ある日本企業たちの・・・   作:適当でいいです

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第61話

2041年 6月 東京 永田町

 

国会議事堂の衆議院では、ある新たな法改正についての審議が、異様な緊張感の中で行われていた。

NHKの国会中継をはじめ、ネット配信のカメラが幾重にも議場を取り囲んでいる。

 

20年ほど前であれば、この手の複雑な法案審議の最中には、必ず数人のベテラン議員が居眠りを貪っていたものだ。カメラがそこをズームアップして切り取り、テレビのお茶の間やネットのSNSを「給料泥棒」の合唱で沸かせるのが、かつての永田町の日常風景ですらあった。

しかし、今、議場に眠気にとらわれている議員はただの一人もいない。いや、正確には「できなくなった」のだ。

 

「――本当に、この改正内容で施行後に重大なバグ(問題)は起きないと、法務省は確認したのでしょうね?」

 

野党席からの鋭い追及に、答弁台の川村法務大臣がハンカチで額の汗を拭いながらマイクに歩み寄る。

 

「は、はい……。国土交通省、および関係各省庁の実務ラインも合同で、数千パターンのシミュレーションによる検証を重ねております。万全を期しております」

 

すべては、あの24社連合という怪物のせいだった。

連合は今や、物流、介護、レガシー半導体製造、インフラ、教育といった、この国のあらゆる重要社会課題を「超効率」によって解決し、日本経済の生命線を握る巨大インフラそのものと化している。

そして、連合という組織の最大の特徴は、『マニュアルに狂気的なまでに従う』という一点に尽きた。彼らにとって、国会が可決する新法や法改正の内容は、そのまま社内マニュアルという絶対のプログラムへ自動インプットされる「新たな変数(ルール)」に過ぎない。

 

もし仮に、今まさに国会で議論されている「特定の出入国管理および外国人労働者受け入れ枠を緩和する法改正」が、現状の生煮えの記述のまま可決・施行されたらどうなるか。

政府側の目論見では、地方の労働力不足を緩和するための、良かれと思っての経済対策だった。

 

しかし、その法律の文面が連合のOSに読み込まれた瞬間、彼らのマニュアルAIが冷徹な最適解を弾き出す。

――『法改正第12条の規定により、現行の人材派遣J社に優位性急落のリスク大。予測損失300億。即刻、当該事業からの撤退を推奨する』

 

もしそう吐き出されたら、連中は本当にその日のうちに、J社そのものを精算するか、あるいは特定事業部門を最も効率的な手順で畳むためのプロセスに入ってしまう。

そこに「せっかく育てた事業なのだから、存続させるべきか?」などという、人間特有の未練がましい議論(ノイズ)は一切挟まない。システムが「撤退」という唯一の正解を出したのだから、それがすべてだ。

 

「議員や省庁への陳情や抗議」といった、従来の日本企業がやってきた泥臭い政治交渉すらもしない。彼らにとって、国会という最高立法機関が決めたルールは「ただの確定した前提条件」だからだ。

 

『あっ、そういうルールに変えられたのですね。了解しました。新ルールで再計算します。――はい、計算終わりました。撤退と出ましたので、それではバイバイ』

 

彼らはそう平気で言って、一瞬で市場から消える。

なんなら、連合が4000億円以上の巨費を投じて建設した、あのB社青森半導体メモリ工場すら、法改正のバグ一つで明日には売却されかねないのだ。

 

(ここで俺たちが条文の設定をヘマしたら、一瞬で地方の雇用も国税の税収も吹っ飛ぶ……)

(それだけじゃない、連合の物流を支えるインドネシア人ドライバーたちを一斉に本国へ引き上げるかもしれない……)

(我が国の福祉を辛うじて支えている、連合のバングラデシュ人介護士たちも一網打尽に消えるぞ……)

 

背筋に極寒の冷や水を浴びせられているような恐怖の中、居眠りなどという豪胆な真似ができる議員など、永田町には誰一人として存在しなかった。

彼らは今、かつてないほどに「自分たちの言葉の重み」と、それを寸分の狂いもなく執行してしまうマニュアル社会の狂気に、震えながら直面していた。

 

当然、法務省も手をこまねいていたわけではない。彼らが打ち出した実効策は、省内に24社連合含む一般企業向けの「ホットライン(窓口)」を設置することだった。・・・実質24社連合向けだが。

 

「条文に不備や疑問点があれば、マニュアルへ組み込む前に直接こちらへ電話をかけてくれ」

 

そう呼びかけ、法解釈の専門チームを小規模ながら組織したのだ。

一度国会を通過してしまった法律の文面そのものを、行政の独断で弄ることは絶対にできない。しかし、「この条文の記述は、解釈が2通りに取れます。どちらの意図で運用すべきでしょうか?」という実務レベルの問い合わせに対して、公式の見解を即答することくらいはできた。

 

あまりに連合を優遇しすぎれば、国家機関としての公平性に重大な瑕疵(かし)が生じる。だからといって、国家の多重重要インフラを担う24社連合という「超優等生」が、法文の僅かなバグを拾って独自解釈のまま市場で猛スピードで大暴走(即時撤退など)されては、日本経済が文字通り崩壊する。

法の厳格性と、現実の経済破綻。その折り合いをつける境界線が、この泥縄式の専門窓口という歪なシステムだった。

 

「はあ……」

 

経産省や農水省のように、連合の利害関係と直接かち合うわけではない法務大臣の川村であっても、大臣執務室の重厚な椅子に身を沈め、深く大きなため息をつくほど心身ともに疲弊していた。

 

