「生きた契約」の鹵獲が必要だった。

 

「……やはり、行政処分プロセスと同じく、一定の猶予を設けて現場を教育(デバッグ)していたか」

 

解析チームを率いる情報システム局長は、手に入れた契約書の条項を指先でなぞりながら、静かに呟いた。

 

「しかし、我々官公庁が行うような、監査官や裁判官の主観、あるいは情状酌量といった曖昧なものは一切排除されている。徹底的な『数値管理』だ。発生した現場の暴力や暴言が、かすり傷であろうが、骨折級の重傷であろうが、システム上は冷徹に『バグ1件』として等しく処理される。猶予カウンターを機械的に減らすだけだ」

 

局長は、かつて河内・紙村財閥の幹部が漏らした言葉を頭の中で反芻していた。

 

「なるほど、財閥が言っていた『どれほど損失が多額になろうと許容せよ』とは、このことだったのか。『損失』とはてっきり設備や生産機械のことと思っていたが、人間まで含むとはね。たしかに感情で人を裁けば現場は隠蔽され、ルールは死ぬ。だが、数値として淡々と処理し、再発防止の『手順』だけを要求すれば、人間はマニュアルに従わざるを得なくなる……」

 

これが組織の末端に至るまで、どれほどの爆発的な効率化(生産性向上)に繋がっているのか。

それの緻密なシミュレーションは、これからチーム全員で寝る間を惜しんで検討すべき領域だった。

 

「これ一枚で、我が国のDXの解像度が何段階も引き上げられるな」

 

局長は満足げに契約書の束を革のカバンに仕舞うと、自らの執務室へと静かに戻っていった。古い統治機構のOSを書き換えるための、強力な武器を胸に秘めて。

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