「まさか我が省の歴史において、法律の穴を突いて犯罪を犯す反社会的組織よりも、『法律を100%文字通りに遵守する超優等生』の方が遥かに厄介な存在になるとはな……。皮肉にも程がある」

 

「……お言葉ですが、大臣。現場の官僚たちも限界です」

 

傍らに控える法務事務次官が、目の下に濃い隈を浮かべた顔で静かに書類を整理する。

 

「条文の一言一句が連合のOSを刺激しないか、国交省や経産省などと徹夜で文言を精査し、その意図を議員たちへ説明する行脚で完全に疲弊しております。説明を受ける側の議員たちも、恐怖のあまり不安が最高潮に達しておりまして……」

 

「議員たちはまだいいさ」

 

川村は自嘲気味に首を振った。

 

「彼らは最悪、選挙区の有権者に対して『法務省のレク(説明)のせいで見誤った』と言い訳ができる。責任をこちらになすりつければ、政治的には生き残れるからな」

 

これまで、法解釈と実社会との間に生じる食い違いや不備は、司法の場や数年単位の時間をかけて「判例」や「法改正」としてゆっくりと修正されていくものだった。日本という国家はそのスピード感で最適化されてきた。

それが、24社連合という冷徹な計算機が現れたせいで、法文のバグが「数週間、下手すれば数日」で即座に社会的な実害となって顕在化する、恐るべき高密度・高速度な世界へと連れていかれてしまったのだ。

 

もし国会でヘマな法律を通し、連合のシステムが即座に「市場撤退」を弾き出したとする。

慌てた政府が『分かりました。非を認めて文面を修正し、来週の国会で再審議します!』と言ったところで、再審議の鐘が鳴る頃には、連合はすでに4000億の工場の中身は空っぽになっているだろう。他企業に売却している場合はまだマシな方か。だが引き継いだ企業が連合並みのコストでメモリを生産できるか、あるいは販売してくれるかは賭けになる。

 

そして、国側がルールを修正した後に、彼らのマニュアルAIが『新ルールを再計算しました。再び参入するメリットはあります』と、もう一度判定してくれるかどうか――。

そればかりは、24社連合という怪物を生み出したこの国において、誰も足を踏み入れたことのない、完全なる未知の領域だった。

 

「……ならば、いっそのこと連合に対して『重要インフラ指定』による法的規制をかけ、事業撤退を制限するような防壁(保険)を張ればいいのではないか、という意見も一部の若手議員から出ていましたがね」

 

次官の言葉に、川村法務大臣は鼻で笑って首を振った。

 

「机上の空論だな。そんな規制法案を国会で審議し始めた瞬間に、連合は動く。連中にとって恐ろしいのは『規制されること』そのものではない。国から『ロックオンされた』という事実、その経営リスクを警戒して、法案が可決される前にすべてのインフラ事業から即座に手を引いて逃げ出すさ。彼らの撤退スピードに、法案の成立が追いつくわけがない」

 

だからこそ、政府は連合という劇薬に依存しながらも、常に「最悪の事態」を想定せねばならなかった。

 

「……財閥による代替インフラの構築はどうなっている?」

 

川村の問いに、次官は手元のタブレットの秘匿データをスクロールしながら答えた。

 

「運送・物流の分野に関しては、大分進んでいます。すでに河内財閥傘下の『河内総合運輸』が独自のルートを開拓し、ベトナム人ドライバーが国内へ安定供給され始めています。小売りの方も、連合の『スーパー丸得』が進出している全地域の目と鼻の先に、財閥系の競合店舗を出店し終えました。いつでも受け皿にはなれます。――問題は、介護と医療の分野です。こちらは紙村グループがタイ国内に巨大な研修場を自費で建設し、東南アジア全域から看護・介護の経験者を集めて教育を施している最中ですが……」

 

「まだ、日本国内への実戦投入には至らず、現地での研修止まりか?」

 

「はい。残念ながら」

 

次官は苦渋の表情を浮かべた。

同じ海外人材の誘致であっても、日本の道路標識や交通ルール、日本車のトラックの特性さえ覚えれば最短数ヶ月で現場に出せるドライバーとは異なり、医療・介護の分野には言語や資格、何より人命を預かるという性質上、ドライバー以上の高くて厚い壁がいくつも存在する。

いくら資金力に物を言わせる財閥といえども、経験者を札束で買い叩いて明日から日本の施設へ突っ込む、というわけにはいかなかった。

 

「しかし大臣……仮に財閥の代替インフラが予定通り機能したとしても、連合が抜けた場合の供給難は深刻の極みです。何せ、連合の一声(マニュアルの書き換え)だけで、日本国内から20万人近いドライバーと介護士が一夜にして引き揚げることになるのですよ? 地方の物流と福祉は、数週間と持たずに機能停止します」

 

「分かっている。……分かっているさ」

 

川村法務大臣は立ち上がり、窓の外、どんよりとした梅雨の曇り空に覆われた永田町の景色を冷たい目で見つめた。

 

「だがな、この『財閥による不完全な代替インフラ』という名の、不格好なバックアップ(保険)すら用意しておかなければ、連合が去った瞬間にこの国は心臓麻痺で即死する。……死ぬよりはマシだ。下半身不随で生き長らえるしか、今の日本に選択肢はないのだからな」

 

法律という絶対の規律を作るはずの国家の最高機関が、民間企業の「マニュアル」という名の絶対律に怯え、その喉元に突きつけられた刃に怯えながら、薄氷を踏むような法案修正を続けていく。2041年の夏は、すぐそこまで迫っていた。

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